第257話 私が魔法師の本能に従って流された結果ー②

 険しい顔のまま、室矢むろや重遠しげとおは問い詰める。


「お前は、いったい何を考えているんだ?」


 思わず姿勢を正した、咲良さくらマルグリット。

 直立不動のまま、慣れない敬語で話し始める。


「え、えっと……。魔法を自由に使える機会があったから、合同演習に参加しただけです! ちょっと、ストレス発散をしたかっただけで……。し、重遠さんを裏切るつもりは、全くありません。う、打ち上げも、当日中に帰るつもりでした!! 信じてください!」


 本当に、それだけ。

 誰かに操られていたわけでも、脅されていたわけでもない。


 マルグリットの自発的な意思で参加して、のびのびと遊んできただけ。


 むろん、重遠は信じない。

 カレンダーの日付が何よりも雄弁に、彼女の信用を物語っている。


「今は、合同演習から1週間ぐらいっているぞ? 何にせよ、同じ魔法師マギクスのほうが良いと、あの野郎に乗り換えたわけか……。すまなかったな。結婚もできないまま、無理に付き合わせて? これからは、遠慮なくズコズコやって、幸せな家庭を築いてくれ! おめでとう」


「いえ、違います! 私はあなたを――」

「だから、『浮気をしていない証明をしろ』と言っている!!」


 重遠のその言葉に、マルグリットは絶望した。


 ずっと駐屯地にいて、その関係者の証言すら無意味では、私の潔白を証明できるわけないじゃない。


 ないことの証明は、悪魔の証明だ。

 しかも、マルグリットは、これから自分がどうするのか? 何を考えているのか? すら連絡していなかった。

 もう処女ではないから、他の男と寝ていない証明も無理だ。


 重遠の視線に耐えかねて、下に目を落としたマルグリットは、画面が割れたままのスマホに気づいた。


 見覚えがあることから、彼の所有物だ。

 そういえば、連絡を絶っていた間に、山のような着信やメッセージが……。


 絶句した彼女は、ようやく自分がやったことの重さを実感した。

 思わず、両手で口を押さえる。

 戦場ですら震えなかった両足が、小刻みに震える。


 合同演習で会ったミーリアム・デ・クライブリンクの、彼に甘えすぎている、という指摘が、今更になってし掛かってきた。


 黙り込んだマルグリットを見て、重遠は冷たく言い捨てる。


「分かった。もういい……。今すぐに、出て行け! 二度と、お前の顔を見たくない!!」


「あの……。私、お金が……」


 マルグリットは、ここで放り出されるのは困る、と続けたかったが、言葉に詰まった。


 重遠は、すぐに代案を出す。


「すぐ駐屯地へ戻って、魔特隊の大尉たいいに泣きつけよ? 帰りの旅費を立て替えるか、東京へ行く航空機に同乗させてくれるさ……。何なら、入隊手続きを行って、そのまま入れる。どうでもいい俺とは違って、あいつらはお前の大切な仲間で、将来を誓い合った仲だものな!!」


 頭の中が真っ白になっている彼女に構わず、重遠はもう1つの用件を告げる。


詩央里しおりへの連絡は、お前が自分でしておけ! 今までは、あいつに知られたら、戻ってきたお前が困ると思い、控えていたからな……。こんなことだったら、お前が消えた翌日に連絡しておけば良かったよ! 詩央里の判断にもよるが、数日中に、あのマンションの部屋も退去になるだろう。この裏切りの代償は、そのうち代理人に交渉させる……。覚悟しておけよ? お前が詩央里の手で何を奪われても、自業自得だ」


 南乃みなみの詩央里には、連絡していない。


 マルグリットは、その言葉に少しだけホッとした。

 けれど、これから自分で一部始終を告げるのか、と思ったら、胃が痛くなる。


 詩央里は、重遠の正妻として、他の女に関する全ての権限を持つ。

 その決定には、たとえ室矢家の当主を務める重遠ですら、逆らえない。

 まして、浮気による裏切りと分かれば。


 彼女の性格を考えたら、死ぬまで借金の返済という事態になりかねない。

 それどころか、人間扱いもされず、指示された男へのハニートラップや、ただの兵器として使い潰される未来すら……。


「10分だけ待つ! お前に危害を加えないとも限らない。今だって、必死に自分を抑えているんだよ……。頼むから、早く出て行ってくれ」


 タイムリミットを設けた重遠は、くるりと背を向けて、別の空間に去った。


 1人で自宅に帰れ、ではなく、完全な離別。


 それを聞いたマルグリットの目が、大きく見開かれた。

 思わず彼の背中へ手を伸ばし、何か言おうとするも、ただ口を開くだけ。


 どうして……。


 マルグリットは嗚咽おえつをこらえながら、急いで自分の荷物をまとめる。

 まだ夢の中にいるような、フワフワした感覚のまま、スイートルームを出た。



 ――沖縄の市街地への歩道


 女性向けのスーツケースを転がしながら、咲良マルグリットは混乱していた。


 こんなはずじゃなかった。

 ようやく重遠と2人になれて、ここで楽しい時間を過ごす予定で――


「何よ……。そこまで嫌なら、合同演習の後で『打ち上げに行くな』って、強く止めてくれれば……」


 思わず口から漏れた言い訳は、話した自分ですら、否定したくなる。


 そもそも、自分から、合同演習に参加したいと言った。

 終了後にも、彼を全く気にかけず、打ち上げに行く前提で話しかけた。


 彼は、ベル女の生徒たちの誘惑を振り切ってまで、ひっそり死を迎えようとしていた寮の部屋へ来てくれた人なのに……。


 いたたまれなくなったマルグリットは、夕方の景色の中で立ち止まった。

 彼女に引きずられ、ゴロゴロと鳴っていたスーツケースも。


 手をかざしながら、見上げた。


 まだ、青空が残っている。

 重遠に買ってもらった、結婚指輪のブルーサファイアみたいな色が――


 もう、重遠には会えない。

 会ってくれない。


 私が、バカだった。

 彼のことを全く考えず、久々に身体を動かすつもりでホイホイ参加して、そのまま流されたから。


「ごめんなさい。ごめん、な゛ざい゛……。ごめ……。グスッ、ウウッ」


 力が抜けて、その場で両膝をついた。

 南国の日差しで熱せられた地面にも構わず、女の子座りへ。


 両手で、顔を覆う。


「わだし、嫌よォ……。こんな゛の゛……。あんな゛……。あ゛ん゛な゛、酷い誤解をされたまま、二度と会えないの゛は……」


 少女の泣き声が、その場に満ちていく。


 重遠に言われた通り、琉垣りゅうがき駐屯地に戻って、魔法技術特務隊の針替はりがえ大尉に相談すれば、面倒を見てくれるだろう。


 けれど、職業軍人としての仲間入りだ。


 再び、海外で非正規の任務にかされても、文句は言えない。

 あの合同演習からの数日で体験した扱いとは、全く違う。


 それを知っていたはずなのに……。


 私は、マギクスだ。

 女子校の中で頂点のベルス女学校にいて、1年主席にも勝てる実力で。

 魔特隊も同じマギクスで。

 だけど、重遠も大事な人で。


 その思考がループし続ける中、マルグリットは地面にうずくまった。


 重遠と人生を共にすれば、いざとなれば他のマギクス、魔特隊とも殺し合いになる。

 どちらかを選び、その姿勢を明確にしなければならない。

 その事実を突きつけられたうえ、彼には愛想を尽かされた状態。


 でも、駐屯地には行きたくない。

 行けば、あの雑賀さいかてると恋仲、下手をすれば婚約者の扱いになる。


 同じ部隊であれば、上官の意向を無視できない。

 裏切らないための人質を兼ねて、新しい家族を作らされる。


 照を拒絶しても、半ば強引に、他の独身者と縁組になるだろう。

 ベル女で自分と一生に等しい時間を過ごし、最後には命も救ってくれた恩人を捨てて……。


 その気持ちを強く意識したマルグリットは、大事な人がいて、何でも受け止めてくれるから、安心して遊べただけ。と悟った。


 本気で魔特隊に入り、国のために全てを捧げる覚悟はない。

 私、命令1つで死ねと言われる兵隊になるのが嫌で、重遠にすがりついたのに。

 こんな経緯で彼に捨てられて、ベル女の皆、校長にも、どう説明すればいいの?


 暑いのに寒い。

 見渡す限りの大海原で、ちっぽけなボート一艘いっそうに乗っているような、耐えがたい心細さだ。


「許して、許して、許して。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。私がバカでした。大バカでした。もう、しません。絶対にしません。二度と逆らいません。ワガママも言いません。あなたの敵を一緒に滅ぼします。だから、許してください。それが無理なら、いっそコロシテ――」


 現実を見ないように土下座のような姿勢で丸まり、震えたままで譫言うわごとのようにブツブツとつぶやく、マルグリット。


 ガチャッ


 車のドアが開く音で、マルグリットはそちらの方向を見た。


 自分とは違うタイプの、青い瞳。

 それでも東洋系と分かる、ミステリアスな雰囲気の少女だ。

 両手を下ろしたまま、体の前で重ねている。


 確か、合同演習で貴賓席にいた、東アジア連合の――


「これで、2回目ですね。私は、傅 明芳(フゥー・ミンファン)と申します。咲良さま、少しお時間をいただけますか?」


 精神崩壊の途中だったマルグリットは、涙でグシャグシャになった顔を上げるも、すぐに返事をできない。


 それを見た明芳ミンファンは、改めて説明する。


「大陸料理の美味しいお店を知っていますので……。よろしければ、ご一緒しませんか?」

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