第163話 彷徨うキューブは再会の日を待ち望む【カレナside】

 ――咲耶さくやが慌てて出かけた後


 室矢むろや重遠しげとおと別れた咲耶は、中の様子をうかがいながら、工房に入った。


「ハ、ハーイ! あなたの親友、咲耶が来たわよー」


 その声を聞いたあるじは、アップにしていた長い黒髪をそのままに、ゆっくりと振り向く。


 椅子に腰かけている少女は、咲耶を見て、作業をいったん中断した。

 青い瞳には疲れの色が見えており、非難する気配もある。


 室矢むろやカレナは、咲耶に話しかける。


「ほー。親友とは、私がよろしく頼んだ相手を切り刻むやからのことだったか……」


 焦った咲耶は、すぐに言い訳をする。


「や、やーね! ちゃんと鍛えているじゃない!! 今は、私の内弟子うちでしに交替したから……」


 実際、忙しい咲耶に無理を言って、重遠の修行をさせている。

 その引け目があるカレナは、追求を止めた。


 代わりに、確認したかったことを訊ねる。


「ところで、咲耶……。お主に頼んでいた件、ちゃんと間に合うのであろうな?」


 予想外だ、と言わんばかりの咲耶は、間抜けな声を漏らす。


「へ?」


 不安になったカレナは、真っ正面から咲耶を見つめながら、念押しをする。


「私が考案したデザインをけなしたのだ。相応のものを用意しなければ、承知せんぞ?」


 カレナの鋭い眼光でにらまれ、咲耶はたじろいだ。

 思わず、自分の考えをそのまま口にする。


「い、いや……。だって、いくら軽量化しても、西洋のよろいにあの武器は似合わないから! やるなら、ちゃんと和装にしなさいよ。……って!?」


 そこまでしゃべった咲耶は、呆然とした顔になる。

 口を開けたまま、絶句した。


 親友の顔を見たカレナが、反射的に聞く。


「お主……。まさか、忘れていたのではあるまいな?」


 見るからに動揺した咲耶は、必死に考えをまとめる。


「え、えーと……」


 良い考えを思いついた! という表情になった咲耶だが、カレナに釘を刺される。


「下界の呉服屋で適当に調達するとは、言わぬよな? 冠婚葬祭に着ていく衣装を探しているのとは、訳が違うのだぞ? お主が『用意する』と大見得おおみえを切ったから、私はこの作業だけに専念しているのじゃ」


 言おうとした台詞を潰された咲耶は、微妙に震えながら、許しを請う。


「あの、もう時間が……」


 笑顔になったカレナは、哀れみの視線で、咲耶を見た。


 親友だった女に、別れを告げる。


「短い付き合いだったな、咲耶? お主は、さぞ役に立つだろう……。せいぜい有効活用してやるから、安心しろ」


 カレナが右手の指をスッスッと動かすと、その軌跡で空間に裂け目ができては、波のように消えていく。


 それを見た咲耶は、危うく叫びそうになった。


 ほとんど泣きながら、大声で、承諾したむねを伝える。


「じょ、冗談よ! ちゃんと用意しているから!! と、当日を楽しみにしていなさいよ!」



 啖呵たんかを切った咲耶はそのまま、逃げるように、自分の家へ帰った。

 片っ端から、知り合いに連絡する。


「だ、だすけて゛! 根暗なロリっ子が……」




もとを守るための備え、と聞いたが?」

「打つのであれば、我を差し置くのはおかしいだろう」

「ちょうど暇だったから、やって来たぞ」


 伝言ゲームのせいで、話がとても大きくなった。


 女たちが顔を寄せ合っているかたわらで、集まってきた男たちは酒盛りを始めている。

 いつの間にか、これから地上で決戦が始まるぐらいのスケールに。


「咲耶さま。今から作り始めるのは無理ですから、これの手直しでも?」


 羽衣をまとっている女が、両手で衣装を持ちながら、咲耶に話しかけた。


「ええ。それで、お願い……」


 咲耶は呆けたような表情で、返事をした。


 うなずいた女は、他の女たちと作業に取り掛かる。



「絶対的な防具は、慢心を生む。やはり、動きを助けるべきでは?」

「うむ。盾は邪道だ。その軌道によって防ぎつつ、次の動きにつなげなくては……」

「咲耶、この甲冑かっちゅうはどうだ? そいつも喜ぶと思うぞ?」


 円座になって座り込んだ男たちは、それぞれに勝手なことを言い続ける。


「ありがたいけど、それを着たら甲冑剣術になるわよ!? 遠慮しておく」


 咲耶が答えたら、甲冑を持ってきた男が気落ちした。


 文化祭の準備のごとく、急に騒がしくなった我が家を見回した咲耶は、天井をあおぎながら、一言だけつぶやく。


「どうして、こうなったの…………」



 ◇ ◇ ◇



 それは、四角のキューブだった。

 普段は1辺60cmぐらいで、色は白銀。

 気分によって、大きさが変わる。


 いつの間にか、千陣せんじん家の屋敷に、存在していた。


 フワフワと、大人の目線よりも少し下の位置で、浮かび続ける。

 まるで宇宙空間にいるかのように、上下左右へ回転しながら……。


 千陣家を守護している部隊が捕獲を試みたが、どの式神の攻撃でも有効打にならず、反撃をしてくるわけでもない。


 自らの存在が希薄になったことを恐れて、急ぎ駆け込んでくる妖怪も多く、このキューブもその1つだろうと考えられた。



 何かを探しているらしく、いつも低空に浮かびながら、千陣家の敷地を隅から隅まで動いていた。


 口頭や仕草で、ここに入ってはいけないと教えたら、素直に従う。

 その際には、返事のつもりか、一時的に伸縮しながら、リンと鳴く。


 ところが、このキューブは誰の式神にもならない。

 面白がって実行する者もいたが、断られてばかりで、しまいには誰からもかえりみられない存在に。


 キューブは屋敷にいる全ての人間と妖怪に会い、しょげたように庭で置物になったり、瓦屋根かわらやねの上で日光浴をしたりする。

 安心できるのか、くらの中に入り、しばらく鎮座しているケースも。

 ネコに追いかけられた時は、敷地中を逃げ回っていた。


 このキューブは無害で、妖怪のエリアで静かに過ごしていることから、短期間だけいなくなっても不審に思われない。


 もし、この物体をずっと観察していた者がいたら、室矢重遠がちょうどベルス女学校へ行っていた時期に、千陣家の敷地から消えていたことに気づいただろう。


 そして、キューブは再び、どこかへ姿を消した。



 日本の妖怪には、いくつかの分類がある。

 人語を解している動物が代表的で、例えば南乃みなみの詩央里しおりの式神になっている猫又など。


 天狗てんぐ小豆洗あずきあらいのように、元々は人間だった者。

 それから、塗壁ぬりかべといった、無機物が動き出したパターンもある。


 千陣せんじん夕花梨ゆかりの下にいる睦月むつきたちも、人化しているが、本体は無機物だ。


 この分類に従えば、キューブは無機物。


 使役されるために人化することが多い状況で、かたくなに物体のまま、というのは珍しい。

 しかし、無機物のまま、という怪異には、強力なものが多いことも事実。

 人の血を求める妖刀ようとうのように、彼らは特定の目的の極みだ。


 桜技おうぎ流が千陣流を目のかたきにしているのは、御刀おかたな冒涜ぼうとくしている妖刀を使っているから。


 彼女たちにとって、それはあってはならない存在。



 妖刀には、常に狂気に呑まれる可能性がつきまとう。

 だが、使いこなせば、その力は強大だ。


 式神使いでありながらも、妖刀によって自身の戦闘力も高い。

 その実動部隊は千陣流の中核の1つで、やんごとなき方々が御所ごしょにおられる時代から武士に交じっていた。


 陰陽師おんみょうじの系譜である千陣流の中でも、かなりの異色。

 それこそが、南乃みなみのあきらが今代の隊長を務める、南乃隊だ。


 彼らはいずれかの妖刀が式神だから、振り抜くと見せかけて霊体化させ、また実体化させることも可能。

 武器の持ち込みができない空間にも、あっさりと出現させられる。


 御流儀ごりゅうぎにこだわる桜技流とは違い、千陣流は相手を倒すための剣術。

 巫術ふじゅつとは異なる術を使い、妖刀の特殊能力も駆使している。

 その在り方が彼女たちの神経を逆撫さかなでしていて、現場でかち合えば、殺し合いが始まりかねないほど険悪だ。


 ただし、桜技流が一方的に絡んでくるケースが多く、千陣流のほうでは、特にこだわっていない。



 南乃詩央里が千陣家の次期後継者だった重遠の嫁に選ばれた理由の1つが、妖刀を扱う部隊のトップの娘だから。


 期待された詩央里には剣術の才能がなく、両親は幼い娘に木刀で素振りをさせた時点で諦めた。

 けれども、霊力がほぼ皆無だった千陣重遠の伴侶としては、むしろ都合が良いと考えられたのだ。

 下手に本人が強ければ、重遠が自分の妻に何も言えなくなってしまうから……。


 詩央里は内政で才能を発揮したうえに、式神使いとしても平均以上の才能。

 宗家の妻には護衛がつくから、別に本人が強い必要はないのだ。

 それに、彼女は妖刀を自分の式神にしないため、桜技流にも角が立ちにくい。



 千陣家で食客しょっかくをしている妖怪もいれば、独自に動く室矢カレナと咲耶たちもいる。


 過去の思い出と対峙する時が迫っている、重遠と詩央里。

 新たな次期後継者を巡って派閥争いを続ける、千陣流の主だった人間たち。


 さらに、犬猿の仲である千陣流に大きな借りを作ってしまった、桜技流の面々。


 彼らがそれぞれの思惑で動く中、見えない脅威は静かに広がっていく。

 いつの世でも、一番の恐怖とは水面下で増殖していくものだ。


 とある少女の行動から、ついに物語が動き出す。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る