第206話 夢うつつに思しまはすもさまざま静かならずただ迷ふ

 視線で訴えかけてくる南乃みなみの詩央里しおりを相手にせず、風呂と歯磨きを済ませた後に、用意された和室で布団に入った。


 彼女は母親と一緒に寝るらしく、久々に1人だ。


「静かだな……」


 暗くした和室は、狭いながらも個室だ。

 畳と布団の組み合わせは素晴らしく、ベッドとは違う安心感をもたらしてくれる。


「明日、俺は死ぬのかな?」


 いざとなれば、降参すればいい。

 だが、わざと救助を遅らせて大百足オオムカデに捕食させるか、毒が回るまで待つかもしれない。


「まさか、キューブがどこにもいないとは……」


 さすがに、想定外だったぞ?

 あいつ、ここでは俺の後ろにいたのに。


「キューブが見つからないから、立ち合いを延期してください。とは言えないよな」


 そもそも、俺が宗家に啖呵たんかを切ったんだ。

 また勝手に延期をしたら、もうチャンスを与えられず、その場で処断されるだろう。


 それ以前に、たぶん話を聞いてもらえない。

 千陣せんじん流を動かしている当主たちを集めておいて、やっぱり1週間後に来てくださいと言ったら、その場で全員を敵に回す。


 …………

 ………

 ……

 …


 どこかで床几しょうぎに座らされ、3つの物を出された。

 打鮑うちあわび勝栗かちぐり、昆布で、それぞれ一切れずつ。


 くすんだ灰色をした長髪を束ねた、茶色の瞳の巫女がさかずきをくれて、1つ食べる毎に3回も飲まされる。


 わたくしが近づくことは、何卒ご容赦をー! と言われた。

 本来は陣触じんぶれから心身を清めるため、女に近づかないそうで。


 後半は彼女からの口移しで、もはや、清めとかいう次元じゃ……。


 よく見れば、男の和装として動きやすい小袖こそではかま

 上に羽織はなく、純粋に戦闘用の姿だ。


 足袋たびに、足首まで固定する紐がある草鞋わらじ

 最新のスポーツシューズよりも歩きやすい。


 巫女とは違う、疲れた様子の女は、要点だけ話す。


「これで、あのロリっ子に言われなくて済むわ! それから、これを……。部外者だというのに、見よう見まねでよくもまあ、ここまで打ったものね? そもそも、刀身が玉鋼たまはがねどころの騒ぎではないけど……」


 女は片手で、黒いさやを持つ。

 その先には紫の糸で握りを作られた柄巻つかまきと、同じく黒いつば

 鞘の下のこじり、柄のかしらにある金具は銀色に光る。


 鞘に納められた日本刀だ。

 長さとっているほうを上にしていることから、恐らく打刀うちがたな


 一振りの刀を持つ女は、雰囲気を変えた。

 印象的な赤い目で俺の顔を見て、おごそかに話を続ける。


「身に着けている戦装束いくさしょうぞくは、あなたが死ぬまで貸し与えます。人の一生は短い。それに、守り、逃げるための装備で、問題にはなりません。しかし、これは違います! 元々はあなたの力とはいえ、刀身という小さな形に凝縮したことで、むしろ限定的に絶大な威力を発揮するでしょう」


 言葉を切った女は、改めて問いかける。


「この力をもって、何をすつもりですか?」


 返答次第では、実力行使も辞さない。という覚悟をぶつけられた。

 傍で控えている少女も、緊張している。


 俺は、ここが夢の中では? と思い始めていた。

 詩央里の実家で、明日の決戦に備え、静かに休んでいたはずだ。

 ならば、真面目に考えるだけ、バカらしい。


「分からない。ただ、俺は……。早く東京に帰って、ゆっくりしたいだけだ。放っていたメグの相手もしないと……。そろそろ、溜まっているアニメも視聴しておきたい」


 そのつぶやきを聞いた女は、呆れた顔に。

 元の雰囲気へ戻り、率直に質問をしてくる。


「そこは、『愛しい婚約者や自分を信じてくれる者のために、明日の決戦で大百足を華麗にやっつける!』ぐらいは、言いなさいよ?」


「俺たちが生き延びるために、やむなく打った手の1つだ。どうやら、俺を始末したい連中によって、処刑する場になったようだが……。まあ、何とかなるだろ……。いざとなったら、南乃隊の惟月いつき夕花梨ゆかりシリーズが助けてくれる。そうでなかったら、ギリギリまで粘った後にカレナを呼ぶさ! 全ての策が上手くいくとは考えていないし、どっちみちリスクがつきものだ。単純に『なぎみおが可哀想だから助けたい』と親父、あるいは妹に言えば、代償を求められただろうけど、かなえてもらえた。でも、俺は懇願をするだけの存在とされ、決して認められない。それは、俺と周りがずっと狙われ、奪われ続けることを意味する」


 俺の独白に、女と傍にいる少女は黙ったまま。


「結局のところ、あの演舞巫女えんぶみこ2人を利用しているだけだ。もっともらしい口実がなければ、親父はここまで動いてくれなかった……。桜技おうぎ流の体面を守りつつも、千陣流として、さらに俺自身の立場を守る。計算違いは、前に見かけたキューブがどこにもいなかったこと……。ああ、分かっている。ここでどれだけ命を狙われ、今でも俺の失脚や死亡を望んでいる連中がいるのか……」


 2人の女は、まだ口を挟まない。


「俺は、自棄やけになっているのかもな? 女に守られているだけで、ずっと過ごすのかと……。詩央里やカレナ、メグに不満があるわけじゃないが、自分で一から決めたことがあるのか? と疑問に思う。せめて、キューブがいてくれれば、自分に力があるのかどうかを確認できたが……」


 俺に戦うだけの力がないのなら、それに見合った方法を考えて、用意すればいい。

 しかし、心当たりがあるのに試さないままでは、きっと後悔する。


 そう思っていたら、目の前に立つ女が持っていた刀を両手で捧げ持ち、水平に差し出してきた。


重遠しげとおの気持ちは、よく分かったわ! その天装はともかく、この刀は私がどうこう決めるものじゃないから……。受け取りなさい。ロリっ子が、あなたのために身を削って打ち直したものよ」


 立ち上がった俺は、同じく両手で、鞘に納まったままの刀を受け取る。

 角帯かくおびの間に刃を上にした鞘のこじりを当てて、スッと差し込んだ。


 柄頭つかがしらの位置を直している俺に、女が告げる。


咲莉菜さりなはらえを!」


 コクリとうなずいた少女が、歌うように独特の言葉を並べていく。


「――かしこ咲耶さくやさまの――」


 だんだんと、意識が薄れていく。


「――禊祓みそぎはらいし時に――」


 子守歌のように染み込んでいく少女の声に交ざって、女の声が届く。


「いずれ、同じ問いをするわ。どうか、鞘を払いし後で、その力に溺れないよう……」


 それを最後に、俺の意識は完全に途切れた。




 あなたがキューブを見つけられないのは、当然。

 よくあるわよね?

 探しているものを知らずに持っていることは……。


 とっくに契約している。

 すでに、認められている。

 でも、あなたはその力に耐えられなかった。


 時は来た。


 だから、後はあなたが呼ぶだけ。


 異世界から来た人間に、この世界のことわりを強いるのは、筋違いかも?

 それでも、願わずにはいられない。


 どうか、その刃を向ける相手を間違えないよう。

 何よりも、あなたが自分で自分を認めて、大事にできるように。



 ◇ ◇ ◇



 チュンチュン


「……いつの間にか、寝ていたんだな」


 上掛けを外した俺は、上体を起こした。

 すこぶる寝覚めがいい。


「遺書か辞世の句でも、残しておくべきだったか?」


 自虐しながら、南乃みなみのこずえが用意してくれた和装に着替えた。



 千陣流には、結界を張っている鍛錬場もある。


 南乃家の別邸でテーブルの上にあった朝食から腹の負担になりにくいものだけ口に入れた俺は、1人で出発の準備を進めた。


 真夏だと、早朝でも暑いな?


 足袋に草鞋を履いた俺は、指定された場所へ向かう。



 ――どこか、デジャヴを感じる流れだ


 いつだったか、同じことを経験した気がする。

 でも、それは学校のテストではなく、部活の大会でもない。


 だいたい、俺は陰キャで、スポーツをやった経験すら……。



「相手に勝つことで、何かを得る。そんな経験をする機会が、他にあったかなあ?」


 思わず口に出たが、この世界に転生してからの千陣せんじん重遠しげとお、その後の室矢むろや重遠として、全く身に覚えがない。


 もちろん、前世はずっと病室にいたので、論外だ。


 独り言を交えながら、テクテクと、歩き続ける。



 すでにうわさが広がっているらしく、戦闘部隊の退魔師から使用人まで、様々な連中が同じ方向に進んでいた。


 俺を見る視線は、処刑場へ向かう罪人そのもので、前なら聞こえよがしに言っていた陰口すらない。


 どれだけ性格が悪い奴らでも、これから死ぬ俺にたたられるのは嫌か。



「室矢くん。調子は、どうだい?」


 声がした方向を見たら、九条くじょう和眞かずまがいた。


「おはようございます。ええ、悪くはないですね」


 渋い顔の和眞さんが、珍しく、覇気のない声で返事をする。


「そうか……。あまり、無理はしないでくれ」


 和眞さんは長く話さず、足早に立ち去った。

 一緒にいたさざなみ莉緒りおも、俺に会釈だけ行い、すぐ追従する。

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