第284話 アディショナルタイムに突入した夏休み

『トラブルがあったことは、確認しています。咲良さくらさんの件も、カレナに聞きました。ひとまず、夏休みの延長を認めます。今から1週間を目途に、帰ってきてください。紫苑しおん学園には、私のほうで通信制への切り替えを行います。弓岐ゆぎ家のご当主から、追加の支払いを認めてもらいました。諸々の話は、帰ってから行いますので』


 俺の正妻である南乃みなみの詩央里しおりが、最終的な決断を下した。


 スマホの画面をタップした俺は、ふうっと溜息を吐いた。

 

 、か。

 この1週間を最後の思い出にしてください、と言いそうだな。

 けれども、俺は、詩央里の結論を受け入れるのみ。


 一般の電話は盗聴され放題のため、再び俺の式神である室矢むろやカレナを呼び、周りの空間を固定したうえで事情を伝えたのだ。

 彼女は、いつものように消えて、東京へと戻った。


 今考えても、仕方がない。

 咲良さくらマルグリットも、覚悟はしているだろう。

 必要なことだけ、伝えるか……。 


「メグ、許可が出たぞ! スイートを予約した分は、もう終わる。次は、どこに行こうか?」


 ソファに座っている俺が話しかけたら、マルグリットは両腕を組み、しばし考え込む。


「今まで、散々に絡まれてきたから……。もう、邪魔が入らない場所がいいわ」


 たぶん、どこに行っても注目されるだろう。

 また、一から地雷を調べて、安全なルートを探す?


 いや、それこそバカバカしい。


 ならば――


「よし。こうなったら、手段を選ばない! カレナに頼んで、延長した夏休みの邪魔をなくそう!! そのうえで、このスイートに泊まればいいさ」


 ニヤリとした俺に、マルグリットが反論する。


「そ、それなら、確実だけど……。カレナだって、自分の都合があるのよ? 1週間も私たちのお守りをさせるのは、悪いわ」


 フフンと鼻を鳴らした俺は、本人を呼び、、と言った。

 両手を上げて大喜びのカレナは、私はこのホテルで別の部屋に泊まるから、あとは心配するな! と太鼓判を押してくれた。



「ほら、あっさりとOKしただろ?」


 それに対して、マルグリットは優しい顔になった。


「うん。頑張ってね、重遠しげとお! 私との直後で、大変だろうけど……」


 大丈夫、大丈夫!

 カレナは義理の妹だから、適当に遊んでやれば、満足するよ!!


 グッチュグッチュな絡み合いとは、無縁だ。

 お金も入ったし、何か買ってあげれば、気が済むだろう。



 ◇ ◇ ◇



 それからは、本当の南国リゾートだった。


 朝日という目覚ましで起きたら、その時の気分でホテルの朝食を選ぶ。

 食後はスイートルームへ戻って、部屋の大型モニターで紹介を見ながら、本日の予定を決める。


 ゆったりした波の音を聞きながら、ボーっと部屋で過ごす。

 何もしない1日。


 パラセーリングで、沖縄の空を飛ぶ。

 5分ほどの空中散歩だが、高い視点で見下ろした景色は全てを手中に収めたかのようだった。


 ダイビングで、沈没船を見に行く。

 こちらは浅瀬に沈んでいて、観光用に沈めた艦らしい。

 海底の一部になったまま、色々な魚が住んでいた。

 上からの光と、暗闇の対比は、本当に幻想的。


 エメラルド色の海を眺められるビーチで、座る。

 今度は邪魔が入らず、世界の始まりから終わりまで体験。

 やっぱり、日本とは思えない場所だった。



 カレナのおかげで、専用ラウンジにも行ける。

 窓際のチェアに2人で並んで座り、フットレストに両足を載せた。

 ドリンクを口に運びながら、ホテルの沿岸部を眺める。


「平和だ」

「静かね……」


 俺のつぶやきに、マルグリットも同意した。


 ようやく、夏休みらしい日々になったぞ。

 本当に、今までは何だったんだ。


 カレナに頼んだおかげで、マルグリットが出会った家族連れは見かけない。

 と言うよりも――


「もう、この時期だしなあ……」

「そーねー」


 言いながら上体を起こして、専用ラウンジの中を見回した。

 ガランとしているので、広く感じる。

 他の利用者はおらず、スタッフが待機しているだけ。


 そうなんだよ。

 学生の夏休みが終わる時期で、皆は帰っている。

 むろん、カレナによる守護が一番大きいと思うけどさ。


 紫苑学園に錬大路れんおおじみおが押しかけてきて、私の処女をあげるわ! と叫んだのが、夏休みの開始。

 室矢家の全員で日本中に散らばり、俺と詩央里は京都の千陣せんじん家で言い訳と試練だ。

 そして、石の迷宮にいる、大きな白い化け物を切り捨てて、人知れず事件を解決した。

 おまけに、桜技おうぎ流の不正の摘発で、また命懸け、と。


「せっかくのバカンスなのに、ここでも曲者ぞろい。別世界へのピクニック、ときたもんだ」

「別の場所だったら、もっと落ち着けたのかしら?」


 マルグリットも、思わず呟いた。


 他の利用者がいないため、朝から半日も専用ラウンジでぼやき、昼になったら下で食事。

 スイートルームへ戻り、大型モニターで映画や専用チャンネルを見て、夜には予約したレストランで2人きりのディナー。


 大事な女とハネムーンに来ているような、幸せな時間。

 日付が変わるまでの体感時間が、短くなった。



 余裕ができたので、部屋のベランダから星の観察も。

 買ってきた星座の案内板や音声で、ゆっくりと探す。

 地理的に見える星が違い、かなり楽しめた。

 ……翌日の朝は、揃って寝不足だったが。



 リゾートホテルは、よく考えられていた。

 敷地内だけで半月もいるのに、全く退屈しない。

 さすがに、食事はローテーション気味だけど。


 ホテルの前のビーチで、パラソルの下、2人で朝から夕方まで海を眺めて過ごすと、この先に世界があるのだ、とよく分かった。




 釣り船に乗って、外洋のフィッシング。

 パワーがある魚に向いている竿と、電動リールで、大物を狙う。


 グイグイグイ


 バシャーッ


「でかい」

「大きいわね……」


 よく分からない、大きな魚が釣れた。

 外洋に出ると、さすがに大きさが違う。


 ドンッ


 その音の方向を見たら、ダツの一種が潰れて、ベシャリと下へ落ちるところだった。

 名前からイメージする通り、ダーツみたいな形だ。

 正確には、“駄津ダツ” らしいけど。


 口は、鳥のクチバシのような形。

 その骨格は槍の穂先で、まさにNeedlefish。

 

 これが勢いよく飛んできたら、そりゃ刺さるよ……。


 ダツは時速70kmを超えるスピードで、身体をまっすぐに硬直させて、突っ込んでくる。

 この速度は、スポーツの槍投げと同じ。

 そして、開いた口に並ぶ歯は、剃刀カミソリと変わらない。


 こいつらは群れで生活しているため、一匹がジャンプすると、他もジャンプを始める習性を持つ。

 刺さった後に体を回転させて、傷口をえぐる習性も。

 だから、サメに勝るとも劣らない怖さ。


 今日は曇天どんてんで、釣り船の上に灯り。

 どうやら、それに突撃してきたようだ。



 ちらりと見たら、ドヤ顔のマルグリット。

 ああ、こいつが魔法で障壁を張ったのか……。


「ダツか?」

「あれ、何をしているんだ?」


 釣り人たちが見る先には、戦闘機みたいに空へ向かってループするダツたち。

 今度は、ベクトル操作を始めたらしい。


 昔の空中戦みたいに、宙返りしては海に飛び込むダツを眺める、釣り船の面々。

 この稼業が長いであろう船長ですら、コックピットに立ったまま、唖然と眺めている。


 あ! 落ちたダツが海面に激突した衝撃で気絶して、寄ってきたイルカに食われている!!


 それにしても、外洋まで行くと、もはや何でもアリだな……。



 沖縄の最後の思い出は、ダツが墜落して、イルカに食われる場面だった。

 この世は、弱肉強食だ。



 ◇ ◇ ◇



「話を聞いてくれて、気が楽になったわ……」


 笑顔で話したスティアは、後ろを見た。

 そこには、支鞍しくら千波ちなみたちのセーリングクルーザー。


 全て片付いたので、これから船旅を楽しむらしい。

 千波は、せっせと出港準備をしている。


「じゃ、私も手伝うから、この辺で」


 そう言いながら、スティアはほおにキスをしてきた。



「これで、会えなくなるわけか」


 後ろから空賀くがエカチェリーナの声が聞こえてきて、振り向く。

 その瞬間に、さっきとは別の側にキスされる感触を覚えた。



 いきなりで驚いたが、その後は普通に別れた。


 桟橋さんばしから離れていくヨットの後部で、手を振る3人――スティア、千波、エカチェリーナ――に応じる。


 遠ざかっていくヨットを見て、俺は傍にいるマルグリットに話しかけた。


「俺たちも、ホテルへ戻るか。明日は、東京行の飛行機に乗るのだし……」


 しかし、彼女は引き攣った顔で、言い返す。


「あのさ、重遠……。さっきの娘たちと、仲がいいの?」


「何を言っているんだ、メグ。あれぐらい、ただの挨拶さ」


 俺の返事に、マルグリットは溜息を吐いた。

 ごそごそとポシェットを探り、化粧用のコンパクトを開いたら、鏡の部分を俺の前に差し出す。



 両頬にキスマークをつけた男が、目に入ってきた。



「ね? 完全に、ついているでしょ? ……それで、挨拶代わりにキスマークをつけてもらう国は、どこにあるの?」


 マルグリットの質問に、俺は答えられなかった。



 話題を変えたくて、まだ別れを惜しんでいる千波を指差した。


「ほら、まだ手を振っているぞ? こういう別れは、感慨深いからな!」

「あ、うん……。そうね……」


 呆れたように応じたマルグリットと一緒に、千波へ手を振り返した。




 ヨットの後部にいる3人は、気楽に話し合う。


「ねえ……。そんなに、重遠がいいの? あいつ、ただの女誑おんなたらしだと思うけど」


 千波の疑問に、エカチェリーナが応じる。


「何と言うか、こう……。まると、癖になると言うか……。心の隙間に根付いて、気が付いたら増殖している感じで」

「それ、カビじゃない?」


 千波のツッコミを無視して、スティアも答える。


「そうそう。私も、最初は『なんだ、こいつ?』と思っていたけど、改めて考えてみたら、内部からジワーッとくる」

「カビよね?」


 諦めずに繰り返す千波だが、反応は薄い。


「時間もあるし、千波にその良さを教えてあげよう」

「そうね。いい考えだと思うわ」


 恐ろしいことを言い出した2人に、千波は身の危険を感じた。


「え゛? わ、私はいいから……」


「遠慮しなくてもいい。私たちは、親友だろう?」

「私も、ずっと重遠のことが頭から離れなくて……。初めて、カレナの気持ちを理解できた気がする」


 じりじりと近づいてくる彼女たちを見て、千波は重遠たちのほうを振り向いた。


「ちょっと、コラー! 責任を取りなさいよォー!! ……私、やっぱり陸に戻る! ふ、2人で、ゆっくりとクルージングを楽しんで!」


 ブンブンと手を振りながら、諸悪の根源に叫んでいた千波は、左右から肩を掴まれたことで、すぐに降参した。


 だが――


「大丈夫。すぐに慣れるから……」

「あれだけ、『海が大好き』と言ってたじゃない。航海は、これからよ?」


 すでに後悔している千波は、両側から掴まれて、ずるずるとキャビンの中へ連れて行かれた。



「私、どこか安全な場所に引き籠もって、新作のゲームをやるぅ! お家に、帰らせてよー!!」



 その光景はまさに、助かった! と喜んだ主人公たちの背後からゾンビが襲ってくるラストシーンそのもの。


 果たして、千波は逃げ場のない船上で、精神汚染をされずに過ごせるのか?

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