閑話 深窓の令嬢は窓を開け、光に躍る。


〜 ユーフェミア王国 ドットハイマー領 領都ソーコム 〜


《アグネス・ドットハイマー視点》



 わたくしはアグネス。

 アグネス・ドットハイマー子爵令嬢です。


 父はドットハイマー領を国王陛下より預かる、リード・ドットハイマー子爵。

 お世辞にも広いとは言えない領地を、慎ましく堅実に治める領主だと思います。


 わたくしは子爵家の次女として、社交界に出て、顔を売るのが役目でした。

 巷ではわたくしは【微笑姫】と呼ばれているそうですが、微笑み続けるより他に、わたくしには他の令嬢達と渡り合う術が無かっただけです。


 所詮は下級貴族の次女ですもの。

 ひけらかすような才気も、有力な方の後ろ盾も無いわたくしには、微笑んで嘲笑の的から外れることしか、できませんでした。


 お父様が望むのは、名を売り、顔を売り、少しでも良い家柄の相手へ嫁ぐこと。


 ……今ですから言えますけれど、うんざりしておりました。


 姉の嫁いだ先は同格の子爵家で、あまり影響力もなかったせいもあったのでしょう。

 お父様のわたくしへの入れ込みようは、相当なものがあったように感じます。


 そんな辟易として過ごしていたある日、お父様が公務で領を出払っていたので、わたくしは数名の護衛と共に、街へ散策へと出掛けたのです。

 普段屋敷から出られるのは、お父様と共に他家へとご挨拶に伺う時のみですもの。


 息抜き程度の気構えで、華美の過ぎない衣装に身を包んで、足取りも軽く街へ繰り出しましたの。


 そして、何軒目かのお店から出た時でしたわ。

 通りがにわかに騒がしくなり、護衛の者が様子を見にわたくしの傍を離れました。


 わたくしは大人しくお店の前で待っていたのですが、突然、頭に何かを被せられて、何者かに抱えられ、連れ去られてしまったのです。

 必死に抵抗はしたのですけれど、何らかの薬品の匂いを嗅がされ、眠らされてしまいました。


 そして気付いた時には、ケイルーンの町のあの建物の中で、メイリーン様やラキア様、オルテ様と共に捕らえられていましたわ。

 囚われた者同士互いに励まし合い、僅かな水と粗末な食事を与えられて、幾日か経った頃。


 お父様による救助への希望も絶ち消えそうになっていたあの日、わたくし達に、遂に救いの手が伸ばされたのです。


 彼らは冒険者を名乗り、同時に救出された獣人の少女の住まいへと、場所を変えました。

 わたくし達は魔法で眠らされていましたが、どうやら空を飛んで移動したらしく、恐れないようにとの配慮だったそうです。


 そして、パーティーリーダーであった彼が、わたくし達の事情を聴き取り、それぞれが望むように取り計らって下さいました。


 彼に連れられ、初めて彼の迷宮を訪れた時は、とても驚きました。


 彼の補佐兼使用人という立場のアネモネ様から諸々の説明を受け、そこで初めて、彼が人間ではない事や、迷宮の中に街を創って王国民を住まわせている事を知りました。


 それは、途方もない事のように感じました。

 わたくしは市井の事情や噂に疎く、またまつりごとの事もお父様はわたくしには何も話されませんので、本当に驚きましたわ。


 マナカ・リクゴウ様。


 王国の仇敵である魔族の、アークデーモンにして迷宮の主。


 元王太子殿下の謀反を治め、国王陛下と盟約を交わされたお方。


 その権能を以て迷宮に都市を創造し、行き場の無い民達を迎え入れた。


 都市も見学させていただきましたわ。

 我が家の在る領都とは比べ物にならないほど、美しい街並み。

 見たことも聞いたこともないような、まるで御伽噺のような不思議な都市。


 とても、素敵な街でしたわ。


 その街を取り仕切るのは、我がユーフェミア王国の第1王女、フリオール・エスピリス・ユーフェミア殿下。

 【姫将軍】の異名を持つ、王族でありながら武によって身を立てられたお方です。


 残念ながら、帰還を待つ間のみの逗留では、直にお会いする機会には恵まれませんでしたけどね。


 囚われていた時とは打って変わって、とても美味しいお食事や、贅沢な入浴設備、王族ですらも招けそうな貴賓室など、望外のおもてなしを受けました。


 そういえば、以前子爵家に一度だけ出入りしたことがある行商人、ルージュ様との再会には、本当に驚きました。


 なんでも、彼女は行商中に盗賊に襲われ囚われていたところを、マナカ様によって救い出されたそうです。

 悲しい事にご亭主は亡くなられたとの事で、義理の娘様と使用人の3人で、マナカ様の街に身を寄せたそうです。


 その他にも大勢の女性達が、マナカ様によって救われたそうです。


 マナカ様は、本当にお優しい、素敵なお方ですわね。

 きっとこれから先も、大勢の弱き方々をお救いするのでしょう。


 そんなお優しいマナカ様に、身勝手を申し上げた事を思い出します。


『我が身が清廉であろうがなかろうが、どの道わたくしの自由に出来るわけではありませんわ。それでしたらいっそ今の内に、好いた殿方へこの身を捧げても、よろしいのではなくて?』


 マナカ様に打ち明けた、わたくしの想い。


 確かに自棄にはなっていました。このままただ帰還しても、どうせ政略結婚の駒にされるだけ。

 生真面目なお父様は、かどわかされたわたくしの嫁ぎ先に、苦慮される筈だ、と。


 期待を裏切ったわたくしを、売るようにして嫁がせるのだろう、と。


 そんなわたくしの一大決心は、残念ながらマナカ様に袖にされてしまいましたわ。


『俺は、アグネスのしたいことを応援する。父親の説得にだって、力を貸すよ。これはきっと、俺の我儘だからね。折角知り合った人が自分を封じ込めて、望んでもいない事をさせられるのは、我慢ならないんだよ。』


 そう言って。

 そんな優しい理由で、わたくしは此処に帰ることを決心しました。


 帰還したわたくしを迎えたのは、無事を喜んで下さったお母様と、険しいお顔をなさったお父様でした。


 早々に身形みなりを整え、マナカ様の待つ応接室へと、父母と共に参りました。


 そこでお父様が口にしたのは、わたくしへの失望でした。

 貴族にとって、醜聞は忌避すべきもの。マナカ様は苦慮して下さいましたが、事は他領の貴族が絡む誘拐事件です。


 その証拠と報告は、王家の耳にも届きましょう。それに対して、お父様は憤慨なされました。


 ですが。


『さっきから聴いてりゃ、なんなんだよ? 娘が無事に帰って来たってのに、やれ醜聞だの、縁談だのゴチャゴチャと……』


 マナカ様が、お父様に対して正体を露わにされ、叱責されたのです。

 更には、フリオール王女殿下の書状を差し出し、殿下がわたくしの味方になって下さっていることを知らされました。


 とても、嬉しかったのです。

 嬉しかったのに、わたくしは事態について行けず、悲しそうに苦笑され我が家を去ってしまわれたマナカ様に、何もお声掛けできませんでした。


 わたくしの手には、マナカ様から受け取った包みだけが、残されたのです。


 その後はお父様が書斎へと籠り、わたくしは休息を取ることにしました。


 自室に入り、懐かしさすら感じるベッドへと身を投げ、涙を流しました。


 悲しかったのです。

 心配して下さっていると、帰還を喜んで下さると、そう思っていたのに。


 お父様の不機嫌なお顔が頭を過ぎりました。


 やっぱり、あのままマナカ様の下に居た方が良かった。

 そう、思いました。


 そこで、マナカ様から渡された包みのことを思い出したのです。

 ティーテーブルに置いたその包みを開くと、そこには両手で持つほどの大きさの宝珠オーブと、お手紙。


 宝珠は一先ず置いておき、慌ててお手紙を開きました。


 そこには、マナカ様からの応援のお言葉と、贈り物の宝珠――ダミーコアについての説明が書かれていました。


 自分を曲げなくていい。

 嫌なことは嫌と言ってもいい。

 俺が力になる。


 そんな、温かく、優しさに満ち溢れた、マナカ様のお言葉に。

 再び、涙が溢れてきました。


 何度も、何度も、そのお言葉を読み返しました。


 そして。


『お嬢様。お夕食の支度が整いましてございます。食堂へいらしてくださいませ。』


 執事のギルバートの声に、現実に戻されました。

 その時にわたくしは、お父様に逆らうことを、決心したのです。




 食器の音が微かに鳴るだけの、無言の食卓。

 お父様も、お母様も、何もお話になりませんでした。


 食前酒に始まり、前菜、サラダ、スープと、順番にお料理が出されます。

 そしてメインの肉料理が出された頃、わたくしは意を決して、口を開きました。


『此の度は、大変な御迷惑をお掛けしました。』


 その言葉に、お父様は一瞬目を見開き、ややあって。


『いや……無事で何よりだ。……済まなかった。』


 聞き間違いかと、思いました。

 ですが、お父様は言葉を続けます。


『大変な目に遭ったのだな。だというのに、私は家の事、自分の事ばかり考えていた。あの男の……マナカ殿の言う通りだ。』


 淡々と。視線は、ナイフを滑らせる肉に落としたままで。

 ですがそのお言葉の内容は、普段のお父様とは思えませんでした。


『娘の心配も出来ずに父親ぶるとは、まったく烏滸おこがましい限りだ。目が覚めた気分だな。』


『お父様……』


『アグネス。最早お前に、婚姻を迫ることはすまい。嫁いでも良いと思える者が現れるまで、ゆっくりと心を癒すと良い。他に成したい事が有るのなら、助言もしよう。』


 ワインを口に含み、ゆっくりと飲み下してから、お父様はわたくしを真っ直ぐに見据えました。

 そして。


『とても褒められた男ではないが、こんな私でも、まだ父と呼んでくれるか?』


 久方ぶりに拝見する、当主ではなく父としての、優しい微笑み。

 わたくしの中で絡まり、且つ張り詰めていた糸が、ゆっくりと緩み、解されていくように。


 頬を、また涙が伝いました。


『はい……! ただいま帰りました、お父様……っ!』


『うむ。おかえり、アグネス。無事で良かった。』


 その晩のお肉料理は、少し塩が効き過ぎでしたわ。




 あの後、自室に戻ったわたくしは、早速お手紙を見ながらダミーコアを操作して、マナカ様にご報告しました。


 フリオール殿下にもお礼を言いたかったと伝えたら、まさかのその場で、連絡を繋いで下さいました。

 フリオール殿下からも、友になってほしいと、有難いお言葉を頂戴してしまいました。


 その際のお話から、お言葉から。殿下もまた、マナカ様をお慕いされているのだと、察することができました。

 そこからは、殿下とわたくしの距離は、急速に狭まった感じがいたします。


『うむ。という訳でだ。我と、アグネスとで、少しでもその男に、世間の常識という物を叩き込んでやらぬか?』


 ふふふ。心が躍りますわ。

 殿下とわたくしとで、いつか必ず、マナカ様を振り返らせてみせますわ。




 ◆




『――――それでだな? ……おいアグネス、聴いているのか?』


 はっ!? いけませんっ!

 つい回想にふけってしまっておりましたわ。


「申し訳ございません。ふと、今までの事を思い返していました。」


 わたくしったら。折角のフリオール殿下との通信だというのに。


『ふむ、そうか。まあ、お前も大変だったからな。我の話は相変わらずあ奴の愚痴だからな、気にするな。』


 ……相変わらず、ご苦労なされているようですわね。


「滅相もございませんわ。時に殿下?」


『ん? どうしたのだ?』


「ルージュ様や他の女性達は、その後どうなされたのでしょうか?」


 わたくしが迷宮を離れてから、既に一週間が経っております。

 いずれ街に移られるとお聞きしましたから、もしかしたらもう既に移住なされたかもしれません。


『そうだな。まず心を病んだ女性達は、未だマナカが保護している。それでも当初に比べれば、だいぶ回復はしてきたようだな。冒険者の女性達は4人共、一旦は街に拠点を置いたようだ。ひとつの家を共同で借りて、住み始めたぞ。当人達はマナカに弟子入りを志願していたがな。』


 盗賊に奴隷にされていたという、心を壊された女性達。そして盗賊や人攫いに、仲間を殺害された冒険者達。

 どうやら良い方向に向かっているようで、一安心です。


『それで、商人のルージュ殿だが……またあ奴めがやらかしおってな……事業をひとつ、任されたらしい。』


 え? ちょっと意味が分からないのですが。


『迷宮由来の品の、製造と専売を託されたようだ。この事業が成功すれば、我が都市初の特産品となる。その流通を、一手に担わされたということだ。』


 な、なんということでしょう!? ルージュ様は、大丈夫なのでしょうか?!


「また、マナカ様は大変なことを……! 迷宮由来の品など、大騒ぎになりますわよ?」


『うむ。マナカ曰く、日用の消耗品だから大丈夫とのことだが……』


 殿下も悩ましげなご様子です。


 特産品を商うということは、勿論外界へともたらすおつもりなのでしょう。

 地産地消のみなら兎も角、ルージュ様お独りでは、販路の開拓などご負担でしょうに……!


 せめて迷宮の外に協力者が居さえすれば……


「――――ッ!! 殿下、ルージュ様とお話をすることは可能ですか!?」


 一瞬の閃き。

 マナカ様と、お父様のお言葉が甦ります。


『あ、ああ。マナカがダミーコアを渡している筈だから、パスさえ繋げば、会話は可能だろう。しかし、急にどうしたのだ?』


 これを上手くすれば、マナカ様のお力になれる筈ですわ。


「此方で、商会を起ち上げますわ。マナカ様の迷宮で造られる数々の特産品を中受けし、外界に流通させる役を担うのです。販路の開拓から、不足品の仕入れ等もお任せ下さい。そのために、ルージュ様と相談をさせて頂きたいのですわ!」


 貴族家の当主夫人となるために、経営や地勢も学んできました。

 きっと、お役に立てる筈ですわ!


『なるほど……! 確かに外界に提携する商会が在れば、流通はスムーズに行えるだろうな。しかしアグネス、そのような事が可能なのか?』


 殿下の疑念はごもっともですわ。

 わたくしは取り立てて名が売れている訳ではありませんし、今までに実績も皆無です。


 ですが。


「やってみせますわ。お救い下さった殿下やマナカ様のため、同じ境遇を味わったルージュ様のため、そして何よりわたくし自身が変わり、マナカ様のお傍に立つために。」


 お父様が、マナカ様が仰って下さいました。


 成したい事を為せ、と。


『……そうか。アグネスも、光の中へと歩む決心が着いたようだな。ならば、我も友として、同じ者を想う同胞として、惜しみなく協力しよう。早速今夜、マナエに頼んでルージュとの連絡手段を用意しよう。』


「感謝いたしますわ、殿下。」


『良いのだ。それに、ルージュ殿もどうやら同志のようだしな。彼女と結束を固めるのも、悪くはないだろう。』


 ああ、やはりそうでしたか。

 ルージュ様のマナカ様を観る目が、どことなく熱が込もった物に感じたのは、やはり気のせいではなかったのですね。


 ですがそれこそ好都合ですわ。

 マナカ様のためという共通の想いが有るならば、きっとより良い事業が出来ますわ!


『では、我は早めに政務を片付けて、早速動くとしよう。アグネスも事業の概要を、ある程度煮詰めておいてくれ。』


「かしこまりましたわ。父であるドットハイマー子爵にも助力を願えるでしょうし、早速案をまとめますわ。本当に、殿下には感謝しかございませんわ。」


『我らは友であろう? 気にするな。それではな。』


「はい。ご連絡、お待ちしております。」


 殿下との通信が切れました。

 これで夜には、ルージュ様に計画をお伝えする事ができるでしょう。


 事業の起ち上げのためには、商会の規模の想定や、拠点、職員、販路……手配するものは山ほど有ります。

 お父様やギルバートに助言を頂きながら、案を練った方が良いでしょう。


 早速、動き出しましょうっ!


「ギルバート! ギルバートはどちらですか!?」


 心が軽い。

 気分が高揚する。


 扉を開き、廊下の窓から差し込む陽の光の中へと、踏み出す。


「爺や! 何処に居るのですか!? 力を貸してほしいのっ!」


 明るい、光の当たる場所。


 お父様の言い付けに怯えながら従ってきた娘は、もう居ませんわ。

 わたくしは自らで見出した、この光を追い続けます。


 誰かの陰で支えるのではなく、あのお方と共に、光の中に立つために。



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