第十一話 おはようと、ごめん。


〜 11日目昼過ぎ:王都ユーフェミア 貧困街スラム


《アザミ視点》



 身を潜めた廃屋の窓から外を見回す。


 城の貯蔵庫に身を潜めた後、託されたダミーコアでアネモネと連絡を取り、そしてなんとか必要な用意を済ませ、城を脱出することに成功したのだ。

 その間魔力遮断の結界は、マナカ様が捕らえられながらも、主従のパスを通じて維持して下さっていた。


 そのパスが途切れてしまう前に、結界が維持出来なくなる前に、アネモネから与えられた指示を全うし、脱出しなければならなかったのだ。


 アネモネからの指示は全部で五つ。

 その内三つは王城で既に果たした。



 先ず行ったのは、国王と王女の所在を突き止め、接触すること。

 アネモネの推測により、候補は二つに絞られた。


 ひとつは牢獄。


 だがこちらは、王太子が手柄を欲しており、継承争いへの拘りを見せていることから可能性は低いとのこと。


 その自己顕示欲の強さから、大々的な公の場での継承を目論んでいる可能性が高く、そのためには五体満足な国王は必要不可欠。そして何より、王位を継ぐためには、ある物を王より手に入れねばならないのだ。


 それらのことから、牢獄という劣悪な環境に置かれる可能性は、恐らく低いだろう、というのがアネモネの見解だった。


 もうひとつが、城に4本聳え立つ、尖塔のどれかである。


 アネモネの固有スキル【叡智】によりこの国の歴史を精査した結果、過去に問題を起こした王族が、実際にその塔に幽閉された記録を発見した、と言っていた。可能性が高いのは、こちらだろうと。


 時間が限られている以上、余計な行動を取るわけにはいかない。

 主の結界が保たれている間は、魔力が漏れる心配は無い。

 その間に、務めを果たすしかないのだ。


 固有スキルの【変幻】を使い再び鼠に化けた後、兎に角開いた窓を目指すために、潜伏していた貯蔵庫を後にした。


 そして人目を忍んで窓に辿り着くと、すぐさま空へ身を投げ、再びスキルを使う。


 目立たぬよう気付かれぬよう、身体が小さく、羽音も小さく、尚且つ飛ぶのが速い燕に姿を変える。

 主の記憶に拠るイメージで、『日ノ本の妖怪』として生成された己には、その日ノ本の常識的な知識が、ある程度備わっていたのだ。


 そうして四方に点在する尖塔をひとつずつ確認し、三本目の尖塔で当たりを引いた。明かりは既に落とされていたが、2人を発見したのだ。


 すぐさま窓の硝子を嘴で何度も突き、存在を知らせる。

 中に居る内の1人、フリオール王女が、訝しみながらも窓を開けてくれた。


 人を阻む鉄格子など、燕の身には何の意味も無い。するりと部屋に滑り込むと、【変幻】を解き人の姿に戻る。


 2人共驚いていたが、時間が限られているためすぐにアネモネの指示通りの言葉を伝えた。


『此度の事は王太子の意思か、それとも国の意思か?』


 思わず感情が込もった言葉となってしまったが、この怒りはこんな言葉程度では収まる筈もない。自分が酷く冷淡な顔をしているのを自覚できた。


 そして、それに対し、国王と王女は。


『本当に、申し訳無いことをした。王として、1人の父親として、我が愚息の仕出かしたことを、謝罪させてほしい。その上で、それは余の意思とは無関係だと誓おう。』


『アザミ殿、申し訳ない。そもそも情報が漏れたのは恐らく我の部下からだ。部下の把握もままならず、このような大事に至ってしまい、本当に済まなかった。』


 腰を深く折り、それよりも尚深く、頭を下げたのだ。

 一国の王と、その娘である王女が、ただの従者に。


 面食らったが、条件はクリア。


 アネモネからは、見限るかどうかはアザミが決めろと言われた。

 信に足るか否か、己自身で判断しろ、と。

 そのために、主はアザミに自我と知能を与えたのだ、と。


『試すようなことをして申し訳ありません。お2人は信に足る方々だと判断いたしました。その上で、ご助力をお願いします。我が主を救け、我が主の迷宮を護るために、どうかお力をお貸しください。』


 跪き、助力を乞うた。形振りなど構わず、怒りなどかなぐり捨て、願った。


 全ては主を、マナカ様を救けるために。




 ここまでがひとつ目の指示だった。


 信に足るなら協力を、そうでないなら、最早袂を分かつのみ、と。

 アネモネの平坦な口調が、殊更に強調されていたようだった。


 そして協力を取り付け、次に行ったのは、探し物である。


 探すのは二つ。【調印紙】と、【国璽】である。


 調印紙――魔法で強い拘束力を持った契約を結ぶための羊皮紙は、王の執務室に有るのは判っている。

 あの王太子も、わざわざ記入前の白紙の羊皮紙になど用は無いだろう、との見解だ。


 しかし国璽は、国王自身が厳重に管理しているため、所在不明である。その在り処を、国王自身から聞き出すのだが。


『国璽は、余の寝台の支柱の中に在る。正しい手順で支柱の先端の珠を正しく回せば、4本目の支柱の鍵が外れ、取り出せるようになる。』


 と、あっさりと所在を教えたのだ。


 それには流石に驚き、王女などは目を見開いて口を開け閉めしていた(声は出ていなかったが)。しかし国王からは謀ろうという気配は感じられず、信じることにした。


 寝室へは執務室の奥の扉から行けるらしい。

 詳しく手順を教わり、すぐさまスキルで再び燕となり、窓から飛び出す。


 今後の動きは、あくまで2人を信用でき、調印紙と国璽が無事に揃わなければ開示しないことになっていた。

 最悪を想定し、これすらも罠である可能性を案じての保険だ。


 そして、王の執務室に舞い戻り調印紙をすぐさま懐へ仕舞い、寝室を目指す。


 国璽の捜索のために兵が居る可能性を示唆されたが、深夜ということもあってか、探索は日が昇ってから行うつもりらしい。


 無人の寝室へ辿り着き、酷くあっさりと、国王の話した手順の通りに、刻印の刻まれた指輪――国璽を手に入れたのだった。




 そして三つ目の指示。


 手に入れた調印紙と国璽を以て、国王と王女への今後の対応策の説明と用意である。


 尖塔へと舞い戻り、2人にこれから行う策を伝える。


 国王と王女は此方が戸惑うほどに、意欲的に、積極的に協力してくれた。


 主の想いや願いがしっかりと伝わり、受け入れられていたのだと思うと、涙腺が緩みそうになり堪えるのが大変だった。


 そうして、策のための最優先の準備が整った。

 いつ結界が解けるか判らないため、一旦2人と別れて城を脱出しなければならない。


 再び姿を変えようとすると、そこに声が掛かった。


『アザミ殿。此度の我が国の失態、改めて謝罪する。どうか彼を、マナカ殿を無事に救い出してほしい。彼にも、心から謝罪をさせてほしい。』


『我からも頼む。王女とは名ばかりのこの身なれど、協力は惜しまない。どうか、よろしく頼む。もう一度、マナカ殿と話をさせてくれ。』


 2人から、真っ直ぐな眼差しで託された。


 それに対して。


『元より、アザミはマナカ様の剣にして盾です。恥ずべき失態こそ犯しましたが、それは変わりません。必ずや、マナカ様の望みを叶えてみせます。』


 そうはっきりと言い残して、尖塔から、そして王城から脱出した。


 そして夜の闇に紛れ、王都の街並みの中でも潜伏の容易そうなこの寂れた区画に舞い降り、人の居ない廃屋に身を潜めて、体力と魔力の回復に務めていたのだ。


「回復はまずまずですね。軍の足ならばまだそれほど遠くまでは離れていない筈。行軍距離が馬で停まらずに片道3日、一般人の足で1週間となれば、昨日昼に出発したことを考えて……」


 軍団の現在地をおおよそで推測する。


 空を行く主や自分と違い、地を行くのであれば街道を用い、森や山などの難所は迂回して向かう筈である。


 昨日の未明に城を脱し此処に潜伏してから程無くして、主からの魔力の供給が途切れ、結界が消えた。


 単に眠ったせいで途絶えたならば良い。距離が離れて届かないのでも良い。

 しかし、どうしても最悪の予想が頭を過ぎって巡る。


 意図せず身体に力が入り、怒気が溢れてくる。


 主の望みのためとは言え、いざそういう場面を目にしたら、そういう事に成っていたら……


 己を抑えることが出来るだろうか……


 アネモネの言葉が蘇る。


『己を律しなさい、アザミ。マスターの無事も、迷宮の安寧も、そしてマスターの望みが成就するか否かも、全ては貴女の働きと自制に懸かっているのです。私達が居る以上、迷宮の心配はしなくとも大丈夫です。貴女は、そちらで貴女がすべき事を成し遂げなさい。』


 厳しく、強い言葉であった。


 主の転生に併せ、神自らの手により造られたホムンクルスだと聞いた。


 この世界の記録を参照し閲覧することが出来るという、規格外の能力を有した、家事も戦闘も熟す主の補佐にして配下の筆頭。

 その完璧を絵に描いたような女性は、更にこう続けた。


『貴女の心情は痛いほど理解出来ています。ええ、寧ろ理解どころか共感し、協調し、共同で王国を紅蓮の炎に包んで差し上げたいほどです。ノン、それでも生温いほどです。マナエも同じ気持ちですか? そうでしょうね。きっと話せばシュラも同じ事を言うでしょう。ですから、アザミ。』


 深く息を吸う気配が伝わってきた。


『私達も耐えます。耐え忍びます。気持ちは皆一緒なのです。ですから、どうかアザミも耐えて下さい。マスターの望みを、他でも無い貴女が叶えるのです。頼みましたよ、マスターの第一の腹心、アザミ。』


 同じだと、自分も怒っていると、そうあの冷静にして沈着な補佐殿が言った。いつも平坦だった口調に乱れがあり、怒気が伝わってきた。


 それを思い出し、頭を冷やす。


 皆想いは一緒だ。

 マナカ様のために。マナカ様の望みのために。


 感情が落ち着いてきた。そろそろ行動に移さなければ。


 随分と馴染んできた燕の姿に、再びその身を変える。

 昼中だろうと、このような小さな鳥ならば警戒はされないだろう。


 森の位置は王都の北。

 進路を其方へと向け、此方の気も知らずに爽やかに澄み渡る青空へと飛び上がる。


 軍に追い付き、秘密裏に主と接触する。


 燕の身体は、長距離を飛ぶには非常に便利だ。


 平均で時速50〜60km、瞬発的には200km近くまで速度が出せる上、風に乗りやすい軽い身体、空気を切り裂くように揚力に変える翼の構造、長い尾羽により重心を操る優れた旋回性。

 日ノ本でも、渡り鳥の代表格として扱われていた。


 燕の天敵となる大型の鳥や飛行型の魔物に注意しながら、空を進むことしばし。


 時刻は夕方に差し掛かった辺りか。


 太陽が傾き、西の空が心做し茜に染まり始めた頃に、1日で行軍した距離にしては随分と遠くまで飛んで、ようやくその軍団を視界に収めた。


 余程手柄を急いていたのか、はたまた欲に駆られてか。

 ざっと見渡せば歩兵が多いというのに、なかなかの強行軍である。


 規模は1000人ほど。


 アネモネから聞く限りは、ユーフェミア王国軍には様々な兵科が有るらしく、その兵種毎に隊服や鎧の色形が違って見え、まるで絵の具塗料を変えて塗られた絵画のような列である。


 その隊列の中央付近と、軍団後尾付近に、馬車や荷車が集中して配置されているのが見て取れた。


 そして中央付近の馬車列は見るからに豪華な物で、明らかに身分の高い者がそこに居るということを、如実に物語っていた。


 その中でも一際豪奢な馬車のすぐ後方。

 そこには、車列の威容にそぐわない、みすぼらしい幌馬車が1台追走している。


 幌の端が風に揺れ、車体の揺れに翻る度に、太陽の光を反射する。


 金属……鉄格子か。

 そこに主が乗せられて居ると直感し、スキルを重ねて使用する。


 如何に小鳥の姿とはいえ、警戒も無く人の集団に近付けば怪しまれるかもしれない。


 そう考え、今度は虫の姿を選択した。


 燕より尚小さく、人の周囲に居ても違和感の無い虫――蝿の姿となり、高度を下げ近付いて行く。


 本当ならこんな醜い虫の姿で主に近付きたくはない。

 どうせ虫なら、せめて蝶のような美しい虫に変化したかった。


 そんなこの状況では仕方の無いことを思いながら、己の力で極力魔力を抑え込み、魔力が多く漏れて感付かれぬよう注意する。


 マナカ様、遅くなって申し訳ありません。只今、御身の傍に馳せ参じます。


 軽過ぎる蝿の身体でなんとか風を掻い潜り、下手に人間に近付き過ぎて攻撃され叩かれないよう距離に留意し、幌馬車に近付く。


 幌の捲れた隙に潜り込み、格子の隙間を通り抜け、目にしたのは。


 全身に血の滲んだ包帯を巻き、両手両足を拘束されたまま、頭を此方に向けて横たわって居る主の、マナカ様の姿だった。


 いや、一瞬人違いかと思った。

 だって、あまりにも……あまりに酷い有様で、その頭部で誇らしげに天を衝いていた、あの黒曜石のように美しい角さえ見当たらなかったのだ。


 しかし、状況がその勘違いを許してくれず、現実に引き戻される。


 わざわざ王太子が乗っているであろう豪華な馬車に追走させているのだ。

 明らかに重要な人、物が載せられているのは当たり前で、此度それに該当するのは、己の主以外に他ならないのだ。


 幌の隙間から姿を見られないよう注意し、スキルを解いて荷台にそっと降り立つ。


 霞む視界で、揺れに耐えながら主に這い寄る。


「マナカ様、マナカ様……ッ!」


 涙が止まらない。

 主の頭をかき抱き、己の膝に乗せて耳元で小声でだが必死に叫ぶ。


 包帯の巻かれた頭部。角の生え際と左目の辺りから、特に酷い出血があったようで、包帯は真っ赤に深く染まっている。


 か細い息。今すぐに全力で治癒魔法を行使したい気持ちに駆られ、同時に周囲の人間を根絶やしにしたい衝動に駆られる。


 しかし、魔法を行使しては周囲の人間に気付かれる。

 此処で戦闘を起こしては、主に耐えることを強いてまで進めた策が全て水の泡だ。


 ここまで、せねばならないのですか。

 ここまで、耐えねばならないのですか。


 必死に唇を噛み、切れて血が滲み出るのも構わずに、己の気持ちを、衝動を、怒りを抑え込む。


 止めどなく流れる涙が次々落ち、主の頬を濡らす。


 それに刺激を受けたのか、主が僅かにその閉じた右の瞼を顰めた。


「マナカ様! 起きてくださいっ! アザミが参りました!!」


 大声で呼びたいのを、絶叫したいのを必死に堪え、耳元で呼び続ける。


「…………あ、アザミ……か……?」


 掠れた、途切れ途切れの、蚊の鳴くような声を耳が拾う。


 傷に障らないよう、思わず頭を抱きしめる。


「ああ、マナカ様! 申し訳ありませんっ! このような事になっているのに、お助けすることも出来ずに……ッ!!」


 胸が張り裂けそうに痛い。

 主の頬に自分の頬を寄せ、目を強く瞑り後悔する。


 盟約など置いておき、真っ先に、形振り構わずにお救いするべきだったのではないか、と。


 そんな視界を閉ざした己の頭に、何かが置かれた。


 目を開けて見る。

 それは震え、力も碌に入らないのに、魔力封じの枷を嵌められたまま持ち上げられ、己の頭を撫でる主の手であった。


「ごめん……な。ドジっち……まったよ……心配、かけ……て、ごめん……ひ、姫……さんも、しん……ぱいしてる……だろうなぁ……」


 主の口元が震えながら言葉を紡ぎ、発する。


 その手を握り、そこにも頬を寄せる。


「マナカ様、大丈夫です。手筈は整いつつあります。王女様も、心配はしていましたが、もう一度会って話したいと、仰っておいででしたよ。」


 己の声が震えるのを堪える。

 主に聴こえるように、言い含めるように、ゆっくりと言の葉を伝える。


「……そっかぁ……あり……がとうな、アザ……ミ。楽しみ……だなぁ。また……姫さん……を、揶揄うの……うん。……頑張ら……ないとなぁ……」


 その口元に微かに笑みを浮かべる主。


 それを見て。居ても立ってもいられずに。


 マナカ様の唇に、己のそれを重ねた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る