第240話 俺たちは陸にいながら人知の及ばない深海へと潜る

 沖縄のちゅーら水族館に、到着した。

 家族用のクレジットカードで支払う。

 タクシーの運転手によれば、スマホ決済もどんどん増えているらしい。


 俺の後見人は、弓岐ゆぎ家の当主。

 より正確には、じじいから委任された弁護士が室矢むろや家の一切を管理している状況だ。

 未成年の高校生は、法律行為ができない。


 実の父親に捨てられ、俺の命を狙っていた御家の当主のおかげで生きている。

 家庭環境が複雑すぎて、笑うしかない。


 どこかに、世界でも有数の大富豪の美少女がいて、私がぜーんぶ面倒を見てあげる♪ と言ってくれないかなあ!

 ……まあ、いないけどね。


 それ以前に、また女を増やして、どうするんだよ?


 前回は、ギリギリのところで、それを回避した。


 北垣きたがきなぎ

 錬大路れんおおじみお

 お前たちは、桜技おうぎ流の演舞巫女えんぶみことして、頑張ってくれ。

 

 澪は、石橋を叩いて渡るタイプだ。

 原作でも、主人公の鍛治川かじかわ航基こうきが引っ張っていたから、わざわざ俺のところに戻らないだろう。


 凪については、原作であまり描かれていなかった。

 悲惨な過去が語られた後は、それっきり。

 澪ルートのラスボスだから、感情移入をし過ぎないようにって配慮か。

 しかし、こちらも平穏に、日常を過ごしていると思う。

 俺の未来予知が、そう言っている。


 その一方で、天沢あまさわ咲莉菜さりなとは、今後も付き合いがある。


 だが、原作!

 紛れもなく、俺はお前に勝ったんだ!!

 女を増やさず、事件を解決できたうえ、桜技流とも繋がりを作れた。

 まさに、パーフェクト!


重遠しげとお、何を考えているの?」


 一緒にいる咲良さくらマルグリットが、怪訝けげんそうな顔で言ってきた。


「いや、何でもない! 早く、中に入ろうか!!」



 このちゅーら水族館は、巨大なマンタ、サメの飼育で大きな実績がある。

 深海生物も見られて、まさに周辺の環境を活かしたフィールドだ。


 南国らしい花が咲き、青い空に彩られたゲート。

 吹き抜けのショッピングモールのような、開放的な造り。

 ここには石垣を模した壁などがあって、そのままエクステリアとしても機能。


 面白いのが、一部の水槽を上から眺められること。

 薄暗い室内ではなく、太陽光に照らされたサンゴ礁や熱帯魚が下で泳いでいる。

 スポーツを2階、3階の観客席から見下ろすような、不思議な感覚だ。


 この水族館は、4階から下に進んでいくのが特徴。

 展示されている魚も、それに伴って種類が変わり、最後は深海生物だ。

 つまり、海に潜ってみた場合と同じ流れ。


 一般のダイバー・ライセンスは、水深18mぐらいまで。

 アドバンスなら、水深30mぐらい。

 だが、現代の装備を身に着けても、生身の人間では限界がある。

 大深度に潜るための飽和潜水ですら、500mぐらいがリミット。


 潜水艦は軍事機密であるものの、深度1,000mも可能とか。

 安全深度と、戦闘中の一時的な限界深度は、また違うだろうし……。


 深海に何がいるのか?

 それは、未だに謎のまま。


 ひたすらに潜るための潜水艇は、どんどん記録を更新している。

 異能があるから、俺が元いた世界よりも発達していそうだ。


 この水族館には、自分で潜ったら、まずお目にかかれない海洋生物がいっぱい。

 フフ、興奮してくるな……。

 


 いざ館内の3階へ下りれば、浅瀬のように明るい空間だ。

 ヒトデ、ナマコが、のびのびと生活している。

 家賃なしで暮らせて、いいご身分だな?


 日差しが降り注いでいるサンゴ礁は、玄人好くろうとごのみ。

 10年ぐらい育てる必要があるらしく、この水槽で見られる光景は、その努力の結晶だってさ。


 黄色、青と、南国らしい魚たちが、残りのスペースで、自由に泳いでいる。

 “魚が海藻などを食べて、サンゴと共生している” と展示パネルに書いてあった。


 俺も南乃みなみの詩央里しおりと共生しているから、似た者同士だな!


 この水族館は、海洋生物の模型やパネルも展示していて、実物と対比させながら学べる。

 テーマごとに個別の水槽が並ぶコーナーもあって、全く恐れ入る充実ぶりだ。



 2階には、一番の目玉となっている水槽、“黒潮” がある。

 高さ8m、幅22mほどの巨大なアクリルパネルのおかげで、本来なら熟練のダイバーにしか許されないはずの景色が広がっている。


 大きなエイや、全長8mを超えるサメたちが、外洋にいるべき巨体をゆったりと動かしている。

 両手を広げても、全く足りないほどの姿で。


 その周囲には、取り巻きのように魚が群がり、あるいは小魚だけで群れている。

 外洋に比べると狭いものの、立派な生態系だ。

 この巨大水槽だけでも、お金を払った甲斐があった。


 横で俺の腕に抱き着いているマルグリットは、ホウッと溜息を吐いた。


「本当に、見ていて飽きないわ」

「そうだな。主要な海流が通っている場所とはいえ、これだけの飼育……」


 口を開けば、理屈っぽい言い方になる。

 マルグリットのように、もっと素直に感動したいものだ。


 この2階には、沖縄の海を映すシアターと、サメなどの展示パネルもあったが、そこまでゆっくりできない。


「メグ! “黒潮” の水上コースと、海底ルームの2つを優先して、後は下に行かないか?」


 少し考えたマルグリットは、同意する。


「そーね……。私たちは、海洋学の講義を受けに来たわけじゃないし……。美味しいところだけ、つまみ食いで!」


 その返事を聞いた俺は、サメの部屋で水槽にいる彼らを見た。


 すまない。

 今回は、そこまで時間がないんだ。


 心の声は届かなかったようで、サメはのんびりと泳いでいた。

 あいつら、自分の近くで血の匂いを嗅がなければ、だいたい大人しいようだからな。


 先に、巨大水槽 “黒潮” の水上にある通路を歩く。


 通路の左右に太い金属の手すりと、落下防止のネット。

 水槽を見下ろせば、側面にも金網。

 完全に囲われていて、どちらが展示されているのやら……。


 中央のスペースで折り返して、違う方向へ進み、壁沿いに通路がある。


 まず中央への階段を下り、そこから別の階段を上る形だ。

 下りた場所のデッキは広めだから、飼育員が水槽について解説する場所なのだろう。


 人気のコースらしく、行列に交じって、ぞろぞろと……。


 強烈にライトアップされていて、水中はよく見えない。

 しかし、大型の海洋生物と、海面の近くにいる魚は、識別できる。


 少しずつ進んでいるため、歩きながらの会話に。


 ガーッというモーター音や、バシャッという、室内プールのような水音。

 それに、普通のコースを回っている客の声が、入り混じる。


「普通は、飼育員しか見られない光景だよなあ……。いや、すごいわ」


 感嘆の声を漏らしたら、マルグリットも興奮した様子でうなずいた。


「この規模の水槽は、たぶん世界的にも指折りだと思うわ! しかも、一般が歩けるって、本当に貴重な機会よ」



 水上コースを堪能した後は、海底ルームという部屋へ移動。


 こちらは、さっきの空中通路とは正反対で、“黒潮” の真下だ。

 天井がアクリルパネルになっていて、見上げれば、海底からの眺めという寸法。


「へー! この巨大サメ、腹はこうなっているんだ」

「自分の上をどんどん泳いでいくのは、不思議な感じね……」


 足を止めて、じっくりと観察する俺たち。

 他の利用客も同じで、水上コースの通路よりも余裕がある。


 本当は、大水槽を眺められるカフェにも、行きたかった。

 だが、入れ替えの順番待ち。

 とても並ぶ気にならない。


 周囲の人の流れに従い、最後のフロアである1階へ。



 ここは、まさに海の底。

 深海コーナーには、水深200mから700mぐらいで生きている海洋生物がいる。

 面白い形をした海老エビカニ

 その他にも、普通の形をした魚の姿も。


 発光しているのは、えさとなる生き物を引き寄せるためか……。


“海洋の大半は、水深200mを超える深海です”


 そのキャッチコピーを読んだ俺は、周りを見た。

 薄暗く、個別の水槽の中だけが明るくなっている。


 光の届かない、地球上でありながらも特別な世界。


 展示パネルの1つに、興味深い話があった。


“潜水艦乗りのうわさですが、深海に人のような物体がいるそうです。ソナーで歌声が聞こえる場合もあって、海底で発生している気泡や振動によるノイズと見なされています。この現象は、世界各地で報告されており――”


 うーん。

 だんだんと、雲行きが怪しくなってきた?


“かつて、「海には女神がいる」と信じられてきました。主に船乗りの信仰で、やがて高位天使の1人とされたのです。大戦時にも多くの海軍が目撃情報を寄せていて、今でも根強い人気があります。ひょっとしたら、その女神さまが散歩で、海底を歩いているのかもしれませんね? 彼女の名前は――”

 

 ただのお伽噺とぎばなしか。


“その女神は、「この海は、私そのもの。だけど、いちいち干渉する気はないわ」と言いました。けれども、海の人間には優しく、その関係で世界的なネットワークがあって――”

 

 そろそろ、水槽のほうを見るか!


 深海生物の水槽は、どれも重厚な縁取ふちどり。


 今までと比べて、奇怪な形が多い。

 そのせいか、人の数も少なめだ。


「わざわざ深海に潜り、捕獲してきたのか……」


 俺が感嘆したら、マルグリットも同意する。


「すごい話ね! 普通に考えたら、海面へ持ってきた時点で、内圧と外圧の差に耐えられないと思うけど……」


 おまけに、地上でほぼ同じ環境を再現して、それに見合った飼育をしているわけだ。


 感慨深くなって、思わずつぶやく。


「旧校舎では、大変だったよなあ……」


 ベルス女学校で発生した、召喚儀式の事件。

 その時には、マルグリットと一緒に、深海魚だらけの旧校舎に突入した。

 正しくは、似た形をした化け物だったけど。


 こうやって本物を見ると、やっぱり雰囲気が違う。


 旧校舎の体育館でも、こんな風に小宇宙みたいな空間が。


 空間が――


 俺の雰囲気を感じ取ったのか、マルグリットが気を遣う。


「ここ、イルカのショーがあるんでしょ? 早めに行って、良い場所に座りましょう! ほら、深海生物と睨めっこをしていないで!」


 グイグイと引っ張られ、俺は見つめ合っていた深海蟹に別れを告げた。

 どうか、達者でな……。


 そういえば、人の目が届かない深海で暴れ回るモンスターがいるパニック映画があったなあ。


 海溝は、6,000m以深もある。

 そこにいる怪物が、群れを成して地上へ出てきたら……。


 つまらないことを考えたものの、次の予定が気になって、すぐに忘れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る