第172話 夜の探偵事務所で中年男と少女の密会

 ジャキッと解錠する音が響き、続いてキイッとドアが開く。

 姿を現したのは、冴えない風貌をした中年男だ。

 真夏用のスーツを着ているものの、その暑さからネクタイを緩めたままで、だらしない。

 右手で電気のスイッチをつけ、室内に入る。


 ドアを閉めたら、ガチャッと自動的に施錠される音が響く。


 中年男は出入口のドアの近くの壁に設置されたテンキーを押して、ピッピッピッと音を出す。

 ピーッと暗証番号が解除された音が流れ、ようやくホッとした顔に。


 スーツの上着をハンガーにかけて、手に持ったビジネスバッグを持ったまま、所長用のデスクに向かう。


 スイッチを入れたことで、業務用の冷房がゴオオッとうなりを上げている。

 しばらく無人だった空間を冷やすには、しばしの時間が必要だ。



「ふーっ、外は暑いねえ。いっそ氷河期でも来て、温暖化と相殺してくれないかな?」


 ボソボソと独り言をいった古浜こはま立樹たつきは、天井からの白い光に包まれた探偵事務所の中を歩く。

 道路に面した窓は、外のネオンの光を映し出して、夜なのに明るい。


 壁にかけた時計によれば、まだ夜8時。

 繁華街は、これからが本番だろう。


 自分の机にビジネスバッグを置いた立樹は、右手をズボンのベルトにつけている黒いウエストポーチの上部につけ、思い切り下げることで、バリッとマジックテープを外す。

 中で固定されている黒いグリップに、指をかけた。


 金属と厚手のナイロンがこすれる、ザッという音と同時に、振り向きながら両手で構える。

 グリップとは違う艶消つやけしの黒色に、短い銃身とレンコンのような丸い部分が特徴的なリボルバーだ。

 鉄芯入りのカールコードが、グリップの下からウエストポーチのほうに伸びている。



「誰だい?」


 応接セットがある奥の暗がりに銃口を向けた立樹は、リボルバーの先端の上にある大きな照星と後ろの照門でしっかりと狙いを付けたまま、じりじりとポジションを変えていく。


 敵を視認していないため、射撃訓練のように足を大きく広げ、腰を低く沈めた姿勢ではない。


 逃走経路として、後ろの窓、さっきのドアの2つを意識する。



「私だ、立樹。落ち着け……」


 暗がりから、両手を上げた室矢むろやカレナが歩み出てきた。


 トリガーの直前から指を離した立樹は、銃口を外す。

 右手の親指で起こしていたハンマーをゆっくりと戻した後に、グリップを握る右拳を包み込んでいた左手を離した。

 異常の有無をチェックしながら、リボルバーを慎重にウエストポーチへと仕舞う。


「セキュリティは、稼働していたはずだけどね? 入って即座に暗証番号を入力しなければ、警報が鳴るのに……。僕がこんな至近距離で尾行されて、全く気づかなかったとも考えにくいし」


 立樹は窓の外を意識しながら、発言した。


 それに対し、カレナは苦笑する。


「お主のチームに、迷惑はかけておらん。それよりも、立樹。首尾はどうじゃ?」


 溜息を吐いた立樹は、何事もなかったように、役員机の椅子に座り込んだ。


 ビジネスバッグのファスナーを開け、ガサガサと漁りつつ、ワイシャツの内側からUSBを取り出す。

 鍵付きの引き出しを開け、ノートパソコンに電源とマウスをつなぎ、カチッとUSBを差し込んだ。


 フィイインと控えめに立ち上がっていくノートパソコンに構わず、立樹は壁につけられている冷蔵庫から、泡が出る黄金色の缶を取ってくる。

 近くの棚で、ツマミも取り揃えた。


「……お主、良いのか?」


 心配そうに言ったカレナは、所員用のデスクから椅子を調達して、勝手に座った。


 プシュッと音を立てた缶を口に運びながら、ドサッと座り込んだ立樹が言う。


「正直、飲まないとやっていられないよ! 結論から言うけど、カレナちゃんから指示された情報は、あるだけさらってきた。その吟味ぎんみはこれから……」


 近くに寄せた椅子に座ったカレナは、立樹に問いかける。


「そちらのキャップは、納得したのか?」


「僕たちに求められているのは、結果だけ! まあ、そういうことさ……」


 椅子の上で子供のように両足を持ち上げたカレナは、それに応じる。


「何かあれば、お主が切り捨てられて、責任を押し付けられるわけか……。悪いようにはせんよ! それで、どうするつもりじゃ?」


 立樹は、アイコンが表示されたデスクトップ画面で、USBメモリからデータを呼び出す。


 “警察庁 警備局―――”


 よく見かけるマークと一緒に、文字が表示された。


 “識別番号をどうぞ”


 カタカタと英数字が入力され、*****が並んでいく。


 “パスワードを入力してください”


 同じくよどみない操作で、セキュリティを通る。

 カレナが見ていたら、立樹はさり気なくノートパソコンの一部を5本の指で触っていた。



 “ようこそ、古浜警―――”



 その表示の後に、フォルダが並んだウィンドウが表示される。


「いいのか? ここまで見せて……」


 カレナが問いかけたら、立樹はつぶやいた。


「時間がないんだろ? カレナちゃんは未来予知ができるようだから、それで情報を絞りたい。僕が持ってきた情報をどんどん流すから、気になる資料で声をかけてくれ」


 しばし、カチカチというクリック音や、ホイールを回す音が響く。




 1時間も過ぎる頃には、候補を絞れた。

 おかげで、ゆっくりと考えられる。


「この3点ね? 多いと見るべきか、少ないと見るべきか……」


 立樹は頭の後ろで腕を組んだまま、うなった。


 カレナは、結論だけ述べる。


「都心部は私とみおが担当して、田舎はマルグリットに行かせる! お主も知っているだろうが、重遠しげとお詩央里しおり千陣せんじん家で話し合いをするから手が離せん」


 驚いた顔になった立樹は、思わず質問をする。


「……澪ちゃんって、昼間の?」


「ああ、桜技おうぎ流の演舞巫女えんぶみこだ! 澪は、行方不明になった同じ演舞巫女のなぎを探しておる。どうやら、桜技流がどこかに処分したらしくてな……」


 真面目な顔つきになった立樹が、確認する。


「その凪ちゃんは、まだ生きているのかい?」


 うなずいたカレナは、静かに答える。


「3つ目のポイントが関係しているが、そちらは後回しだ。すでに手を打った……。凪が偽物の装備でめられたと仮定して、お主、その犯罪を暴いて立証できるか?」


 立樹は、ぐいぐいと缶を傾けながら、考え込む。


「女だけの聖域で行われた陰謀か……。即答はできないけど、確認してみるよ。期待しないで、待っていてちょうだい。……他には?」


 カレナは、即座に答える。


「マルグリットの身分ができないと、あやつが動けんのじゃ! 現地の所轄署への紹介と併せて、早くしろ」


 スケジュール用の手帳を開いた立樹は、ページをめくって、該当するページを確認した。


 カレナに向き直り、説明する。


「彼女は警察庁の近くの官舎に泊まっているはずだから……。明日の朝一に拾って、警察手帳と無線だけでも間に合わせる。魔法の発動体であるバレは、そちらで用意してね……。所轄への紹介もするけど、向こうでどう扱われるのかは、保証できないよ?」


 カレナは事もなげに、言い返す。


「構わん……。どっちみち、お主らが所轄によく思われることはないじゃろ?」


 不機嫌な顔になった立樹は、再び缶を口につけてから、話す。


「……言ってくれるね? まあ、そうだけどさ」


 用件が終わったカレナは、立樹に話しかける。


「そういえば、お主は拳銃を持ち歩いているのか……」


 ノートパソコンで資料に目を通しながら、立樹は答える。


「僕を狙ってくる輩が増えてきたし、最低限は身を守らないと……。前のラブホ探索のせいで、隠している意味がなくなった……。重遠くん達には、伝えるのかい?」


 カレナはしばし考えた後に、返事をする。


「お主のことを話すのは、諸々の面倒が片付いてからだ。今は、これ以上のプレッシャーをかけたくない」


 悔やむような顔の立樹が、カレナに確認する。


「重遠くんは大丈夫かい?」


「後遺症はないが、命の危機を感じた。立ち直るには、しばらくかかるのじゃ……。詩央里もな」


 カレナの返しに、黙り込む立樹。



 コツコツと足音を響かせたカレナは、再び応接セットがある暗がりへと向かう。


 立樹に背を向けたまま、独り言のように話す。


「猶予は、この事件が解決するまで……。悪いと思っているのなら、ここで挽回しろ。重遠たちが許すのと私が許すのは、別の話だからな?」


 暗闇に溶け込んだカレナの気配が、消えた。



「お酒を飲み、わざと正体を明かして、情報も出す……。さすがに、わざとらしいかな……」


 ぼやいた立樹は、飲み干したの空き缶をゴミ箱に投げ捨てる。

 そして、カレナから言われたことを果たすべく、ノートパソコンで指定された資料の精査と暗号化された通信を始めた。



 どうやら、日付が変わる前には寝られそうだ。


 普通にやっていたら二徹は覚悟だったので、立樹はホッとした。

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