第174話 原作の惨劇と忌まわしい村への到着(後編)【凪side】

 拘束された北垣きたがきなぎは、とある場所へ送られる。


 貨物のような扱いで運ばれていく彼女は、千陣せんじん重遠しげとおのことを思っていたよりも優しい人だったな、と感じていた。


「重遠くんが詩央里しおりちゃんに酷い仕打ちをしたのは、間違いない。そのことで、詩央里ちゃんは重遠くんを恨んでいる……」


 ふとした折に、南乃みなみの詩央里しおりの身体に蚯蚓腫みみずばれのような傷跡があることを発見した。

 自分が受けたプレイの内容から判断するに、重遠がやったのだろう。


 2人に接してみた感想としては、いずれ詩央里は重遠を殺す可能性が高い。

 いつかは分からないけど、彼女の性格からして、必ず復讐を果たす。

 紫苑しおん学園で会っていた鍛治川かじかわ航基こうきは、恐らく、そのための協力者だ。


「私はなぜか、重遠くんに手加減されていたんだよね? 最初はけっこうハードだったけど、その後は意外に優しかった。可愛いところもあったし……。あんな高級マンションで、私をわざわざ1つの物件に住まわせてくれたのだから……」


 涙をこぼした北垣きたがきなぎは、小さな声で続ける。


「私は……。詩央里ちゃんの敵になれないよ……。かといって、あれだけ面倒を見てくれた重遠くんのことを恨めない。詩央里ちゃんの想い人である航基くんに、危害を加えるわけにもいかない」


 凪にとっては、詩央里と航基が恋仲であることが、最後のトドメになった。

 自分が幸せになることは、もう不可能だ。


「私はイレギュラーだった。元々、罪を償うべき人間……。きっと、この世界でもう居場所はない」


 だけど……。


 もしも…………。


 いつか、彼に再び会った時、私のことをまだ覚えていてくれたら。

 何でもない2人として、誰にはばかることなく、出会えたのなら……。



 キキーッとブレーキ音が響き、久々に貨物室からケージごと出された。

 案内人とおぼしき声が、凪に説明する。


「ここが、あなたの新しい故郷です。―――と言いまして……」



 原作の北垣凪は、大罪人だいざいにんだ。

 彼女には文字通り、救いのない未来が待ち受けている。

 しかし、これは別の世界線の話だ。


 特別任務と聞かされ、自宅から連れ出された北垣凪には、無関係のはず。

 まだ演舞巫女えんぶみこである彼女は、スヤスヤと眠っている。


 ・・・・・・・

 ・・・・・

 ・・・

 ・


 北垣凪は、高級キャンピングカーの寝台で目を覚ました。

 無意識にスマホを探すも、没収されていることに気づく。


 こっそりと窓の内側のカーテンを開いてみたら、早朝のようだ。


 ぶんぶんと頭を振った凪は、何か大事な夢を見ていたのに、と根拠のない考えを無視した。


「起きましたか?」


 同乗している菅原すがわら悠那ゆうなが、声をかけてきた。


 凪は、反射的に挨拶をする。


「お、おはようございます……」


「はい。そろそろ現地に到着しますので、下車する準備をお願いします」


 ニコリともせずに、悠那は淡々と告げてきた。



 今の時間軸は、凪が特別任務で出発した翌日だ。


 錬大路れんおおじみおは彼女から返事がないことを心配するも、室矢むろや重遠しげとおたちがいる紫苑学園の終業式に出向く前。



 ドアを開いた高級キャンピングカーから、車外に出た。


 凪はストレッチをしながら、周囲を観察する。


 朝霧によって湿り気のある空気と、様々な緑に囲まれた場所。

 どこかの山間部のようで、ビルディングに囲まれた都心部とは真逆の雰囲気だ。


「ここは――」

熱寒地ねっかんじ村」


 後から出てきた悠那が説明しようとしたタイミングで、ポツリと凪が呟く。

 夢で見たのか、それともテレビなどで記憶に残っていたのか、不思議と口から漏れた。


 そのことに驚く悠那だが、すぐに話を続ける。


「……はい、その通りです。ここが、あなたの新しい任務地となります」




「これだけ若い娘さんが、来てくれるとは……。うちの若い衆も大喜びです。感謝しますよ、菅原さん! 良かったら、あなたも今日ぐらい滞在されては? いくら上等でも、狭いキャンピングカーとなれば、ご不便もあったでしょう」


 村の中で一番立派な屋敷に、招かれる。

 そこでは、貫禄のある村長が歓待してくれた。


「いえ、お気持ちだけで……。私は、これで失礼します」


 スーツ姿の悠那は冷たく言い放ち、すぐに席を立った。

 釣られて立ち上がりかけた凪は、慌てたような村長の声に引き留められる。


「ああ、北垣さんは、こちらですよ! すでに住居も決めておりましてな!! まあ、ここまでの別嬪べっぴんさんだと分かれば、整理も必要になるでしょうが……」


 困惑した凪だが、立ち去ろうとしていた悠那に声をかける。


「あの! 私の御刀おかたなや装具は、いつ受け取れば? 友人に連絡したいので、スマホも返してもらえると嬉しいのですけど……」


 振り返った悠那は、凪に言い捨てる。


「……準備ができ次第、ご連絡いたします」


 言い終わるが早いか、桜技おうぎ流のエージェントである悠那は広間から立ち去った。




 凪は、横を流れる小川をりょうにしながら、罅割ひびわれたアスファルトの道路を歩く。


 やがて、一定間隔でドアが並ぶ集合住宅が見えてきた。

 学生や低所得者が住む、典型的な安アパートだ。

 2階建てで、正面にある外階段で上がれる。


「お前の家は、あそこの203号室だ。鍵を渡しておく……。水が出ないといった設備の不具合があったら、亀佳かめよし電器店に連絡しろ」


 案内役である寡黙な男が、簡単に説明した。

 年齢は20歳ぐらいで、影のある雰囲気。


 『村長』と呼ばれていた中年男は、先ほどの屋敷に残ったまま。


「ありがとうございます……。え、えっと?」


 鍵を受け取った凪のお礼を聞くこともなく、案内してきた男は来た道を戻り出す。


 戸惑った凪は、じっと男の背中を見つめた。


 立ち止まった男は振り向き、凪に声をかける。


「……なるべく、言う通りにしたほうがいいぞ?」


 何のことか分からず、混乱する凪。

 しかし、ダウナーな男に揶揄からかう様子はなく、むしろ心配しているようだった。


「あまり強情だと、うっかり殺すまで殴ってくる奴もいるからな……。ここの連中に、そういう頭はない。加えて、いったん始まれば、お前はずっとそのままだ」


 言い終わった男は、凪が話しかける間もなく、立ち去った。



 凪は太陽の位置と気温から、そろそろ、お昼の時間だ。と気づく。

 急いで自分の家に辿り着き、鍵を開けて、中に入った。


 壁にエアコンがあったので、真っ先に電源を入れる。

 ブオオッと仕事を始めた機械に対して、彼女はさっそく部屋を調べ始めた。


 ユニットバスは、トイレ一体型。

 凪はがっかりするも、ガスコンロ付きのキッチンがあるし、ワンルームとはいえ、仮の住居としては悪くない。と思い直した。


 気を利かせたのか、安物とはいえ家具家電が揃っていて、さらには生活必需品まで完備。


「私みたいな、外部から来る人のための宿泊施設かな? ここ、ホテルもなさそうだし……」


 今となっては珍しい、固定電話。

 傍に置いてある、村の案内図を見た。


 雑貨店1つ、食堂1つ、電器店1つ、露天風呂、消防団の倉庫、作業所、寄合所よりあいじょ、村長の屋敷。


「やっぱり、すごい田舎だなあ! 専門店があるとか、そういう次元じゃないや」


 歯医者、診療所は、ないんだね。


 そう思った凪だが、“過疎地域での医者不足” というニュースを見ていたので、不審には思わなかった。

 まだ調べていない冷蔵庫へ移動する。


 ガラッと開けたら、冷凍庫には色々な食品が詰まっていた。


 冷蔵庫にもジュースのペットボトルや、牛乳のパック。

 どれも未開封で、賞味期限にも余裕がある。


「んー、食べに行きたいけど……。私の財布、あの人に預けたままだよ」


 後払いで止水学館しすいがっかんあてにしてもらえば、いけるかな? と思う凪。


 パタパタと玄関で靴に履き替え、すぐに食堂へ出かける。




 蒸し暑い山間部ならではの気候に、凪はヘトヘトになった。

 高低差のある山道だから、余計に疲れる。


 “簾藤すとう食堂”


 ガラガラ


 出入口のドアを横に開け、凪は食堂の暖簾のれんくぐる。


「らっしゃ……」


 途中で黙った店主らしき男は、凪を見たまま、ポカンとした。

 机の上にある料理を食べている男たちも、椅子に座ったまま、彼女に注目している。


「あ、あのー。私、桜技流から派遣されてきた、演舞巫女の北垣凪ですが……」


 一斉に注目されたことで、さすがの凪も気後れした。

 しかし、何とか自己紹介をする。


 店主はいち早く復帰して、返事をする。


「お、おう……。と、とりあえず、適当な席に座れ」


「はい。えーと、私、今持ち合わせがなくて……」


 凪が正直に打ち明けると、急に騒がしくなってきた。


「俺が出すぞ!」

「いや、俺が出す!」

「黙れ! てめえは引っ込んでいろ!!」


 殺気だった男たちのののしり合いに、凪は恐怖を覚えた。



「うるせええええええ! 俺の店で騒ぐなら、てめえら、もう飯を食わせねえぞ!?」


 食堂の支配者の一喝で、店内に静寂が訪れた。


「この嬢ちゃんには、俺がおごる。文句はねーな?」


 じろりとにらむ店主に、どの客も首を引っ込めたまま、自分の食事に集中した。


 しかし、2人の若い男が異議を唱える。


「親父、それはないだろ?」

「僕たちも噛ませてよ」


 店主は、しぶしぶ認める。


「分かった分かった……。まあ、そういうわけだ、嬢ちゃん! 嫌なら、帰ってくれ」


 その言い方に違和感を覚えた凪だが、深く考えずに了承する。


「奢ってもらえるのなら、特に問題はないけど――」

「よっし! その分もサービスするから、心配するな! 戟太郎げきたろう番二郎ばんじろう、てめーらも厨房ちゅうぼうを手伝えや!!」


 へいへい、とぼやきながら、若い男2人もエプロンとバンダナキャップをつけて、厨房に入った。


 やがて、着席した凪の目の前に、ランチとは思えない豪華な料理が並ぶ。

 彼女は目をキラキラさせながら、次々に口へと運ぶ。


「美味しい! 美味しいよ!!」


 両腕を組んで、満足そうにうなずく店主の兄而けいじ


「そうだろう、そうだろう……。ところで、嬢ちゃん。ここで支払いに使える通貨が何か、知っているのか?」


「え?」


 間抜けな顔をした凪に、近くにいる戟太郎と番二郎が説明する。


「この村では、街のお金は使えねーぜ?」

「基本的に、物々交換さ」


 疑問で一杯になった凪だが、食事をすることに気を取られ、深くは追及しなかった。


「ま、ラッキーだったな。俺たち……」

「この村に、まさか女が来るとはね」


 戟太郎と番二郎の発言に、凪は腹を立てた。


「私は演舞巫女だから、だいたいの怪異はすぐに退治できるよ!」


 その言葉に、2人の若い男はニヤニヤするだけ。




 自宅に帰った凪は、部屋の中で倒れ込むように座った。


「うー、お腹いっぱい! さすがに、食べ過ぎた……」


 食堂では食べ切れなかったので、持ち帰り用の箱まで用意してもらった。


「夕飯は、外に行く必要はないかな?」


 これだけ親切にしてもらったのだから、お役目は頑張ろう! と思った凪は、桜技流から連絡が来るまで、ゆっくりすることに決めた。



 ◇ ◇ ◇



 山の夜は早く、まさに一瞬で日が暮れる。

 市街地では考えられない、たった数歩の先が見えない暗闇。


 バタバタバタとうるさい音が空に響き、地面の草木が風圧に揺れる。

 これから休もうと木の上で羽の中にくちばしを突っ込んでいた鳥たちは、その音や風に驚き、ただ怯えていた。


 低空で、上部のメインローターと尾部びぶの垂直安定板のテールローターを回転させている、ずんぐりした鳥がいた。

 前面はキャノピーになっていて、ゴーグル付のヘルメットをかぶった人間が2人座っている。


 そのうち1名は、頭に被ったバンドで支えられた双眼鏡のような物体を通し、外を確認していた。


 操縦士と副操縦士の席の後ろにあるキャビン。

 その側面にあるドアはすでに開放されていて、右と左に数本の太いロープが垂れた。


 コックピットとキャビンに向かってお礼を言った何者かは、そのロープに飛びつき、両足で挟み込み、同時に両手で握りながら、重力によってスルスルと落下していく。

 さらに、小さな影も2つ、同じように地面へ降り立つ。


 軍であれば、カラビナなどを使ったラぺリング降下の高さだが、彼らは難なく手足だけで地上へ。



 キャビンに残っていた人間が、降下用の太いロープを切り離した後に、側面のドアを閉めた。


 低空でホバリングしていたヘリは、すぐに高度を上げ、どこかへ去っていく。

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