第91話 武芸十八般を尊ぶ槇島藩の少女たち(前編)

 彼女たちは、見ていた。


「それでは、お父様、お母様。行ってまいります」


「しっかり、やりなさい」

「体に気をつけなさいね、小春こはる


 他藩の大名へ輿入れをする姫は、まだ若い。

 これから、生まれ育った地元に二度と戻らず、新しい家で暮らすのだ。


 彼女に付き従うは、家族と共に新天地へ移り住む、わずかな腰元こしもとさむらいだけ。


 藩を治めている大名である親子3人は涙をこらえて、必死に平静を装う。

 多くの家臣を養っている彼らには、弱みを見せることすら、許されない。

 この会話が、彼らの今生こんじょうの別れになった。



「これを受け取りなさい、あや。私の父上、母上の形見です」

「ありがとうございます、お母様」


 槇島まきしま藩で母から娘へ受け継がれていく、人形たち。

 大名の正妻が持っていた品物だけに、職人による見事な作り。

 彼女たちは、その継承の儀を近くで見守っていた。



 やがて、人形たちはくらに収納された。

 自分で歩けるようになった彼女たちは、その狭い窓から外を眺めて暮らす。

 由緒正しい侍が各々の武を競う掛け声はなくなり、車のエンジン音が昼夜を問わずに響く。


 久々に重い錠前が外され、扉を開く音に、彼女たちは一斉に振り向く。


 そこには、複数の者にかしずかれる若い女。

 手入れの行き届いた、長い黒髪。

 琥珀こはく色の瞳が、彼女たちを眺めている。


 彼女たちは、トテトテと歩いて、その訪問者に近寄った。


「危険です。お下がりください」


 護衛と思しきスーツ姿の男たちが、ふところから御札を取り出し、あるいは印を結ぶことで備える。


「構いません。手出しは無用です」


 明るい瞳の少女が止めたことで、男たちはいったん、後ろへ下がった。


 彼女たちにとって、そのような態度が許される女は、1人しかいない。

 

「姫さまだ」

「姫さまが来てくれた」

「嬉しい」

「姫さま……」


 口々に話す彼女たちに、その少女はニッコリと微笑んだ。



 

 ザバアッ


 白い浴衣を着た2人の少女が、浴室で水垢離みずごりをしている。

 冷たい水で身体にぴったりと張り付くも、そこに淫靡いんびさは欠片もない。

 ひざまずき、両手を組んで、ただ集中する。


 濃い茶色で長い髪、優しげな紫の瞳をした少女がつぶやく。


「今日は、もと趨勢すうせいを決める一戦」


 もう1人の、薄い紫がかった髪で両側のもみ上げを伸ばしたボブヘアーの少女が、水色の瞳を閉じたまま、それに続く。


「我ら、苦難に際して、ひるまず」


 長い髪をした少女が、続ける。


くじけず」


 歌と返歌を繰り返すかのように、交互に唱和していく。


「その敵を討ち、人々を守り、槇島藩の名誉と土地を守る」

「我らが恐れるは、その命を失うことではない」

「千の時間、万の鍛錬、戦でつちかわれた武芸を発揮できぬことを憂う」


あるじに仕え、忠誠を捧げましょう」

「姫さまの健やかなる日々のため、己の力の限りを尽くす」


「「たとえ、数百、数千の悪鬼に囲まれようとも。その刃は、最期まで敵を向く」」



 両目を閉じていた2人の少女は、ゆっくりと立ち上がった。


 バッ


 彼女たちは、その白い浴衣を脱ぎ捨て、美しい裸身を晒す。

 水滴はたまとなって肌の上を流れ、その決意を示すように胸もツンと上を向く。


 まだ成長途中ともいえるラインだが、武芸の心得がある人物が見ていれば、年齢にそぐわぬ体捌たいさばきをしていることに気づいただろう。

 実際、この状態からでも、貫手ぬきてで槍のように相手を貫ける。


 新しい手ぬぐいで身体を拭いた2人は、それぞれに自分で着付けを始める。

 上下を身に着け、足袋たびを履き、まず肌襦袢はだじゅばん、次に長襦袢ながじゅばんへ……。


 ボブヘアーの少女はこだわりがあるのか、胸にサラシを巻いた。

 長髪の少女は、ノンワイヤーの可愛らしいブラだ。


 部屋の衣紋掛えもんがけは、2人の少女の性格を反映したカジュアル着物をスタンバイしている。


 どちらも、長いたもとはあるが両足は随分と動きやすく、ファッション性が高いデザインだ。

 若い女の子が夏場に遊びで着るか、その手のお店で出てきそうな開放感であるものの、2人の少女がまとうと凄みを感じられる。


 彼女たちは手慣れた感じで、胴体の中央に腰紐こしひもを結び、さらに帯を締めていく。

 一巻きごとに帯を引き締めていて、ここだけを見れば、正式な着物と比べても遜色そんしょくがない出来だ。

 端を口でくわえながら両脇にタスキを入れて、動きやすくする。



 底が厚い雪駄せったを履いた少女たちは、玄関のドアを開けて、外に出た。


「行きますよ?」

「うん……」


 少女たちは、カラコロと場違いな音を立てる雪駄で、ゆったりと歩いていく。


 “ベルス女学校 中等部 学生寮”

 そのプレートの上から、“取り壊しの予定。立入禁止” という張り紙がテープで留められている。


 その棟から道路へ出たが、周辺に人気はない。


 “コードD-1発令中。IDを提示しない者は、拘束または射殺する”

 “敷地外への移動は禁止。非戦闘員は、指定された場所で待機せよ!”


 各所にある電子ボードは、この敷地が全面戦争に入ったことを告げていた。


 2人の少女は、いきなり姿を消した。



 ――― 【6日目 午前中】 第二グラウンド


 第二グラウンドでは、急に現れた巨大な魔法陣から出現した化け物たちとの激戦が始まっていた。


 深海魚の群れという可愛さが残る連中ではなく、大型のサルや牛をスケールアップした化け物という、厄介極まりないラインナップだ。

 連中は全身のとげを一斉に発射してきたり、その破砕用のハンマーのような腕を振るったりして、周囲の女子を攻撃。


 この召喚儀式を行っている犯人は、ここを動物園にしたいらしい。



「タマちゃん、全体的に押されている!」

「南側はいったん退かないと、囲まれちゃう!」


 野外に設置した臨時の司令部では、2年主席の神子戸みことたまきが耳を塞ぎたくなるような報告を聞いていた。


 遅滞戦闘に入っていて、戦線は拡大する一方。

 突破されないように持ちこたえつつも、別の場所からの増援を待つしかない。


 それでも、昨日の室矢むろや重遠しげとおからのアドバイスによって、大急ぎでバリケードの準備をしたから、まだ耐えられている。

 

 魔法師マギクス用の装甲服をありったけ持ち出し、それらを着用した部隊が前線を維持していた。


 頭部を除いて、身体の全体を覆う簡易的なパワードスーツで、魔力のブーストも兼ねている。

 装着するだけで小一時間かかる代物で、股間にはトイレパックも。

 ただし、使用者の消耗が激しく、いかに犠牲者を出していくのか? の流れになってきた。


 能力があっても、命のやり取りをする実戦ですぐに戦えるとは限らない。

 一部の女子に負担がかかり過ぎていて、このままでは組織的な抵抗ができなくなる状況。



「制限が解除されても、僕の能力ではねえ……」


 すでに全力の戦闘を許可されているものの、環には広範囲を一気に殲滅せんめつする魔法や、突破力のある魔法がない。

 どれも平均的な能力だけに、こういった事態には、めっぽう弱いのだ。


「特定のポイントに湧く “異次元からの侵略者” と似ている気もするが、もっと無秩序で、かつ攻撃的だな? 何より、数が違いすぎる。物理的な攻撃が効くのが、せめてもの救いか……。それにしても、随分とこちらの得手不得手を読まれている感じもするね? 無線で聞く限りでは、月乃つきののほうも手こずっているようだし……。脇宮わきみや先輩や室矢むろやくんにご協力を願いたいが、あっちはそれこそ一番の激戦区で、手を離せないと」


 ぼやきながらも、そろそろ僕が前に出ないと、戦線が崩壊するな。と思う環。


 その時、無線ですっとんきょうな声が入ってきた。


『こちら、第三分隊! あ、あの! 着物の少女が敵に突っ込んでいるんだけど!?』


 は?


 環は思わず、疑問符だらけになったが、すぐに立て直す。


「僕は、現場に行く! あとは頼むよ!!」


「任せて、タマちゃん」


 自分の副官からの返事を聞いて、環は身体強化で飛んでいく。



「戻りなさい!」

「あなたがそこにいると、私たちが攻撃できなくなる!!」


 ザアアアアッ


 靴底がコンクリートの上を滑る音が、周囲に響く。


「状況は、どうなっているんだい?」


 加速から停止した環は、必死に呼びかける第三分隊に話しかけた。


「あ、タマちゃん! それがね、あの娘、すごいのよ……。ほら?」


 分隊長のマークをつけた戦闘服の女子が、第二グラウンドのはしを指差す。


 そこには、長い棒のような武器を両手で操る、和服の少女がいた。

 まるで自分の一部のように棒が振り回され、その度に周囲の敵が切り裂かれる。


 自分の身の丈の3倍もある巨体に怯まず、踊るように躱し、同時に攻撃していた。


 敵の手足を切ることを第一にしながらも、刃がある部分と反対側の石突いしづきを巧みに入れ替えている。

 これが組手や演武であれば、最低でも師範代の腕はあるだろう。


薙刀なぎなた? それも、かなりの腕だね。見たところ、中等部ぐらいか……。どこのクラスだい?」


 環の言葉に、分隊長は肩をすくめた。


「聞いたけど、言いたくないようで……。こちらを攻撃する素振りがないから、私の判断で様子見をしていたわけ。あー、でも、名前らしき単語は言っていたよ」


 分隊長とは別の女子が、その先を言う。


「うん! 確か、如月きさらぎって……」


 小隊長の環は、話を聞きながら、その如月という少女を観察した。

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