第175話 村で追い詰められた凪は自分の立場を知るー①

 手持ち無沙汰ぶさた北垣きたがきなぎは、整備された道に沿って歩く。


「露天風呂か! テレビの観光番組で見たけど、実際に入るのは初めて……」


 もう日が暮れたものの、人が行き来する範囲には最低限の文明の利器がある。

 灯りを辿って、露天風呂までの道を急ぐ。


 山に生息する虫たちが、所々ところどころの灯りにびっしりと張り付いている。

 夏休みの自由研究をしている場合でも、標本のサンプルに困らないだろう。


 凪の頭に、危機感は全くなかった。


 普段は男子禁制の敷地で、同じ演舞巫女えんぶみことの共同生活。

 純粋培養で、良くも悪くも人の悪意にうといのだ。

 外部のお役目ではサポートをする部隊がいて、余計なことを考える必要がない。


 第二次性徴を迎えて多少の性知識はあるのだが、頭で知っているのと実際に接するのは全く別の話だ。



「昼にご馳走してもらった食堂のオジサンからも、念押しされたし……。1回ぐらいは、入っておこう」


 もし周囲を注意深く観察していれば、いくら夜とはいえ、まるで様子をうかがうように静まりかえっていることを不審に思っただろう。

 昼にも、女と子供の姿が見えないことで、この村はおかしいと感じたに違いない。


 だが、凪は長時間の車での移動に、疲れ切っていた。

 6時間以上の睡眠を取り、翌朝になれば、この村の異常に気づくことが可能だろう。



 真夏の夜は、かなり蒸し暑い。

 凪も薄着で、半袖のTシャツに短パン。

 サンダルを引っかけ、地面をるように歩いている。


「あったあった! 風情ふぜいがあるなあ……」


 お目当ての施設を見つけた凪は、キャンプ場のロッジのような建物の扉を横にスライドさせた。

 ガラガラと開き、こっそりと中を覗き込む。

 もし先客で男がいたら、さすがに回れ右をして帰ろうと思っていたからだ。


「……誰もいない、よね?」


 無意識に息を止めていた凪は、ポツリと呟いた後に、長く息を吐いた。

 早足で室内に入って、扉を閉め、内側から鍵をかける。


 入ってすぐの場所は靴置き場も兼ねていて、横にふたのない靴箱がある。

 凪は少し高くなったフローリングに上がり、そこに履いていたサンダルを入れた。


 銭湯やスポーツジムの脱衣所を思わせる間取りだが、かなりの年季を感じる。

 椅子が置かれている洗面所は、2つ。

 衣類を入れる棚には、それぞれかごも入っていた。

 室内にトイレもあったが、床に積もったほこりや棚の汚れを見る限り、ドアを開ける気にならない。

 できれば、アパートの自室に帰ってから、用を足したいところだ。


「早く入っちゃおう! ここを独占するのは、他の人に悪いし……」


 薄いTシャツと短パンを脱いだら、あとは上のノンワイヤーのひもを外して、下をおろすだけ。

 透けにくいデザインの服を選んでいて、下着は白。

 モカなどの肌色に近いインナーのほうが目立たないものの、年配者がつけるイメージのせいで何となく抵抗感がある。



 脱衣所を見回した凪は、溜息を吐いた。


 アパートの自室に用意されていたバスタオル一式を持ってきたが、これだけ汚いとは思わなかった。


「あれ? ここら辺だけ、綺麗になっているよ?」


 なぜか清掃されていた棚があって、凪は首をかしげながらも、そこの籠に服を入れた。

 本当はきちんと畳むべきだが、面倒に感じて、ポイポイと服、下着の順番に放り込む。


 そして、露天風呂のある出口へと向かい、同じく扉を横に動かした。


「ひゃーっ! すごいすごい……」


 バスタオルで前を隠した凪は、外にあったサンダルを履き、ペタペタと歩く。

 天然のプラネタリウムが広がり、彼女が住んでいる止水学館しすいがっかんでもお目にかかれない、星の光による洪水。

 あまりに輝きすぎて、どれが星座なのか? も全く分からない。


 真上を向いていた凪は、首が痛くなってきたことから視線を戻し、温泉へ急ぐ。


 周囲は竹の柵で囲われ、見たところ、出入口はさっきの脱衣所だけ。

 雰囲気作りも兼ねた大石がふちに並んでいて、ここだけなら山への観光旅行。


 置きっぱなしのおけでかけ湯をした凪は、ようやく温泉にかる。

 思わず、ふーっと声が漏れた。


 実家で高級キャンピングカーに乗せられ、ここに到着した後に、1人で放り出されたのだ。

 まだ高校生に過ぎない女子には、気が休まる暇もない。


 凪は首まで浸かりながら、明日になれば止水学館か、桜技おうぎ流から連絡がくるかな? と思う。



「お前…………」

「兄貴こそ…………」

「いいから…………」


 人の話し声が近づいてきて、凪は温泉で薄れていた意識を戻す。


「え? ひ、人が来ちゃった……。急いで上がらないと!」


 自分が脱衣所の入口を施錠しているせいで、他の利用者は締め出し中。

 このままでは、怪異を倒して人々を救うどころか、大迷惑だ。


 身体を洗う前だったことで、凪は焦る。

 すぐに脱衣所へ戻り、残った分はアパートの狭い風呂で済ませるべきか?


 その迷いのせいで、彼らがもう近くまで来たことを察知できなかった。


「おー、良い眺めじゃん!」

「久しぶりに、生の女体を見たよ……」

「お前ら、俺が先だからな? 忘れるんじゃねーぞ?」


 すでに洗い場まで来ていたことから、畳んでおいたバスタオルとの間に立ち塞がっている状態だ。

 凪は仕方なく、温泉に肩まで浸かり直したが、このまま無制限に入っているわけにもいかない。

 お湯の温度だけではなく、羞恥心しゅうちしんでも顔が赤くなったまま、相手に聞こえるように話す。


「あのっ! 私、もう出ます!! 少し、外で待っていてもらえますか?」


 勇気を出して男たちに叫んだが、彼らはニヤニヤしたまま。

 3人のうち年長者らしき男は、まだ冷静に説明する。


「お嬢ちゃん……。悪いが、俺たちはこれ以上、待つ気はないぞ? というか、俺は良くても、こいつらが承知しないだろう」


 中年男の顔を見たら、昼食でお世話になった食堂の店主である簾藤すとう兄而けいじだ。

 そこまで理解が及んだ凪は、残りの2人が店主の息子たち、戟太郎げきたろう番二郎ばんじろうだと気づく。


 だが、今はそれどころではない。

 全裸のままで、男たちに囲まれているのだ。

 しかも、たった今、この場から退くつもりはないと、ハッキリ言われた。


 だんだんと怒りがまさっていき、凪は最後の警告をする。


「桜技流の演舞巫女として、警告するから! これ以上の狼藉ろうぜきは実力行使と、法律に基づく懲罰ちょうばつの対象だよ!?」


 予定よりも長く温泉に浸かっていることから、凪は早く上がりたかった。

 身体に覇力はりょくを流すも、加減しきれずに重傷を負わせてしまうことを恐れる。


 ところが、3人の男は全く怯まない。


「お前……。あれだけ食べまくって、そりゃねえだろ!?」

「先に料理を渡している以上、今更そんなショボい脅しをされてもね……」

「往生際が悪いぞ、嬢ちゃん?」


 どうも先ほどから、話が噛み合っていない。


 凪は困惑しながらも、言い返す。


「あのさ……。食事をおごってもらったのは助かったけど、そこまで言うのなら、後できちんと支払うよ! だから、早く出て行ってくれないかな? そろそろ、本気で怒るけど?」


 それを聞いた若い男2人はいきり立ち、凪のところへ駆け出しそうになる。

 だが、店主を務めている兄而は、自分たちの会話がすれ違っていることに気づき、片手を横に広げて息子たちを止めた。

 激怒しつつも、彼らは父親に従う。


 兄而は、中年らしい三段腹を晒しつつ、冷静に問いかける。


「お前、何様のつもりだ?」


 その発言に怒った凪は、すぐに主張する。


「だから、桜技流の演舞巫女と――」

「嬢ちゃん、お前はだ! あまり生意気なことを言っていると、その可愛いお顔がどうなっても知らんぞ?」


 凪は、食堂の店主である兄而の言い分に、眉をひそめた。


 村の新入り?

 この人は、いったい何を言っているの?

 だって、私は特別任務を受け、ここに来たわけで――


 納得した兄而は、1つずつ説明する。


「ああ、何も聞かされていないくちか! じゃあ、今までの暴言は水に流してやるよ……。お前は、桜技流の演舞巫女だと言ったな? それなら、御刀おかたなと巫女服みたいな装備はどうした? てめえらの商売道具だろ?」


 凪は、慌てて答える。


「そ、それは……。あ、明日にでも届けられる……と思うけど」


 言いながらも、凪は動揺していた。


 そういえば、どうして今回に限り、わざわざ自宅の前から現地まで送ってくれたのだろう?

 どうして、御刀と礼装を持たせてくれなかったのだろう。


 スマホを没収されたうえに、付き添ってくれた桜技流の人は何も言ってくれなかった。


 ――身体には、気をつけてね


 凪は、自宅から出る時に、母親からお守りをもらった。

 その言葉と雰囲気を思い出して、独白する。


「う、嘘……。嘘だよね? え? わ、私、捨てられたの?」


 熱い温泉に浸かって、外も蒸し暑いはずなのに、身体の芯が冷えていく。

 類稀たぐいまれな剣術の天才でも、まだ女子高生の凪は手足が震えるのを止められない。


 自分を構成している日常がいきなり崩れ、凪はその場で気絶しかけた。

 しかし、今ここで意識を失ったら、全てが終わるという本能の働きかけで、かろうじて踏みとどまる。

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