第185話 ファイル1:占い少女と助手による下町散策ー④

 ――墨押川すみおがわ総合病院


上坂うえさかさんは、面会謝絶です。申し訳ありませんが、お引き取りください」


 ナースステーションで上坂うえさか晴音はるね容体ようだいを尋ねるも、かなり厳しいようだ。


 そこから離れた後に、勝盛かつもり美月みつきが自分の斜め後ろにいる室矢むろやカレナを見た。


 カレナは肩をすくめて、告げる。


「致し方あるまい……。私がやる! お主らは、1階のロビーで待っておれ」



 スタスタと廊下を歩くカレナは、壁の案内板を見ることなく、集中治療を必要とする区画、いわゆるICUアイシーユー(インテンシブ・ケア・ユニット)などが集まるエリアへ進む。


 通常であれば、看護師なりが呼び止めるはずだが、不思議と彼女は誰にも声をかけられない。


 とあるスペースに、寝かされた女子がいた。

 カレナは傍に立ったまま、ジッと人がいなくなるタイミングを待つ。


 その女子の口には呼吸器といった装置がつけられており、目を閉じている。

 彼女は横になっている状態でもハッキリ分かるほど、お腹が膨らんでいた。

 わずかに胸が上下していることから、まだ生きていると分かるものの、生気はない。


 グシュリ


 濡れた音が、カーテンで仕切られた空間に響いた。


 カレナがその方向に目を向けると、病衣びょういの隙間から赤い目が逆に覗いてきた。


 いくつもの目が並ぶ、灰色の蜘蛛。

 まだ小さいものの、子供のてのひらぐらいのサイズはある。

 血だらけであることから、全身が赤色と見紛う姿だ。


 その小蜘蛛こぐも威嚇いかくのつもりか、口らしき部分の前についている一対の上顎うわあごをカチカチと鳴らした。


 身体に大きな穴が開いたことで、移動もできる医療用ベッドが急速に赤で染め上げられていく。

 

 1匹が上坂うえさか晴音はるねの肌を食い破り、外に出てきたのを合図に、彼女の腹がさらにボコボコと膨らむ。


 そのまま、内部から破裂して、×××の子蜘蛛たちが一斉に吐き出されるのか? と思えた瞬間に――


『プロイ・ヴェーレ』


 その一言で、全てが止まった。

 ちょうど内側から破裂している途中で、晴音の体の中身がポップコーンのように空中で停止している。


 カレナを中心に、床にクラシックな時計が描かれた。


 古いデザインだ。

 長針と短針がある、12刻み。


 数字の部分は、見たこともない記号だが、恐らくは1から12までを示しているのだろう。

 現在では、歴史の教科書にも載っているかどうか……。



『エレ・トゥアーティブ』


 その発言をキッカケに、床に大きく描かれた時計は、左回りに動き出す。

 同時に、動画を逆再生しているかのように、盤上だけが戻っていく。


 やがて、ただ寝ているだけの女子高生が、医療用ベッドの上にいた。



 タンッ


 カレナが床でかかとを鳴らした瞬間に、周囲の音が戻ってくる。

 床一面に広がっていた時計は、どこにもない。


 彼女は、院内放送が行われていて、ひっきりなしに医療関係者が歩いている廊下へと戻った。


「一般の患者さんやお見舞いの方は立入禁止です! 出て行ってください!!」


 年配の看護師から怒鳴られたカレナは、返事をせず、足早に立ち去った。



 ◇ ◇ ◇



 勝盛美月の自宅に戻った室矢カレナと錬大路れんおおじみおは、大事な人間が2人とも回復したことで呆気に取られている生徒会メンバーと一緒にいた。


 もう夕方だが、興奮冷めやらぬ中で、いったん状況を整理しておきたいところだ。


 手慰みにお菓子を軽くつまみながら、それぞれが選んだドリンクを飲んでいる。



 唯一の男子の蜂須はちすしゅんが、ブラックコーヒーを味わいつつも、カレナに尋ねる。


「お前……。本当に、何なんだよ?」


 けれども、肝心の彼女はウトウトと、舟を漕いでいる。

 その寝顔を見ている限りでは、超常的な現象を引き起こした人間には思えない。


 寝てしまったカレナの代役で、予め委任されていた澪が、口を開く。


「代わりに、私が話すわ……。時間がないから明日の午前中にでも、代価としてあなた達の情報と資料を引き渡してもらうって……。助かった2人と話せる?」


 澪の質問に、美月が答える。


「自宅で引き籠もっていた克友かつともは、ともかく……。入院している晴音はるねと会うのは、難しいと思う。少しだけメッセージでやり取りしたけど、総合病院として『過去に類を見ない難病を解決できた』という触れ込みにするらしく、急に院長や部長がご機嫌伺いに来ているみたい……。実質的に彼女は放っておかれたわけだから、外で悪いことを言われたくないのでしょう。看護師たちの噂話うわさばなしでは、あの病院の派閥争いで次のポストを狙うための実績にするとか……。たらい回しで押しつけられていた担当医は、棚ぼたね? 晴音は、『病院の人は私と直前に会っていた少女を探している』とも言っていたわ!」


 それを聞いて呆れた澪は、自分の感想を述べながら、話を続ける。


「同じ症例が出ないと、良いわね? あちらも、別に遊んでいたわけではないし。打つ手がなかったのだから、私たちは別に邪魔しようとは思わない。協力する義理もないけど……。カレナが言うには、『晴音への処置は本人が寝ている間に済ませたし、私が見られたのは年配の看護師だけで、それも通りすがり』だから、無視すれば終わる話だわ……。問題は、カレナと私のことが表に出るかどうかよ! 今回の代価に、それも含めていいかしら?」


 うなずいた美月が、周りに確認する。


「分かったわ……。皆も、それでいいわよね?」


 生徒会メンバーが同意したことを見て、美月はグッタリと力を抜いた。

 夏休み直前からの悩みが解決したことで、溜まっていた疲労が噴き出したのだ。


 それでも、疲れた声で宣言する。


「じゃ、今日はもう解散しましょ……。お疲れー! 明日も朝になったら、うちに来てちょうだい……」



 カレナは時間を巻き戻したので、上坂晴音は少しだけ若返った。

 すこぶる健康体になっており、もう退院できる状態。

 常識的に考えて、泊りがけの精密検査ぐらいは行いそうだが……。


 晴音の状態は、腹が元に戻ったことを除けば、明確に分かるほどの違いではない。

 しかし、専門家であれば、違和感が残る。


 寝たきりが続くと見る見るうちに筋肉が衰えるし、他にも影響が出るからだ。

 次のカンファレンスでは、さぞや首をひねるだろう。


 晴音の医療ベッドやリネン類、床に注目した場合は、周辺と比べて妙に綺麗なことが分かる。

 だが、病院の役職者は全体の管理が主な仕事で、そんな些末事さまつじを気にしない。

 その下の担当医も1人、2人を診ているわけではなく、看護職員がリネン交換をしたか出入りの業者が掃除をしたと思うだけだ。


 実際に作業をしていた看護師ならば、新しいことに気づくかもしれないが、わざわざ口に出すほどの異常ではない。


 “占い少女” で有名な室矢カレナが関係していると分かれば、彼女が何かをしたと結びつける者が出るかもしれない。

 でも、カレナは病院の受付やナースステーションで名前を出しておらず、集中治療のエリアへ入り込んだ時に怒鳴られただけ。


 監視カメラを確認しても、それ以上の特定は難しい状況だ。

 世話になった墨田すみだ高校の生徒会メンバーが黙っていれば、確信を持たれることはない。




 夕飯では、叩き起こされたカレナが眠いままで、カレーを食べていた。

 その隣に座った澪は、横目で彼女を見ながら、食事を進めている。


 詳しくは聞いていないものの、娘の悩みごとが解決したと雰囲気から察した美月の両親は、気を遣った。

 早めに食事を済ませて、リビングの空間に移動する。


 まだ食卓に残っている美月の弟が、向かいに座っているカレナを見て、話しかける。


「あ、あのさ! 最近、面白い場所ができたんだよ! せっかくの夏休みだから、室矢さんも一緒にどうかな?」



 勇飛ゆうひには、学校で女子の友人もいるようだが。

 芸能人と並んでも負けないほどの美しさは、初めてらしい。

 慣れない敬語で話しかけるさまは、見ていて微笑ましい限り。

 でも、脈はなさそうね……。


 ぼんやりしたまま相槌を打つカレナを見て、美月は心の中で引導を渡した。


「はいはい! この子は疲れているから、勇飛もそこまでにしなさい!!」


 強引に会話を終わらせたことで、勇飛が姉の美月に噛みつく。


「ちょっ! 姉ちゃんには関係ないだろ!? 俺は今、室矢さんと話しているんだって! ……いたたた」


 聞き分けのない弟の耳を掴み、美月は無理やりに食卓から退場させた。

 抵抗も虚しく、姉という上位者に連行される勇飛。


 残ったカレナは、このカレー美味いのじゃ、と呟き、美月の母親にお代わりをもらった。

 付き添っている澪は、この件に私は必要だったのかしら? と疑問に思う。



『そーいうわけでさー。カレナちゃんは、義理のお兄様にベッタリ! ちなみに、その室矢くんには、金髪碧眼きんぱつへきがんのすっごい美少女が婚約者でいるよ! うちに通っている学生は、お金持ちばかりで。室矢くんも高級マンションに住んでいるから……。美月ちゃんの家族をけなすつもりはないけど、少しが悪いんじゃないかな?』


「事情は理解したわ……。教えてくれて、ありがとう」


 スマホの【通話中】に触った美月は、はあっと溜息を吐いた。


「勇飛に、勝ち目はないわね? 明日になったら、カレナたちは家に帰るのだし。そのうち、諦めるか……。それまでに、あいつが自分で連絡先を聞ければ……」


 弟とカレナの仲を取り持って、恋の橋渡しができれば。と考えていたが、やっぱり現実は甘くない。


 住所などの個人情報は、流石に教えてもらえなかった。

 だが、紫苑しおん学園の高等部で生徒会長をしている澤近さわちか葵菜あいなのおかげで、弟の想いは砕け散るのみ、と判明したのだ。


「夏休みだから、新しい出会いもあるでしょ……」


 室矢カレナに匹敵する美少女は、滅多に見つからない。


 その事実から目を背けた美月は、スマホを濡れないように棚へ置き、頭に巻きつけていたタオルを外し、ドライヤーを手に取った。

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