第211話 ファイル3:第一次奥羽会戦の尖兵となった少女たちー①

 いよいよ、この章も終盤に入った。

 ここで再び、桜技おうぎ流から捨てられた北垣きたがきなぎに視点を戻そう。


 凪が柚衣ゆいたちに救出された直後の、第三のポイントである熱寒地ねっかんじ村。


 室矢むろや重遠しげとおたちは東京にいて、錬大路れんおおじみお紫苑しおん学園の終業式へ押しかけるまで動きがない。

 彼女たちは、山狩りの村人を警戒しながらキャンプに入る。


 ところが、しばらく時間がった時に、深刻な問題が発生した。



 柚衣、桜帆さほすい、凪の4人が、困った顔で下に置いてあるボックスの中を覗き込む。

 リーダーの柚衣は、ポツリとつぶやく。


「食料が、底をついたわ! どれだけ待てば、ええんや……」


 あとでカレナに文句を言ったる、とブツブツ言う柚衣。


 それを無視して、桜帆と翠は話し合う。


「現地調達するしかないわ!」

「そうですね」


 すぐに結論が出た桜帆は、ちょっと村まで行ってくる! と言い残し、帯刀したまま、風のように駆け下りる。



 ――半日後


 全く戻ってくる気配のない桜帆に、翠は焦った。


「探しに行きましょう!」


 ゴロゴロしている柚衣は、えー? と反論して、動こうとしない。


「なら、翠が行ってくるのです!!」



 ――翌日の朝


 ゆっくり起きて、うーんと伸びをした柚衣は、桜帆と翠の姿がないことに気づき、残っている凪に話しかけた。


「あれ? これ、けっこうマズいんかなー?」


 その無邪気な一言を聞いた凪は、この人の頭の中身、どうなっているのかな? と疑問に思った。


 ゆっくりと伸ばした両手を動かしながら、両足を動かして、準備運動を完了した柚衣は、仕方ないなーと言わんばかりに角帯かくおびを締め、その間に刀を差した。


「ほな、行こうかー?」


 凪はうなずきながら、ふと自分の臭いが気になった。

 一応、小川で洗ってはいるが、居場所を隠すために石鹸のたぐいは使っていないのだ。


 それを見た柚衣は、笑顔で言う。


「今は、気にしても仕方ないでー? とにかく、今から村に下りて、様子を探る。凪も、一緒に来るように! この状況だと、下手に別行動するほうがあかんわ。この拠点には戻ってこない可能性があるから、貴重品は持っていき」



 柚衣が先頭を走り、凪はそれについていく。

 木々が途切れた場所に辿り着き、その陰に潜みながら、村へと続く道の周辺を探る。


「静かやな……」

「う、うん」


 小声の柚衣に合わせて、凪も小さく相槌を打つ。


 手をかざし、ここで待つように、と合図した柚衣は、1人で近くの畑へ出て行く。

 しばらく地面を弄り、水道の蛇口をひねり、近くの倉庫の中を覗いていたが、元の場所に戻ってきた。


 険しい顔をした柚衣に、凪が話しかける。


「ど、どうしたの? 誰かに見つかった?」


「いいや、ちゃう……。とにかく、これ食っとき」


 洗ったばかりのトマトを放り投げられ、凪は言われるがままに食べた。

 口の中に独特の酸味が広がっていく。


 自身もトマトを口に運びながら、柚衣が声を漏らす。


「ここの連中は、もう死んでいるかもしれんな……」


 理解に苦しむ凪が問いかけると、柚衣は鋭い目つきになった。


「さっきの畑には、まったく水気がなかった。それに、食えるトマトを収穫していないのは、おかしすぎる。農機具も、全く汚れていない……。この真夏では、どれも朝一でやらないとあかんことや」


 凪は、ヒョイと顔を出して、野菜畑を見る。

 ここからでは分からないが、言われてみればしおれているかも。


 トマトを食べ終わった柚衣は、左腰の刀の位置を直した。


「ええか、凪? 落ち着いて、聞け! 地面に、妙な足跡が無数にある。人型だけではなく、多足生物のものが……。ただ、サイズがおかしい。ひょっとしたら、ここら辺に土蜘蛛つちぐもがいるのかもしれん……。予定を変える。とりあえず、村長の屋敷に行くで!」


 戦闘態勢になった柚衣は、左手でさやを押さえたまま、走る。

 覇力はりょくで身体強化をした凪も、それに続く。

 空から直射日光が降り注ぎ、彼女たちの姿を白日の下にさらけ出す。



 村長の屋敷にも、人の気配はなかった。


 柚衣は、靴を履いたまま上がれ、と命令した。

 自身も土足で上がり込み、村で唯一の屋敷の床や畳が汚れていく。


 風通しの良い日本家屋だけに、ガランとした雰囲気が怖い。


 鞘を握ったままの柚衣は、ついに右手をつかにかけた。

 左手の親指でつばを押し出し、スラッと抜刀する。

 屋内だが、外から自由に入ってきた光によって、刀身がまぶしい。


 曲がり角や新しい部屋では、刀を前へ向けつつ、慎重にクリアリング。

 切っ先に鞘を半分だけ引っかけた状態で、その先端で障子などを開けていく。


 これは『下げ』という、鞘につけた紐も使った、闇夜で周囲を探るための方法だ。

 急に襲われても、手を掴まれたり、先に攻撃されたりする心配がない。

 万が一、相手が味方であっても、いきなり突き刺さずに済む。


 下げ緒は、腰帯に結び付けて、鞘が落ちないようにする。

 だが、鞘そのものに返角かえりつのというフックが付けられ、“必要に応じて使える紐” となった。


 鍔や柄に結びながら輪にすることで、刀を落とさないように。

 同じく鍔と鞘を結び、抜刀する意思がないことを示す。

 滑り止めや、破損した柄巻つかまきの代用として。

 着物のそですそをまとめる。

 などなど、多目的に使われていたようだ。


 様々なバリエーションがあって、昔は身分によって材質や模様が違った。

 さらに、下げ緒の鞘への結び方は、藩または剣術の流派が統一していたのだ。


 現代でも『下げ緒』の扱いによって、居合などの流派を判別することが可能。

 代表的な結び方がいくつかあるものの、端を引くだけで解ける “実用的” なものと、見栄え重視の “お飾り用” の2種類に分けられる。



 凪が見覚えのある広間に入った時に、せ返るような鉄の臭いがした。

 さらに、思わず吐き気をもよおす臭いも……。


 先に入っていた柚衣が、いったん納刀して、角帯に差し直す。

 しゃがみ込んだ彼女の背中に隠れているものの、周辺をドス黒いペンキで塗りたくったような光景から、死体があることに気づく。


 今は、真夏だ。

 冷房がない、吹き抜けの屋敷となれば……。


 安置室や大量のドライアイスがなければ、まともに保存できず。

 耐えがたい腐敗臭を我慢する凪に対して、しゃがんだままの柚衣が、変わらぬ口調で尋ねてくる。


「たぶん、こいつが村長やな! 死んでから、数日は経っているわ。顔は……。あかんな、もう判別できん」


 柚衣は、倒れている死体の服をゴソゴソと漁りながら呟く。

 いっぽう、凪は視界の端で、村長らしき遺体を見た。


「この服、たぶん私が挨拶した時に着ていたものだよ! あんまり、自信ないけど……」


 吐き気をこらえている凪を見かねた柚衣は、彼女を廊下に出した。

 1人で広間へ戻り、改めて村長らしき死体を調べる。

 死臭や血がつかないように、近くにあった服を巻き、グローブ代わりにしながら。


 何かに気づいた柚衣は、右手に持っていた血塗ちまみれの服を投げつけ、すぐに左手の鞘送りから抜刀術に移る。

 片膝をついたまま、最小の動きで刀を抜きつつ、そのまま襲ってきた相手に斬りつけた。


「……っ!」


 後ろに下がった相手は、左足を前に、同じく抜き身の刀を動かす。

 両手で持ちながら、右肩ぐらいの高さで刀を立てる、八相はっそうの構え。


 長い黒髪と、赤を帯びた紫色の瞳を持つ少女だ。

 背中の装具が外れて、下の床に叩きつけられ、ドオンと大きな音が響く。

 重量物を降ろしたことで、一気に身軽になった。


 床に落とした装具には鞘もついていて、彼女は刀だけ持っている。



 相手に切っ先を向けながら、柚衣は立ち上がる。


「桜技流の演舞巫女えんぶみこか? ウチは――」

 ギィン


 覇力で強化した、一瞬で距離を詰めての突き。

 しかし、右手だけで刀を握った柚衣は、相手の切っ先を自分の左側にズラしながら、半身になってかわす。

 左を向いたことで、突っ込んできた勢いで崩れたままの相手が視界に入る。


 とっさに刃を返した少女は、左足を軸に、右手のみで刀を左側にぐ。

 それに対して、柚衣は両手から左手に持ち替えつつも、肘を曲げた右手を刀のみねに添えて、刃ではなく側面で受け止める。


 至近距離でガキィンと刃がぶつかり合う。

 だが、柚衣は刃を受け止める直前で、支えにしている右手を峰から外した。

 同時に、柄を持っている左手を前に出すことで、相手の刀を受け流す。

 そのまま刀を振り切った少女は、流れに逆らわず、左へ飛んだ。


 お互いに向き合い、改めて構える。

 相手の死角に回り込もうとり足で移動しながら、切っ先や身体の動きで牽制けんせいしていく。



みおちゃん!?」


 驚きの声を聞いた少女は、自分の正面にいる相手から意識を外す。

 その瞬間に、柚衣は一気に踏み込みながら、自分の刀を床に落とした。

 密着した状態まで迫り、振り上げた右手で思いっきり相手の右手首を打ち据える。


 突きか切り付けと考えていた少女は、いきなり密着した相手に対応できず。

 油断しているタイミングで予想外の痛撃を受けて、思わず両手を柄から離してしまう。


 ガシャンと刀が落ちる音が響く中、柚衣は左手で敵の襟元えりもとを掴み、右足で踏み出した。

 同時に、左腕で相手の右腕をしっかりと上げて、スペースを作る。

 その空間を利用して、左回転で沈み込みながら相手を背負い、右腕もガッチリと巻き付けた。

 低い姿勢から両膝を伸ばし、腰で浮かせつつ、投げ飛ばす。

 

 下が畳とはいえ、本人の受け身なしで、完全な一本背負いが決まった。

 バァンッ! と叩きつけられる音が、辺りに響く。

 

 投げられた少女は、一瞬だけ息が詰まった。

 仰向けのまま、向き合った相手の膝、手によって押さえつけられ、身動きがとれなくなる。


「柚衣ちゃん、待って! 澪ちゃんは、私の親友だよ!!」


 慌てて駆け寄ってきた凪に構わず、柚衣は自分が押さえ込んだ少女に言う。


「ええか? ウチらは千陣せんじん流で、そこの腐乱死体とは何の関係もない! たった今、近くの山から下りてきたばかりで、この村の状況を調べとっただけや!! 隣にいる凪は、ウチらが助けた。……あんたの目的は!?」


 息を呑んだ錬大路澪だが、凪の様子から嘘ではない、と判断した。

 争う必要がなくなったので、急いで答える。


「私は、そこにいる凪を助けに来たのよ。悪かったわ……。てっきり、あなたがこの村で殺戮さつりくをしているのかと……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る