第252話 もう会えない母親との接点を知って【メグside】

 木々にいる鳥たちが目覚めたぐらいの早朝。

 夏休み中とあって、観光客たちもまだベッドで寝ている頃だ。


 朝焼けで照らされた海と、そこから続く砂浜。

 幻想的な風景が見える中、裕福そうな観光客が『コ』の字を描いているソファや、窓のほうを向いた1人用のチェアに座っている。


 ここは、特定の部屋で3泊以上の客だけが利用できる、専用ラウンジ。

 セルフサービスの飲み物もあって、気分転換や外出までの待ち時間にぴったりだ。


 そこには、長い金髪を1本にまとめた、可愛らしくも豊満な体を持つ少女がいた。


 咲良さくらマルグリットは、周囲からの視線を気にせず、マガジンラックから取ってきた観光雑誌を読んでいる。

 フルーツジュースの氷がけ、カランと鳴った。


 昨夜はお休みのため、いつもより早く、目が覚めたのだ。

 室矢むろや重遠しげとおを起こさないようにベッドから抜け出し、シャワーを浴び、リビングで髪を乾かしながら大型モニターで色々な番組を見た後で、暇潰しにこの専用ラウンジへ移動した。


「Good morning.Do you mind if we sit in?(おはよう。私たちが同席しても?)」


 マルグリットが雑誌から目を上げると、外国人の家族連れがいた。

 西洋人だと分かったが、国籍は不明。

 夫婦らしき男女で、年齢は40代後半か。


 これだけ空いているのに、どうして? と思うも、面倒になって受け流す。


「おはようございます。どうぞ、ご自由に」


 わざと日本語で返事をして、また雑誌に目を落とす。


 そろそろ部屋に戻ろうかな? と考えた時に――


「いきなりだが、君はキャロラインという名前に聞き覚えはないか?」


 男の声に、マルグリットは驚いた。

 思わず顔を上げ、話しかけてきた男を見る。


 すると、男はニコリと笑顔になった。


「やはり、そうか! 君は、キャロルの娘さんかい? 彼女によく似ていたのでね! 『ひょっとしたら』と思って、声をかけたんだよ」


 驚いたマルグリットは、かろうじて質問する。


を……。知っているのですか?」


「ああ、もちろんだよ! 私は、ローワン・パワー・シャピロだ。キャロルとは、同じ商社に勤めていてね! 彼女が中東に行って、現地の男と結婚したまで聞いていたが……」


 言葉を切ったローワンは、悲しそうな表情になった。

 しかし、マルグリットの顔を見ながら、続ける。


「君のお母さんのことは、本当に残念だった。まさか、外国人排斥の武装集団に襲われるとは……。そうなる危険を考慮して、私は『早く帰国しろ』と勧めていたのに……。キャロルから、メールで君の画像を送ってもらったんだよ! いや、本当に大きくなったね?」


 いかにも、感慨深げなローワン。

 嘘を言っているようには、見えない。


 マルグリットが黙っていたら、彼はだんだん勢いに乗ってきた。


「ところで、君は今、どうしているのかな? 私でよければ、相談に乗るよ? 他ならぬ、キャロルの娘なのだから……」


「日本で、暮らしています。母がお世話になりました……。あなた方は、ユニオンの人ですか?」


 オーバーにうなずいたローワンは、マルグリットの質問に答える。


「ああ、そうだよ! 今は、ロンドンに住んでいる。静かに過ごすには、少し騒がしい場所だけどね?」


 長くなりそうだ。


 そう思ったマルグリットは、話を切り上げるべく、割り込む。


「お話は興味深いのですが、私はそろそろ部屋に戻ります。連れを待たせているので……」


 別れの言葉を告げたマルグリットに、ローワンは慌ててポケットを探る。

 財布から、1枚の名刺を取り出した。


「なら、これを受け取ってくれ! 私の連絡先になる……。唐突な話で混乱しただろうが、同じユニオンの人間として、君を助けたいんだ。良ければ、私たちの家族にしてもいい。君のグランマも、孫娘の顔を見れば、きっと喜ぶだろう。あとでゆっくりと考えてくれたら、嬉しいよ。また、会おう!」


「お気遣い、ありがとうございます」


 日本人らしい応対のマルグリットは、受け取った名刺を手に、スイートルームへ戻る。



「Marguerite!(マルグリット!)」


 ホテルの廊下でいきなり呼ばれたマルグリットは、後ろを振り返る。


 そこには、ローワンと一緒に座っていた、高校生ぐらいの男。


「Can I help you?(何か用ですか?)」


 他人行儀に返したマルグリットに、その男は自己紹介する。


「I’m Cosmo.I was wondering if we could exchange contact details?(俺は、コズモだ。その、連絡先を交換したいんだけど?)」


「No,thank you.I have a fiancée. .......(お断りします。私には、婚約者がいますので……)」


 マルグリットはきっぱりと断ったが、コズモは諦めない。


「If you're a Unionist,it's more fun to be in London,you know? If anything happens to you,I'll be there to protect you. .......(ユニオンの人間なら、ロンドンにいたほうが楽しいぜ? 何かあっても、俺が守ってやるから……)」


 距離を詰めてきたコズモが、マルグリットの手首を取った。


 彼女は握られた手首をパーで開き、手首を回して向きを変えてから、握られた手首と同じ側の足で大きく一歩踏み出す。

 同時に、踏み出した足に体重を乗せたまま、体のバネを効かせつつ、肘を勢いよく振り上げた。

 

 自分に抱き着いてきた。と思ったコズモは不意を突かれ、あっさりと握っていた手首を外される。

 

 マルグリットはコズモを見据えつつ、小さなバックステップを繰り返した後で、くるりと背中を向けた。


「あなたの父親のローワンに免じて、今回だけ見逃すわ。次は――」


 上体だけ振り返ったマルグリットは、で、宣言する。


「半殺しにするから……」


 コズモは、その意味を理解していない風だが、拒絶されたことを感じて、思わずたじろぐ。

 押せば流される、はかない少女と思っていたところに、プロと変わらない殺気だ。


 いきなり日本語で返され、彼が次の行動を決めかねている間に、マルグリットはすたすたと歩き出す。

 他の利用客も通り過ぎて、それ以上の口説く機会を失った。



 ◇ ◇ ◇



 スイートルームで待っていた俺は、戻ってきた咲良マルグリットが複雑な表情をしていることに気づく。


「どうした?」


 気だるげなマルグリットは、一枚の名刺を差し出し、説明を始めた。



 ルームサービスで持ってこさせた朝食をいただきながら、俺は質問する。


「メグは、どうしたいんだ?」


 食後のデザートを口に入れたマルグリットは、疲れた雰囲気で答える。


「別に、どうもしないわよ? そりゃ、両親を失った直後にローワンがあの台詞を言ってくれたら、すごく嬉しかったでしょう……。その息子のコズモにしても、ずっと大切にされたら、義理の兄に淡い恋心を抱いたかもね? だけど、今は違うわ! もう結婚できる年齢のうえ、身体も大人になった状態で、突然あんなことを言われてもねえ……」


「そもそも、ローワンが本当にメグの母親の同僚だったとは、限らないものな?」


 俺の感想に、マルグリットも頷いた。


「ま、そういうこと! 善意だったら、私たちの事情に巻き込むわけにはいかない。ただの浸透なら、シャットアウトするのみ……。それに、今は善意でも、状況を把握したユニオンの諜報機関がチャンネルとして利用するでしょう。どれにしたって、お断りの一択!」


「俺も関わる気はないが、メグの目線でどうだった?」


 チューッと飲み物を吸ったマルグリットは、疑っている感じで答える。


「私は、血の繋がっていない状態での同居をそれほど信用していないから! まして、他に頼れる者がろくにいない状況じゃ、尚更……。コズモは私を完全に “女” と見ているし、その父親のローワンも怪しいわ」


「どうして?」


 俺を正面から見たマルグリットは、バッサリと切り捨てる。


「私の母親に、横恋慕をしている感じが強かったから! お母さんのことを言っている時の表情や口調が、まさにそれだったし……。第一、沖縄のリゾートホテルまでやってきて、たまたま行った専用ラウンジ。そこで、『似ているから』という理由だけで声をかけて、ここまで言うかしら?」


 そうだなあ……。


 俺が考えている間にも、マルグリットは説明を続ける。


「私の母方のお婆さん、つまりグランマにしたって、言い方が不自然だった! 順序としては、『君のグランマに連絡するから、一度会ってごらん?』が先でしょ?」


 納得した俺を見ながら、彼女はまだ語る。


「要するに、ローワンは私を連れて行って、ようやくグランマに会える立場……。彼とお母さんに家族ぐるみの付き合いはなく、せいぜい同僚だったのみ」


「だんだん、怖くなってきた……」


 俺の感想に同意したマルグリットは、本音を言う。


「ローワンはたぶん、お母さんの代わりに、私が欲しいんじゃないかな? 代償行動ってやつで……。こういうの、表に出ないだけで、けっこう多いと思うわよ? 他人の娘なんて、男にしてみれば、ただのメスだろうし……。一つ屋根の下なら、最低でも個室に鍵がないと、怖くて生活できないわ! まさかと考えていて、実際にヤラれて泣くのは、その本人だからね……。少なくとも私は、そう考えている」


 単にボランティア精神が強いか、スパイによる疑似家族の可能性もあるけど。


 そう締めくくったマルグリットは、そろそろ下でスティアたちと合流しましょう、と提案してきた。


 彼女から名刺を預かった俺は、東京に戻ったらカレナに確認しておくか、と結論を出す。

 もう1人で専用ラウンジへ行かないように伝えた後で、スマホのアプリでスティアにメッセージを送る。


 ポンッ

 “すぐに行くわ! (≧∇≦*)”


 その返事を見た俺は、マルグリットに告げる。


「メグ! スティアたちも大丈夫そうだから、今日はホテルのビーチで海水浴にするか!!」

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