次なる陰謀

 話は少し巻き戻る。


 ビーツアンナ王国王都エクセンシア


 エンティーナが帝都へ旅立った翌朝。この日、フレイム第2王子の謹慎が解かれていた。

 ”霧の帝国”を名乗る組織の脅迫により、サマンサ・ドーリエが王子を唆し、エンティーナとの婚約破棄まで至った事件。

 黒幕が”霧の組織”という謎に包まれた組織であることと、サマンサが伯爵家を追放されたこと。以上ふたつの理由から、フレイム王子は表向きお咎め無しとして事件は収束した。

 だが実際は、今回の件でフレイム王子の名前は地に堕ちた。この先、良家との縁談は難しく、たとえ長兄に不幸が会ったとしても、貴族や民衆の支持を失った彼が王位を継ぐことはほぼ有り得ない。

 事実上の終焉。それがフレイム王子を見る周囲の眼である。


 謹慎を解かれた王子は、その足でサマンサが暮らしていたドーリエ伯爵の屋敷へと向かった。馬車も使わず一心不乱に走る。

 きっと、サマンサは不安に思っているだろう。謎の組織の陰謀に巻き込まれ、あらぬ疑いをかけられ家を追放、そのうえ父親まで失ってしまった。悲しみに明け暮れ、涙を流す日々を過ごしているに違いない。

 見慣れた道を駆ける。彼女を送り届けるために何度も通った道だ。馬車の中で握った手の柔らかさが、その温もりが、まだ右手にしっかりと残っている。


 王子はサマンサのことを信じていた。陰謀渦巻く事件にあって、彼女と築いた絆だけは本物であったと……。


 サマンサは非常に優秀な人間だった。家族を脅されて、仕方なく王子に近づいた。

 心にもないお世辞やちょっとした仕草、控えめで恥ずかしがり屋な性格。それでいてたまに身体に触れる手が、隠した想いを秘めているのではないかと勘違いをさせた。サマンサは、王子の好みに合う人格を完璧に作り上げたのだ。

 そして何より、王子からエンティーナに向けられた嫉妬を上手く利用した。親が決めた婚約者でありながら、エンティーナはフレイム王子よりも優れていた。成績も、剣の腕も、魔法も、人望も何もかも。

 そのコンプレックスをサマンサは見事に埋め、王子の心を虜にした。甘い言葉と、傷ついた心を包み込む母性が王子の心をがっちりと掴んだ。

 しかし、あまりに上手くやり過ぎたのだ。

 真相を全て聞いたにも関わらず、未だに王子の心はサマンサを信じて疑わなかった。


 ようやくたどり着いたサマンサの家。門が閉ざされている。牢獄のような固い鉄の門を開くと、錆びた金属が擦れ合う不快な音が響いた。

 屋敷の扉には一枚の看板が掛けられていた。


【空き家】

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住所:東区サンフープ通り26ー3


 乱暴に扉を開け、中に踏み入る。何もないガランとした空間。一切の家具が運び出され、人が住んでいる気配は無くなっていた。床や柱に残る小さな傷跡だけが、かつて誰かが住んでいたという印となっている。

 震える足取りで2階まで上がる。以前、奥の1番左が自分の部屋だと話していた。

 もちろんその部屋には何もない。


 王子の手の中から、サマンサという女性は離れていってしまった。

 激しい虚無感が襲いかかる。今にも泣き出しそうだ。サマンサのいない人生に何の意味があるのだろうか。伯爵家を追放されたサマンサのこれからの人生を思うと、胸が張り裂けそうだ。


「おやおやフレイム王子。何か悲しいことでもございましたか?」


 不意に声がかかる。驚いて振り向くと、黒い髪の女性が立っていた。

 派手な化粧に、フードのついた黒いシンプルなコートが妙なギャップを生み出していた。同じ女性でありながら、清楚で可憐なサマンサとは全く違う、意地汚く貞操観念に欠けそうな売春婦のような女だと王子は思った。


「何用だ。ここは気軽に立ち入って良い場所ではない」


 王子の中から怒りが湧き上がってきた。この場所はサマンサが暮らした神聖な場所である。そこへズカズカと踏み入るとは、天使のような彼女への冒涜である。


「サマンサ・ドーリエ。彼女がどこへ行ったか気になりませんか?」

「知っているのか!?」


 驚きの情報が入った。足取りを追うことができれば、彼女を救い出す事ができる。


「もちろん。私はこの家の使用人だった女の娘ですから」

「なんと!そういえば、ここの使用人も黒い髪をしていたな」


 当然、女の言うことは嘘っぱちである。


「サマンサ様は今、帝都に向かっています」

「帝都?何故だ」

「エンティーナ・アル・ヴィエント」


 聞きたくもない名前が出る。その名前を聞くだけで怒りがこみ上げてくる。


「嫌な名前だ!私とサマンサの仲を引き裂こうとしただけでなく、彼女の父親まで手にかけよって!」

「そうでしょう。サマンサ様も大変憤っておりました」

「当然だ。サマンサもあの女のことは恨んでいるだろう」

「もちろんです。しかし、サマンサ様は現在、そのエンティーナの元にいます」

「なんだと!?」

「奴がサマンサ様を使用人として無理矢理連れて行ってしまったのです」


 王子の身を人生最大の衝撃が襲う。

 言葉を失って呆然とする王子に、謎の女がさらなる衝撃をもたらす。


「今やサマンサ様はエンティーナの奴隷も同然。父の仇の人間にこき使われ、凄惨な日々をお過ごしでしょう」

「許せんエンティーナ!勇者としての矜持を捨てたか!」

「このままではサマンサ様のお命も危ういのです。王子、どうかお助けください」


 そう言って謎の女は膝をつく。その姿に王子は感銘を受けた。初めは糞みたいな女が出てきたと思ったが、主人思いの良い人物ではないか。


「わかった。しかしエンティーナはクロウアリスに入学したはず。今年は勇者の子供が4人も集めっているとか。救出作戦には綿密な計画が必要だな」

「それなら良いモノがございます」

「何だ。申してみよ」


 そうして謎の女は王子に秘策を授けた……。


 翌日、王子は城を抜け出し、ひとり帝都へと向かった。

 もはや、謹慎中の抜け殻のような死んだ顔をしていなかった。王子の中の失われた心は、エンティーナへの憎しみで満たされていた。

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