第八話 鬼が泣いた日。


 その日。

 神皇国ドロメオの各地で、複数の迷宮が同時に魔物の氾濫スタンピードを起こした。


 溢れた魔物は多種多様。

 それぞれの迷宮で湧く魔物が一気に地上へと溢れ出し、ドロメオの中心を目指して駆け出した。


 氾濫を起こした迷宮は七つ。


 内二つの氾濫は他とは違い北東の国境を目指していたが、残り五つの迷宮から沸いた魔物達は、ドロメオの首都【神都サンタフォビエ】の方角に向け突き進んだ。


 民は混乱し、泣き、叫んだ。

 彼等が奉じる神に祈りを捧げ、家々に閉じこもり、身を寄せ合った。


 中には、神都を目指して走る家族まで居た。


 兵士達は混乱し、恐れ、叫んだ。

 信じていた筈の神に悪態を零しながら、武器を手に魔物達に立ち向かった。


 中には、神都を目指して逃げ出す者も居た。


 決まった所属を持たない冒険者達は都市の防衛に参加させられるも、早々に武器を持たなければ襲われない事に気付き、命を守る行動を取った。

 そして自身らの経験から魔物達が民を狙っていない事を見抜き、民を家々に押し込み下手に動かさないことに終始した。




 溢れた魔物達は、その猛威と絶望を国内各所に振り撒いていた。


 あたかも見せ付けるかのように、都市や街、町や村などの人間の集落に迫り、其処を守ろうと向かって来る兵士達を飲み込み、そして家屋の間を、都市の外壁周りを通り過ぎて行く。


 まるで、護りなど意味が無いと嘲笑うかのように。


 魔物の津波は刻一刻と、国の中央――神都サンタフォビエに向かって、その爪と牙を、雄叫びを、近付けさせていた。




〜 神皇国ドロメオ 神都サンタフォビエ 〜



 ドロメオの首都となる都市【神都サンタフォビエ】の上空で、俺は配下たちに中継させている各地の様子を、吐き気を堪えながら見詰めていた。

 木製の中型規模ほどの船を浮かべ、地上から認識されないよう空に溶け込む結界を張り、滞空していた。


 家族たちや、ドロメオ国内の各所に散らせたメイドたちも一緒である。


 この同時多発スタンピードに対して、ドロメオが取りうる対抗策は、俺が考え付く限りでは三つ。


 一つ、神都の守護に残っている総戦力を以て、迎撃する。


 一つ、ドロメオが……いや、メイデナ教会が保有するダンジョン【悠久の方舟】の権能を用いて、迎撃する。


 そしてもう一つ。


 ダンジョン【悠久の方舟】とパスを繋いでいるであろう、北の大陸から援軍を呼び寄せ、迎撃に当たる。


 一つ目は兎も角として、二つ目と三つ目の手段に対しては警戒が必要だ。


 魔物達には、神都そのものではなくて【悠久の方舟】を狙わせている。


 メイデナ教会の権力や財力の根幹となっているダンジョンを、潰す。

 また過去に何が有り、どうやってかは知らないが繋がっている、北の大陸とのパスを切る。

 そのために大量の魔物達を突入させ、それに紛れて侵入しようという作戦だ。


 そんな訳で、こうして都市上空で待機している……のだけど。


「作戦は順調……だけど、とても素直には喜べないな。」


 目の前に浮かぶ複数のウィンドウには、各地での魔物達の快進撃が映し出されている。


 逃げ惑う人々、泣き叫ぶ子供、抵抗虚しく噛み砕かれ、撥ね飛ばされ、踏み潰される兵士達。


 今まではかどわかされた人や囚われた人を救けるために、盗賊やならず者など、明確な犯罪者と敵対し打ち倒してきた。

 その過程で、奪ってしまった命も多少は在った。


 しかし今回俺は、広義には世界のためとはいえ、己にとって都合の悪い相手を、敵とはいえほぼ一方的に蹂躙し殺害している。


 明確に、俺の意思で。


「マスター。ご無理をなさらず、動きがあるまで休息を取られては如何ですか?」


 きっと俺は、酷い顔をしていたんだろう。

 アネモネが気を遣って、そう声を掛けてくれる。


 同時に差し出されたコップを受け取って、中の水を一息に飲み干す。


 やけに、喉が乾くんだよ。

 思わず深く息を吐き出し、改めて映像へと向き直る。


「せっかく気を遣ってくれたのに、ごめんよ。でもこれは、こればっかりは、目を背ける訳にはいかないんだ。」


 今も尚、俺の命令で奪われていく命を見詰める。


 この世界に来て最初に奪った命は、惑わしの森のゴブリンだったか。

 いきなりの実戦で二百匹ものゴブリン達と、立て続けに戦ったっけ。


 戦っている最中はとにかく必死で、自分が命を奪った事を自覚したのはその後の解体の時だったな。

 死んでも尚血を吐き出す傷口や、刃物が皮膚を裂き肉を断つ感覚に、何度も胃の中身を戻した。


 現在いまは、あの時とは違う。


 俺の手は直接下していないし、まだ遠い地の出来事だから、血の匂いもしなければ、直接怒号も悲鳴も聴こえはしない。


 だというのに。

 込み上げてくるのは、あの時以上の不快感。


 そうだとも。

 彼等を殺しているのは魔物でも、そうさせているのは俺の命令殺意なのだから。


 だからこそ、俺は彼等の死を受け止めねばならない。


 そう思い、食い入るように画面を見詰めていると、突然に。

 俺の右頬に、そして身体に、衝撃が走った。


 何が起きたのか咄嗟には理解できなかったが、周囲を見回し、甲板の隅に転がされている自身を確認し、そこまでしてようやく、俺は殴り飛ばされたのだと気付いた。


 右の頬に鈍い痛みが残っている。


「何度言わせれば気が済むのじゃ、主様よ。」


 そうだろうな。

 俺の家族でそんなことをするのは、お前しか居ないよな。


「何がだ、シュラ?」


 熱を持ったままの頬を手で押さえながら立ち上がり、俺を殴った姿勢のままのシュラに向き直る。


 彼女は、明らかに怒っていた。

 そして彼女の、主を殴るという行為を誰も止めずに、現在も尚静観しているという事は……みんな同じ気持ちって事か。


「儂らは、一体何なのじゃ? お主の道具か? ただの下僕か? 唯唯諾諾いいだくだくとお主の命令に従う、ただの脳無しの人形か?」


 その言葉は静かだったけど、その反面どうしようもない怒りを湛えているように感じる。


「何のために自我を与えたのじゃ? 何のために知能を授けたのじゃ!? 自ら考え、物事を断じ、主様を支え時には諌めるためじゃろう!? それが何じゃ!? 肝心なところは何もかも主様独りで抱え込みよって!! 儂らの共に歩むという言葉は、主様の心には届いておらなんだのかッ!!??」


 シュラの言葉が、心が、深く胸に突き刺さる。


 気付けばシュラは、ポロポロと涙を零していた。

 その顔は酷く悲しそうで、悔しそうで。


「儂らは主様の家族なのではないのか!? 家族とは、主様の苦しみを共に背負うことすら出来ぬ、そんなしょうもないモノなのか……ッ!?」


「マナカ様を殴ったことは兎も角、アザミも同意見です。」


「あっしも、今度ばかりはシュラの姉御に付きやすぜ。」


「吾を孤独から救ってくれた貴様殿が、自ら孤独を選んでどうするのであるか。ちぃと頭を冷やすのである。」


 涙を流すシュラの傍らに立って、俺の仲間たちが、言葉を投げ掛けてくる。

 それらの言葉は、ただ静かに、俺の胸を叩いた。


「マスター。マスターの選ばれた路を、私達は共に歩むと言いましたね。それは最早、マスターお独りの路ではないのですよ? 私達家族が、歩む路です。」


 シュラの未だに力が込められ震えている手をそっと両手で包み込み、俺に視線を向けるアネモネ。


「共に、分かち合いましょう。人を殺めた事実も、その嫌悪も、罪ですらも。これは、為した事なのです。


 そして今大切なのは、この仮称【邪神】の企みによって起こされた無価値な戦争を、一刻も早く終結させる事ではないのですか? 更なる混乱を呼び込みかねないダンジョンを、制圧する事ではないのですか?


 ならば今は前を向き、全て終えてから、皆で贖罪を致しましょう。


 国のことは国に任せて、私達は親を亡くした子を救けましょう。道端で俯く人に施しましょう。これまでよりも、より多くの笑顔のために、世界各地へ赴きましょう。」


 その言葉は決して、俺を責めはしなかった。


 俺に向き直ったアネモネが、その金色の髪を風に揺らして。

 涙を流すシュラが、目を瞑り会釈を寄越すアザミが、刀の鍔を鳴らし不敵に笑うイチが、腕を組んで頷きを繰り返すグラスが。


 俺の家族が、俺の事を真っ直ぐに視ている。


「主様や儂らが表立って動けぬ以上、今回のこの策は最良のものじゃ。ただ一手にて、この国もメイデナ教会とやらも押さえ込み、叩き伏せることが出来る最高の策じゃ。儂はそう思うておるのじゃ。」


 腕で涙を拭って、シュラが強い瞳で俺を見詰めてくる。


「じゃから、独りで抱え込まんでくれ。儂らも賛同し、背を押したのじゃから。頼むから、儂らのことを頼ってくれ……!」


 ……本当に、嫌になる。

 どこまでも身勝手で、傲慢で、独り善がりな自分の性根に。


 俺のことを一番に考え、励まし、喝を入れ支えてくれる仲間が……家族が。

 こんなにも、傍に居るというのに。


「みんな……ごめん。ダメだな俺は。頭が悪いのにグチグチ悩んで。踏み出したのにクヨクヨ足踏みして。」


 頭を切り替えろ。

 最善を尽くすために、最良の結果を得るために。


「俺は俺の出来ることをする。邪神から、理不尽から俺たちの生きる世界を護る。未来で人に魔王と呼ばれようと知ったことか。だから、みんな。」


 みんなの視線に、真っ直ぐに向き合う。


「俺と一緒に、悪人になってくれ。」


 仲間を、家族を巻き込みたくないと、どこかで思っていた。


 何とかしてみせる、と。

 俺の力でどうにかして状況を打開しようと、どこか自惚れていた。


 何を寝惚けたことを考えてたんだろうね、俺は。

 誇り高い【名君】や、威風堂々たる【軍神】に当てられて、俺自身も立派になった気で居たのかよ。


 所詮、俺はただの小心者のダンジョンマスターだ。


 生き残りたかったから王国に近付いたし、移民も受け入れた。

 生き残りたかったから、必死になって戦って、レベルを上げた。


 人より多くの事はできるけど、所詮はただの、生きるのに必死な一個人。

 軍や国を導く人たちと、対等である筈もない。


 そんな俺が誇れるモノといえば、頼りになって温かい、俺を支えてくれる家族たちだけだろうがよ。


「喜んでお供いたします、マスター。」


「アザミは何処までもついて行きますよ、マナカ様!」


「気付くのも言うのも遅いのじゃ。戯けな主様めっ。」


「この見て呉れですぜ? 悪人ソッチの方が据わりが良いでしょうや。」


「吾は元々悪名高いのである。気にすることはないのであるっ!」


 ありがとうな、みんな。

 ようやく視界が開けた感じだよ。


 それと、留守と幼女神ククルを任せているマナエ。

 お前も、もちろん道連れだからな。

 いっその事俺と一緒に、【魔王とそのダンジョン】って感じで売り出そうか。




 肩の力が抜ける。

 気付けば、シュラに殴られた頬の痛みも熱も、引いていた。


「ぬぅ……もう少し強めに殴っておけば良かったかもしれんのう。」


 やめて!?

 そんな強くお前に殴られたら、顎砕けちゃうから!?


「折角初めて主様に届いた拳じゃったのに、【再生】スキルはズルいのじゃ……!」


 俺は凄く感謝してます!!

 ありがとう【再生】スキル様! 今後ともよろしくお願いいたします!


「ははっ。また腑抜けることがあったら、その時はまた喝を入れてくれよ。」


 どこまでもシュラだなぁ、と苦笑しながら。

 俺は改めて、ダンジョンコアが浮かべるウィンドウに視線を向ける。


 各地共に侵攻は順調。

 マクレーンのおっさんの所にも、あと半刻程で到達しそうだ……いや、既に先鋒は届くか……!


 俺は急いで通信を繋ぐ。

 マクレーンのおっさんは、映像を観る限りでは今は後方で待機しているな。


『マナカか。いよいよか?』


「ああ。もうじきに、飛行できる蟲の魔物達が到達する。その約半刻後には、魔獣を含んだ獣の魔物達が雪崩れ込む筈だ。」


『承知した。蟲が着いたら撤退し、砦内で武装を解除する。』


「気を付けてな。できるだけ自然な感じで頼むよ。」


 簡潔に報告し、後の動きを確認する。

 しかしそんな中、不意にマクレーンのおっさんが。


『……マナカよ。』


 何やら含む様子で、声を掛けてきた。


 ん? なんだよ?

 こっからが忙しいんだぞ。


『どうやら、迷いは晴れたようじゃな。おっさんの忠言が効いたかのう?』


 ぐっ……!?

 この……っ、よりによって今言うことかよ!?


「……おかげさまでな。家族からもつい今しがた本気で叱られたところだ。目が覚めたよ。」


 けどまあ、有り難い言葉に変わりはなかったからね。

 素直に受け止めますよ、はい。


『それは重畳。ではな、お互い役目を果たすとしよう。くれぐれも油断すまいぞ?』


「ああ。おっさんも気を付けてな。」


 うん。

 やっぱマクレーンのおっさんとは、こんな関係が気持ち良いな。


 通信を切って、遥か地平線を見回す。


 神都からはまだ一刻程の距離かな?

 それでも微かに、そして確かに、地平線に砂煙が上がっているのが視える。


「いよいよだ。みんな、準備は良いね?」


 俺の掛ける声に、仲間が……家族が、返事を返してくれる。


「【揺籃の姉妹達クレイドル・スール】のみんなは、此処で待機していてくれ。神都を監視して、妙な動きがあったらコア通信で連絡を入れてくれな。」


「「「「はいっ!!」」」」


 メイドたちが威勢よく返事をする。


 さて。

 この戦争も、じきにお終いになるよ。


 ハッキリ言って、負ける気がしない。


 そもそも戦力的には明らかに過剰戦力だし、それを引いても俺がこの世で最も信頼する家族たちだ。


 そして今回は俺も、出し惜しみは無しで行く。

 たとえ【勇者】が出てこようが、一歩も引かないからな。


 一番の懸念は元締めの、裏でちょっかい掛けている仮称邪神だけど……俺がククルのイメージで視たアイツがなら、恐らくはこの程度では動かない。


 アイツはこの世界に娯楽を求めている。

 だったら盤面をひっくり返すようなこの行為も、趣向として受け入れる筈だ。


 アイツにとっては勝ち負けよりも、どれだけ駒が踊るかの方が重要みたいだからな。

 セリーヌ――御堂なつめちゃんを、滅ぼす予定の魔王国の姫として転生させたのがいい例だ。


 だから当面の敵はメイデナ教会と、北の大帝国並びに勇者だと思っておけばいい。

 精々盛り上げてやるよ。


「ところで、マスター。」


「うん? どした?」


 差し出されたアイスティーを飲む俺に、アネモネが声を掛けてくる。


 真剣な顔でどうしたんだろう?

 何か見落としが有ったかな?


「シュラを泣かせましたね? これで見事に、マスターと深く関わりを持った女性全てが、泣かされました。」


「ブフォッ!? ガフッ、ゴホッ……!!??」


 な、何をいきなり言い出すんだよ!?

 アカン!? 鼻に紅茶入ったッ!?


「今すぐとは申しません。その代わり、全てを終えられ落ち着かれましたら。その時はしっかりと、責任をお取りくださいね。」


 そんなことを軽く微笑みながら言ってのけるアネモネさん。


 ダメだ。

 色々衝撃過ぎて、鼻から紅茶出ちまったよ。



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