第203話 長男だけど我慢できなかったから長男になった結果

 翌日の朝には、実妹の千陣せんじん夕花梨ゆかりの部屋に運ばれてきた朝餉あさげをいただいた後に、弟の千陣せんじん泰生たいせいへの挨拶に向かう。


 夕花梨の式神が先触れで連絡していたから、すんなりと会えた。


 泰生の離れは、かつて俺が住んでいた場所だ。

 あいつは嫌だろうが、千陣家の次期当主にふさわしい場所は限られている。


 弟の式神である烏天狗からすてんぐ鞍馬くらまさんが、好々爺こうこうやの笑みで迎えてくれた。


重遠しげとお殿どの、息災で何より……。いや、失礼! 以前とは見違えるほどに強くなられたので……」


 いかにも修験者のような服装で体格の良いじいさまが、ジロジロと見た非礼を詫びてきた。


 俺は、鞍馬さんに言い返す。


「まだまだです。千陣流の一家の当主としては、恥ずかしい限り」


 自虐的な返事にも、鞍馬さんは動じない。


「そう言えるだけ、成長しておられますよ。南乃みなみの殿も相変わらず、お美しい。重遠殿は、まったく果報者でございますな……。では、泰生さまがお待ちゆえ」


 鞍馬さんの部下と思われる若者が歩み寄り、耳打ち。

 それによって、弟の泰生が待つ部屋へと案内される。


 渡り廊下を歩きながら、庭の景色を眺めた。


 泰生は千陣家の次期当主の筆頭に過ぎず、どの役職にもついていない。

 今の立場だけ見れば、室矢むろや家の当主である俺のほうが格上だ。


 それでも、将来的に弟は俺の上位になるため、礼儀を尽くさなければならない。



「元気そうだね、兄さん? 僕は、うちの当主教育のせいで大変だよ」


 少し床と天井が高い “上段の間” にいる泰生は、元々の線の細さは同じだが、前よりも明らかに大きくなっていた。


 茶色の瞳には、疲労の色。

 短めにした黒髪はセンスが良く、美容師の手によるカットだと分かる。


 こいつは中等部1年で、名門私立の寮で生活中。

 いくら裏稼業でも、現代は高校卒業の学歴が必要だから、二足の草鞋わらじを履いているのだ。


 ちょうど夏休みの帰省で、タイミングよく会えた。


 女子に、可愛い! とよく言われる風貌で、それを指摘したら怒る。

 こいつが女装したら、たぶん区別できない。



 責めるような目つきの弟に、話しかける。


「お前には負担をかけて、すまないと思っている。しかし、俺があのままの立場でいても、結局のところ、誰にとっても良い結果にならなかった」


 優しい顔立ちをした泰生は、溜息を吐いた。


「兄さん……。今からでも、うちに戻ってこない? 僕には向いていないよ! 何をしても陰口を叩かれるし、自由と呼べる時間すら持てないんだ。いちいち、父さんや姉さんと比べられることも、うんざりする」


 かぶりを振った俺は、泰生に言い聞かせる。


「俺たちが納得するしないではなく、十家の都合で動いているだけだ。神輿みこしにされている俺たちが下手に動けば、それぞれを支持している連中が黙っていない。親父ですら、十家の当主たちの意向を無視できないんだぞ?」


 元の世界の史実を参考にすれば、歴史に名を遺した有名な武将ですら、その実態は有力な家臣たちへの気遣いの連続だったそうで……。


 不貞腐れた泰生が、文句を言ってくる。


「それは分かっているけどさあ……。元々の評価が最低ラインでも平気だった兄さんと、繊細な僕を一緒にしないでよ!? 僕にだって、やりたいことはあったんだ。中学生になって、さあこれから! というタイミングで台無しにされれば、やる気が湧いてくるわけないじゃないか。『兄さんがいるから後を継がずに済む』と思っていたのに……。テレビで話題のバーガーとかを食べたくても、『千陣家の者が、そのようなお店に行くので!?』と嫌味ったらしく言われるし。自転車に乗ることも許されない。スケジュールも全て管理されていて、せっかくの夏休みが『関係者への挨拶回りと社交パーティーにより、数週間先まで空きがない』って、本当に何なんだよ……。実家に戻ってやることは、稽古か勉強、千陣流の仕事の無限ループさ!」


 言いたい放題だが、こいつが犠牲になったのも事実だからなあ。


 すまんな。

 長男だったのに、我慢できなくて?

 腹を切って詫びるぐらいの、醜態だ。


 しかし、千陣家の長男をやめたのに、また室矢家の長男になっている。

 エターナル長男という、よく分からん状況。


 俺が昔の武家に生まれていたら、恥を晒さないように切腹させられそうだ。


 そう思っていたら、隣に座っている南乃みなみの詩央里しおりが別の話題を振る。


「泰生さまには、婚約者の華澄かすみ様がいらっしゃるのでは?」


 詩央里の顔を見た泰生は、やっぱり愚痴を言う。


「華澄は、僕に優しくないんだ。話をしても、『泰生さまの良いようになさいませ』と言うばっかりでさ……。こんなことだったら、詩央里さんの代わり――」

「ボン! そろそろ、体術の稽古のお時間ですぞ? 重遠殿、南乃殿! 本日は、泰生さまへのご挨拶、誠にご苦労でした」


 守役もりやくを兼ねている鞍馬さんが割り込んで、泰生との会談は強制終了。



 ◇ ◇ ◇



 千陣泰生より低い位置の “謁見の間” から出た俺たちは、その離れから出るまで案内された後、客人用のスペースに移った。


 俺の立場は、千陣家に呼び出された高家こうけの当主。

 そのため、武家屋敷の横にある宿坊しゅくぼうのような部屋に泊まる。


 トイレ、浴室だけではなく、床の間もあって、2人ぐらいは悠々と過ごせる和室だ。


 本来は敷地から離れた集合住宅であるものの、十家よりも上の当主を寝るだけの物置へ押し込めるのは御法度。


 室矢家は、現当主である俺が宗家の長男だった経緯から、分家でも格が高い。

 千陣流の中枢にいる十家よりも上だ。

 ところが、経営している企業や人員はなく、吹けば飛ぶ紙切れ。


 千陣流の実動部隊にいる隊長、副隊長は、完全な実力主義。

 ここを仕切っている十家のいずれかが推薦している状態だ。

 ゆえに、俺より遥かに格下であるものの、彼らは指揮する部隊や預けられた利権を持つ。


 俺には武力と人手がなく、高いくらいだけある。

 一番叩かれやすいポジションだ。


 元実家の連中はともかく、十家から目のかたきにされ、中堅の幹部より下にはお飾りとさげすまれるのが常。

 


 俺たちに宛てがわれた部屋に入り、運び込まれていた荷物一式を確認する。

 荷物を見張っていた卯月うづきたちに礼を言いながら、荷解にほどきを手伝ってもらった。


 各部屋に使用人がつくが、俺たちの事情では、迂闊に任せられない。

 夕花梨シリーズに、その役割と警護をしてもらう手筈だ。



 着ていた紫苑しおん学園の制服を吊るし、夏用の甚兵衛じんべえで涼む。

 男の和服は、楽でいい。


 何気なく、さっきの泰生のことを口にする。


「実際、『詩央里は泰生の婚約者にするべき』という意見も出ていたんだよなあ」


 それを聞いていた南乃詩央里が、忙しく動きながら、返してくる。


「はい。ギリギリのところでした。華澄さまも、泰生さまをお慕い申し上げていると思うのですが……。私だって、ここに残っていれば、今のようには振る舞えませんよ?」



 俺の霊力は、元の世界の金利のように低かった。

 だから、“宗家の妻” として英才教育を受けた詩央里は、弟の泰生の婚約者にするべし! という意見も根強かったのだ。


 そいつらを黙らせるために、お互いに第二次性徴を確認できた時点で、武家の作法にのっとり、ブチブチと音を立てながら敢行した。

 ちなみに、床盃とこさかずきにおける立会人は、夕花梨シリーズの数人。


 実妹の式神に初夜を一部始終、それも砂被すなかぶりで見られるという羞恥プレイをしたおかげで、詩央里は誰に対しても主張できる傷物に。

 彼女を泰生の婚約者に切り替えるプランは、それで御破算というわけだ。


 歴史ある名家が大事にしてきた初夜の伝統を否定すれば、日本を牛耳っている彼らを敵に回すからね?

 ちなみに、正式な作法では、立会人が宴へ出席した面々にその様子を話すまでがワンセット。


 ともあれ、その流れで、詩央里は俺と一緒に紫苑学園へ転校したのである。


 死亡フラグの回避として、詩央里は手放したほうが良かったか?

 そう思うことも多かったが、献身的に世話をしてくれる彼女がいなければ、今まで生き延びられなかっただろう。



 泰生の婚約者となった壬生みぶ華澄かすみは、あいつと同い年ぐらいで、良くも悪くも名家のお嬢さま。

 結婚とは家同士の繋がりで、お互いに相手を知ってから少しずつ好きになればいい。をで行く。


 彼女は公家の系譜で、昔であれば、とても考えられなかった組み合わせだ。



 同じく着替えた詩央里は、俺の傍に座りながら、話を続ける。


「華澄さまも、泰生さまにどう接して良いのか、お悩みなのでしょう」


 今はまだ、通い妻のようだし。

 さっきみたいな中二病のノリで話されても、返事に困るだろうさ。

 華澄は家を存続させていくことが第一で、それに反する提案を受け入れられない。



 ようやく訪れた、ゆっくりできる時間は、すぐに破られた。

 夕花梨シリーズが、俺たちの昼食をおぜんで持ってきたからだ。


昼餉ひるげだよー!」

「重遠は、いつくばって感謝しろー!」

「いきなり押しかけたら、板長に怒られた」

「自動、頭下げ人形」


 なんで先に言わなかったの? と聞けば、毒を入れられたら困るでしょ? と返された。

 元実家なのに暗殺される可能性があるとは、これいかに……。


 昼食は、味噌汁、焼き魚、海苔のり、漬物、冷奴ひややっこ

 俺の膳にだけ、唐揚げもついていた。

 ご飯はおひつからで、今回は気楽に食べる。


 少量ずつモグモグしている詩央里が、その合間に尋ねてくる。


「若さま、これからの予定は?」


「例のキューブを探しに行こう! あいつ、どこにいるのか、さっぱり分からないんだよな……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る