第171話 澪のお願いによって新たな事件に巻き込まれる(後編)

 最寄駅から徒歩5分以内の、雑居ビル4F。

 その1フロアー貸し切りで営業しているのが、古浜こはま探偵事務所だ。


 応接セットに集まった俺たちは、オフィス用の衝立ついたてによって仕切られただけの空間で室矢むろやカレナに注目した。


みお。お主は止水学館しすいがっかんへ帰り、御刀おかたなと装備一式を持ち出せ! 指定した合流地点まで辿り着き、私たちに協力することが、なぎを救ってやる手付けだ……。お主が成功報酬として払う分は、また別だぞ? ただし、情報が入るまで多少の時間がある。詩央里しおり、ゲスト用の部屋を使わせてやれ」


 指示された錬大路れんおおじみお南乃みなみの詩央里しおりは、それぞれうなずいた。



 ずいぶんと、酷な条件を出したものだ。

 いくら特権がある演舞巫女えんぶみこはいえ、たかが一学生の立場で装備を持ち出すのは簡単なことではない。

 スパイであれば偽造書類や協力者を使う場面だが、品行方正に生きてきた澪にそのような真似ができるのか?


 カレナの言い方は、こちらからサポートをつける、という話ではない。


 しかしながら、未来予知ができるカレナのことだ。

 何か、考えがあるのだろう。


 そう考えていたら、当の本人がクルッと振り向き、俺の顔を見た。


重遠しげとお? お主は千陣せんじん家で生き延びることだけ考えろ……。この件はひとまず、私が預かるのじゃ! 詩央里も、それで良いな?」


 カレナの発言に対し、不満そうな顔をしていた詩央里が片手を上げ、了承の意を示した。

 猫又のルーナは立ち上がり、両方の前脚を伸ばす。


 ここは、カレナと詩央里の信頼関係が活きたか……。



 ◇ ◇ ◇



 時刻は、夜8時だ。

 義妹の室矢カレナは、そろそろ所長が戻ってくるのじゃ、と言い残して、再び出かけた。

 咲良さくらマルグリットはメッセージアプリで所長に呼ばれ、警察庁のほうで面接やらの手続き中。


 俺の自宅で夕飯に招かれた錬大路澪は、古浜探偵事務所からの帰り道でまとめて買ったデパ地下の高級弁当を上品に食べている。

 完全に猫となったルーナの前には、鶏ムネ肉を茹でて柔らかくしただけのメニュー。



「凪は、まさに剣術の天才だったわ! 誰が相手でも対等以上に戦っていた。それなのに、ラ……。は、廃墟に巣くっている悪霊や妖怪ごときに後れを取るなんて……」


 その合間に、澪はポツリポツリと話し出す。


 同じく高級弁当をつつきながら、俺たちは澪の話を聞く。



 南乃詩央里は、古浜探偵事務所にいた時よりも柔らかい物腰で、尋ねる。


「澪さんは、何を言いたいのですか? 凪さんだって、慣れない実戦であれば、出し抜かれることもあるでしょう?」


 澪は疑いを捨てきれぬ表情で、その根拠を述べる。


「私たち演舞巫女が扱う御刀には、守りの力もあるの……。その他に、お役目で着ている衣装にも術式があって、その程度のあやかしでは手を出せないはずなのに……」


 後ろめたい顔でつぶやいた澪を見るに、どうやら桜技おうぎ流の秘密らしい。


 だが、言われてみれば、変な話だ。


 原作によれば、北垣きたがきなぎは不世出の天才で、止水学館に入った直後から頭角を現したはず。

 油断をせず、装備がある状態なら、ヒロインの錬大路澪の言う通り。


「待て、澪……。その理屈で言うのなら、『凪が身に着けていた刀や衣装に問題があった』と考えるべきだ」


 俺の言葉に、澪は美しい紫色の目を見開いた。

 彼女はじっと俺の顔を見つめたまま、途切れるように口にする。


「そん……な。でも、そう考えれば、辻褄つじつまが合う……」


 ショックを受けている澪に対して、もう1つの疑問を投げかける。


「それに、いくら強くても単身で任務に就かせるのは変だ……。凪があのラブホの調査をする任務のメンバーについて、澪は分かるか?」


 目を伏せた澪は、震える声で返事をする。


「私は知らないわ……。そういった情報を閲覧できるのは、お役目に就く演舞巫女か、指導している師範代や隊長ぐらいよ」


 俺は容赦なく、澪に突きつける。


「刀などの装備を管理しているのは? 手に取れる立場にいるのは?」


「基本的に、本人と先生だけ。保管庫は、いつも施錠している。でも、一般の学校のように、頼まれて入ることもあるわ。刀匠といった職人は別の場所にいるから、彼らが出入りしていた場合は目立つはず」


 澪は、これまで信じていたものが崩れ去ったような雰囲気に。


 最後に、俺は質問する。


「凪が今回のお役目に就く際に、いつ、誰から装備を渡される? 仮に、すり替えられていたとして、本人が気づけるか?」


 何かに耐えるような表情で、澪はかろうじて返事をする。


「…………自分で用意するけど、他の人のものを触れる環境よ。凪は細かいことを気にしない性格だから、違和感があったとして、自覚できたかどうか」


 厄介だな。

 澪の言うことを信用するのなら、凪の刀と衣装は紛い物だった可能性が高い。

 しかも、その本人がどこかへ連れて行かれたうえ、その時の装備はもう確認できない。


 澪を慰めるべく、話しかける。


「まずは、凪と再会することが優先だ。俺から話を振っておいて悪いが、今のことは忘れてくれ! 部外者の勝手な憶測だ」


 震えたままの澪に、再び話す。


「絶対に助けるとは言わないが、俺たちも力になるさ……。明日からは忙しくなるだろうし、今日はもう休んでくれ。今回の件でどのように報酬を払ってもらうのか? は終わってから話す。いいな?」


 こっくりと頷いた澪は、俺の顔を見たまま、怒りや悲しみをごちゃ混ぜにしたような表情に。


「分かったわ。その……。ありがとう……。だけど、『あなたにもっと早く会えていれば』と考えてしまって……。ごめんなさい。今のあなたの態度に怒っているわけじゃないの。気にしないで……。でも、どうして凪を救ってくれなかったの? 私……。私、あなたのところへ来たのに! ねえ、どうじてよぉ!?」


 緊張感が途切れたせいか、澪は自分の感情を処理できないようだ。

 はらはらと涙を流し、声を詰まらせながら、慌てて説明をしてきたが、やがて俺への怒りに変わった。

 最後には言葉にもならず、ただ泣き続ける。


 今の澪には、ゆっくり休むことが必要だろう。

 こういう時の女に、理屈は通じない。

 受け入れて、共感してやるのみ。


 澪の顔を見ながら、優しく言う。


「最善を尽くす。だから、もう休んでくれ。明日から、その凪を助けるために忙しくなるぞ?」


 その言葉を聞いた澪は、泣き腫らした目でジッと俺を見つめた後に、こくんと頷いた。


 詩央里に、声をかける。


「あとは頼む……。どうした?」


 指で眉間を揉んでいた詩央里が、俺と澪を見比べながら、苛立った声音で返してくる。


「……何も。では、澪さんはこちらへ! ゲスト用に別の物件を確保しているから、ご案内します」



 ◇ ◇ ◇



「詩央里?」


 俺が話しかけたら、まだ不機嫌な南乃詩央里が応じる。


「何ですか?」


 怯まずに、用件を告げる。


「千陣家への訪問だが……。カレナが同行しないパターンも考えておくべきだと思うぞ? だから、夕花梨ゆかりと打ち合わせをしておきたい」


 ようやく冷静な顔に戻った詩央里が、考えながら話す。


「そうですね。澪さんに協力して凪さんを助けるのなら、カレナが抜ける可能性はあります。今、ゆかりんに電話をつなぎますね……あ!」


「え? ゆかりん? いや、それはいい……。とにかく、情報を集めたいんだ。頼む」


 詩央里が自分のスマホで電話をかけて、本人が出たところで変わってもらう。



『お兄様!』


 愛する妹である千陣せんじん夕花梨との、久々の会話。

 俺が直接話すと面倒になりかねないため、普段は自重しているのだが、今は緊急事態だ。


 ……決して、愛が重いから距離を置いているわけではない。


「夕花梨、久しぶりだな……。知っていると思うが、俺と詩央里はもうすぐ千陣家へ出向く。その際に、俺の式神であるカレナが抜ける可能性ができたんだ……。誰かに護衛を頼めないか?」


 お願いを聞いて、電話口の夕花梨はしばし考えた。


 その後、あっさりと答える。


『そちらに置いている睦月むつきたち3人ですが、一時的にお兄様の式神とします。どうせ、のでしょう? あとは、私が許可を出すだけ……。そろそろ交替のタイミングですから、東京には別の3人を出します』


 よし。

 これでカレナがいなくても、自分の身を守れるぞ!


 そう思っていたら、夕花梨が話しかけてくる。


『千陣家にお泊りの際に、私の部屋はどうでしょうか? せっかくですから、兄妹の語らいでも……』


「派閥争いをしているトップ同士が結託したと思われるだろう? 挨拶には行くが、必要以上の滞在はできない。それに、自分が寝泊まりする部屋と周りの安全確保も必要だ」


 俺の言い訳に、夕花梨は不貞腐ふてくされた。

 だが、忙しいからと受け流して、電話を切る。


 詩央里にスマホを返したが、彼女は怪訝けげんそうな顔だ。


「ところで、若さま……。睦月たちとパスが繋がっているとは、どういう意味で?」


 ふう、そこに気づくとは。

 さすがに、頭脳派だけはある……。


 俺は笑顔になって、詩央里に話しかける。


「それよりも、詩央里……。千陣家に行ったら、どうなるか分からないのだし……」


 サインを受けた詩央里は、メグに悪いですし、今日は客人がいますので。と言いながらも断らなかった。



 翌日の詩央里は、ジト目になりながらも、睦月たちのことを追求はせず。

 でも、千陣家から帰ってきたら、問い詰められるのだろうなあ……。


 まあ、夕花梨がいなければ、何とでも誤魔化せるだろう。

 ヨシッ!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る