第八話 こんな契約書は、こうしてやる!
~ ドラゴニス帝国 港湾都市パラーノ 冒険者ギルド本部 ~
ドラゴニス大陸の南端。
海に面した港湾都市という土地柄で、内陸からも海からも人や物が行き交い、繁栄する都市。
西に【獣神国ガルシア】との国境を持ち、覇権国家たる【ドラゴニス帝国】に併呑されるまでは、完全な中立国として交易の要衝となっていた、旧パノン市国跡地。
現在は帝国の辺境伯の所領に数えられ、伯の派閥内のパラーノ子爵が治めている。
とは言っても、帝国領になる以前から冒険者ギルドの本部は其処に在り、都市はさながら冒険者の街と言えそうなほどに、様々な人種や職種が入り乱れて騒がしい。
領主といえどギルドの方針に口出しできるわけでもなく、都市はギルド本部のルールを基に経営されていた。
非常に栄えて賑わってはいるが雑多な印象で、前世の東京というよりは、横浜や名古屋、梅田といった、様々な文化・様式の入り混じった、そんな都市だ。
「昼間も昼間で、凄い賑わいだなぁ。」
俺たちは昨日の夕方には都市に入っていたのだが、時間が遅かったこともあり、本部に到着の報告と翌日改めて訪れる旨を言い残して、宿を取った。
「ユーフェミア王国の王都なんかとは、全然違うでしょう? この都市は、近年に帝国の支配下に置かれこそすれ、昔からずっとこうよ。」
あまり都会の喧騒が肌に合わないのだろうか、ドルチェは詰まらない物を見るような目で通りを眺めながら、そんなことを話す。
そんな俺たちだが、まあ覚悟はしていたけど案の定、通りを行く人々から、無遠慮な視線に晒されていた。
狐の獣人に見えるが9本もの尾を持つアザミ、角を生やし真っ赤な髪をしたシュラ、長い耳と濃褐色の肌が目立つドルチェ。
ただでさえ目立つ特徴を持った彼女たちは、更に揃いも揃ってみんな美女なのだ。
彼女たちを見る目は下心に塗れていて、それを引き連れた俺には殺意にも似た視線が突き刺さる。
「鬱陶しいのう。片っ端から殴り倒してやりたいのじゃ。」
「やる時は言ってください。アザミも加勢します。」
ええい、やめんか!
アザミとシュラはさっきからずっと不機嫌だ。
冒険者として表に出て活動していたとは言っても、これほどの都会に来たのは初めてだしなぁ。
人が多ければ視線も増えるだろう。
しょうがないことだと思って、我慢してほしい。
そんな風にハラハラしながら人混みを掻き分けて、昨日も一度訪れた冒険者ギルドの本部へと辿り着く。
建物の中に入ると、そこには前世の市役所のような広々としたロビーがある。
流石に本部は酒場併設ではないらしいが、ロビーの一画には、歓談や相談が出来るようにテーブルや椅子が並べられた区画があり、正面には、いくつもの窓口が並んでいる。
ドルチェが壁に設置された掲示板を整えている職員らしき女性に声を掛けると、その女性は慌てて一礼して、奥の通路に走って行った。
「これで本部長まで話が行くはずよ。そこのテーブルで待ちましょう。」
そう促すドルチェに連れられて、歓談スペースの空きテーブルの席に着く。
ロビー内は、良い依頼を探す者や、臨時でパーティーを募集している者、パーティーメンバーだろう数人で話し合っている者など、種族も装備もバラバラな冒険者達で溢れかえっている。
ただ座って待っているのも何なので、俺は最早恒例となったティーセットを準備して4人分のお茶を注ぎ、マナエが持たせてくれたお菓子もテーブルに出す。
「アナタって、何処ででもお茶するのね。そんなに好きなの?」
そうは言いながらも、自分だって飲んどるやないかい!
俺はマナエお手製のチョコチップクランチクッキーを口に運ぶのを一旦止め、ティーカップを傾けるドルチェに顔を向ける。
「んー、以前はそんなでもなかったんだけどなぁ。この世界に産まれてからの習慣だし。でも気持ちを落ち着けたりとか、初心に帰ったりとか、そういうのには効果あると思ってるよ。」
肩を竦めながらそう答え、クッキーをひと口頬張る。
うん、今回のも美味しいよ、マナエ!
「そういうものかしらねぇ。」
ドルチェも同様に肩を竦めて、クッキーを味わうことに集中しだしたようだ。
そんな時である。
「おう、兄ちゃん。綺麗どころ揃えて、こんなとこで優雅にお茶会かぁ?」
「ゲヒッ! 良いご身分だねぇ! 俺っちらも混ぜてくれよぉ!」
うげっ……! 仮にもギルド本部だからって油断してた。
こんな所でも、どうやらテンプレからは逃れられないらしい。
絡んで来たのは、
装備は整っているところを観ると一端の連中らしくはあるが、その野卑た表情と下衆な口調から、ゴロツキの印象は免れない。
人を見掛けで判断してはいけません、とは俺たち日本人なら誰しも学ぶ道徳だが、そんな道徳など太刀打ちできないほどの見事なゴロツキっぷりだ。
絡まれたのは俺だが、コイツらの目的は明らかに同行者の女性たちだ。
俺はドルチェに視線を合わせるが、彼女はどこ吹く風といったように、肩を竦めるだけ。
俺が解決しろ、ってことかよ。
「悪いけど、これから本部長との面談が控えてるんだよ。騒ぎを起こしたくないから、どうか放っといてくれないかな?」
極力波風を立てないように、そしてさり気なく本部長の後ろ盾をチラつかせ、説得を試みる。
でもまあ、こういう輩に理性的な話し合いを持ち掛けて、上手くいったためしは無いんだけど。
「ああ!? てめえみてーなヒヨッコが、本部長と面談だとぉ!?」
「おいおい! どうせ吐くなら、もう少しまともな嘘吐けや。」
「すぐバレる嘘吐いても後で困るだけだぜぇ、兄ちゃんよお?!」
ほらね。
安定のテンプレ強制力ですな。
「嘘じゃねーよ。そっちのダークエルフの女性は、ユーフェミア王国・ケイルーン支部の支部長さんだ。彼女共々、本部長から召喚されたんだよ。」
どうも。理性的なアークデーモン、マナカです。
説得と同時に、周囲への『俺は絡まれてる側ですアピール』のために若干声を張るのも忘れない。
第三者の証言、マジ大事だからね。
「益々嘘くせぇわ! ユーフェミア王国だぁ!? そんな森番の田舎ギルド、知らねえよ!!」
「だいたいこんな姉ちゃんが支部長なワケねーじゃねぇか!」
ああん、話が通じないよぉ!
ドルチェを見ると、このヤロウ……カップで顔隠してるけど、絶対面白がってやがる!?
肩震えてんぞ!?
「待てよ……? なあ兄ちゃん、こりゃあもしかして、本部役員への貢ぎ物かぁ?」
……あ? てめぇ今なんつった?
「大方この美人の姉ちゃん達を役員共に売り込んで、取り入ろうって魂胆だろ? ああ?!」
「うわ~、なよっちいナリしてるくせに、下衆なこと考えやがるなぁおい!」
アザミとシュラが気色ばんで席を立つ。
〘2人とも、やめろ。〙
念話で2人を制止して座らせるも、そんなことはお構いなしに男達は言葉を続ける。
「パーティーの仲間を売って出世かよ!? 最低なヤローだなッ!」
「お!? 姉ちゃん達、そんな怖い顔してどーしたよぉ? 事実を言われて怒っちゃったかなぁ!?」
「気を付けろよぉ? 本部の役員の爺共は、好き者が多いって話だからよぉ!」
「ゲヒヒヒッ! どぉんなことされちゃうんだろうなぁ!?」
あ、もうダメだ。俺が我慢できん。
俺は指を鳴らして下衆野郎共の顔を結界で包み込む。
その結界は遮音仕様で頑丈になっていて、男達が慌てて口をパクパク開いているが、俺にその言葉は聴こえない。
ゆっくり席を立って、慌てて顔の周囲の結界を叩いている男達に身体を向ける。
「ずいぶん愉快な妄想してるみたいだなぁ、ええ?」
ちなみに、外部の音はちゃんと聴こえるようになっている。
俺が発した声に、動きを止めて俺を睨みつける4人組。
口の動きや仕草から察するに、「お前の仕業か」とか「外せこの野郎」とか言ってるんだろうな。
「俺が、俺の大事な仲間をどうするって? 聴こえねぇなあ! 言ってみろや!!」
再び指を鳴らす。
発動したのは水魔法。結界の内部、男達の頭頂部から、魔法で生成された水が溢れ出る。
それは徐々に結界内を満たしていき、男達の顔はすぐに顎くらいまで水に浸かる。
4人の男達は一様にパニックを起こし、結界を壊そうと、我武者羅に自身の頭を殴ったり壁に打ち付けたりと、大暴れだ。
「おら、頑張って水を飲み続けないと、陸で溺れ死んじまうぞ? ほら頑張れや。冒険者なんだろう? 根性見せてみろやコラッ!!」
周囲は騒然。
俺達を遠巻きに眺める他の冒険者達も眉をひそめ、口々に何事かをざわざわ囁いている。
「マナ……クレイ。そのくらいにしておいて。彼らの自業自得だけれど、流石に殺しはまずいわ。」
ドルチェからのレフェリーストップが入る。
まあ、元々気を失う程度にするつもりではあったんだけどな。
俺は男達の頭の結界に念動を掛け、建物の外に引き摺り出す。
そして転がった男達の鳩尾に、圧縮した風魔法の球をブチ当てて失神させてから、結界を解除。
ギルド本部の入口前に、頭をびしょ濡れにして気絶している4人の男のオブジェが置かれることになった。
「なあ、ドルチェ。さっきのアイツらが言ってたようなこと、本当に有るのか?」
腹の虫を鋼の理性で押し留めながら、俺はドルチェに訊ねる。
もしそうなら、ギルドとの付き合いも考え直した方が良いかもしれない。
「役員への貢ぎ物って話? さあ、どうかしらねぇ。ゲルドに直接訊いてみるといいわ。」
そう言って顎をしゃくって俺の視線を誘導する。
目を向けた方には、先程ドルチェが声を掛けた女性職員が、涙目で身体を震わせながら立ち竦んでいた。
◇
多少のイザコザは有ったものの、本部長室へと案内された俺達。
案内の女性職員は明らかに俺を見て怯えているが、まあ知ったこっちゃない。
正直、俺は未だに腹を立てているからね。
「入れ。」
女性職員の室内への呼び掛けに、短く簡潔な返事が返される。
俺達は、女性職員が開いたドアを潜って、大陸中に根を伸ばす冒険者ギルド、その本部長との初対面に臨んだ。
「随分と
老齢と言うには張りのある、芯の強さを感じる声が、本部長の執務室に響く。
ゲルド・ゲーテ冒険者ギルド本部、本部長。
65歳にして既に本部長を5期連続で務め、ギルドの潤沢な資金、その豊富な人脈、老獪な手練手管を遺憾なく
そんな薬にも、毒にもなりかねないような人物が、執務室奥の重厚な執務机の椅子に、鎮座している。
「あら。誰かさんが碌に野良犬の躾もできていない所為じゃないの。私達に非は無いわ。ただの正当防衛よ。」
おいおい、ドルチェさんや。
あんたいくら昔馴染みったって、仮にも上司に向かってその口の利き方は、大丈夫なのか?
「ふん。躾がされていないから野良犬なのよ。まあ、迷惑を掛けたのは事実じゃしの。済まなかったの。」
……あっさり謝ってくるなんて、意外だな。
それに口調を咎める気配も無い。思ったよりも、気さくな人なのかもしれないな。
「ほれ。いつまでもそんな所に突っ立っとらんと、座るがいい。」
そう言って自身も執務机の椅子から立ち上がり、応接用のソファへと移動して、腰を下ろす。
俺達も勧めに従って、対面に3人並んで腰を下ろした。
「さて、先ずは自己紹介といこうかのう。ワシが、冒険者ギルド本部の本部長、ゲルドじゃ。」
老人とか、古狸と言われるには若過ぎる、鋭い眼光が俺を射抜く。
まあ、65歳って言ったら俺の元の世界ではまだ初老だし、人によっては中年となんら変わりはない。
仕事だって職種によってはバリバリの現役だろうし、孫は居ても爺婆と呼ぶには早い気がする。
「……自己紹介の前にひとつ。天井裏やら窓の外やら隣の部屋やらに気配を殺して居座っている6人は、お友達なのかな?」
魔力は鍛錬すれば抑え込めるようになるし、気配も同様。
感情も自制心が強ければ波立つことはないだろう。
そもそも、この世界には術具という、様々な効果を発揮する便利な道具が存在する。
上手に気配を隠してたつもりだろう。でも、俺には【空間感知】のスキルも有る。
いくら気配を殺したって、存在が無くなるわけじゃないからね。
俺の索敵範囲内には、気配を絶った輩が6人、バッチリと把握されている。
「……安心せい。全てワシの子飼いの者じゃ。おんしの素性も行動も、何ひとつ他所に漏らさん事は、既に【調印紙】で契約もしておる。そしてワシも同じく、今日この場でおんしと契約を交わしたいと思うておる。」
真剣な眼差しを向けて、数枚の紙を懐から取り出し、差し出してくるゲルド本部長。
それは、いつかユーフェミア王国の王様と盟約を交わした際にも使用した、魔法によって強制力を発揮する契約書――調印紙だった。
仕草からも、感情からも、こちらを欺こうとするような悪意は感じない。
「ならいい。ユーフェミア王国の迷宮【惑わしの揺籠】の主、マナカ・リクゴウだ。クレイを名乗って冒険者もしている。」
「アザミです。冒険者としては、タマモと名乗っています。」
「シュラじゃ。ウズメが、冒険者としての名じゃ。」
俺達も、名を名乗る。
そんな俺達に本部長は鷹揚に頷きを返すと、更に1枚の調印紙を差し出してくる。
そこには。
『冒険者ギルド本部長ゲルド・ゲーテ(以下甲)は、迷宮の主マナカ・リクゴウ(以下乙)の如何なる情報も、乙の承諾無く第三者に開示しないものとする。
また甲は、乙より発せられる如何なる協力要請に対してその総てに、出来得る限り最大限の便宜を図るものとする。
これらの契約の効力は、甲が持つ政治的、経済的権限を有している間は有効なものとする。』
と記載されていた。
いや、本気かこのおっさん?
「正直、アンタにここまでされる
要するにこの人は、「俺の情報を許可なく他人に漏らさない」「俺が協力を頼んだ時には、最大限協力する」「自身の権力が及ぶ限り、これらを遵守する」と言っているワケだ。
仮にもギルドの本部長様が、大盤振る舞いにも程があるだろ。
当然俺としては、裏を疑ってしまうワケで。
「謂れなら、有るとも。」
しかし訝しむ俺に返ってきたのは、本部長から発せられる穏やかな声。
益々訝しむ俺の顔を見てから、本部長は何を思ったか、
「ちょっ……!? おい、本部長!?」
俺は流石に度肝を抜かれ、腰を浮かす。
ところが、本部長はそれをやんわりと制止する。
「聴いてくれ。どうか、謝罪させてほしい。何を謝罪するかというと、四つほど有るのじゃが。」
いや、四つも有るんかい!?
えー、なんだろ……? 逆に不安になっちゃうんだけど。
頭を上げたゲルド本部長は、俺が一先ず聴く姿勢になったことを確認してから、語り出した。
「順番にいこうかの。まず一つ目じゃが、ワシの愚かな甥、リッケルトの事じゃ。」
その言葉に、俺の街にギルドを誘致するしないの相談会に現れた、王様と俺のタッグにボコボコにされ退場した男が、脳裏に甦る。
居たなー、そんな奴。
「あ奴がおんしの街に行ったのは、偶然ではない。功名心と野心の強いあ奴が割り込みを掛けるのを承知で、ワシが意図的に情報を漏らし、焚き付けたのじゃ。」
おお、マジかよ。
「それは、あの男を失態によって失脚させるため?」
俺の言葉に一瞬目を見開くが、再び視線を落ち着かせて、頷きを返す。
「そこまで見抜かれておったとはの。その通りじゃ。あ奴め、ワシの身内であることを盾に、本部に入り込んで不正ばかりしておっての。しかし巧妙に尻尾を隠し続け、更には帝国の伯爵家の者という身分も有っての。不甲斐ないことじゃが、ワシの一存で排除する事が叶わなんだのよ。そこで、おんしの迷宮都市とやらを利用させてもらったのじゃ。」
まさかと、あの時に過った穿った考え。
それがまさかまさかの、そのものズバリだったとは。
「おんしにも、王女殿下にも、国王陛下にも、迷惑をお掛けした。ほんに、身内の恥を晒した上、ワシの無力さが情けない限りじゃ。」
よっぽど頭を悩ませていたんだろうなぁ。
苦渋に満ちたその顔が、悔しさを何よりも伝えてくる。
「二つ目は、その謝罪についてじゃな。ワシは王国と帝国に掛け合って、甥の不祥事を
確かにあの後で事の顛末を聞いたが、王国と帝国の緊張を
んー、でもなぁ。
俺としては、単にリッケルトが障害になる可能性大だったから、排除しただけなんだけどなぁ。
「そして三つ目。ドルチェのことじゃ。」
ん? なんでここでドルチェが出てくるんだ?
一気に話が見えなくなったぞ?
「ワシが、ドルチェに相談したのよ。現役時代の
そう言ってドルチェに顔を向ける本部長。
ドルチェは、そんな本部長を苦笑して見ながらも、どこかその眼差しは、優しかった。
「彼女に、おんしの秘密を話させてしもうた。おんしを、裏切らせてしもうた。おんしとドルチェの間に、不和を生んでしもうた。まっこと、申し訳ない。どうか、彼女だけは許してやってほしい。」
俺を見詰めるその視線は鋭くはあるが、どこか、温かみを帯びていた。
俺はドルチェに、本部長とは昔馴染みだとしか聞いていない。
しかしただの昔馴染みでないことは、この目を見れば、はっきりと理解できた。
ドルチェにとっては、俺を裏切るほどの。
ゲルド本部長にとっては、それを肩代わりして詫びるほどの。
一概には言えない、そんな間柄だったんだろう。
「そして最後にじゃが。おんしの目的は既に聞いておる。孤児や行き場の無い民達を受け入れるために、冒険者になったのじゃとの。そのために力を持ちながらも組織の枠に収まり、外界に波紋を立てぬよう立ち回っておるのじゃと。そんなおんしの立場を知っておりながら、ギルド本部長として強制的に依頼を出した。目立つ可能性も有り、勿論命の危険もある依頼を、じゃ。」
ドルチェの件になってから、本部長の声は沈んでいる。
彼にとっては、それだけその事実は重い事なんだろう。
「じゃからの、この調印紙の内容は妥当なんじゃよ。勿論、今回の依頼の報酬も、魔石や素材、出土品なんぞの買い取り金もしっかりと払う。どうか、ワシなりの謝罪を、受け取ってくれんか。」
言葉を締め括り、俺に視線を合わせるゲルド本部長。
俺は深く息を吐いて、ゆっくりとした動作で、彼がテーブルに置いた調印紙を取り上げた。
そして。
破いた。
「なっ!? 何をしとるかッ!!??」
先程までと打って変わって、狼狽した姿を見せるゲルド本部長。
うん、ドルチェまで目をまん丸にして驚いているな。
俺は、ダメ押しとばかりに破いた調印紙を結界で包み、内部に火魔法を発動。消し炭も残らないほど、焼き尽くす。
「お、おんし……一体どういうつもりじゃッ!?」
怒気を孕んだ声を上げる本部長。
しかし俺は、そんな彼の眼を真っ直ぐに見据えて、口を開く。
「あんまり俺を舐めないでくれないかな、ゲルドさん。」
我ながら、穏やかな心持ちだ。
俺の言葉に怒気を収め訝しむゲルドさんに、俺は言葉を続ける。
「まずひとつ目とふたつ目についてだけど、謝罪は不要だ。俺は、俺の街に害を為す可能性の高い男を、俺の都合で排除しただけだ。そこにあんたの思惑が有ろうと無かろうと、やって来た相手がクズなら俺は同じ事をしただろう。ワザと失態を犯すように誘導もしたし、それに関してはお互い様だ。あんただって望む結果が出たんだから、嬉しかっただろ? お互いに良い結果になったんだから、そこに謝罪の必要は無いよ。」
ゲルドさんはぐぅと唸り声を上げるも、俺の言葉を遮ったりはしないようだ。
俺はそのまま続ける。
「ドルチェの事に関しても、俺をあんたに紹介することを決めたのは彼女自身。たとえ俺との繋がりを、今後失ったとしてもだ。それはあんたが口を挟める事じゃないし、彼女の覚悟に対するそれは侮辱だ。だから、謝る必要は無かった。」
ゲルドさんは顔を赤く染め、身体を震わせている。
悔しいだろうさ。こんな若造に好き勝手言われてるんだからな。
「それから最後の、依頼に関することだけど。」
そこで一旦言葉を止めて、俺は室内の面々を見回す。
アザミ、シュラ。
頼りになる仲間で、大切な家族。
ドルチェ。
合理主義の実利主義で、駆け引きで相手を打ち負かすのが大好物な、それでも俺の背中を押し導いてくれた不思議な女傑。
そしてゲルドさん。
ドルチェが言っていたように、義理堅い人なんだろう。わざわざ順を追って説明してまで、俺に謝罪してくれようとした。
契約で己の身を縛ってまでして、義理を通そうとしてくれた。
ああ、ダメだ。
口の端が吊り上がる。
それを、止められない。
「S級の深層迷宮の攻略? スタンピードの鎮圧? 冒険者冥利に尽きるじゃねぇか。」
もっとも、こういう上からの強制命令を避けるためにCランクで留まっているってのも、まああるっちゃあるんだけど。
「もう一度言うぞ。あんま俺を舐めんなよ。こちとらイカレた強国がお隣さんで、大陸屈指の魔境で迷宮の主なんてやってんだ。お外のお上品な迷宮なんぞ、美味しく支配してやるさ。」
わっるい顔してんだろうなぁ、今の俺。
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