閑話 元気娘の恐怖体験。


〜 ダンジョン【惑わしの揺籃】 防犯用囮迷宮 〜


《女騎士レティシア視点》



「それではレティシアさん。どうか、ご武運を!」


「はい! 行って参ります!」


 マナカ殿に見送られ、私は転移の魔法陣へと足を踏み入れました。


 その途端魔法陣が光を放ち、私の視界は歪み、マナカ殿の姿も転移施設の壁も見えなくなる。


 そして次の瞬間には、見慣れないブロックの塀に囲まれた、これは石なのでしょうか? 石のような材質の道に立っていました。


「此処が、侵入者が飛ばされる階層……」


 そう。私は今マナカ殿の希望で、街へ不法侵入をした場合どうなるか身を以て体験するため、敢えて入場証となる【市民カード】を持たずに転移したのです。


 マナカ殿は有志を募ったのだが、兵達からも騎士達からも名乗りが挙がらなかったので、此処は私が! と立候補したのです。


 フリオール王女殿下は心配そうにして下さっていましたが、今回は体験するだけで、命の危険は無いとマナカ殿も仰っていたことで、こうして私が此処に入りました。


「暗いですね……空は有るようですが、夜ということですか。」


 上を見上げれば暗い夜空。


 通路――寧ろ道路か?――を見渡せば、等間隔に石の柱が天を衝き、枝のような突起物から材質不明のロープが伸びて、それぞれの柱を繋いでいる。

 そしてその柱の近くには、これまた等間隔で見慣れない形の街灯が建ち並び、時折光を明滅させています。


 道路の幅は、一般的な馬車が2台すれ違えるかどうかというくらい。背後は壁で塞がっているので、先に進むしかないようですね。


 念の為剣を抜き、鎧に弛みが無いかも確認してから、私は歩き出しました。

 暗い夜の道路を、明滅する街灯の明かりを頼りに歩きます。


「なんだか、物凄く不気味ですね……ゴーストでも出てきそうです。」


 迷宮の中だというのに、とめどなく肌を風が撫で、そしてその風は生暖かい。

 民家どころか人の姿も見えないのに、街灯の明かりの届かない暗闇から、何かが此方を見詰めているように錯覚を覚えます。


 先は暗闇で、奥まで見通せない。時折点滅を繰り返す、無数の街灯の明かりだけが頼りでした。


「…………ん?」


 ふと、遥か先の辛うじて見える街灯の明かりの下に、何かが居るように見えた。


 魔物かと身構え、慎重に近付いて行きます。

 その間も、辺りに等間隔に建つ街灯は、思い思いに明滅を繰り返していました。


 慎重に進み、ようやく街灯2本分程の距離まで近付いた所で、その何かがハッキリと見えたきます。


 あれは……人?

 蹲り顔を伏せた、女性に見えます。


 私は、気付いたら駆け寄っていました。


 何故こんな所に人が? と、そんな疑問は、頭の片隅に追いやられて。


「どうしましたか!? 大丈夫ですか?!」


 近くにまで駆け寄り、蹲って肩を震わせている、髪の長い女性に声を掛ける。するとその人――やはり女性でした――は声を震わせて、つっかえながらも話し出しました。


「私、隣村に住む男の人とお付き合いしていたんです。……でも今日の夕方、彼が突然別れようって……!」


 彼女を立ち上がらせ、事情を聞く。

 彼女はスラッとした長身で、スタイルも良く、町娘が着ているごく一般的な衣装を身に纏っていました。


「他に好きな人ができたって……その人は私よりもキレイで、気立ても良くて、その人を幸せにしたいって……!」


 なんと。私から観ても彼女は美人に見えます。

 整った目鼻立ちに、長い睫毛が伸びて、私のような武骨な者からすれば、とても可憐な女性だ。


「そんなっ……! 酷い男性ですね! 貴女だってこんなにも美しいのに……!」


 同じ女性としても腹が立ちます。

 こんな綺麗な方とお付き合いをしているにも関わらず、他の女にうつつを抜かすなど!


「私が……キレイ……?」


 顔を俯かせた女性が、声を震わせながら訊いてきます。


 私は、元気を出してもらいたくて、自信を込めて返しました。


「勿論です! 貴女は綺麗です。自信を持って下さい! そんな男のことなど忘れて、新たな出会いを探しましょう!」


 そう答えると、彼女は感極まったのか、私に抱き着いてきた。


 落ち着くまでそうさせてやろう。そう思い背中を摩ってあげると、抱き着く力が強くなります。


「ワタシ……キレイ?」


 女性にしては強い力ですが、それだけショックを受けて悲しいのでしょう。

 繰り返し問う震える声に、私はもう一度答えを返します。


「貴女は綺麗ですよ。大丈夫です!」


 すると、彼女は伏せていた顔を上げ、真っ直ぐに私を見ながら。


「コれデモオおォおォオォ?」


 目が、嗤った。その目は血走り、光の無い瞳孔がギョロギョロと泳ぐ。

 そして震えるような、掠れの混ざった声が漏れる口が、ゆっくりと、裂けて……


「ひっ!? いやああああぁぁッッ!!??」


 全力で女を振り払い、道路に身を投げ出す。

 即座に剣を構えて、女に切り掛かろうとしたが、その一瞬で姿が消えていました。


 街灯の明かりは点滅を繰り返し、今にも消えそうで頼りない。


 心臓が五月蝿い。

 呼吸が荒く苦しい。

 剣を持つ手まで震えている。


 街灯の明かりの中心で、ブロックの塀に背中を預けて、周囲を警戒します。

 明かりの届かない暗闇の中に、さっきの恐ろしい女がまだ居るのだろうか。


 いったいなんなのだ?

 あれは魔物なのか?


 まとまらない思考に蓋をして、早鐘のように鳴る心臓を左手で押さえ、右手では剣を構え続けます。


 気のせいか、街灯の点滅が早くなっている。

 いや、確実に小刻みになっていきやがて……


 消えた。


 辺りが一瞬で暗闇に呑まれました。

 急な暗闇に、自らの身体でさえも見えません。


 聴こえるのは、自分の荒い息遣いと、身動みじろぎに鳴る鎧の金具の音のみ。


 お願いだから、点いて!


 必死に明かりを乞います。

 これでは逃げようにも逃げられません。


 すると願いが通じたのか、街灯が微かな光を点滅させました。


 背中の塀の堅さに心強さを感じながら、街灯に点けと、灯れと念を飛ばす。

 次第に明滅が激しく、明るさを増していき、遂には点りました。


 街灯の明かりに心から感謝を込めて見上げていた私は、視線を前に戻すと――――


「ワダジ、ギレイ゙イ゙イいいィいぃぃい゙?」


 目の前で、耳まで裂けた口が、三日月のように、嗤っている。


「きやああああああああああああああああッッ!!!???」


 我武者羅に剣を振り回し、無我夢中で掛け出す。

 後ろを振り向くこともせず、ただ道路の先へ先へ。


 息の続く限り、足の動く限り走り、逃げ続けました。




 ◇




 どのくらい走っただろうか。

 あの女……化け物は、もう来ないのか?


 周囲を見回すと、いつの間にか様子が変わっています。


 先程までは道路をブロックの塀が挟んでいましたが、今は道の両脇に、民家であろう建物が並んでいます。

 私が見た事のない様式の建物には一様に明かりが点いておらず、寝静まっているように感じます。


 しかし、住宅街ということもあってか、先程までよりも明るく、街灯の数も増えているように思えますね。

 建物の陰に気を配りながら、剣を構えてゆっくりと歩みを進めます。


 不意に、道の先から音が聴こえました。

 街の半鐘を一定のリズムで鳴らしたような、カンカンカンという音が響きます。


 慎重に音のする方へ向かうと、黄色と黒の縞模様の、蜂の身体のような模様の柱が見えました。

 てっぺんに十字を斜めにした物を戴き、その下で赤くて丸い光が左右交互に光っています。


 半鐘のような音はまだ鳴り続いています。


 よく見ると、道を挟んで反対側にも、向こうを向いて同じ物があるようです。そして、そこに人影が見えました。


 まさかまた奴か!?


 緊張に身構えますが、赤い明かりに照らされた人影は、先程の化け物とは様子が違っています。


 良く知る一般人のような、そんな服装ではなく、どちらかと言えばマナカ殿の着ているような、ズボンにシャツといった服装に見える。

しかし、遠目にも見て取れる長い髪と華奢な身体付きから、女性だと思われます。


 さっきの女……化け物のことが頭にチラつき近寄り難いですが、身体の向きからして、此方に歩いて向かってくるようです。


 私は咄嗟に建物の陰に入り、様子を見ます。


 女性? は道を此方に歩いて来ますが、さっきから半鐘のような音をずっと鳴らしている2本の柱が、突然動き出しました。

 1本ずつの長い、これまた黄色と黒の縞模様の棒が左右から降りてきて、女を挟むように道路を塞いでしまったのです。


 半鐘のような音は鳴り止まない。

 なんだろう、嫌な予感がする。


 危険を報せるような、心臓を鷲掴みにされるような感覚。

 女性は足を停めてしまっています。


 停まっては駄目だ!

 そこを出ろ!!


 直感的にそこに居ては不味いと感じ、駆け出します。


「おい! そこを離れろっ!!」


 走りながら声を上げます。


 女性が、声に気付いたのか顔を此方に向けました。


 彼女と、目が合ったような気がした――――


 突然金属の擦れ合うようなけたたましい音が響き、彼女の姿が眩いほどに光に照らされ。


 次の瞬間、何かが衝撃音と共に目の前を通り過ぎる。


 箱のような細長い車輪の付いた大きな物。それが連なり、凄まじい速度で目の前を横切って行く。


 彼女は、それに轢かれてしまった。この速度と大きさの物にぶつかっては助かりません。


 私は、助けられたかもしれない命を、目の前で失いました。


「あ、あぁ…………!」


 思わずその場に膝をつく。


 その長い物が通り過ぎた後、黄色と黒の柱は音を鳴らすのを停め、道を塞いでいた棒はゆっくりと持ち上がりました。


 よろけながら立ち上がり、彼女が立っていた場所へと歩きます。


 近付いて見ると、そこには金属でできた軌条レールが、道路に交差するように通っていました。


 とすると、先程の箱のような細長い物は、トロッコのような物か。

 半鐘を鳴らす柱はあれが接近することを報せていて、道を塞いでいた棒は、軌条に立ち入らないようにするための物でしょう。


 そんなことを分析しながら、彼女が立っていた場所を見ます。


 何も、残っていませんでした。

 彼女の身体も、荷物も、血の跡さえも。


「確かに、居た筈なのに……」


 或いは、衝突のあまりの勢いに吹き飛ばされてしまったか?

 いや、それにしても血痕すら見当たらないのは……


 考えながらも彼女の痕跡を探る私の耳に、再び先程の半鐘の音が響きました。


 いけない。

 此処に居ては危ない。


 そう痛感した私は、進行方向側の道路へと渡ろうと歩き始めました。

 しかしその途端、先程はゆっくり降りた柱の棒が勢いよく降りて、私の行く手を遮りました。


 半鐘の音と共に耳に聴こえてくる、金属の擦れ合うような音。

 不味い。さっきの巨大なトロッコが、此方に向かって来ている。


 焦る。

 しかし遮るのは細い棒で、しかもしなることに気が付き、急いで潜って反対側へと渡ろうとします。


 道路を遮断する棒を潜る瞬間、ふと耳に声が届きました。


「ドウシテ…………?」


 棒を掻い潜り、渡り切った私は、思わず振り返ります。


 そして目の前を、先程と同じような箱型の車輪の付いた巨大トロッコが、騒音と共に勢いよく通り過ぎて行きました。


 過ぎ去った後は、またゆっくりと棒が上がり、半鐘の音も停まりました。


 今聴こえた声は幻だったのか?


 そう訝しむも、もう聴こえない以上確かめようがありません。さっきの女性の痕跡も、こう暗くては詳しく探れないでしょう。


「すみません……!」


 謝るのが精一杯でした。


 意を決して顔を背け、進行方向へと向き直る。そして再び歩き出します。


 少し行くと、耳が異音を拾いました。


 ヒタヒタと、素手で地面を叩くような音。


 それは、後ろから……?


 勢いよく振り返ります。


「…………?」


 何も無い。

 何も居ない。


 そこには、先程のトロッコのような物が通る軌条と、そこを塞ぐように建つ黄色と黒の縞模様の柱だけ。

 何も変わっていません。


 前へ向き直ってまた歩きます。


 またヒタヒタと音が聴こえる。


「何だ! 何なのだッ!?」


 声を上げて後ろを見る。


 やはり、何も無いし居ない。

 しかし、今度は違いました。


「ドウシテ……タスケテヨ……」


 再び聴こえた。

 やはり、声がします。


「イタイ……ドコ……アタシノ…………」


 ヒタヒタと、乾いた音が続いています。

 心做しか、近付いて来ているような……?


「アタシノアシ…………ドコナノ……カエシテ……イタイ……」


 ぼんやりと。


 姿が見える。


 それは、


 下半身の無い、


 さっきの……女性……ッッ?!


「アタシノアシ…………! カエシテエエエエエエエッ!!!」


 上がった顔と目が合いました。


 血塗れの顔に、爛々と光るふたつの目。


 上半身だけの身体を、両手で引き摺るようにヒタヒタ、ヒタヒタと……


「い、いやああああああああああああぁぁぁッッ!!!!」


 踵を返し走り出す。

 暗い住宅街の中を、全力で、脇目も振らず。


 耳には、変わらずに音が響きます。


 ヒタヒタ、ヒタヒタ、と。


「カエシテ……! カエシテヨオオオオオオオッッ!!!」


 ヒタヒタ、ヒタヒタ、と声が近付いてくる。


 追いつかれる!

 いやだ、逃げられないッ!!


 何か無いか、懐を探る。

 手に硬い何かの感触が当たる。


 慌てて取り出す。


 それは、彼が転移前にくれた石。

 魔力を込めれば、砦の前に転移できると言っていました。


「アシヲオオ……カエシテエエエエエエッッ!!!」


 いやだッ! ごめんなさいッッ!!


 助けてッ!!


 声も、手で道を叩く音も、既にすぐ後ろに聴こえます。


「カエシテエエエエエエエエエェェェェッッ!!!!」


「いやだああああああッッ!! 助けてええええええぇぇッッ!!!」


 必死だった。

 無我夢中で、石に魔力を込めた。


 首筋に、


 冷たい手が、


 触れた気がする。




 ◇




「レティシアさん、大丈夫でしたか!?」


 声が聴こえる。同時に、身体を抱き起こされる感触がしました。


 目を開くと、ぼんやりと、知った顔が見えました。


 明るいな……


「マナカ……どの?」


 薄らと見える顔の輪郭。

 2本の角や、小麦色の肌の顔は……


 そうだ、彼だ。


「はい、マナカさんですよ。大丈夫ですか、レティシアさん?」


 再び声が掛けられる。

 段々と、視界が鮮明になってくる。身体にタオルを巻かれた感覚が分かる。


 そして、ハッキリと彼の顔が見えた時、私の中で、何かが切れました。


「ゔあ゙あ゙ああぁぁぁぁんっっっ!!マナカ殿!マナカ殿!!まなかどのおおおぉぉぉぉぉっっ!!!」


 そこからのことは、良く思い出せません。


 ただ、彼の名を連呼し、必死にしがみついて泣いたこと。

 そしてそんな私を、彼がそっと抱き締めて、あやすように背中を摩ってくれたこと。


それだけで、後は空白です。




 次に目が覚めると、天井が見えました。

 身体には布団が掛けられていて、横を見ると、見たことのある美しい女性が座っています。


「目が覚めましたか? 何が起きたか、覚えていますか?」


 女性は、アネモネ殿でした。

 迷宮の主、マナカ・リクゴウ殿の配下の使用人で、移民団の移動中は、護衛をして戦ってくれましたね。


 彼女の話によれば、私は侵入者用の迷宮に入り、脱出してきた途端に取り乱して泣いて、そのまま気を失うように眠ってしまったらしいです。


 迷宮…………頭が痛い。手で押さえる。


「ご無理をなさらないで下さい。よほど恐ろしい目に遭ったのでしょう。無理に思い出さなくても大丈夫です。ただ、その……」


 なんだろう?

 彼女が急に言い淀みます。


 首を傾げる私に、彼女は申し訳無さそうな顔で、説明してくれました。


 …………え゙?


「しっ、しししし失禁??!! 私が、彼の前でですかッ!!??」


 更に申し訳無さそうな顔になるアネモネ殿。

 一応はマナカ殿が、人目に触れる前にタオルで身体を包み、隠してくれたとのことでした。

 でも……!


「と、とととのがたの前で……し、しっきん…………ッ!」


 また気を失いそうだ。


 確かに服装が違っています。

 これは、アネモネ殿が着替えさせてくれたらしいです。


 しかし、まだ誰にも肌を晒したこともないというのに、それを飛び越えて、し……失禁したところを、見られたなんて……!


「主には、誠心誠意謝罪を行わせます。どうかお気を確かに、強く持って下さい!」


 心配そうにアネモネ殿が顔を覗き込んできます。

 しかし、もう私の耳には、何も響いて来ませんでした。


 はは……! 殿方に失禁したところを見られた……!


 も、もう、お嫁に行けないいいいいッッ!!!



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