第217話 石の迷宮の最奥に鎮座している古き神(後編)

 石で囲まれた通路を歩くと、やがて開けた場所に出た。

 まだ、外ではない。

 よく見たら、石による天井、床、壁がある。

 

 ヒカリゴケでも生えているのか、蛍光灯のように明るい。

 さらに、大きなライブ会場のように広く、なぜ、これだけ巨大な部屋を作ったのか? と思える。


 しかし、由宇切ゆうぎりは、部屋の奥、祭壇のように少し高くなっている空間をジッと見つめる。


 大人のゾウと同じぐらいの巨体で、ブヨブヨとした感じの白い表皮。

 左右に折り畳んだ短足が無数にある饅頭まんじゅうには、閉じられたままの瞳がいくつもある。


 床は同じ石畳で、排水か、車輪を噛ませるための溝や、多少の段差があることを除けば、アクションゲームのボス部屋のようなグラウンドを形成していた。


 それにしても、広い。

 まるで、大勢の信者を集めて説法をするための広場だ。

 

 由宇切は自分の感想と、足の裏から伝わってくる感触を無視して、その化け物に近づく。



「「「~~~~♪」」」


 いきなり、周囲から歌声が響く。

 由宇切が驚いて見回すと、それまで模様だと思っていた部分が全て子蜘蛛こぐもだった。

 その旋律は、発声器官なのか? あるいは、体の一部を擦り合わせているのか? も不明。


 さんざんラリっていた彼ですら怖気立おぞけだつ音が、どんどん連なっていく。


「うるっせえぞ! また潰されたいの……か」


 由宇切は、自分がこれまで潰してきた子蜘蛛とは違う、まさに人を食えるサイズがいることに気づく。


 それは幼体に比べて大きく、彼を見下ろしている。

 足の一対は、まさに獲物を切り裂くかまだ。


 思わず怯んだものの、どの蜘蛛クモも奥にいる巨大な白饅頭を見ながら、旋律を奏でている。

 今のうちに遠ざかろうと、向きを変えて歩き出そうとした瞬間――


 それまで感じていなかった視線が、突き刺さった。


 目覚めている。


 大学生に過ぎない由宇切にも、その危険性がひしひしと伝わってきた。


 無意識にその方向を見た由宇切の目に、いくつもの赤色が飛び込んでくる。

 鉱山を掘り進めた先にある鉱石のようだが、意志のある輝きによって生き物だと分かった。


 いよいよ、古き神の一柱ひとはしら、オウジェリシスが動き出す。


「ヒッ……」


 彼はいつもの尊大な態度からは想像もできない、情けない悲鳴を上げた。


 周囲にいる蜘蛛たちも讃美歌を止め、迷い込んだ人間のほうを向く。

 奥にたたずむ白い巨体の表面に、同じく大きな赤色の目がある。

 1つ、2つ、3つ、たくさん……。


 逃走を考えたものの、すでに囲まれている。

 奥にいるボスへの道だけが残されていた。


 周囲の蜘蛛に急かされて、しぶしぶ近づく。


「な、なあ……。こ、こいつらを始末したのは、悪かったよ!」


 由宇切はその雰囲気から、蜘蛛たちの親分が怒っていることを感じた。


 このままでは、報復で殺される。


 しかし、その筋の人間とも付き合いがある彼は、本能的にそういったやからとの接し方を心得ている。


「お、お前、人間が必要なんだろ? だったら――」


 俺が、お前のために集めてやるよ!


 そう続けるつもりだったが、キュルキュルという高速詠唱の直後に大きなハンマーで殴られたような衝撃を感じて、身体が浮かび、そのまま吹き飛ばされた。


 カレナもよく使っている、“見えない拳” という呪文だ。



「ゴホッ、ゴホッ!」


 床に叩きつけられた由宇切は、複数の骨折を自覚した。

 停止するまでに、夏用の部屋着もボロボロ。

 トラックに正面から衝突され、道路に叩きつけられたのと同じぐらいの衝撃だ。


 それでも、まだ立ち上がる。

 見ただけで発狂する異界と邪神だが、皮肉にもトリップしていることから耐性ができていた。


 ここで、おぞましい化け物を説得しなければ、自分は助からない。


 その一心だけで幽鬼のようにフラフラと歩き、再びオウジェリシスの本体へ近づく。

 だが、巨大な赤目は、床のほうを見ている。


 釣られて見れば、さっき落としたスマホがあった。

 その画面には、別荘の乱痴気騒ぎでも眺めていたみおなぎの画像。


 由宇切は、ようやく突破口を見つけた。


「澪ちゃん、凪ちゃんが欲しいのか? いやあ、お目が高い! 俺、ちょうど狙っていてさ! あと少しで、手に入るんだよ! だけど、処女を奪うまでは待って――」


 オウジェリシスの本体は、その言葉を最後まで聞かず、別の呪文を唱えた。

 その発音も、意味も、只人ただびとには理解できない。


 今度の効果は――


「あ? アアァ……。うわァアアアアアア!!」

 

 いきなり叫び出した由宇切の心の中には、恐怖のみ。


 なぜ、怖いのか?

 何を怖いのか?


 そんなことは、どうでもいい。

 怖い。

 とにかく、怖い。


 荒海で溺れている。

 高空から落下している。

 真の暗闇で、伸ばした手よりも遠くが分からない。

 そんな恐怖に、包み込まれた。


 “恐怖の差し込み” をされた男子大学生は、両手で頭を抱えながら、ヨロヨロと歩く。

 しかし、すぐに足をもつれさせ、ドタンと転ぶ。

 

 そこに、小蜘蛛が寄ってくる。

 別荘のリビングでは憂さ晴らしに潰すだけの幼体が、今度は埋め尽くすほどの数だ。


 1匹は腕にかじりつき、別の1匹は足に。

 由宇切の全身は、灰色の蜘蛛に覆われた。

 ヤスリで削るぐらいの噛みつきでも、それが10回、20回と続く。


 もはや、恐怖で叫んでいるのか、痛みで叫んでいるかも判別不能。

 いっぽう、体中にへばりついた子蜘蛛たちは、肌から筋肉、骨へと食事を進めていく。


 彼が骨だけになるまで、小蜘蛛たちは決して離れない。


 

 ◇ ◇ ◇



 りいなは、石の迷宮の通路で目覚めた。

 まるで魅入られたかのように、オウジェリシスの本体が待つ、玄室のような部屋へと導かれる。


 ――我を受け入れるか? 我となるか?


 女子大生が周囲を見回すも、他に生きている人の姿はない。



『よお、りいな! お前も、こっちへ来いよ!!』


 聞き慣れた声がして、奥の壁際に置かれている白い山を見た。

 そこには、比流木ひるきがいる。


 いや、それは正しい表現ではないだろう。

 なぜなら、彼は白い山の一部から上半身だけ生えていて、大きなキノコの断面図のような顔には、目の代わりに黒い点が2つと、大きな口しかないのだから……。


 妙に歯並びの良い口は、くちびるがないことから、歯茎はぐきごと剥きだしのまま。


 それを皮切りに、他の部分からも、人のような上半身が次々に生えてきた。


『お前に新しいのを使ってやったんだから、とっとと来やがれ!』

『これはまた、若い女だね。さあ、早く来たまえ』

『気持ち悪い。殺して。コロシテ……』

『はい、部長。明後日までには、必ず戻りますので……』

『アー、ぎもぢいい……』


 節穴どころか、永遠に落ちていきそうな黒い眼窩がんかたちが、一斉に彼女を凝視した。

 本能的に、それらが白い山に取り込まれた、かつて人間だったものだ。と理解してしまう。


「ああアア゛エエエエエエエ!!」


 思わず絶叫したことも自覚できない『りいな』に対し、再び問いかけが行われる。


 ――我を受け入れるか? 我となるか?


 りいなは、すでに正気をなくしつつも、必死に考えた。


 選択を間違えれば、彼らのように取り込まれる。

 だったら……。


「う、受け入れますっ!」


 傍にいる人間にも聞こえないほど、かすれた声だった。

 だが、白い山は、その選択を聞き届けたらしい。


 りいなの視界がグニャリと歪み、別荘のリビングにいることに気づく。


「……戻ってこられたの?」


 両手で、自分の身体をペシペシと触る。

 まだ現実味のない感じだが、ホッと息を吐いた。


 そこに、ゆらりと女が現れた。


「あ、舞伎まき先輩! 無事――」

「そんなわけ、ないでしょ……。戻ってきたのなら、あんたも受け入れた口よね? 野郎どもは全員、あの白い饅頭まんじゅうに取り込まれたか。ハハハ、あいつらには、お似合いの最期だわ!」


「え、えっと……。それは、どういう……」


 困惑した『りいな』が質問したら、やけっぱちの舞伎が酒瓶でラッパ飲みをしながら、その合間に答える。


「選択する前に、あの白い饅頭から聞いたんだけど……。私たちはあいつの子を宿して、そのうち腹を食い破られるんだってさ!」


「え?」


「マジ……。私、この別荘へ来るまでに、それらしき被害者を見ちゃってさあ! 言われてみれば納得って感じで……。だから、私はもう降りるわ! じゃ」


 勝手にまくし立てた女は、自棄になった人間に特有の笑顔を浮かべ、サヨナラを告げた。

 しかし、ふと思いついたように、再び後ろを向く。


「…………ごめん」


 それだけつぶやき、舞伎は勢いよく2階へ駆け上がった。


 彼女の手には大量の錠剤が握られていて、それで楽になるのだろう。

 配分される前に荷物から抜いたのか、自分で用意していたか……。


 1人でリビングに取り残された『りいな』は、ペタンとその場に座り込んだ。


「…………今更になって、謝らないでよ」


 さっきの舞伎のせいで一服盛られ、ハメながら撮影された。

 大学に入ってすぐの、新入生歓迎のコンパの後に参加した飲み会で。


 そのサークルが危険だとは、知らなかった。

 同じ女がいるから大丈夫、同じ女子大の先輩からの誘いだと思い、ノコノコと1人で参加して――


 あとは、被害者から加害者へ。

 よくあるパターンだ。


 リビングで座り込んだ『りいな』は、正常な思考ができないまま、ボーっとする。

 別荘に入り込んでいる蜘蛛たちは近づかず、彼女をソッとした。

 なぜなら、すでに自分たちの本体と契約しているから。



 原作の【花月怪奇譚かげつかいきたん】において、一体どうなったのか?


 錬大路れんおおじみお北垣きたがきなぎは、この別荘を訪れない。


 暢気な原戸はらと双葉ふたばがうっかり招き入れたうえに酒を飲まされ、一緒にいる寿松木すまつきことまで酔わされることに。

 最後に、双葉は大学生から受け取った、酔い覚ましの水を琴に渡した。

 かなり酔っていた彼女は、親友が用意してくれたと思い、警戒せずに一息で飲み干す。


 この時点で、2人の運命は決まった。


 ふたば、どうしへ? と一瞬でラリった琴がコップを落としながらフローリングに崩れて、あとは聞き取れない譫言うわごとを断続的に呟くのみ。

 親友の変わり果てた姿に呆然とした双葉は、大学生たちに押さえ込まれ、無理やり同じものを飲まされたことで、正気を失う。

 そして、2人とも頭の中がグチャグチャになったまま、ヤリサーの男たちに回され続けた。


 彼女たちも、古き神の祭壇へ捧げられる。


 焦点の合っていない虚ろな目で、開けたままの口からよだれや白い液体を垂らし続け、上から下まで汚れたまま、どちらもオウジェリシスの本体に取り込まれる最期。


 双葉は壊れたように、ごめんねと言い続けていた。

 いっぽう、琴は、双葉の名前を言い続ける。

 それが、最後まで迂闊だった親友を心配していたのか、それとも自分まで破滅させたことへの恨み言だったのかは、永遠に不明なまま。


 この2人の女子高生が救われたことは、全体に何も影響しない。

 だが、本人たちにとって、大きな変化だろう。

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