第192話 ファイル2:山奥の過疎地域で金髪少女が踊るー③

 咲良さくらマルグリットたちが街に下りてから、数時間は経った頃。

 くだんの異人館の背後にある山脈の一角が、かさりと動いた。


 今夜は月が出ていて、比較的明るい。


 山の稜線りょうせん上で周囲に溶け込んでいるかたまりは、そう簡単に見つけられない。

 青みがかった目が2つ、静かな呼吸に合わせながら、周囲を探る。

 短冊のような布や糸を全身に縫い付けて垂らしたギリ―スーツを着た、スナイパーだ。


 その隣には、同じギリ―スーツを着た人物が膝立ちで、スポッター用の単眼の望遠鏡を覗いている。


 伏せているスナイパーがつぶやく。


「Range?(射距離は?)」

「1,750m」


 観測手であるスポッターが、必要な情報を与えていく。


 その単眼の望遠鏡には、フィールドスコープのみならず、レーザー距離計と風速計までついているのだ。


「Up10,left3.(上に10、左に3)」

 カチカチ


 伏せているスナイパーが手を伸ばし、ライフルの上に付けているスコープのダイヤルを必要な分だけ回した。


 スポッターが、弾丸を流す風について、教える。


「Wind,gust,10-15,left to right.(風は、突風10~15、左から右へ)」


 スナイパーが片目でスコープを覗くと、異人館の近くに駐車している大型キャンピングカーの近くがズームされた。


 真昼のような灯りによって、相手の姿はどれも丸見えだ。

 まさに、入れ食い。


 キャンピング用品の椅子に座っている炎理女学院えんりじょがくいんの女子が、中央のレティクルと重なる。


「Who?(誰を?)」

「Anyone.(誰でもいい)」


 指定がないことから、スナイパーはちょうど照準に入っていた女子に狙いをつけたまま、人差し指をトリガーに触れさせた。


 オーダーは、“あの異人館を探る者を排除せよ”。

 狙撃手と観測手は軍用ヘリの掃射から逃げ延び、その任務を続行していたのだ。


 スー ハー スー


 構えているスナイパーが呼吸を整えていくと、身体につけている狙撃銃のブレが小さくなった。

 吸い込んだ空気を半分だけ出し、息を止める。


 トリガーの指に少しずつ力が入り、発砲の寸前でじっと待つ。


「Now.(今だ)」


 風向きやタイミングを計っていたスポッターの台詞で、スナイパーの人差し指に最後の圧力が加わる。

 ドンッというリコイルを感じると同時に、スコープ越しのターゲットが着弾の衝撃で後ろに吹き飛ぶ様子をイメージした。


 だが、地面を削るだけの至近弾に過ぎず、その女子は泡を食って走り出す。


 ターンッという発砲音が、周囲に響き渡った。



 距離が遠すぎる。

 初弾で当てるのは、やはり無理だったか……。


 片手で滑らかにボルトを引いてから戻したスナイパーは、排莢はいきょうによるカシャッという金属音と、次弾の装填によるキンという音を聞く。


 地面に落ちた空薬莢をそのままに、第二射を狙う。


「Fuel tank.(燃料タンク)」

「Roger.(了解)」


 スポッターの提案を受け入れて、スナイパーは狙いやすく、そう簡単に動かない、キャンピングカーの燃料タンクを視界に入れた。


 車体に当てれば内部はパニックになるし、上手くすれば遮蔽物しゃへいぶつを消し飛ばせる。


 先ほどの射撃から、必要な修正を行う。

 弾道から着弾まで見ていたスポッターの指示で、狙撃手はスコープの側面と上部のダイヤルを回した。


 今度は、当てる。

 そう思っていたスナイパーの視界が赤くなった後に、暗くなった。


 急いでアサルトライフルに持ち替えたスポッターも、横から殴られたように倒れ込む。

 同じように、2発の発射音が山々に響き、再び静寂が戻ってきた。


 近くでモゾモゾと動く物体が、地をいながら移動していく。




「まだいると思うか?」


 緑と黒のドーランを塗った顔で、男が呟いた。

 凹凸おうとつをなくすように塗られているため、平坦に見える。

 エナジーバーらしきものをかじっていて、あっという間に平らげた。


 こういう場では1本ずつのソーセージのように、水なし、加熱なしで即座に食えて、カロリーがあるものが好ましい。

 手が汚れたままで口に運べることも、野外で配置についている時のポイントだ。


 話しかけられた男は、否定的な返事をする。


「おそらく、いない。支援部隊がいる可能性もあるが……」


 同じく迷彩模様の男は、1人目よりも慎重な印象を受ける。


 2人ともギリ―スーツを身に着けていて、今は頭部を覆うフードの部分を外しているものの、戦闘服の帽子を被ったままだ。


「……いったん、戻るか? 敵の配置も規模も、全く分からん。ここでは、無線を使えない」


 1人目の提案に、2人目がうなずいた。


 彼らは、狙撃用のボルトアクション方式のライフルを背負いながら、中腰で移動を再開する。



 ◇ ◇ ◇



 葦上あしがみ署で私用車に乗り換えた咲良マルグリットは、戸威とい市の綾青りょうせい区まで送ってもらった。


 現在は、たつまことおごりで、氷熊ひぐま心也しんやと一緒に夕飯を食べている。

 行きつけの蕎麦屋そばやという、実に渋いチョイスだ。


 個人店のようで狭いものの、手入れが行き届いていて、蕎麦もよく締まっている。


「わりーな、嬢ちゃん! 年を取ると、脂っこい料理がどうも食べれんのよ……」


 そう言った真の前には、ザルそばと天ぷらの盛り合わせ。

 焼き鳥、かまぼこをワサビ醤油でつまむ『板わさ』などの、酒によく合うものばかりだ。


 マルグリットは、思わず突っ込む。


「その天ぷらは、油だと思うけど?」

「ばーろー! これは、別なんだよ!!」


 真は、すかさず言い返した後にかき揚げを齧り、日本酒の入ったお猪口ちょこを持つ。

 酔っているせいか、上機嫌だ。


 蕎麦屋には心也の車で来ていて、真とマルグリットは送ってもらう手筈てはず

 そのため、ドライバーになる彼は、酒を飲んでいない。


 自分の料理に目を落としたマルグリットは、注文したザルそばと小さなマグロ丼、卵焼きを食べる。


「外人のわりに、そういう料理を食べるんだな? 最悪、別の店でハシゴと思っていたが……」


 感心したような真の言葉に、マルグリットは口の中のものを食べ終わってから、答える。


「私は、日本で生まれ育っているから……」


 へえ、と頷いた真に対して、もう1人の連れである心也が話しかけてくる。


「そうなんですか……。どちらの方で?」


「東京のほうよ? 今も、そちらに住んでいるの……。人が多いから、朝の通勤ラッシュは嫌になるけどね」


 興味深そうな顔になった心也は、マルグリットに尋ねる。


「やっぱり、東京は求人が多いのでしょうか? あ、いえ……。も、そろそろ転職のことを考えているので……」


 こういった場では、警察と分からないように気を遣う。

 そのため、心也の一人称も変わっているのだ。


 考え込んだマルグリットは、彼の顔を見ながら教える。


「そうね。多いと思うわ……。でも、全体的に物価が高いし、日本全国から人が集まる関係で、若いうちはいいけど、年を取ってからが問題ね」


 若さあふれるマルグリットが、年寄りのようなアドバイスをしたことで、真が苦笑する。


「おめーが、言えたことかい! 10年はえーわ、そんな台詞! ハッハッハ!」


 真は完全にできあがっているようで、あから顔でツッコミを入れてきた。

 けれど、マルグリットは澄まし顔で言い返す。


「あら? でも、私には婚約者がいるわよ?」


 爆弾発言に、真と心也はギョッとした。


 真が、おずおずと質問する。


「は? お、おめー、今いくつよ?」


「高等部1年だけど? 特例で、この仕事をやっているの」


 はえー、という表情になった真は、日本酒をグイッと飲んでから、呟く。


「俺の爺さまの世代なら、ともかく……。お前さん、ひょっとして、どこかの名家のお嬢さまか?」


 微笑んだマルグリットは、答えずに自分の食事を口に運ぶ。


 訳ありと察した真も、しつこく追及しない。

 残った天ぷらをつまみながら、日本酒を舌の上で転がす作業に戻る。


 マルグリットがふと視線を感じて、心也を見るも、彼はガッカリした様子で目をらした。

 自分の注文した『カモせいろ』を食べることに、集中する。


「……えっと?」


 困惑したマルグリットが真に助けを求めたら、視線だけで、そっとしておけ、と返された。



 ◇ ◇ ◇



 翌日の朝、咲良マルグリットはホテルの部屋で目覚めた。

 使い捨てのカードキーで、いちいちフロントに預けなくていいところだ。


 料金が飛び抜けている高級ホテルに泊まり、身の安全を確保した。


 擬装の身分だから、『特別ケース対応部隊』に請求書を回せない。

 本当は南乃みなみの詩央里しおりに頼みたかったが、今の彼女は忙しい。

 あとで、その分を補填してもらえるか不明なため、思い切って良い部屋を選んだ。

 ベルス女学校で貯めたクレジットの一部を現金に換えて、支払い済み。


 優雅な空間で見晴らしがいい外を眺めたマルグリットは、スマホの充電をチェックした後に、手早く準備。


 念のために、置きっぱなしのスーツケースを施錠したうえで、防犯のワイヤーで近くの重量物にくくりつけた。

 こちらは、合鍵を持っている関係者が入ってきた場合への備え。

 最低限の貴重品は、肌身離さず持ち歩く。



 昨日の夜にコンビニで買っておいた総菜パンと牛乳のパックを口に放り込み、洗顔や歯磨きをする。

 女物のスーツを着て、財布などの貴重品、警察手帳と無線をつけて、バレも装備。

 最後に、動きやすい革靴を履く。

 忘れ物の有無をダブルチェックした後に外へ出て、オートロックの動作を確かめた。


 ホテルの従業員に見送られ、彼女はキビキビと外へ出た。



 迎えにきた覆面パトカーの後部座席に乗り込み、運転席の辰真と、助手席の氷熊心也に挨拶をする。


「おはよう、嬢ちゃん! じゃ、今日はどうするよ? 俺と氷熊は数日ぐらい、この件に専念できるぜ?」


 真から目的地を聞かれたマルグリットは、昨日の異人館に行くことを宣言した。

 覆面パトカーはすぐに動き出し、爽やかな朝の空気の中で、職場に向かう車と反対方向へ走り出す。


「今日は、あの異人館を調査するんだな? 了解……。なら、昼飯はどこかで買っておいたほうがいいか……。今の時間帯にやっている店は、と」


 運転しながら呟いた真は、路面店であるスーパーの敷地へ。


 かなり年季の入った建物で、駐車場のスペースも枠線が消えかかっている。

 早朝だが、もう営業時間らしい。

 説明によれば、農作業や出勤前の社会人のために開店しているとか。


「15分後ぐらいに、車へ戻ってくれ。あっちには自販機もないから、飲み物を忘れるなよ?」


 真の発言によって、全員が覆面パトカーを降りた。

 入口までは一緒だったものの、目立つかごを取ってからは思い思いに散っていく。

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