第259話 私の大事な人のためにできること【メグside】

 これで、国家の敵になるかもしれない。


 その不安から、室矢むろや重遠しげとお咲良さくらマルグリットは抱き合ったまま、眠った。



 マルグリットが、魔法技術特務隊に喧嘩を売る、と宣言した翌朝。


 アポなしで琉垣りゅうがき駐屯地の正門に押しかけた、2人の姿があった。


「そう言われましても……。先日まで滞在していた咲良さんはともかく、そちらの方まで中に入れるわけには……。正規の手続きで、立入の許可をもらってください」


 必要ならば発砲も許可されている警備兵は、多少の事情を知っているだけに、困っていた。


 マルグリットは、食い下がる。


「でしたら、魔特隊の針替はりがえ大尉たいいか、雑賀さいか伍長ごちょうをお願いします!」


 この面会要請を通したら、絶対トラブルになる。


 内心でツッコミを入れた警備兵は、頭を抱えたくなった。

 ついでに、せめて自分が下番かばんした後で、来て欲しかった。と思う。


 プップー!


 いつの間にか、正面ゲートの手前に、一般車両が止まっていた。


 本来の職務を思い出した警備兵は、ジェスチャーで待つように告げた後で、その車のドライバーを確認する。


「IDと目的をお願いします。……え?」


 運転席に近づいている警備兵とドライバーは、そのまま話し合った。



 戻ってきた警備兵が、マルグリットに言う。


「あちらの防衛省さんの付き添いという形なら、御二人とも中に入れますよ。どうしますか?」


 その言葉に、重遠とマルグリットが振り向く。


 車の運転席には、柳本やなもとつもるがいた。

 スーツ姿で、真面目な印象を受ける。



 正門で車に乗った重遠とマルグリットは、ひんやりした冷房の中で、積の言葉を聞く。


「私のせいで、色々と申し訳ありません! ちょうど、駐屯地の中を散歩したい気分だったので……。タイミングよく、ここの魔特隊の士官に会う用事もありましたから」


 それは、ずいぶんと都合のいいことね?


 心の中で突っ込んだマルグリットは、監視されていたのだな、と理解した。


 東アジア連合の傅 明芳(フゥー・ミンファン)、東京にいるはずの室矢カレナは、絶妙なタイミングで接触してきた。

 それだけ、重遠の影響力が強いのだろう。


 いえ。

 私の力だって、ベル女の学年主席を上回っているのよ?


 しっかりしなさい!

 魔法師マギクスの秘密を探るために、ずっと拘束されていたでしょ?


 同じく、心の中で自分に言い聞かせるマルグリット。


 南国リゾートの空気にあてられ、気が緩み過ぎていた……。


 もし昨晩に慰めてくれる男がいたら、きっと体を許していた。

 欲しい言葉をもらい、こっそりと一服盛られるなどで特別に気持ち良くされ、その行為や発言も撮影された。

 そのまま、絶対に逆らえない状態へ。


 新しい男に嫌われたくないし、スパイに成り下がった自分の立場を守りたいから、マギクスの秘密、ベル女の秘密、職場の機密を全て差し出し、友人や同僚も売っていたに違いない。

 その裏切りの対価として、彼からお金や愛情、嫌なことを全て忘れられるほどの快楽をもらい、下の立場で飼われる。

 全てがバレる、その時まで。


 そう考えたマルグリットは、体温を奪われる結果とは別の悪寒がして、思わず手で露出している肌をさすった。

 どれだけ自分が迂闊で、危うかったのか……。



 積と一緒に入った建物では、針替りょう、雑賀てるが待っていた。

 形ばかりのビジネストークが終わって、いよいよ本題に入る。


「ところで、大尉? 今日は、咲良さんから御話があるようで……」


 防衛省の肩書きでやってきた積の発言だけに、亮も無視できない。


「分かりました。……咲良さん、隊に入る決心でもつきましたか?」


 その言葉に、控えている照の顔が明るくなるも、言った本人である亮は違う。

 マルグリットの表情と雰囲気から、普通の話ではない、と理解している。


 うなずいたマルグリットは、にっこりと微笑み、端的に言う。


「今日は、あなた達に喧嘩を売りに来たわ! 表へ出なさい! さもなければ、ここを破壊してでも、ぶちのめす!!」


 あまりにストレートな、宣戦布告。


 陸上防衛軍の生活に慣れている亮も、一瞬だけ反応に迷う。

 勧誘を断るか、隣にいる男と説明を聞きに来た、ぐらいは予想していたようだが……。


 しかし、今日の彼らは、穏便に済ませる気はない。


 重遠が試すようにマルグリットを見たら、横目で彼女がうなずいた。


 指揮官の亮は気を取り直して、話をまとめる。


「冗談は、時と場所を考えてください! ……うちには魔法を使える演習ルームもありますから、そこで模擬戦をする形でよろしいですか? 本来は手続きをしなければなりませんが――」

「私は、『喧嘩を売りに来た』と言ったのよ? 二度も言わせないで!」


 途端に、小さな会議室の気温は下がり始めた。

 数分もたないうちに、肉などを長期保存する冷凍庫のような寒さに。


 そこらじゅうに、霜が降りた。

 室内に、フリーザーの中を思わせる、異常な光景が広がった。


 テーブルの上のカップでは、液体が完全に凍っている。

 重遠とマルグリットの周囲だけは普通のままで、特に寒さを感じない。


「表へ出ろ! 応じない場合は、このまま建物を破壊する!!」



 学校を思わせるほど広く、外周に防護壁がある、魔特隊のグラウンド。

 その中央に、長い金髪をシュシュで簡単に縛った咲良マルグリットが立つ。


 彼女は、自分の腕にあるブレスレット型のバレを触りながら、周りに問いかける。


「相手は、誰?」


 室矢重遠は、騒ぎを聞きつけた魔特隊のマギクスたちに紛れる。

 ザワザワと話し合っているが、ただの野次馬もいて、動きは見られない。


 雑賀照が歩み出て、マルグリットに向かって叫ぶ。


「これ以上は、やめてくれ!! 陸防の駐屯地で騒ぎを起こしたら、民間人でも拘束されるぞ!? ……お前のせいか! よくも、咲良さんをそそのかしたな!? どうせ、ベル女の大破壊も、お前がやったのだろう!」


 後半からは、近くにいる重遠をにらみながらの絶叫。


 集合したマギクスたちが一斉に、彼を敵視する。


「待て、雑賀伍長! それ以上の行動は、処罰する!!」


 一触即発の空気に焦った針替亮が慌てて叫ぶも、マギクスたちの視線は険しいままだ。

 他の仲間が賛同していることで、照は止まらない。


「止めないでください、大尉! 罰なら、後でいくらでも受けます!! しかし、同じマギクスがその活躍の場を取り上げられ、あまつさえ同朋どうほうを敵視するなど、自分にはとても耐えられません!」



 私が黙らせたほうが、いいかしら?


 そう思うマルグリットは、重遠を見た。

 

 彼はスタスタと、前へ進む。

 四方から敵意に満ちた視線が突き刺さるも、一般市民を傷つけてはならない、という意識がまだ残っているようで、しぶしぶ進行方向から退いていく。

 だが、偶然を装っての小突き、肘打ち、蹴り、足の引っかけ。


 彼女は思わず攻撃をしかけたが、重遠のアイコンタクトで止められる。


 部下を説得している亮に並んだ重遠は、一言だけ告げる。


「あいつ、一発殴っていいですか?」


 彼を見た亮は、少しだけ逡巡したが、それで騒ぎが治まるのなら、と妥協したようだ。


「すぐに、咲良さんと駐屯地を出て行ってくれるのであれば……」


 重遠が肯定したら、亮は周囲を抑えつつ、許可を出した。



 グラウンドの中央に出た重遠は、マルグリットを背にして、照と向き合う。


「俺は、お前を絶対に許さない!! 今すぐに、咲良さんを解放しろ!! 我々、マギクスは――」


 遠い間合いだ。

 短距離走のスタートとゴールの距離。


 照の御高説を聞き流しながら、重遠は両足を広げ、棒立ちになる。


 彼の耳から、周囲の音が消えた。


 無意識に、周りの構造を捉えていく。

 手の平で触れるように、自分自身が周囲の一部になるように。


 自然と、右拳を身体の側面で折り畳む。


 空手の中段突きの出来損ない。

 そんな構えとも呼べない、素人丸出しの様子に、群衆から失笑が漏れた。


 人間、あまりに怒りすぎると、逆に落ち着くようだ。

 重遠はギラギラと眩しい晴天の下に立ち、空間ごと捉える。


 考えてみれば、事の発端は目の前の照だった。

 構ってあげられなかったマルグリットと、ゆっくり楽しむはずだったのに……。


 重遠は無意識のまま、周りの空間の把握から、より高次元における断面に置き換えていく。

 高次元においては、物質はその分だけシンプルな形に。

 三次元では分かりにくい周期、法則性がどんどん確定していく。


 高次元の空間は、現実を物理的に書き換えられるグラフィックソフトだ。

 個体の規則的な構造をそこで記述して、実際の周期性に落とし込み、さらに高次元のまま操作できるとしたら……。

 

 周囲の雑音をシャットアウトした重遠は、重心でもなく、体の動きでもなく、ただ空間そのものを感じる。   


 こんな風景をどこかで見た気がする。

 懐かしい。


 2人で向き合い、その拳と蹴りだけで戦い合い。

 そこで、勝ち上がって、何かを得たような……。


 妙にしっくり馴染む感覚のまま、重遠はその右拳を突き出した。


「避けろ、雑賀伍長!!」


 重遠が伸ばした右腕は、上官の命令で動こうとした雑賀照を巻き込み、その方向にある全てを消し飛ばす。

 そのこぶしを起点にして、扇状に広がっていき、距離が離れるほどに面積が大きくなっていく。


 消しゴムで、文字を消す。

 表現するなら、それが最も近いと思う。

 高温や衝撃波であれば、そのエネルギーで破壊されて、瓦礫がれきが飛ぶ。

 しかし、そんな様子はない。

 ただ、耳障りな音と共に、彼が見ている先にあるものを呑み込んでいく。


 重遠には、細かい制御ができぬ。

 物理学を知らぬ。

 だが、高次元、異次元との接続に関しては、誰よりも優れていた。


 彼がぶつけているのは、だ。


 より高密度の情報、物質を叩きつけられ、さらに境界線の摩擦によって空間がきしむ。

 ホースから出す水の量を間違えたように、片っ端から現実を消火していく。

 やがて、ここにいるはずがない彼らは周囲を巻き込み、元の場所へ帰り出す。

 


 遠くに、海が見えていた。


 右拳を突き出したまま、重遠はそのブルーを眺める。


 その間には、何もない。

 道路も、建築物も、人も、車も……。


 あるのは、さえぎるものがない空と大地だけ。


 景色の所々が歪んでいたが、少しずつ戻っていく。


 誰も、しゃべらない。


 雑賀照は、いた。

 そこに…………。


 でも、今はいない。

 人型に残るわけでもなく、どこにもいない。

 空と大地の境目さかいめだけが、見える。


 次の瞬間、全てが元通りになった。


「いったい、何が?」


 重遠の目の前に、無傷の照がいた。

 さっきの記憶があるのか、しきりに自分の身体を触っている。


 静観していたマルグリットが動いた。

 いくさで名乗りを上げるように、大声で叫ぶ。


「あなた……。重遠に対して、私とあなたが将来を誓い合った仲だ、と言ったわね?」


「あ、ああ……」


 呆然自失の照は、思わず素直に答えた。


 マルグリットは右手を広げ、目の前に向ける。


 周囲を含めて、彼女の意図が分からず、ただ見守る。

 次の瞬間、照は見えない壁にぶつかった。


 奴は、高速で動く見えない壁に押し出されていく。

 遊園地のジェットコースターに乗った客を彷彿ほうふつとさせる動きで、一気に吹き飛ばされた。

 水切り石のように地面でバウンドを繰り返し、人形のようにドンッと地面に投げ出される。


 すぐに上体を起こしたので、見た目は派手だが、あまりダメージにならない攻撃だったようだ。

 けれど、その衝撃から、加速した車と衝突したぐらいの威力はある。

 事実、彼の身体の動きはおかしい。

 最低でも数ヶ所の骨折、という結果だ。


 重遠はジェスチャーで、追撃に入っていたマルグリットを止めた。


 これ以上は、命に関わる。

 最後まで続ける場合は、私たちの仕業だとバレないように、こっそり行えってことね。


 意図を理解した彼女は、それに従う。


 ショックを受けた照は、すぐに抗議する。


「な、なにを――」

「それは、こっちの台詞! 私は、あなたの女になった覚えはないわ!! それから、重遠は私の婚約者! ベル女の校長も、承知していることよ? 今回のあなたの発言は、私をおとしめる謀略と判断する。でも、今の一発だけで終わりにしてあげるわ。感謝なさい!」


 マルグリットが大声で叫んだことで、殴った理由は伝わった。


 照に背中を向ける前に、彼女は殺意を込めて、最後の警告をする。


「次に顔を出したら、理由の如何いかんを問わず、あなたを再起不能にする!」


 重遠のほうを向いたマルグリットは、笑顔で言う。


「さ、行きましょ!」

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