第188話 山奥で所轄署の警官2人が遭遇した化け物(前編)

 真昼の異人館の一室に、2人の制服警官がいた。

 青色で半袖の夏服と、袖なしの耐刃防護衣を着用中。

 

 外は明るく、晴天だが、彼らの顔色は悪い。



 若い警官が、肩につけていた無線機を操作する。


『至急、至急! 葦上あしがみ8から葦上PS……。葦上PS、応答願います……』


 小声で呼びかけるも、無線に特有のザーッというノイズだけ。


 しばらく腰の受信機の状態をチェックしていた若い警官は、首を横に振った。


「ダメです、椙尾すぎお(巡査)部長。自分の無線機でも応答がありません……」


 山間部でも奥のため、当然のように携帯は使えない。


 帽子の位置を直した椙尾すぎお信秀のぶひでは、内心の動揺を隠しながら、若い巡査、氷熊ひぐま心也しんやに返す。


「落ち着け、氷熊……。とにかく、情報を持ち帰ることが第一だ」


 信秀は周りを見ながら、つぶやく。


「先行で現着した機動捜査隊……。機捜3は……無事なのでしょうか?」


 上官の信秀は、俺が聞きたいぐらいだ、と言いたい気持ちを必死で抑えた。

 右腰のホルスターから銃を抜き、側面のボタンを動かすことで中央の回転シリンダーを左側にスイングアウトするも、まだ撃てる弾は残っていない。


 リボルバーは排莢はいきょうされない構造ゆえ、撃針で後ろを叩かれた雷管の金属部分だけが虚しく残っている。

 警官は基本的に予備弾を持たないため、新しい弾に交換できず。


 日本は、ホルスターから抜くだけでも、発砲とほぼ同じ扱いだ。

 でも、この2人に、それを気にしている余裕はない。


「……自分も、残弾はありません」


 上官がホルスターに銃を戻す様子を見ていた心也は、ポツリと報告した。



 2人の制服警官は、ただでさえ隣家までの距離が数kmある田舎で、人が寄り付かない洋館の中にいる。


 正しくは廃墟になっている戸建てで、手前には覆面パトカーが駐車していた。

 そこでパトカーを停め、所轄署に自分たちの現着と、機捜3の車両があったことを告げたのだが――


「何か、いるんだ。それなのに、全く見えない……」


 信秀が小声で話すと、心也も首肯した。


「唯一の生存者も、声をかけたら逃げ出して……。そこから……。そこ――」

「よせ、氷熊巡査! そのことは、もう考えるな!!」


 パニックになりかけた部下の両肩を掴んだ信秀は、揺さぶりながら、命令した。


 肩で息をしていた心也は、かろうじて正気をつなぎとめる。



 この異人館は、木造の3階建て。

 警官たちが調べたところ、地下室もあるようだが、入口は封鎖されていた。


 かなり古い建築物で、外に面した部分は広い面積でガラスが使われている。

 靴を履いたまま生活する、いわゆる海外のスタイルだ。


 戦前にひっそりと建てられた後にそのまま放置されたようで、地元住民ですら知らない人が多い。

 役所の資料を漁るか、過去の事件ファイルを読み切れば、手掛かりがあるかもしれない。



 かつて、1人の外国人が引っ越してきた。

 日本語が堪能で、茶色の瞳、黒髪であるものの、彫りが深い顔立ちの男。


 アンティークが好きなのか、あるいは思い入れがあるのか、金を惜しまずにくだんの異人館を建てた。

 最初は地元も歓迎したのだが、彼はご近所付き合いをしない変わり者だった。

 住民で協力して行う道普請みちぶしんなどの作業に加わらず、晴れて村八分に……。


 しばらく空き家だったものの、近年に胡散臭うさんくさい連中が集まってきた。


 適当な理由をつけて、警官がさり気なく訪問する話だ。

 けれども、彼らは新しい宗教団体のようで、迂闊うかつに触るとかえって刺激する恐れがあった。


 人家じんかが集中しているエリアから離れていたことも、わざわざやぶを突かなくても良いだろう、と後回しにした理由の1つだ。



 パトカーが到着した時に、異人館の玄関ドアは開いたまま。

 覆面パトカーも、玄関前の空き地に放置されている。


 制服警官2人は警戒を強め、薄暗い室内を照らすためのフラッシュライトを向けながら、中に入った。

 これは、相手の顔に向けて一時的に視界を潰すための道具でもある。


 定期的に呼びかけてみたが、反応なし。


 朽ちてきた異人館にも電話回線を引いていたようで、仲間がどんどん殺されていると通報を受けたことが発端だ。

 悪戯いたずらの可能性もあるのだが、固定電話で専用ダイヤルのため、無視はできない。


 所轄である葦上署の警らでも、素性不明の人間が多く出入りしている事実をチェック済み。



 若い巡査である氷熊心也が先頭で入って、1階の奥へ進んだところ、廊下で背中を向けながらうずくまっている男を発見した。


 当然、大丈夫ですか? と声をかけたのだが――


 何かに怯えているようで、警官の制止を振り切って、さらに奥へ逃走した。

 武器を持っておらず、抵抗したわけでもないため、自分たちは警官で保護をしに来たと叫びながら、追いかけるしかない。


 しかし、全力で走り出した男が奥の部屋で急に立ち止まり、破砕機に巻き込まれたように身体をあらぬ方向へ曲げ、どんどん肉片になっていったのだ。

 強まっていく水圧で潰される、哀れな物体のように。


 そこには、確かに何かがいた。

 血を吸ったせいか、赤く染まったナニカが……。


 大人と同じ大きさぐらいで、ちょうど頭の位置に目玉のような物体がある。

 肉で作ったホースを縦に束ねたような醜悪な体で、中央部にあるペリカンのように大きな口――恐らくはそうだ――で人を丸呑みにしたのだ。


 心也は、どういう原理か全く不明だが、今の光景はその体内での様子が見えていたと、直感的に理解する。

 絶叫しながら、思わずホルスターから銃を抜き、五発の全弾を撃ち尽す。


 銃をカチカチと鳴らし続ける部下に対して、後ろにいた上官の椙尾信秀が彼の腕をつかみ、止めさせた。

 だが、見えない化け物は、彼らの事情を考慮しない。


 信秀は呆然自失の部下の手を引きながら、自身も全弾を撃ち尽くしつつ、3階の一番奥の部屋まで追い詰められた。

 残念ながら、1階の出口である玄関ドアも、見えないナニカに食われていたからだ。


 すぐ傍の階段を上がり、少しでも離れようと逃げ続けた末の袋小路。

 警棒を伸ばして戦う気には、とてもなれない。



「お前、この窓から飛び降りられるか?」


 質問した信秀は、外がよく見える大きな窓の内側から、下を覗き込んだ。

 換気を考慮した可動式であるものの、斜めにしか動かない構造。


 壁際にある地面は、草むらだ。

 けれど、3階で帯革たいかくにかさばる装備をつけている状態では、受け身を取れるかどうか……。


 案の定、心也は自信なさげに答える。


「いえ……。命令であれば、従いますが……」


 ようやく落ち着いてきた心也も、窓から飛び降りることに賛成したい。

 しかし、降りた場所に透明の化け物がいたら――


 考え込んだ信秀は、ふと思いつく。


「そうだよなあ。特殊犯捜査係の強行突入だって、ロープ降下だし……。待てよ? おい、この辺りのカーテンでロープを作れば、安全に降りられるんじゃないか?」


 住人が用意したのか、多少の強度はありそうなカーテンが目につく。


 器物損壊とはいえ、緊急避難だ。

 必要なら、後で自腹を切ってでも弁償しよう。

 結局、ここから降りる場合は、窓を割るしかないんだ。


 あとは、それをくくりつけて、人間の体重を支えられるフックや重い家具があれば……。


 自分の考えをまとめた信秀は、部屋の中を見回す。


 彼の後ろでパリンと小さな音がして、ヒュブッと骨や肉を貫通する音が続く。

 小さな穴から血が大量に噴き出し、両足に力が入らなくなったことで、その場に崩れ落ちる。


 その前に、信秀は強引に引き倒される。


 ゴンッと容赦なく床に叩きつけられたものの、高速で回転しながら飛んでくるライフル弾によって即死する運命を回避。


 タアーンと、少し遅れて銃声が聞こえてくる。


「いでっ! き、貴様ァ!! 公務執行妨害の現行犯で逮捕するぞ!?」


 状況を理解できずに叫ぶ信秀だが、起き上がろうとした時、再び床に押さえ込まれる。


「Wait! Keep your head down!(待て! 頭を低くしろ!!)」


 太く、低い声で叫ばれたうえに、柔道で有段者のはずの自分が完全に組み伏せられている。


 その事実に驚く信秀に対して、心也は慌てて上官を助けようと――


 正体不明の男に足を払われて、心也もダンッと転ばされた。

 受け身も何もない、子供が転んだ時のようにドターンと。


 その瞬間に、やはり窓ガラスを割る音、銃弾が近くを通過する際のヒュバッという音、最後にビシッと壁にめり込む音が続く。


 たった今、ちょうど彼の胴体があった位置だ……。


 先ほどのように、時間差でターンッと銃声が続く。


「Sniper!(狙撃手だ!)」


 イラついた男にまた叫ばれて、床に倒れ伏した警官2人もようやく事態を呑み込んだ。


 自分たちは、たった今、狙撃されたのだと……。


 訓練を受けている警官でも、全員がライフル射撃に詳しいわけではない。


 遠方からの狙撃では、たった一発の銃弾で全てが終わるのだ。

 気づいた時には、横にいた仲間が倒れ、もう絶命している。

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