第219話 私はもう1人の私の無念を晴らしたい【凪side】

 山中のリゾート地で生き残った人々は、比較的安全と思われるペンモンザホテルに立て籠もった。


 シェルターではないうえ、大小の蜘蛛クモはどこにでも入り込む。

 うっかり、あるいは自分で積極的に潰し、どんどん石の迷宮へ引きずり込まれていく。

 すでに危険な目に遭っている原戸はらと双葉ふたば寿松木すまつきことは、素直に注意事項を守り、その命をつなぐ。



 北垣きたがきなぎの刃がきらめき、大人よりも巨大な蜘蛛が地に伏した。

 紫色の体液がほとばしり、他の蜘蛛たちは恐れをなしたのか、逃げていく。

 可憐でありながらも凛々しい姿に、ホテルに集まっていた人々が歓声を上げる。


 ところが、凪の隣にいる錬大路れんおおじみおは、真っ青な顔だ。


「あなた、まさか……」


 血振りから納刀まで完了した凪は、自分を助けに来てくれた親友に寂しそうな笑顔を向けた。


「ごめん、澪ちゃん! ここで倒さなかったら、たぶん犠牲者が出たし……。私が呼ばれるのだったら、倒せるかどうか、試してみるよ! あとは、お願い」


 封災呪儀式録ふうさいじゅぎしきろくを読んだ柚衣ゆいから教えられた、注意事項の1つ。


 “蜘蛛を殺すことが、奴らの本体に呼ばれるトリガー”


 その禁忌を破った凪は、覚悟を決めた顔で親友に別れを告げた。

 直後に、避難民を引き連れた咲良さくらマルグリットが合流。

 そこからは、彼女が虫除けになっているようで、同じ建物にいれば蜘蛛を避けられるように。




 その夜に眠ったら、凪は知らない場所にいた。

 石の迷宮だ。


 しかし、彼女は迷わない。


 毅然と立ち上がり、眠る時に抱いていた礼装と御刀おかたながあることを確かめ、唱える。


「祓え給い、清め給え――」


 その言霊ことだまに呼応するかのように、凪の衣装が変わっていく。

 神楽舞かぐらまいの巫女とよく似ている、白をベースにした威厳のあるたたずまい。

 白い小袖こそでに、緋袴ひばかま

 上着のふちには赤い線が走り、少女の決意を示すかのように暗闇で輝く。


 礼装を展開した凪は、両足を広げ、御刀を締めた帯の間に差し込む。

 足元は白足袋しろたび雪駄せったで、石畳に擦れて、ガリッと音を響かせる。


 静かに目を開いた演舞巫女えんぶみこは、左手でさやを握り、体を揺らさない姿勢で走り抜けていく。



 開けた視界に、白く巨大な物体が映る。

 広い空間の真ん中で、凪は足を止めた。


「私は……。こいつを知っている……」


 いくら演舞巫女でも、見ただけで発狂しかねない神格。

 であるのに、凪は毅然とした顔だ。


「久しぶりだね?」



 凪は、熱寒地ねっかんじ村への移送の時から、夢を見るようになった。

 最初は内容を覚えておらず、たまにつぶやく程度。


 だが、どんどん記憶が残っていき、本当に夢なのだろうか? と疑うほどに。


 今の彼女は、原作【花月怪奇譚かげつかいきたん】があることを知らない。

 しかし、あまりに自分と似すぎている。


 あの時の絶望。

 そして、目の前にいる本体の中枢になってからの日々。


 止水学館しすいがっかんにいる、かつての学友たちを侵食して、同じ女ならではの責めで身も心も屈服させた。

 さらに、その手駒を操り、鍛治川かじかわ航基こうきを男として搾り尽す。

 また、航基と澪に敗れ、最期に彼女へ遺言を残したこともあった。


 室矢むろや重遠しげとおよりは、バリエーションが少ない。

 しかし、この世界の凪も、原作の本人の無念からか、その記憶の一部を継承したのだ。


 あの時は、体の中と外のどちらも、ボロボロだった。

 御刀がないどころか、戦う意志すら……。


 いきなり大罪人だいざいにんになったことで、全てを恨み、全てを壊した。



 ――なんじ、我の中枢となれ


 テレパシーで語りかけてくるオウジェリシスの本体に、凪はポツポツと語り出す。


「……最初はさ? 何だこの人って感じで、むしろ嫌いだった」


 大きな白饅頭しろまんじゅうの赤い目は、ジッと凪を見ている。


「でも、情が湧いたというか。だんだん好きになってしまって……。あんな形で知り合うのではなく、もっと普通に。そうすれば、他の高校生のように付き合って……。ううん、やっぱり無理か! 詩央里しおりちゃんがいたもの……。いやあ、私も彼女と会ったけど、アレには勝てる気がしないよ。ザ・お嬢様って感じでさ! それなのに、カリスマもあるのだから」


 オウジェリシスの本体は、大人しく凪の恋愛話を聞いている。

 ここが正気を失う異常な空間で、世界を滅ぼす邪神であることを除けば、まるで女友達に相談しているかのようだ。


「ああ! これは、私じゃなく、別の私のこと……。夢の中か、ひょっとして別の世界とか? いずれにせよ、この世界の私としては、他人事ひとごとには思えなくて……。つまり、何を言いたいのかというと……」


 瞬間的に凪の姿が消え、空気を切り裂く音がジェット機のように響いた直後で、オウジェリシスの本体が大きく裂けた。


 同時に、饅頭のような巨体から触手が伸びて、むちのように飛ぶ。

 打ち据えられた石畳が、散弾のように空中へ舞い上がった。


 縮地からの抜刀術で手応えがなかったことから、即座にバックステップを繰り返した凪。

 彼女は両手で正眼に構えたまま、続きを口にする。


「あなたに、借りを返しておこうかと思ったんだよ!」




 通常の仕事着よりも強力な礼装は、見る影もなくなった。

 まだ武器を手放していないが、御刀は刃こぼれが酷く、もうすぐ折れると感じる。


 凪の目の前には、オウジェリシスを小さくした化け物が無数にいる。

 大人の男ぐらいで、短い脚が無数に生えた白い饅頭の上に白い上半身を載せたシルエットだ。

 縦長のキノコを縦に割って、上の部分に黒い穴だけの目と大きな口だけつけた顔は、状況が違えば笑いを誘ったに違いない。


『女だ、女……』

『そろそろ、観念しろよォー』


 奴らは口々に言いながら、そのたくましい両腕を伸ばしてくる。

 こんな姿だが、覇力はりょくで身体強化をした凪とも互角以上に動き、こぶしや噛みつきで襲う。

 さらに、下半身の饅頭の左右にいくつもある短足は、信じられないほど機敏に動く。


 倒しても倒しても、すぐにオウジェリシスの本体から生えてくる。

 肩で息をしている凪は、もうすぐ力尽きるだろう。



 ――汝、我の中枢となれ


「嫌だ!」


 絶叫した凪は、近づいてきた白い兵士を切り裂いた。


 どれだけ絶技であろうとも、数の暴力には勝てない。

 すぐに新しい兵士が立ちはだかり、本体までの道を塞ぐ。



 ――汝、我の中枢となれ


「ならない!! 私は覚えているもん! あの時、別の私がどれほど嘆いたか!」


 ついに、握力が失われた。

 殴ってきた白い兵士の腕を受けとめた衝撃で、御刀はちゅうを舞う。


 どれだけ意志が強く、冷静に戦っても、わずか1人ではもう限界。

 対して、オウジェリシスには、異形の兵士が無数にいるのだ。


 それでも、異形の兵士たちは、かなり減った。


 残っている兵士が左右から凪の腕をつかみ、後ろに回り込んだ兵士は彼女を胴体ごと持ち上げて、本体のところへ運んでいく。

 礼装に込められた守護の術式はとっくに失われていて、ただの服と変わらない。


「やっぱり、ダメだったね……」


 ボソリと呟いた凪は、まるで失敗したステージに再挑戦をしたような雰囲気。


「彼に会って、ちゃんと話をしてみたかったな……」


 凪は、それだけが心残りだった。

 自分を助けに来てくれた親友の澪にも、悪いとは思っている。

 けれども、彼女に対しては、別れの時間があった。


 別の世界線の自分によれば、この後に地獄が待っている。

 だけど――


「そうは、させないから……」


 事前に知っていた凪は、限られた時間と物資で、最大の対策をした。

 戦略的な勝利を目指すのなら、まだ終わっていない。


「私が、いなくなれば……」


 そう。

 凪が死ねば、人類は有利なまま戦える。


 おそらく、中枢がいないオウジェリシスは弱い。

 封印する方法と道具があるのならば、本格的な侵攻を阻止することが重要だ。



 私であれば、武技が得意になって、相手の動きを先読みできる。

 魔法師マギクスなら、魔法を使えるようになる。

 要するに、あの巨大な白饅頭がゲーム機で、中枢にした人間はゲームソフト。


 夢で見ていた、どうしようもない状況に比べれば、天国といっていい。

 私は警官と民間人を片っ端から殺していないし、熱寒地村への移送も人間扱いだった。

 しかも、大事な初めてを奪われる前に、千陣せんじん流の数人がわざわざ助けてくれた。

 澪ちゃんまで、形振なりふり構わずに来てくれたんだ。


 これまでを振り返った凪は、そっと目を閉じた。


「うん、私は恵まれていたよ……。あ、お母さんのこと、忘れていた!」


 自分の母親をリストから外していたことに気づき、苦笑い。

 心配をかけたままだが、熱寒地村への移送を黙っていたのだから、お相子だろう。


 思い出すべきこと、言い残しておくべきことを振り返った凪は、最後に彼の顔を思い浮かべた。


「都合よく、助けに来てはくれないか! この世界でどういう性格なのかは、知らないけど……」


 考えている間に、いよいよ、巨大な本体の近くまで運ばれた。

 決断の時だ。


 凪は残った覇力を使い、仕込んだ自爆装置を作動させようと――


 その瞬間にグラリと傾き、自分の身体が落下するも、すぐに持ち上げられ、一気に移動させられた。


 急な展開に目をパチクリとさせる凪だが、いきなり投げられて、床に倒れ込む。

 反射的に急所からの落下を避けて、受け身を取ったものの、まだ状況がつかめない。


 即座に上半身を起こし、自分を移動させた正体を探る。


 思わぬ人物が、そこにいた。



 実用性を重視した小袖は涼やかで、何があっても侵されない荘厳さを感じる。

 下は武道用の袴で剣道着を思わせるカラーリングだが、その上質さは儀礼用としても使える光沢と仕立てだ。

 何よりも、生地が違う。


 しかし、凪が驚いたのは、この空間で和装をしていることでも、右手に御神刀らしきものを下げていることでもない。


 ここにいるはずがなく、むしろ自分を恨んでいるはずの人物だったからだ。


「なんで……」


 思わず、口をついて出た言葉。

 それを聞いた男は、簡潔に答える。


「俺はまだ、お前に謝罪をされていないからな……」


 万全の室矢重遠が、オウジェリシスの元へ到着した。


 原作から大きく変わった第一次奥羽会戦は、わずか2名だけを当事者にして、人知れずラストバトルを迎える。

 第二次、第三次まで続き、官民のどちらにも多大な被害を出すことなく、さらに人の身でありながら邪神を倒せるだけの武器を持った状態で……。

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