第282話 届かなかったリボンと届いたリボン
沖縄の防衛戦から、数日が経過した。
ファン・グランデ・リゾートホテル。
その最上階にあるスイートルームの広いベランダ。
ビーチを見下ろしながら、下で買ってきた、トロピカルジュースを飲む。
「あー、夏だね」
「そーねえ……」
気が抜けた会話だ。
同じくサマーベッドに寝転んだ、
命のやり取りをしたことから、俺とマルグリットはスイートルームに引き籠もっていた。
ホテル内で食事を済ませて、日がな一日、ゴロゴロしている。
夜にも凝ったプレイは行わず、スローでゆっくり。
スマホに届いたメッセージでは、俺たちが出頭する必要はなく――
「ん? “防衛出動の基本手当ならびに特別手当” って……。メグ、お前のスマホにもメッセージが届いていないか?」
仰向けでボケーっとしていたマルグリットは、俺の声により、ゴソゴソと動いた。
面倒そうに、その文面を読み上げる。
「んー。あ、来ているわね。えーと、何々……。“この度の戦闘協力に関する報奨金として――」
詳しくは、貸与されたIDタグなどをご持参のうえ、最寄りの防衛軍の駐屯地、基地でお伺いください、か。
警護出動ではなく、防衛出動と見なしたわけか。
まあ、陸海空の防衛軍が出て、ドンパチしたからな……。
ふと気づいた俺は、思わず
「ここで一番近いのは、
「
マルグリットの指摘で、メッセージを読み直したら、確かに “申告は、この連絡から1週間以内。できるだけ、戦闘があった場所でお願いします” とあった。
時間が経過するか、別の場所で申告したら、対象外か……。
早期に戦死者をはっきりさせて、防衛費を有効に使うため。と立派なお題目だが。
実際のところは、できるだけ払いたくないのだろう。
税金の還付と同じ理屈だ。
「ハアァッ……。しゃーない。行くかァ……」
「この度は、誠にご苦労様でした! どうぞ、お通りください!!」
正門のゲートでは、警備の防衛官に、ビシッと敬礼された。
思わず、こちらも浅いお辞儀をする。
しかし、ここは琉垣駐屯地ではない。
海上防衛軍の沖縄基地だ。
「申告場所は “防衛軍の基地” って指定だから、海防の基地でもいいってオチだったわね」
マルグリットと並んでいる俺は、苦笑いをした。
「先入観ってのは、本当に怖い! メグが言ってくれなかったら、また連中と出くわすところだった」
所々に、案内らしき防衛官が、立っている。
立て看板の指示と併せて、手続きを行っている場所へ急ぐ。
土足のまま入ったら、人々が列をなしていた。
学校の体育館によく似ていて、奥には高くなったステージと講演台がある。
長机の上にある書類に記入してから、最後尾に並ぶ。
視線を遮るパーテーションで区切られているが、声は筒抜けだ。
ようやく俺の番になったので、必要書類を出した。
IDタグと戦闘帽は、このまま返却だ。
テキパキと書類を捌いている事務官が、手慣れた様子で動く。
防衛省の職員だろうか?
彼は、身分証明書を並べて、実物と見比べた。
俺がサインをしたら、書面の数字などに指を走らせた後に、ダンッと押印する。
控えと思しき書類を箱へ放り込んだ。
確認済みの書類に、山積みのパンフレットから一部だけ添え、俺の目の前に差し出してきた。
「こちら、申告完了の証明書となります。口座振込が完了するまで、大切に保管してください。ご不明な点がありましたら防衛省、または、広報のお問合せ先まで、お願いいたします。この度は、ご苦労様でした」
「ありがとうございます」
ちょうど、マルグリットも終わったようだ。
2人で列から離れて、その内容を詳しく見る。
“
支払われる金額は、100万円。
「非課税とはいえ、俺の命の値段はこんなものか……」
一緒にいたマルグリットが、自分の書類を確認しながら、話しかけてくる。
「私も、同じ金額だわ。成果を出せば、その分だけ上乗せされていく計算……。私たちはすぐに
他の異能者は、俺は500万だった、2,000万円だった、と威勢のいい会話。
中には、こんなことなら毎週来てくれてもいいのに、という不謹慎な奴まで。
いっぽう、遺族に向けた弔慰金、治療などの補助金や福利厚生についての掲示も。
防衛軍、USFA軍のどちらも、死傷者が出たようだ。
それらの掲示物を見ながら、俺はマルグリットに話しかける。
「とりあえず、外へ出よう。変に絡まれても、面倒だ」
「異論はないわ」
まっすぐホテルに帰ったら、部屋で休むマルグリットを残して、ビーチサイドを歩く。
大勢の水着がビーチパラソルを彩り、花のように咲いている。
沖合や海岸で戦闘があった直後のため、利用客の姿は少ない。
ともあれ、ここはホテル専用のビーチで、海洋博覧公園のビーチよりは安全だ。
ん?
珍しく、スティアが座っている。
ビーチパラソルの下、じっと海を眺めていた。
「1人なのか?」
敏感に反応したスティアだが、俺の顔を見て、すぐに気を緩めた。
「……ええ。悪いかしら?」
「別に、そうは言っていないだろ……。何か飲むか? 俺が奢るぞ?」
苦笑した彼女は、こちらを見上げた。
「防衛省から、戦闘手当でもあったのね? じゃ、お言葉に甘えて、フルーツジュースで」
買ってきたジュースを渡し、シートの上にパックの焼きそば、焼きイカなどを並べた。
爪楊枝、割り箸を添えた、使い捨てのお皿を配り、紙コップで乾杯。
しばし、俺たちが飲み食いする音、他のビーチパラソルからの楽しそうな会話、波の音が続く。
「私ね……。
座っている俺が横を向いたら、
「あの世界の千波に、か……」
「うん……」
彼女は、
そこには、ゴミとしか思えないリボンが2つ。
色違いで、1本の紐のように絡ませている。
俺は、この世界に戻ってきた際の会話を思い出した。
「それを海に返すのか?」
スティアは、こくりと
思い詰めた表情から、まだ実行する気にならないようだ。
幼い容姿とは裏腹に、大人びた雰囲気になった彼女は、口を開く。
「……話を聞いてくれる?」
夕焼けだ。
水平線の
「そうか。あの世界の千波とリーナは、最期に救われたんだな」
俺に後ろから支えられているスティアは、ポツリと
「……他に、方法はなかったのかしら?」
首を振った俺は、寄り添っている彼女の耳元で
「ベストだったと思う。あの化け物に取り込まれたら、もう終わりだ。最後に幸せな気分にさせたままで看取ったのだから、それ以上の行動はないだろう」
ん、と返したスティアは、ようやく俺から離れて、立ち上がる。
他人に話したことで、気が楽になったようだ。
「これぐらいなら、いつでも付き合ってやるぞ?」
そう言ったら、スティアは顔を背けた。
だが、すぐに戻す。
茜色の光で影ができた彼女は、自然な笑顔。
俺の耳元に口を寄せ、艶やかに一言だけ告げて、サクサクと歩いて行った。
――その気もないのに、弱っている女の子に優しくしないで
女子中学生のナリをして、随分とマセた。
……いや、カレナの同類なら、実年齢は知れたものじゃないか。
「それで、ロリとの密会は楽しかった?」
聞き覚えのある声に、俺は顔をこわばらせながら、振り向く。
そこには、仁王立ちで怒りマークをつけたマルグリットの姿が……。
「気がついたら、自分の男が年端もいかない少女と、恋人みたいに過ごしていたんだけど? ねえ、これはちょっと許せないわ」
急いで、言い訳をする。
「いや、あいつが落ち込んでいたから、話を聞いていただけで! 誓って健全な――」
「精神的なほうが、よっぽど質が悪いわよ? どうしようかなー。ロリコンはもう放っておいて、1人で東京に帰っちゃおうかなー?」
立ち上がった俺は、背中を見せたマルグリットに追いつき、懸命にご機嫌を取ることに。
◇ ◇ ◇
夜の海岸は、生と死を区別しているような雰囲気だ。
昼とは打って変わって、静かな浜辺。
そこで、スティアは握りしめていたリボン2つを前にかざす。
「ここが、海よ……。船はないけど、自由に泳いでいけばいいわ」
目を閉じた彼女は、前に突き出した
すると、待ちかねていたようにリボン達がはためき、その風に乗って飛び立つ。
ところが、そのリボン2つは、飛び上がった小さな影にパシッと受け止められた。
「不法投棄は、ダメ! ちゃんと、ゴミ箱に捨てなさい!!」
スタッと着地した人物に文句を言おうとして、スティアは目を見開いた。
「千波…………」
いきなり自分の名前を呼ばれた千波は、戸惑う。
「え? 私たち、どこかで会ったかしら?」
首を横に振ったスティアは、何かを話そうとするも、言葉にならない。
無意識に両膝をついて、嗚咽を漏らす。
遅れて、違う少女の声がその場に響く。
「何をやっているんだい? ……ああ、泣かないでくれ。ほら、千波も謝って?」
「え? これ、私が悪いの? ただ、ゴミのポイ捨てを注意しただけなのに!?」
言われた千波には、びっくりした表情で、すっとんきょうな声を上げた。
思わず顔を上げたスティアは、自分を心配そうに見下ろす外国人の少女を見た。
「私は、
千波から戻された、リボン2つ。
それを見たエカチェリーナは、ふと呟く。
「おや? 私と千波のリボンに、よく似ているね……」
その言葉で2人を見ると、それぞれに真新しいリボンをつけている。
見覚えのあるデザインで。
スティアは、もう耐えられなかった。
号泣し始めた少女に、周りの2人はひたすらに困る。
千波とエカチェリーナに慰められ、連絡先を交換した後に、別れた。
ザザーン
スティアは、夜の海岸沿いの道で立ち止まり、海を眺める。
「気は済んだかしら?」
違う少女の声が割り込んだものの、彼女は驚かない。
また握りしめたリボン2つを見ながら、答える。
「ええ……。彼女たちは、違うの?」
いつの間にか、その場にいた
「どれだけ同じでも、並行世界だから別人よ」
溜息を吐いたスティアは、泣き腫らした瞳で夜空を仰ぐ。
「そっかァ……」
アイは、彼女を見ながら、提案する。
「そのリボンを海に返したいのなら、私がやっておくわ……。いつまで、USFAの基地に引き籠もっているの? 私は、別名義としてのアイリス・ウェルナー
古びたリボン2つを受け取りながら、アイは厳しい顔で問い詰めた。
それに対して、スティアは、おずおずと返す。
「私は壊すことは得意でも、カレナのような微調整はできないし。アイのように、社会を支配しているわけじゃない」
「人聞きが悪いことを言わないの! ……要するに、基地の外で暮らしたいのね? なら、しばらく私のところに来なさい。生活の面倒を見てあげるから、常識を含めて、諸々を学ぶといいわ」
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