第173話 原作の惨劇と忌まわしい村への到着(前編)【凪side】

 原作の【花月怪奇譚かげつかいきたん】の世界で生きている北垣きたがきなぎは、なまりのように重い身体で目覚めた。


 私、どこにいるのだろう?


 身体を動かそうとした凪は、拘束衣こうそくいによって両手を固められていることに気づいた。


 壁際にセットされた硬いベッドから起き上がり、周囲を見回す。


 すみに剥き出しのトイレが1つあるが、これでは用を足すときに丸見えだ。

 壁際には、洗面台と蛇口もある。

 四方を囲まれていて、出口らしきドアは閉まったまま。

 頑丈な鉄の扉で、内側には取っ手がない。

 立った時の目線の位置にスリット、下には少し大きめの開口部らしき部分が見える。

 どちらも閉じられていて、やはり外の様子は分からない。


「え? これって……」


 まるで、テレビドラマや映画で見た独房だ。


 凪がそう思った時に、ギイッと音を立ててドアが開いた。

 2名の帯刀した演舞巫女えんぶみこが入ってきて、後ろからスーツを着た女も続く。


 最後に入ってきた女が、話しかけてくる。


「北垣さん……。あなたは、ご自分が行ったことをどれだけ把握していますか?」


 冷静な声だが、とても友好的ではない。

 その様子に気圧されながらも、凪は答える。


「は、はい……。駅前の廃墟に巣くっている化け物を退治するために、突入したところまでは……。その後に気づいたら、ここにいて……」


 観察するように凪を眺めていた女は、すっと目をらし、考え込む。


 痛いほどの沈黙が続いたものの、やがて女が凪を見た。


「分かりました。では、最初から教えましょう」




「嘘……。嘘だよ! 私、そんなことをやっていない!!」


 凪は、思わず叫んだ。

 しかし、室内の3人の態度は変わらず、演舞巫女たちに至っては殺気すら。


「あなたがどう思っても、事実は変わりませんよ? 現実を受け入れなさい……。あなたの処遇は、桜技おうぎ流の会合で決められます。次に連絡するのは、あなたの処分が決まった時です」


 スーツの女は淡々と述べた後、護衛の2名を引き連れ、出て行った。


 閉じられたドアによって拒絶された凪は、ベッドに腰掛けながら、先ほど伝えられた情報を反芻はんすうする。



 水沢田みずさわだ駅の近くの繁華街で、市民10名を超える殺害、および傷害。

 駆けつけた交番の警官も4名が犠牲になり、応援で配置された狙撃手や重武装の警官ですら、対応に苦慮した。

 遠方からの狙撃を見切り、近距離の射撃も避けて、刀で弾くのでは、完全にお手上げだ。

 その結果、『特殊ケース対応専門部隊』の魔法師マギクスたちによって、無力化されることに……。


 さっきの女の話を信用する限りでは、凪は調査に向かったラブホの廃墟から出てきて、手当たり次第に襲いかかったそうだ。


絡新婦じょろうぐもと女子高生の悪霊が取りいていたって、急に言われても……」


 やってきた桜技流の人間は、凪が操られていたことを認めたが、それで無罪放免とはいかない。


 そもそも、演舞巫女の装具には、そういった事態に対処できるだけの能力がある。

 桜技流の上層部は、凪が血を求め、狂った振りをしていた可能性すら疑った。




 時間の流れすら分からないまま、凪は部屋に差し入れられる食事で命を長らえていた。

 ある日、面会と言われて、刑務所や拘置所にありそうなブースへ連れて行かれる。


 面会ブースは透明なアクリル板で仕切られた空間に、机と椅子があった。

 そのアクリル板には小さな穴が無数に開いているため、直接話せる設計だ。

 当然ながら、反対側には面会を希望した人物が待っている。


 そこには、凪と同じぐらいの女子がいた。

 肩にかかるぐらいの長さの黒髪に、茶色の瞳。

 ブレザーの制服を着ていて、いかにも男子に人気が出そうな美貌。


「私は、南乃みなみの詩央里しおりです……。北垣凪さんですね?」


「は、はい……。何の御用でしょうか?」


 普段の明るさが失われた凪は、卑屈な様子で訊ねる。


 詩央里は少しだけ躊躇ためらったが、すぐに話す。


「北垣さん、率直にお尋ねします。あなたは、そこから出たいですか?」



 詩央里の提案に同意した凪は、すぐに止水学館しすいがっかんの制服を返してもらい、独房から解放された。


「ありがとうございます! 詩央里ちゃんのおかげで、助かったよ!! あ、ごめん。け、敬語のほうがいいよね?」


 クスリと笑った詩央里は、返事をする。


「いえ、構いませんよ……。私に対しては、北垣さんの話しやすいように……」


「あ、あのさ……。じゃあ、私のことも、凪って呼んでもらっていいかな?」


「はい、分かりました。凪……」



「うわあ、すごいマンション! ほ、本当に、私、今日からここに住めるの?」


「ええ、そうですよ……」


 喜ぶ凪に対して、詩央里の顔には影が差していた。



「へえ、そいつがうわさの演舞巫女か……。チッ! もっと身体のいい奴が良かったのだがな……。まあ、いいや。すぐに準備させろ」


「はい、若さま……」


 初対面の男は、凪とほぼ同じ年代に見えた。

 挨拶をしようとした矢先で一方的にしゃべられて、話す間もなく詩央里に連れられる。


「あの、さっきの人は?」


千陣せんじん流の宗家である、千陣家のご長男にして次期後継者……。千陣重遠しげとおさまです。失礼のないよう、お願いいたします」




「痛い……。痛いよ……」


 ベッドの上でさめざめと泣く凪は、もう着られなくなった止水学館の制服の残骸を眺めた。

 まるで、自分の過去が全て破られたかのようだ。


 泣いている理由は、初体験で避けられないことだけではなく、体中の傷も大きく関係している。

 むちでやたらめったら叩かれ、時間が経つほどにズキズキと痛みが増してくる。


「でも、あの人に嫌われたら、私は……」


 気が狂いそうになる狭い空間へ戻り、また1人で過ごす。

 それだけは、嫌だ。




紫苑しおん学園に行ってみませんか? 若さまの許可を取りましたから……」


 千陣重遠に飼われてから、しばらく経った、ある日。

 凪は、詩央里から声をかけられた。


「私が行って、いいの?」


 うなずいた詩央里は、たまには気分転換をしてくださいと続けた。



「すごい……。私がいた止水学館とは、比べ物にならないや……」


 一流のデザイナーによる設計と、予算を気にしない設備のコラボ。

 垢抜あかぬけた都心で富裕層の子弟が通う紫苑学園は、凪にとって別世界だった。


 編入生として詩央里と同じクラスになり、久々の女子高生らしい時間を過ごす。

 政治的な理由から、凪の顔や名前は出回っておらず、普通の女の子として扱われた。



「俺は、鍛治川かじかわ航基こうきだ! よろしくな!!」


 特にイケメンというわけではないが、優しそうな男子から挨拶された。


 男子に免疫のない凪は、千陣重遠に開発された後だが、それでも普通に話すのは苦手だ。


「あ、どうも……」


 ペコリと頭を下げた凪は、コソコソとその場を後にした。


 しかし、その後にも何かにつけて話しかけられ、だんだんと心を開くようになってきた。


「あの人になら、相談できるかも……」


 凪がそう思いかけていた、ある日、衝撃的な光景を目にする。


 たまたま見つけた航基は、人目を避けるように詩央里と会っていたのだ。

 その様子は仲睦まじく、まるで恋人同士のようだった。



 自分の事情を打ち明けて、航基くんに助けてもらおう。


 そう考えていた凪は、隠れている物陰で壁にもたれかかり、空を見上げた。


「……詩央里ちゃんには、迷惑をかけられないよね」


 独白した凪は、気づかれないうちに自宅へ帰った。



「お前、本当にいいのか? ここだけの話だが、俺はお前のことを気に入っているんだぜ? 詩央里よりも、よっぽど可愛げがあるし……。もう少し飼ってもいいと思っていたんだけどな……」


 荒っぽい口調だが、千陣重遠は凪のことを惜しんでいた。

 かなり珍しい光景で、詩央里が見たら、目を丸くしただろう。


「申し訳ございません、ご主人様……。これ以上は、ご主人様にもご迷惑がかかると思いまして……」


 実際には、詩央里に迷惑をかけたくなかったのだが、バカ正直にそう言うわけにはいかない。


「はあっ……。いいか、凪? あそこに行けば、てめーは文字通りに道具として扱われる。さんざん鞭打っていた俺が言えた話じゃ、ねーけどよ……。マジで、人間扱いされないんだ……。ここと同じ生活をイメージしているのだったら、お門違いもいいとこ! 飯だってろくなものは出ないし、相手は10人を超えているから、壊れるまで突っ込まれるぞ? な、やめとけよ?」


 千陣重遠が必死に説得するも、凪は自分の意見を変えなかった。


「わーったよ! そこまで言うのだったら、お望み通りに送ってやる。まあ、てめーも、頑張ってくれたからな……」


 近くで控えていた召使いに指示を出した千陣重遠は、それっきり、自分の部屋に引っ込んだ。


 その後ろ姿を見送った凪は、両手で自分の服を握りしめながら、1つの決意を固めていた。

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