第168話 「澪ルートのグッドエンド」という国が亡びる結末ー②

「全て、わたくしの責任ですー。それに、今更いまさらわたくしにけがれ――」

咲莉菜さりなさま!!」


 近衛このえ室永むろなが紫乃しのが、天沢あまさわ咲莉菜の発言をさえぎるように、叫んだ。


 両肩がわずかに跳ね上がった咲莉菜は、くちびるを噛み締めて、黙り込んだ。

 しかし、いつもの笑顔に戻り、紫乃たちに話しかける。


「紫乃、奈々子ななこ。わたくしは、いつもの陳情に参りますー。護衛をお願いできますかー?」


 それを聞いた2人は、即座に了承する。


 うなずいた咲莉菜は、錬大路れんおおじみおねぎらった後に、控えていた侍女を引き連れ、準備のために戻っていく。



 咲莉菜さまは、いつ見ても気高く、神秘的だ。


 彼女に見惚れていた澪は、壁を思い切り殴りつけた音にびっくりして、振り返る。

 そこには、こぶしを壁に叩きつけたまま慟哭どうこくする紫乃の姿があった。


「くそっ! あいつらは、咲莉菜さまを何だと思っているんだ!? 許されることなら――」

「やめなさい、紫乃! 今、彼らの支援を失ったら、私たちはすぐに干上がってしまいます。咲莉菜さまのためにも、早く×××を掃討するしかありませんわ」


 呆然とその様子を見ていた澪は、園城おんじょう奈々子ななこから、あなたはもう帰って休みなさい、とだけ言われ、その場を後にした。




 ×××の支配エリアとなった外周には、桜技おうぎ流の演舞巫女えんぶみこたちの街。

 失われた国土を取り戻すため、命懸けの献身を続けている人々の住まいだ。


 澪は、婚約者の鍛治川かじかわ航基こうきが待つ自宅に帰り、歓迎の声を聞く。


「お帰り、澪! 夕飯は作っておいたから!!」


「ただいま、航基……。ありがとう」


 温かく出迎えてくれた航基に対して、澪は浮かない顔だ。

 それでも、手洗いなどを済ませ、食卓につく。


「ねえ、航基……。私たち、いつになったら許されるのかな?」


 不安そうに言う澪に、航基は励ます。


「大丈夫だって! 残っている連中は雑魚ばかり! アップダウンの激しい地形とはいえ、皆で協力すれば、遠からず駆逐できるさ!! 今は様々な支援もあるから、前のように押し込まれる心配はないぜ!」


「……そうね」


 返事をしながらも、澪の心から疑いが晴れることはなかった。



 桜技流のトップである天沢咲莉菜は、×××を倒す決戦で、神降ろしの儀を行った。

 それに伴い、もはや人でありながらも、永遠に朽ちず、その姿を保つ、不老不死となったのだ。

 彼女の権能は強力で、かろうじて×××の中枢である北垣きたがきなぎを滅ぼせた。


 しかし、×××による被害は、日本の山岳地帯をまたぐ2県の壊滅。


 生き残りは周辺に散らばり、今でも県人会を通して、有形無形ゆうけいむけいの支援。

 故郷の復興を願って止まない住民の他に、陸上防衛軍の駐屯地や航空防衛軍の基地があった場所にいた面々も協力している。

 家族や戦友の仇を討つため、その多くが×××の残党狩りにいそしむ。


 たまに遠方で×××が発見されては、少数の犠牲者が出る事件が相次いでいる。

 その度に、肩身が狭くなる日々。


 もし……。


 もしも、この大災害が私たち桜技流の演舞巫女や刀鍛冶によるから始まったと知られたら……。


 そう考えて、ごくりとつばを呑み込んだ澪は、航基に心配された。


「本当に大丈夫か? 洗い物も俺がやっておくから、先に休んでくれ……。悩み事があったら、遠慮せずに言ってくれよ? 俺たちは、もう夫婦なのだから……」


 世間体を考えて、まだ正式な結婚式を挙げていないものの、かけがえのないパートナーだ。

 その航基に優しく言われた澪は、大丈夫よ、と微笑んだ。



 ゆっくりとお風呂に浸かって、一足早くにダブルベッドの片方に潜り込んだ澪は、眠るまでの物思いにふける。


 本当に国土を取り戻したいのなら、陸防を本格的に出動させて、短期間で制圧すればいい。

 だが、色々な理由をつけて、まだ健在の演舞巫女たちと、航基のような有志だけに任せている。


 この国の上層部が、真剣に国土の奪回を望んでいるとは思えない。

 そのくせ、戦線崩壊に追い込まれたら、適当な理由をつけて、陸防の主力部隊がやってくる。


 加えて、今日の咲莉菜さまの自虐じぎゃく的な態度と、その直後の紫乃さんの発言。

 まさかとは思うけど、私たちを生かさず殺さずで飼い慣らし、それを盾にとって咲莉菜さまを?


 そこまで辿り着いた澪だが、あまりのバカバカしさに考えるのをやめた。


 ×××に再び侵食される危険があるのに、現状のままに留めて、咲莉菜さまを慰み物にするのを良しとするわけがないわ。

 きっと、いつものように予算が足りないとかで、戦力の逐次投入になっているのよ。


 自己完結して、眠りにつく。




 澪が安らかな眠りについた頃、天沢咲莉菜は移転したやしろの本殿で、一糸まとわぬ姿のまま、笑顔を作った。


「お情けをいただき、感謝を申し上げるのでー」


 乱れた布団の上で正座したままお辞儀をする咲莉菜に、同じく裸の男が上機嫌に応じる。


「おお、やっぱり若いと違うな! 特に、お互いに裏切らない関係というのが良い……。ああ、頼まれていた物品はきちんと届けさせよう。なに、困った時はお互いさまだ……。ところで、この前に×××のせいで犠牲者を出した県警のお偉いさんが、ちょっと怒っていてねえ?」


 見るからに怯えた咲莉菜が、すぐに土下座をしながら応じる。


「申し訳ありませんー! できれば、よしなにお願いしたくー」


 ニコニコした男は、優しく言う。


「うんうん……。ただまあ、そのね……。強制はしないが、それなりに誠意を見せないと先方せんぽうも納得しないだろうから」


「分かっておりますー」



 1人だけになった咲莉菜は、まるで自分の身体を溶かすように、長風呂をした。

 手の平でお湯をすくって、流れ落ちる様子を眺める。


「わたくしは、いつまでー」


 咲耶さくや誓約せいやくを立てたことで、その身は永遠となった。

 一時的に権能を行使して、×××の中枢を滅ぼしたのだ。

 だが、それで円満解決とはならない。


 明確な戦犯である桜技流における、北垣凪をめた事実。

 彼女が×××の中枢となり果てた発端まで世間に公表されたら、流派の人間たちは今とは比べ物にならない怨嗟を浴びるだろう。

 それに、罪を償わなければいけないことは疑いようもなく、必然的にトップの咲莉菜がその身をやつすしかない。


 絶対に裏切れない立場で、恒常的に支援を必要としている人間が大勢いる。

 他にはあり得ない、少女から女に羽化する直前の美しい姿。


 それだけの条件が揃えば、こうなるのも時間の問題だったろう。

 看守と囚人の関係が続いた先には、弱いほうが一方的に従属するのみ。


「それでもー。わたくしは、桜技流の方々を守らなければなりません」


 気丈に言う咲莉菜だが、その両目からは、止めどなく涙があふれ続ける。


 いずれ老いて朽ちれば、男から相手にされない立場だ。

 しかし、咲莉菜は永遠。

 いつまでも、このような接待をすることしか、許されない。


 咲莉菜には、支援を絞られていることが、分かっている。

 けれども、逆らえない。

 それをしたが最後、北垣凪が市街地で大量虐殺をしたのは桜技流の不正が原因だと知られてしまう。

 懲罰としての異能者の村への移送で×××を目覚めさせたと、全てがつながるのだ。


 追い詰められた咲莉菜に残された道は、乏しい資源で×××を残らず滅ぼし、失われた2県を取り戻すことだけ。

 そうすれば、咲耶との誓約が果たされ、彼女は晴れて自由の身になるだろう。


 でも、支援している勢力は、それをさせないために、妨害工作もしている。



「辛いですー。辛いいいぃ……。嫌ですうううう。こんな生活、もう嫌ですー! お家に帰りたいいいいい!! お父様あああ、お母様あああ! 咲耶さまあああああ!!」


 人の身で永遠になった咲莉菜は、1人でお風呂に入っている時だけ、外見通りの年齢のように泣き続ける。


 誰にも相談できず、弱みを見せられない。

 死ぬどころか、老いることも許されず、美しい姿のままで……。


 そこに、原作の主人公の威光はない。

 航基は何も知らないまま、自分たちが勝ち取った希望だけを見て、愛する澪と一緒に、×××の生き残りとの戦いに挑む。


 【花月怪奇譚かげつかいきたん】は、鍛治川航基の物語。

 では紛れもない、澪ルートのだ。


 とはいえ、咲耶が自身の一部といえる咲莉菜の嘆きを聞いて、何も思わないわけではない。

 見えない存在に守られているとして、それがなくなったら、一体どうなるのか?


「ねえ、航基? 最近、御刀おかたなの切れ味が落ちていると、思うのだけど……。他の演舞巫女も、よく御刀が折れていて……」

「ああ……。俺も、霊力が思うように練れない気がする……。詩央里しおりのほうでも、同じような報告が多いようだ」



 はっきりしているのは、日本で桜の花が咲かなくなったことだけ。

 とある時期から、桜は春の象徴ではなくなった。

 付け加えれば、咲耶はとても顔が広い。


 そして、もう1つ。

 ×××の中枢は確かに滅びたが、他の個体が中枢になれないとは、誰も言っていない。


 時間を与えれば、新たな中枢が発生する可能性は、高まり続ける。

 ブレインがいれば、計画的に個体数を増やしていき、敵の攻撃や思考を深く分析することで対策を立てて、より周到に侵攻するだろう。

 たとえば、相手に悟られない地中侵攻による、大群での奇襲とか……。


 運が良ければ、航基は、その後の変化を知らずに済む。

 彼の子供、孫まで無事であるのかは、分からないが……。


 本当の恐怖とは、目に見えた時には手遅れなのだ。

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