第258話 私が魔法師の本能に従って流された結果ー③

 傅 明芳(フゥー・ミンファン)が入ったのは、沖縄にある大陸料理店の1つ。

 見るからに高そうな雰囲気で、案内されたのは個室だった。


 それぞれの席に料理を提供する回転テーブルが目立つ円卓。

 他の客がいないため、落ち着いた雰囲気だ。


 着席して、お互いに自己紹介。

 名家の生まれらしく、お付きの少女と、食事をせずに立ったままの護衛らしき少年もいた。


 次々に運ばれてくる大陸料理を主賓しゅひん明芳ミンファンから、取り分けていく。

 前菜、タン、主菜、主食、点心まで、順番に出された。


 水分と栄養を補給したことで、咲良さくらマルグリットは正気に戻った。

 ぽつぽつと、これまでの出来事を話し出す。



「そうですか……。咲良さまは、どうするおつもりですか?」


 一通りの事情を聞いたうえで尋ねる明芳ミンファンに、マルグリットは自分の考えを言う。


「分からないわ……。もう泊まる場所がないから、詩央里しおりに連絡するか、駐屯地にいる大尉たいいに相談して――」

「それをしたら、あなたは室矢むろやさまと今生の別れでしょうね? 南乃みなみのさまは、苛烈な御方です。彼と和解した後ならともかく、あなたの裏切りを決して許さないでしょう」


 割り込んできた明芳ミンファンに、マルグリットはキッとにらんだ。


「澄ました顔で、知った風なことを言わないでよ!? 重遠しげとおに気があるのなら、今からあなたが行けばいいじゃない! だいたい、あいつだって――」


 そこまで述べたマルグリットは、さげすむような明芳ミンファンの顔を見て、口を閉じた。


 絵になる所作で杏仁豆腐あんにんどうふを食べている明芳ミンファンは、冷静に説明する。


「拾ったのが私でなければ、あなたは外国にさらわれていたか、懐柔かいじゅうされることで、取り返しのつかない事態になっていましたよ? あのホテルを見張っていた勢力が、どれだけあったことか……」


 マルグリットを見た明芳ミンファンは、続きを口にする。


「勘違いしないでください。私は、室矢さまの不利益になるのを見過ごせないだけです……。今のあなたなら、私ですらほだして、内部から情報や協力をしてもらうにできると思います。まして、組織的なプロの手にかかったら、今晩でぽっかり空いた穴を色々と埋めてもらえるでしょうね。寂しくて心細い時の人肌とささやきは、あらがいがたいもの……。いったん弱みを握られて、心の隙間に入られたら、もう終わりですよ? 女として、個人として、骨のずいまでしゃぶられます。最後は、その愛しい男にも見捨てられ、裏切り者として八つ裂きですけど」


 そこまで言われても、マルグリットは無言。

 ただうつむき、不機嫌なままでやり過ごす。


 だが、ポタリと零れる音、嗚咽をこらえる音で、顔を上げる。


 明芳ミンファンは、泣いていた。

 青い瞳から、ボロボロと涙があふれている。


我是ウォーシー......(私は……)」


 彼女は座ったまま、俯く。


我为了这种人ウォウェイラァチューチョンレェン忍受了レェンショウラァ……(私は、こんな人のために我慢して……)」


 肩を震わせていた明芳ミンファンは、ガタッと立ち上がった。

 両手を円卓に叩きつけて、叫ぶ。


最讨厌你这样的人了ツゥィタオイェンニィチューヤンダレンラァ!(私は、あなたが大嫌いです!)」


 叫ぶや否や、涙をふき取ることもせず、足早に個室を出て行った。

 お付きの少女も、慌てて追いかける。


 後ろの壁際に控えていた中高生と思しき少年は、入ってきた店員に話しかける。


请结一下账チンチィエイーシャーチャン客人麻烦你了クゥレンマァーファンニィーラ(支払いは、こちらに。後を頼みます)」

好的ハァオダ明白了ミンバァイラ(お任せください)」


 若い男も出て行き、その場には店員だけが残る。


「お客様……」


 話しかけられたマルグリットは、そちらを見た。


 笑顔の店員は、静かに説明する。


「お支払いは、先ほどのお客様が行いますから、ご心配なく……。まだ料理をお出しできますが、どうされますか?」


「いえ。私も帰ります……。ご馳走様でした」



 またスーツケースを転がし、マルグリットは当てもなく彷徨っていた。

 先ほどの明芳ミンファンの好意によって、スマホは充電済み。


 東京の南乃詩央里に連絡できるし、このまま駐屯地に向かってもいい。

 だけど――


 そのどちらかを選べば、室矢重遠と仲直りする道は閉ざされる。

 明芳ミンファンに言われずとも、そんなことは分かっている。


 けれど、彼に許してもらえるラインは、とっくに越えた。


 マルグリットは、立ち止まった。

 伸ばしたキャリーハンドルから手を離したことで、スーツケースは音を立てて地面に転がる。

 それを気にせず、まるで黙祷もくとうするように目を閉じた。


 次にスマホを取り出し、画面上で指を滑らせるフリック入力を始めた。

 両手で操作して、長文を書く。

 ところが、送信する前に全てを消す。

 その繰り返し。

 

 ゆうに、10分を超える作業。


 結局、マルグリットは1回も送信せず、文章を入力するモードを止めた。 

 その代わりに、“リセット” の画面を表示して、タップする。


 15分後に、初期化は完了した。

 雨が降っていないのに、その画面は濡れている。


 彼女は、まるで空き缶を捨てるように、自分のスマホを地面に落とす。

 ガンッと致命的な音が響くも、やはり気にしない。


 身に着けているバレを操作して、やりのような氷柱を作り出す。


 貫通しても、先が十分に飛び出る長さ。

 肌が張り付くのも構わず、素手のままで握りしめる。

 上の尖った先端を自分のあごの下にピタリと当て、反対側は地面に固定した。


 荒い呼吸をしながら、真下の地面を見つめる。


「…………さよなら」


 上手く刺さるように調整したマルグリットは、そのまま両足の力を抜き、自分自身を下へ加速させる。

 しかし、氷柱の切っ先が下から頭部を貫通する前に、跡形もなく消え去った。


「え?」


 状況を理解できずに、思わず両膝をつく。


「マルグリット、話があるのじゃ……」


 聞き慣れた声に、ぼんやりと顔を向ける。

 そこには、市街地のネオンに照らされるだけの暗がりでも目立つ、紫がかった青い瞳と長い黒髪の室矢カレナがいた。


 彼女は、地面に接したまま、靴底を引きずる。

 その途端に、周囲の全てが止まった。


 色々と衝撃を受けたマルグリットは、時間が止まった光景にも反応が鈍い。


 カレナはほうけている彼女の顔を見ながら、無情にも選択を迫る。


「二度は言わぬから、よく聞け……。お主は、重遠と一緒にいたいのか? それとも、別の道を選ぶのか?」


 マルグリットは、このチャンスを逃さないために、考える。


 短期間の付き合いだが、カレナのやり方は理解しているつもりだ。

 他の女子のように婉曲的な言い回しをせず、ストレートに聞いてくる。


 本心でなかろうと、ここで強がれば、その通りに進む。


 カレナが、再び口を開く。


「お主には、まだ私の力を説明しておらんかったな? 私の権能は、御覧の通りだ。因果関係を読み取り、過去はもちろん、未来予知の真似事もできるのじゃ! つまり、重遠に、お主が不貞を働いていないことも証明できる」


 思わぬ救いの手に、マルグリットは希望を見出した。

 けれども、カレナは冷たい視線のまま、低い声で催促さいそくする。


「質問に答えろ……」


 ハッとしたマルグリットは、すぐに応じる。


「も、もちろん、重遠と一緒にいたいわ! あなたから言ってくれる?」


 カレナは全てを滅ぼしかねない雰囲気のままで、口を開いた。


「条件がある。重遠は深く傷ついた。お主のせいでだ……。魔特隊に今後入らず、あやつに従うことを本人に証明しろ!」



 ファン・グランデ・リゾートホテルに戻ったマルグリットは、一緒にいるカレナの口添えで、ようやく部屋に入れてもらう。


 重遠とマルグリットのスマホは、なぜか元に戻っていた。

 カレナの手で、それぞれに渡される。


 ゆったりした高級ソファに座り、3人で向き合う。

 だが、重遠の理解者であるカレナの口から説明しても、彼の顔は暗い。


「マルグリットは、他の男に身体を許しておらぬ。その点だけ、私が保証しよう。あとは、2人で話し合え! 私は東京に帰るのじゃ」


 マルグリットの顔を一瞥いちべつしたカレナは、いつの間にか、その場から姿を消した。


「ごめんなさい……」


 改めて謝罪したマルグリットに対して、重遠は沈黙を保つ。

 しかし、その場から立ち去らず、彼女の話を聞く姿勢のままだ。


 それを見たマルグリットは、リビングのソファに座ったままで、自分なりに考えた秘策を口にする。


「私、明日になったら、魔特隊に喧嘩を売りに行くわ! あなたは、私の夫として見届けてくれる?」


 重遠は、ようやくマルグリットの顔を見た。

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