第164話 とある少女の上京と体を張ったお願い(前編)【澪side】

 簡単な任務のはずだった。

 駅前の廃業したホテルで発生している事故の原因を探り、それを即座に滅する。


 桜技おうぎ流の演舞巫女えんぶみこで、御刀おかたなを預けられた私なら、1人でも大丈夫。


 ところが、相性の悪さ、いや相性が良すぎたのか。

 私は現場の一室にいた女子高生の悪霊に同調してしまい、かれた。


 次に気づいたら、病室だった……。


 手足をベッドに拘束されていて、千陣せんじん流と名乗った人から、自分が千陣流の上位の家の当主を殺しかけた。と聞く。


 事態を把握して、血の気が引いた。

 でも――



「きりーつ、礼! 咲耶さくやさまに、礼!!」


 教室の上に飾られた神棚。


 授業が終わったことを示す号令は、教壇きょうだんの先生とまつられている咲耶への2つ。

 後者では、教師も礼の姿勢をとる。


 ガヤガヤと騒がしくなった教室から、セーラー服の少女たちが出ていく。

 男子の姿はなく、女子校のようだ。


 真夏で、放課後になっても、まだまだ、日が高い。



 自分の苦い記憶を振り返った北垣きたがきなぎは、止水学館しすいがっかんの廊下を歩く。

 次は自主的な剣術の稽古だから、早く着替えと、場所取りをしなければならない。


 どこかの神社のような建築物が目につき、廊下では女子の行き来。


 けがれを知らない、純粋培養の少女たち。

 友人と一緒に歩いている姿が目立つものの、凪は1人だ。


 彼女は、止水学館の歴史で、類を見ない天才少女


 過去形であるのは、初めての退魔の任務に出向き、言い訳のできない惨敗をしたから。



「凪、大丈夫だったの?」


 早足で追いついた少女が、横から声をかけた。


 腰に届くぐらいの長い黒髪に、気の強そうな紫色の目。

 赤が強めで、美人な顔立ちにいろどりを添えている。


 凪は、近づきがたい雰囲気の少女に笑いかけた。


「ああ、みおちゃん……。学長に呼ばれて、『今後は注意してください』というお小言だけ」


 錬大路れんおおじ澪は、それを聞いて、不審に思う。


「それだけ?」


「えーと……。そういえば、私が襲いかかった被害者の家へ、謝りに行ったよ! 学長と担任の先生も、一緒にね」


 考え込んでいる澪は、一緒に歩きながら、に落ちない顔のまま。


「凪。その人には、許してもらえたの?」


「うん! すごく格好いい人で、思っていたよりも優しかったよ! 一緒にいた妹らしい女の子も美人だった! でも、その子、いきなり凄いことを言い出して……」


 顔を赤らめた凪に、澪は問い詰める。


「なにを?」


 若干モジモジしていた凪だが、澪の眼光に負けて、口を開く。


「え、えっとね……。その、私に『抱いてもらったら?』って……。わ、悪くはないと、思ったけどさ。会っていきなりは、流石に……」


 聞き捨てならない発言に、澪は凪の両肩を掴んだ。

 その場で立ち止まる、少女2人。


「凪、答えて! それは、誰から誰に言ったの? その時に、学長と担任はどういう反応をしたか、覚えている?」


 迫力のある質問に、凪は気圧けおされながらも、答える。


「えっと……。ひ、被害者の人は、室矢むろや家の当主である室矢むろや重遠しげとおくんで……。その妹さんとおぼしき女の子が、私に『抱いてもらえ』と言ってきてさ……。私が断ったら、学長と担任はそれについて何も言わず、『帰ります』の一言だった」


 深刻そうな顔をした澪は、改めて確認する。


「学長と担任は、あなたが誘われた時に。それは、間違いないの?」


「う、うん……」


 返事をしながら、どうしてここまで聞くのだろう? と不思議がる凪。

 いっぽう、澪は真剣な顔のまま、必死に考え込む。


「凪……。室矢くんがどこに住んでいるか、教えてちょうだい。それから、正確な漢字も! 覚えているだけでいいから!!」


「え? で、でも……」


 自分が大怪我を負わせて、ようやく許しをもらった相手だ。

 顔が良さそうだと聞き、興味を持ったのだろうか?


 そう思った凪だが、澪は思い詰めている表情。

 自分の知識を引っ張り出し、知っていることを教える。


「と、東京のディリース長鵜おさうだよ。室内の “室” に、弓矢の “矢” が名字だったと思う。名前は、重力の “重” と、遠近の “遠” かな?」


 うなずいた澪は、教えてくれた凪にお礼を言う。


「分かったわ」



 ◇ ◇ ◇



 錬大路澪は、外泊許可を取り、上京していた。


 高速鉄道の列車から降りた澪は、改札を出た。

 日本の中心的な主要駅のため、あらゆる種類の人間が集まっていて、普通の週末でも地元の祭りとは比較にならない人混みだ。


調布ちょうふのディリース長鵜まで、お願いします」

「はい」


 駅のタクシー乗り場で先頭の車両に乗り、運転手に目的地を告げる。

 メーターの始動と同時にエンジン音が響き、窓の外の視界はどんどん変わっていく。



「お客さん、着きましたよ? 4,560円です」

「……これで、お願いします」


 用意していた現金で運賃を支払い、タクシーの後部座席から降り、開けられた後部トランクから女性用のスーツケースを取り出す。

 車のトランクを閉じて、少し離れたら、ウィンカーを光らせたタクシーが出発した。


「ここに、室矢むろや重遠しげとおがいる……」


 澪が左腕の時計を見たら、午後3時。

 お金をケチらず、高速鉄道の始発とタクシーに乗ったおかげで、まだ余裕がある。


 彼女は自分を勇気づけるため、無意識に両手の指をこすり合わせた後に、動き出す。


 重厚感のある大理石の壁と外観を見ながら、よく手入れされている緑の木々もある車のロータリーに沿って回り込み、正面玄関から入った。

 小石を踏んでザリッと嫌な音を立てない、毎日の掃き掃除が行われている床は、水捌みずはけといった機能性からデザインまで考慮された一流の仕上がり。


 正面玄関は風防も兼ねている、二重の入口だ。

 幸いにも、他に行き来する住人や業者はおらず、澪の姿は目立っていない。


 ヒーリング系のBGMが小さく聞こえる来客用の空間で周囲を見回すと、少し奥に左右に開く自動ドアがあって、すぐ横に操作パネルを発見した。


 部屋番号を打ち込むためのテンキー、住人が見るためのインターホン用のカメラ、集音マイクも兼ねているスピーカー。

 よく見たら、カードキーをかざすための読み取り装置もあった。

 直上に小さなライトが設置されているため、ステージ上のように目立つ。


 オートロックの解除を兼ねた、各部屋の呼び出しね。


 そう思った澪は、操作パネル前に立ち、北垣凪から教えられた部屋番号を押す。

 呼び出し音が鳴り響くものの、それだけだ。



 ――数分後


 澪は近くのドアから郵便受けのスペースに入り、用意していた手紙を投函する。

 監視カメラで見られていることを意識して、すぐに立ち去った。




「では、こちらがお部屋のカードキーとなります。ご返却は、チェックアウト時にそちらのボックスへお願いいたします。お部屋のご利用で追加料金が発生した場合は、返却の前にあちらの精算機でお支払いください。では、ごゆっくり」


「ありがとう」


 ナビアプリの指示に従い、最寄り駅まで歩いた澪は、ビジネスホテルに飛び入りのチェックインをした。

 今はスマホで当日予約を簡単に取れるから、うっかり野宿になる心配はない。


 さっそく部屋にスーツケースを置き、買い出しへ。



 ザワザワと人通りが多い駅前を歩き、ふと忘れ物を思い出す。


「……そうね。アレを買っておかないと」


 凪の話では、室矢家に常備しているらしいが、いざ本番となってから不足では困る。



 ピンポーン

「らっしゃーせー!」


 駅前のコンビニは、最も理想的な立地の1つだ。

 フランチャイズ店でも、各店長の裁量で仕入れが変わる。


 入店した澪は、軽快なBGMが流れる狭い店内を歩き、お目当ての品物を探す。


「えっと……。ここね」


 原色の派手なパッケージが並ぶコーナーで、澪は立ち止まった。

 しかし、意外に種類が多く、どれを選んだらいいのか? で迷う。



 この数字は何?

 サイズ? サイズなんて、知るわけないでしょ?

 服のように、メジャーで測るの?


 材質?

 ゼリー? ジェルトップ? 潤滑?

 ストレート、こけし、リアル、粒々。


 いや、ゴム感が消える、ストロベリーの香りと言われても、困るのだけど……。


 荘厳そうごんやしろのような学び舎で暮らしてきた澪は、唐突に訪れた性教育の時間で悩む。

 同年代の男子とろくに話したこともない彼女にとって、少々ハードルが高い。


 0.01と0.03って、そんなに違うのかしら?

 mm単位なら、誤差のような気もするのに。


 澪がそう思っていたら、ピンポーンの音が鳴り響き、セーラー服の少女が駆け込んできた。

 息を切らしながら、すいません! と澪の前に割り込み、パッケージを1つ抜き出し、バタバタとレジに走っていく。


「1点で、490円です。袋――」

「いりません! 500円で!!」

「お釣り、10円です。あざっしたー」


 会計を済ませた少女は、肩口のセーラーカラーをなびかせながら、外へ走り去った。

 呆気にとられたまま、澪はその一部始終を見守る。


 ……よく分からないから、とりあえず高いのを買おう。


 店員に、どれがオススメですか? と聞くわけにもいかず、澪は比較的マイルドに描かれたパッケージを手に取り、レジに急いだ。


「1点で、790円です。袋、おつけしますか?」

「お願いします。1,000円で」


 男の店員だったが、駅前のコンビニではいつもの光景なのか、淡々と会計を進めた。

 中が見えない袋をカウンターの下から取り出し、手早く包装する。


「お釣り、210円です。あざっしたー」


 会計を済ませた店員は反対側のフライヤーに取り掛かり、ホットスナックの準備に入った。

 手際よくタイマーを設定した後、レジの点検を行っている。


 澪は、ついでに弁当も買っておけば良かったな、と思いつつ、店外へ出た。

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