第六話 軍神、降臨す。
〜 スミエニス公国 西部国境砦 〜
「怯むなァッ!! 此処を通せば家族が死ぬぞォッ!!」
「畜生がっ!! 狂信者共め!!」
「くそっ! くそくそくそがあっ!!」
「あがあああぁぁっ!!?? あし、オレの足がああっ!?」
「落ち着けっ!! おい、猿轡を噛ませろ! 焼いて止血するっ!!」
「矢は!? おい! 早く予備の矢を持って来い!!」
地獄絵図であった。
遂に開かれた、神皇国ドロメオとスミエニス公国の戦端。
ドロメオによる宣戦布告が為されてから一月後。ドロメオ軍総勢二十万が、国境を塞ぐ公国の砦の目前へと到達した。
前口上から始まった戦いは、既に五日に及んでいる。
スミエニス公国が国中から掻き集めた軍の数は、凡八8万。彼我の戦力差は倍以上である。
しかし独立・分裂したとはいえ、元は軍事大国として名を馳せたユーフェミア王国の西を堅守していた砦である。
天然の要害を流用した砦は、切り立った崖に両脇を護られ、隘路のように狭まった突入口前に布陣した公国軍によって、そしてその果敢な防戦によって、未だ死守されていた。
五日間の戦闘によって、双方共少なくない死傷者が出ている。
騎兵の突撃を防ぐために馬防柵が張り巡らされていたが、それも度重なる戦闘の内に破壊されてしまった。
今日明日にでも突撃を受けかねず、それを許せばドロメオ軍の持つ攻城兵器群が押し寄せることは明白である。
矢玉には限りが有り、防衛戦では機動力が売りの騎兵は頼りにはならない。
刻一刻と、その倍以上の物量による波状攻撃の前に砦の命運は時計の砂粒を減らしていき、兵達に伸し掛る疲労も心労もその重さを増していく。
されど尚、国の命運を背負った兵達は奮起し、後方に引き摺られて退がった負傷兵達すらも、処置を済ませ動ける者達は次々と戦線へと復帰して行った。
後が無いのである。
この戦は、公国にとって緒戦にして総力戦である。
ここで退けば国土は荒らされ、民は略奪や陵辱の限りを尽くされるであろう。
戦っている兵士達の愛しい者や、かけがえの無い家族達も、犯し汚され、虐げられ、その命をまるで路傍の花を踏み躙るかのように、呆気なく散らされてしまう。
奮起するより他は無いのだ。
砦前の平地での戦いの、その均衡が崩れれば。それは同時に、一方的に攻められる籠城戦への移行を意味する。
兵站も整い、物量でも圧倒的に勝るドロメオ軍に、最初から籠城するのは愚策であった。
その理由は、砦の立地にある。
切り立った崖に抱かれるような配置の砦は無類の堅牢さを誇るが、同時にそれは、公国軍側にも攻撃の手段が無いことを意味する。
ドロメオ側からの抜け道は存在せず、仮に崖上を制圧しようとすれば、崖で分断された、険しい上魔物の徘徊する山々の両裾から迂回せねばならず、その山を抜けるには大人数での行軍は不可能なのだ。
現在崖上は公国軍の投石部隊が占拠しているし、そこを奪い取るのには少なくとも数百の人数は要るだろう。
しかしそれは同時に、公国軍にも言える事でもあった。
戦線を迂回し敵後背を突こうにも、山はあまりに険しく、裾野はあまりにも遠過ぎるのだ。
つまりこの砦は、防衛に特化し過ぎているのである。
だからこそ、後の籠城戦を少しでも有利に進めるために、こうして砦前で絶望的な防衛戦を繰り広げ、敵戦力を削る必要があったのだ。
……という建前を持ち、公国軍の弓兵と魔法兵を引き連れた将軍が、軍馬に跨って戦場を睥睨する。
「このままでは、戦線は保ってあと一日か……いや、なんとしても引き伸ばさねば……!」
開戦前の軍議の様子が、脳裏に過ぎる。
それは希望であった。
交易相手である隣国――かつては公王の主であったユーフェミア王国が、援軍の要請を承諾したのだ。
既に此方に向け軍を発たせたとの報告と共に、耳を疑う言葉を聴かされた。
『ユーフェミア王国軍総大将は、【軍神】マクレーン・ブリンクスである。』
これぞ天の采配か。
列国に畏れられる武の象徴。
ユーフェミア王国最強の男が、この国の存亡の危機に駆け付けてくれるというのだ。
軍議の際にそれを聴かされた将軍は、身の震えを覚えた。
今代の英雄の一角とも云われるあの御仁と、戦場にて
恐れは吹き飛んだ。
ドロメオ軍何するものぞと、彼は……いや、彼と共に軍議に参加していた将軍達は、誰しもが奮い立ったのだ。
「なんとしても戦線を死守する! 弓兵
たとえ援軍が間に合ったとしても、籠城戦ではその効果は発揮できない。
彼の【軍神】の真価は、平地での機動戦にこそ発揮されると伝え聴いている。
そして引き連れて来るであろう、王国の最高戦力である【魔導騎士団】も、魔法を織り交ぜた機動戦を得手としている。
遥々駆け付けて来て力を発揮できる舞台が無いのでは、公国の面子に関わる。
故にこそ彼は、彼等は戦線を死守する。
騎兵含め予備隊は、未だ温存されている。
援軍と共に戦場を駆ける力は、ちゃんと残されている。
ならば自らの死力を尽くし舞台を整えるのに、如何程の戸惑いが有ろうか。
死力を尽くさんとする将軍らの士気は一般兵達にも伝播し、隘路で限定された敵戦力を押し留め続けている。
そして、夜明けと共に始まり、戦い続け、防ぎ続け……
日が中天に差し掛かった頃である。
「伝令ー! 伝令ーッ!!」
公国軍将校達が待ち望んでいた一報が、戦場を駆け巡った。
◇
「よくぞ……よくぞ凌いだ! よくぞ耐え切ってみせたッ!!」
スミエニス公国最西端の砦に入ったマクレーン・ブリンクス辺境伯は、疲弊しきりな公国軍の兵士達にそう声を掛けながら、騎馬を駆り颯爽と門へと向かう。
後ろに続くのは、王国が世界に誇る最強の【魔導騎士団】の精鋭百騎と、王国軍の第一から第九まで在る軍団から生え抜かれた精鋭の騎士二百騎。
計三百と一騎が、戦場に向いた砦の大門前に集結する。
無論それだけではない。
砦の東門からは更に続々とユーフェミア王国軍が入場を果たし、戦場へ雪崩込むのを、今か今かと待ち構えているのだ。
援軍として駆け付けた王国軍、総勢五万。
王国の守備に第一軍から第六軍を残し、第七軍から第九軍を率いて、国を横断し、対ドロメオ戦の前線へと辿り着いた。
砦の指揮官たるスミエニス公国大将軍が、マクレーンの下へ駆け寄り、声を上げる。
「【軍神】マクレーン卿! 此度の援軍、誠に痛み入ってござる!! 崖下の前線はやや押し込まれております故、何卒ご助力をお願い申すッ!!」
「相分かった! 先ずは我ら精鋭騎兵にて前線を押し上げ申す! 戦場に報せていただこう! 道を空け、露を払えとッ!!」
対するマクレーンは単刀直入に注文を付ける。
なんと精鋭三百と一騎のみで、波の如く押し寄せるドロメオ軍を押し返すと言うのだ。
あまりな言葉に、公国の大将軍は口を開けたまま言葉も無い。
「なに、準備運動には丁度良い塩梅じゃろうて。お主らも不足は無かろう!?」
「「「「おおおおおおおおおおッッ!!!」」」」
マクレーン旗下に集う最精鋭の騎士達が、気勢を上げる。
その圧倒的な気迫と威厳に、大将軍は壊れた人形のように首を上下に振り、すぐさま行動に移った。
『おうおう。そっちはだいぶ盛り上がってるねぇ。』
マクレーンの懐から、そんな声が聴こえてくる。
マクレーンは懐を探り、声の出処であるその
「久方振りの戦場の空気じゃ。お主も王国に帰化しておれば、共にこの空気を味わえたものを。勿体ないのう、マナカよ。」
『やなこった! 俺は平穏無事に過ごしたかったの! 誰が好き好んで戦場に馳せ参じるもんかいっ!?』
そのオーブ――ダミーコアを
『……時刻も時刻だ。ここで一旦押し返せば、今日はお終いだろ?』
「そうじゃな。普通の指揮官ならそう判断するじゃろうの。本番は明日になる。その時こそ、お主の出番じゃ。」
大一番を前にしてマクレーンにも、対するマナカの声にも、何ら気負いは感じられなかった。
掌の上のダミーコアを持つ手にも力みは無く、マクレーンは自身を【軍神】たらしめる戦場の空気を、腹一杯に吸い込んで、吐き出した。
その顔からは戦意以外の何物もが抜け落ち、彼は一騎の修羅へと変貌した。
「では、征く。別に蹴散らしてしまっても、構わんのだろう?」
『おっかねぇなぁ。まあ別に良いけど、無理はすんなよ。一応上空に監視兼護衛は付けてるけど、流石にはしゃいでドジるのまでは防げないからな?』
「応とも。精々、明日のお主の出番を減らしてやろうぞ。」
マナカの笑い声を残して、それきりダミーコアは沈黙した。
マクレーンはそれを懐へと戻し、身体の内の熱が解き放たれる瞬間を、静かに待ち続ける。
戦場に響き渡る、銅鑼の音。
何事かと誰もが振り返るその目には、ゆっくりと開かれていく砦の大門が映った。
そして、そこから並足で吐き出されて来るのは……騎兵の一団である。
背に大剣を背負った偉丈夫を先頭に、漆黒に紫の紋様をあしらった鎧を着込む騎兵達が続き、その後ろから更に朱、蒼、碧の色でそれぞれ鎧を染め上げた騎兵達が続いた。
扉は、開け放たれたままである。
その堂々たる威容に人の波が割れ、道ができる。
先頭の偉丈夫が、背の大剣を引き抜き、掲げた。
その大剣が陽の光を反射し、その明かりが目に飛び込むと同時に、耳に大音声が轟いた。
『我こそは、ユーフェミア王国軍総大将、マクレーン・ブリンクスである!!王命によって此度の戦、助太刀仕る!! 者共、突撃せよォッッ!!!』
『『『『オオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!』』』』
雄叫びを上げ並足から駆け足へ、そして更に速度を上げ最大戦速へと到達し、砦から前線まで、放たれた矢の如く駆け抜ける騎兵達。
『スミエニス公国軍の兵達よ! 弓を取れ! 矢を射掛けよ!! 魔法兵は敵を撃ち抜くのだッ!!』
更に聴こえてきたのは、公国軍よりの命令であった。
手に弓持つ者は矢を番え、魔法の使える者は詠唱文を唱え、怒涛の勢いでドロメオ軍に対して放ち始める。
そのひとつの命令によって放たれた弾幕は期せずして綺麗に揃い、ドロメオ軍の前面に配置されていた兵達は、まるで矢玉や火球の壁が降ってきたかのように錯覚し、乱れに乱れた。
ここに、マクレーンが依頼した露払いは大いに成し遂げられたのである。
「
「「「「応ッッ!!!」」」」
その隙を逃すマクレーンではなかった。
自身を先頭のまま、駆け抜けながら鋭く陣形を指示する。
見事なのは魔導騎士達と騎士達であった。
短いその指示に的確に従い、戦闘速度を落とすことなく陣形を整える。
魔導騎士達が横に広がり、マクレーンを頂点として左右共に斜めに連なる。
騎士達はマクレーンの後ろに付き、三列縦隊で突き進む。
上空から見下ろせば巨大な矢印の形に見える陣形を、戦場を駆け抜けながらも作り上げてのけたのだ。
「魔導! 目標敵前列! 火槍用意ィッ!!」
陣形の完成を振り返りもせずに察知し、続けてマクレーンは魔導騎士達に指示を飛ばす。
魔法を唱えよ、と。
戦場で騎乗したままでの魔法詠唱は、非常に難易度が高い。
騎馬の振動は元より、何時、何処から敵の矢や魔法、果ては槍や刀剣が自分に飛んでくるか分からない中、集中を保ち魔法の術式を組み上げるのは、至難の技なのだ。
然れども、彼等こそは世に名を知らしめる魔導騎士である。
非情なまでの選別と、過酷と言うのも生温い程の、常軌を逸した訓練を潜り抜けた彼等にとっては、その程度は造作もないことであった。
そもそも、敵陣は味方の援護射撃によって混乱し、対応が追い付いていないのだ。
そんな好機に詠唱をしくじりでもすれば、後に待っているのは【軍神】直々の説教と調練だ。
彼等は、その方が余程恐ろしく感じたのであった。
「放てええええいッッ!!!」
「「「「【
矢印の傘のように広がった魔導騎士達から、炎の槍が一斉に放たれる。
まるで槍衾である。
その槍は前線で身を竦める兵士達を燃やし、貫き。
そのたった一撃で、敵の陣形を崩壊せしめた。
「往くぞ!! 突っ込めええええいッッ!!」
「「「「おおおおおおおおおおおおッッ!!!」」」」
マクレーンは大剣を振りかざし、魔導騎士達は円錐状の槍、
そして。
「「「「ぎゃああああああひああああッッ!!??」」」」
ドロメオ軍の前線は、深く深く、断ち割られた。
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