第221話 負けた私が人の身で最後に受け入れたこと【凪side】

 北垣きたがきなぎは、少し前の自分のように捕まえられた室矢むろや重遠しげとおを見た。

 彼が戦っている間は、なぜか白い兵士たちに無視され、スペシャルライブを独り占めで見ている錯覚にすら陥った。


 冷静に考えれば、すでに対抗する手段を失くした少女は、後回しにすればいい。

 たった、それだけのこと。

 でも、自分よりも室矢くんのほうが魅力的だったと考えたら、少しだけショックを受けるなあ。


 たった2人の戦いでも、これに負けたら、たぶん日本は滅びる。

 もしくは、二度と先進国を名乗れないのに……。


 頭で分かっているのに、まだ暢気な思考が残っていた。


 こんな時でも、女の本能は健在なのか。と苦笑する凪。



 まだ修行中の身とはいえ、凪の視点から判断しても、重遠は頑張っている。

 どこで教えてもらったのか? は不明だが、自由自在に刀を扱っていた。

 自分よりも手際よく白い兵士たちを斬り捨て、敵の本体にも斬り込んでいく勇姿。

 高速で表面に斬撃を浴びせながらも、自分の唯一の武器を投げつける奇策で、相手に反応させた。

 固唾を呑んで見守っていた彼女は、これなら勝てるかも? と思う。


 それでも、絶対的な存在には勝てなかった。



「あの! 私じゃダメかな!?」


 拾った御刀おかたなを石畳の隙間に突き刺し、それを杖代わりにしている凪が、敵の本体に向けて叫んだ。

 けれども、大きな白饅頭しろまんじゅうについている赤い目は、一瞬だけ彼女を見た後に、すぐ興味を失った。


 重遠の全身を無数の白い手で押さえ込んだまでは良いものの、その衣装は演舞巫女えんぶみこの礼装とは比べ物にならないほどの霊的な守護らしく、全く動かせないようだ。


 ドスンと重い音が響き、また白い兵士たちが何人か潰された。

 欲しい人間を捕まえたが自分の思い通りにならない本体は、イラついたようだ。

 無数にある短い脚で立ち上がっては、ボディプレスのように石畳へ身を投げ出す。


 潰した直後に、また白い兵士が本体の表面から出てくるという非生産的な行為を見ながら、凪は必死に考える。


 どうすれば……。


 人間が、こんな存在に勝てると考えた。

 それ自体が誤りで、もっと早く諦めるべき。


 夢の中で最初から絶望していた自分と同じ思考になったが、別の世界線と今の凪は違う。

 ここには、もう1人がいる。


 凪は、自分の限界を知った。

 だけど、彼を動けるようにすれば、あの白い巨体を倒せる。

 そこまではいかずとも、一時的に退しりぞけるか、封印するぐらいは――


 せめて、時間を稼ごう!

 私が身を捧げると行動で示せば、わずかでも室矢くんが自力で抜け出すための助けになる。

 取り込まれても、自分の意思を少しでも残せば、彼に倒してもらえる。

 もし、夢で見ていたことが別の可能性、あり得たかもしれない現実なら……。



「凪! お前、まだ俺にちゃんと謝ってないよな?」


 ヨロヨロと立ち上がり、離れた場所にいる巨大な物体へ近づく凪は、いきなり呼びかけられて困惑した。


 振り向くと、無数の白い手に捕まっている重遠が目に入った。

 どうやら、彼の叫びだ。


「あ、うん……。ごめんなさい……」


 確かに、彼の自宅では謝罪といえる態度ではなかった。

 でも、今はそんなことを言っている場合じゃ……。


「ハアッ? それで謝ったつもりか!? 誠意を見せるのなら、行動で示せよ!」


 そういった重遠は、この空間のあるじに告げる。


「なあ! とにかく、この女を抱かせろ! そうすれば、お前に協力してもいいぜ? どうせ、お前には敵わない。だったら、少しでも良い思いをしたほうが、利口りこうだろう」


 重遠を見つめた巨大な物体は、その願いを聞き届けた。

 機敏に近づいてきた兵士が凪の両側をはさみ、同時に彼を拘束していた両手だけ離される。


 白い兵士が、重遠の前にやってくる。

 2つの黒い眼窩がんかが、彼の右手にある刀を見た。


 それに気づいた重遠が手渡そうとしたものの、白い兵士は受け取らない。

 左手で帯に差していたさやを抜き取って、ゆっくりと納刀したら、ようやく両手を差し出した。


 鞘ごと刀を受け取った兵士が音もなく離れる一方で、凪の近くにいる兵士たちは彼のところへ行くようにうながす。


「…………諦めちゃったんだ」


 自ら、あの邪神を倒せるであろう武器を手放した光景により、それまで支えにしていた部分がポッキリと折れた。

 絶望した凪は、足元から伝わってくる感触を他人事のように思いながら、重遠のいる場所へ歩く。


 …………仕方ないか。


 これはもう、人間が戦える相手じゃないし。

 私たち2人だけでは、とても歯が立たないよ。

 あとは、残った人たちに任せれば、いいよね?


 でも、室矢くんは、やっぱり千陣せんじんくんか。

 彼の自宅で会った時には、夢の中とはまるで別人のように思えたけど。

 本性はやっぱりドSで、どうしようもない人間だったんだね。


 ハアッ……。


 たぶん、2人とも人間ではなくなっちゃうだろうし。

 謝罪をしていなかったのも事実だから、サービスしてあげよう。

 ……私は、最初で最後になるけど。


 結論を出した凪は、歩きながら帯を解き、雪駄せったを脱ぐ。

 下にずり落ちた部分を片足ずつ外す。

 床で花のように広がったはかまを置き去りにして、重遠へ近づく。


 上のひもを順番に解いたことで、前が開いた。

 右手から脱ぎ、同じく床に落とす。


 あとは勢いで、インナーの上下も彼女が通った後に転がる。

 両足の白足袋しろたびは、つけたまま。


 おごそかな礼装をこのように扱ったと知られたら、それだけで桜技おうぎ流に処刑されかねない話だ。

 狂った空間でこそ成り立った、背徳的なプレイ。

 だが、この邪神に仕える巫女としてなら、逆に相応ふさわしい。


 重遠からの視線によって行為を自覚した凪は、羞恥心しゅうちしんにその身をよじりつつも歩き続ける。


 いったん解放された重遠の前で、着物姿のような動作で正座した凪は、両手の指を揃えて石畳につき、お詫びを言う。


「あなた様の右腕を斬ってしまい、大変申し訳ございません。私の貧相な体ではありますが、未練を残さないよう、お気が済むまで存分にお使いくだムギュ!」


 いきなり上から伸し掛かられたことで、凪はせっかくの誘い文句を台無しにされた。


 そこまでガッつかなくても、ちゃんと満足するまで相手をするから。

 と思いつつ、上からかぶさってきた重遠に文句を言う。


「あの……。上から退いてくれないと、動けないよ?」

「やれ」


 今生こんじょうの記念で接しているのに、と腹が立ってきた凪は、だんだん素に戻ってきた。


「だーかーらー! 『やれ』って言われても!! 重いし、無理やり土下座させられたままで、身動きとれないんだってば! それに、室矢くんも服を脱いでよ!」


 大声で叫んだ凪は、周囲の様子がおかしいことに気づく。


 土下座をしたまま、横をチラリと見たら、空気がおかしい。

 元々、生物を歪ませるような、えた臭いに満ちた場所だが、それとは違う緊張感が高まっている。


 様子がおかしいことに気づいた兵士どもが、慌てて近づいてきた。

 顔を床に擦りつけたままの凪の視界には、小さな白い饅頭と左右の短足が見える。

 ドシュッという音の後に、石畳に落ちてきた上半身の頭部と目が合う。


「え?」


 空気を切り裂く音がどんどん重なっていき、白い兵士が分割されていることだけ、落下してくる残骸から読み取れる。

 名状しがたい轟音が続き、耳がおかしくなりそう。


『グゥウウウウゥオオオオオオ!』


 よく分からないが、本体らしきテレパシーも苦痛にあえいでいるようだ。

 しかし、すぐに途絶えて、それっきり。


 ここで、重遠の声が聞こえる。


「あ、これはマズい! 残りは、どこかに捨ててきて」


 いや、何が? 何を?


 状況が急変しているのに、自分だけ蚊帳かやの外。

 まるで、明日の朝にゴミを出しておいてね? という口調に、凪は恐怖した。


 目をつむっていた彼女は、自分の上の重しが消えたことに気づく。

 おそるおそる、土下座から上半身を起こして、周りを見る。


 天井と床、壁のどれも平らな石で組まれている、国王などのひつぎや墓標が安置される石室。

 そう言われても納得できる、荘厳にして、まともな人間が発狂するほど冒涜的ぼうとくてきな空間。

 ところが、たった数分で、見るも無残な亀裂だらけに。


 奥を見たら、人の身では絶対に勝てないと思わされた本体が、消えていた。

 さっきまで大量にあったはずの白い兵士の残骸と、インテリアのように散らばっていた人骨も。


 そこには巨大なドラゴンが引っ掻いたような爪痕が、そこらじゅうに残っているだけ。


 凪が唖然としたまま座り込んでいたら、目の前にポンポンと脱ぎ捨てた衣類を積み上げられた。

 鞘に戻した御刀も、添えられている。


「たぶん、もうすぐ崩れる。早く、それを着ろ!」


 戻ってきた重遠は、そう告げるなり、いつの間にか左腰に差した刀を再び抜いた。


 今度は両手で空中に刀の切っ先を差し込み、ガリガリといった様子でドアの輪郭りんかくをなぞる。

 その形ができあがったところで、ドンと蹴飛ばした。

 すると、ドアの部分が後ろへ倒れ、そこから先に山の中のような光景が広がっている。


 凪は生まれて初めて、口を半開きにしたまま、目が点になった。


「早く来ないと、置いていくぞ?」


 言うが早いか、重遠はすぐに、その境目さかいめを通りすぎた。


 こんな訳の分からない監獄に閉じ込められるのは、死ぬよりも嫌だ。


 そう思った凪は、大急ぎでブラとショーツを身に着け、それ以外を両手で抱えながら、急いで後を追う。



 澄んだ青空からの直射日光は、真夏らしい熱さ。

 ミンミンとセミが鳴き続け、熱風が身体をなぞって、どこかへ流れていく。


 ゴゴゴという崩壊音で振り返ったら、通り抜けてきた空間の天井が崩れたのか、巨大な石によって出入口が塞がる。

 同時に、世界の復元力か、それとも空間を形成していた邪神が死んだのか、あのおぞましい空間の痕跡は全て消えた。


 ヒロインらしい顔に戻った凪は、いつの間にか洋服に着替えていた重遠を見た。

 地面の小石を踏んだ時に足裏から伝わってきた痛みで、自分がまだ生きていることを感じる。


「……終わったの?」


 凪の問いかけに、たった1人で助けにきてくれた男子は、いつも通りに答える。


「たぶんな……」

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