第5話 東雲奏は不運に見舞われるが、天使とも出逢う


 健康診断終了以降に、

 その事件は起こった。



 僕は教室で漫画機材

(Gペン・丸ペンなど)の

 在庫確認をしていた。

 というのも、放課後

 買い出しに行こうと考えていたからだ。


 そこに、一軍と思しき

 生徒たち(中でも下の方)が

 通りかかった。

 唐突に机が揺れたかと思う間に、

 僕の鞄の中身が

 ぶちまかれてしまった。


 何事かと思い、視線をそちらに向けると、

 どうやら彼らのうちの一人が

 僕の鞄に足を引っかけ、

 転倒してしまったようだ。


 そのせいで、 

 ネタ用のノートや描きかけの

 漫画原稿が散乱している。



 彼はそれを詫びることもなく、

 ただ自分の身を案じているだけだった。



「いったー」



 少し腹は立ったが、

 それよりも鞄の中身を

 片づけることが優先事項だ。



「どんくっさ、ウケるwww」


「マジ、それな!」


「ぅ、うるせーよ」



 はっきりしなくて

 もごもごした声が耳に入る。

 おそらく、こけた一人が

 照れ隠しの言葉でも口にしたのだろう。


 しかし、僕はそんなことを

 気にしている場合ではない。

 今は一刻も早く、散らばった

 鞄の中身を拾い集めることだ。


 どうか、見つかりませんように。



 しかし、

 必然というものはあまりに無情で、

 僕の願いなんて

 聴いちゃくれなかった。


 僕が手を伸ばした先のそれに、

 一人が気づいてしまったのだ。

 彼は何の躊躇もなく、

 それを拾い上げて読んで。



「何コイツ、

 マンガとか描いてんじゃんww」


「見して、見してー」


「ちょっと!」



 僕の叫びも虚しく、

 僕のそれは彼らの間で読み回されて。

 挙げ句の果てに吐き出されたものは

 ……嘲りの意味を込めた 

 爆笑と罵倒の言葉の数々だった。



「こんなキザな男いるわけないっての」



 鼻から漏れたような音が響く。



「コイツ、めっちゃ乙女思考やん」


「マジオタクじゃん。

 キモメンって

 こういう奴を言うんじゃね?」



 僕に対して直接的に

 宛てられた言葉なのか、

 それとも内輪同士での会話のつもりが

 声が大きすぎただけなのか。


 答えはきっと、前者だろうな。

 詳しいことまでは聞こえていないけれど、

 言葉の趣から、悪意という

 悪意がひしひしと伝わってくる。



「男のくせに女々しいの」



 ただそれでも、これだけの罵倒を

 浴びせられてもなお、

 僕は黙って散乱したものを拾い集めていた。


 そんな僕の態度を見て、

 何か不満を抱いたようだ。


 こけた生徒はその理由を僕に責任転嫁し、 

 うさばらしをしようとしていた。



「コイツのせいでケガしたし、

 コイツも同じ目に遭わせないと、なぁ」



 背筋に悪寒が走った。

 嫌な予感がする。


 ふと気がつけば、

 彼の手元に僕の原稿があって。

 手を伸ばすがもう間に合わない。


 目先でそれは

 ぐしゃぐしゃと握り潰され、

 ポイッとゴミ箱へ放り込まれた。



「なんてことするの! 君は外道だね」



 僕はすぐさまゴミ箱に駆け寄り、

 ぐしゃぐしゃになってしまった

 原稿を救い出した。



 この一件以降、

 僕は彼らに目を付けられ、

 次々に物が紛失していった。



「あ、またか」



 前はシャーペン、今回はネタ用ノート、

 その前は丸ペン、その前は……

 数え出したらきりがないほどだ。


 もちろん、僕だって、

 仏のような心を

 持ち合わせているわけではないのだ。

 ただ、彼らがやったという

 確実な証拠がないのである。

 そのうえ、あくまで

 暗黙のルールでしかないが、

 スクールカーストというものが

 僕の言動をはばかるのだ。

 三軍如きの僕では、

 仮にも一軍に属する彼らに

 逆らうことはそれに反し、不可能。



「大丈夫?

 アイツらと話をつけて来ようか?」



 僕にはその言葉はあまりに優しすぎて、

 情けなくて。


 たとえ、

 中学以来の大事な友人と言えども、

 女の子にそんなことまで

 言わせてしまう不甲斐なさで胸が痛んだ。

 だから、

 片意地を張らずにいられなかった。



「平気だよ。

 それに、証拠もないのに疑っても、

 言いがかりだって

 ごねられて終わりだよ。

 でも、心配してくれてありがとう。

 俺はそれだけで十分だよ」


 

 それにやっぱりさ、桔花だって

 女子グループでの居場所があるから、

 俺には奪えないよ。


 しかし実のところは、悩んでいるし、

 金銭的にも労力的にも参っている。

 主に、隠されたり、捨てられた私物を探しに、

 ゴミ箱を漁り、

 使い物にならなくなった

 道具の買い出しなど、本当にキツい。



 そろそろ僕の財源と労力にも、

 底が尽きてきた。


 これ以上何もせず、

 されるが儘にしているわけにもいかなかった。

 だから、三時間目の休憩時間に

 あきくんに相談してみることにした。



「適当に謝るか、

『風紀部』に相談してみたら?」



 彼の言葉の前者はもっともだ。

 だが、僕に非がないうえに、

 こんな仕打ちをされていて、ある意味被害者だ。

 それなのに、屈服するという 

 理不尽な事態に耐えられるほど

 僕は大人になりきれない。


 後者は、僕は人見知りであるが

 故に不可能である。

 それに、僕はそもそも甘え下手なのだ。

 人に頼るということに

 抵抗を感じてしまうタチで、

 自分からSOSを発信できない。



 つまるところ、現状維持しかなく、

 末っ子で培われた忍耐力が試されるところだ。

 


 そんなことを考えながら四時間目を過ごした。



 そして昼休憩になり、

 今日の昼食がパンなので、

 それに合うジュースを買いに出た。


 実はこの、校内の食堂付近の

 自販機でジュースを購入する

 ということに密かに憧れていたのだ。



「ジュースっ、ジュース!」



 そういうわけで、

 僕は晴れやかな気分で食堂への歩みを

 進めていたわけである。


 すると、途中の渡り廊下の物陰に

 生徒二人を見つけた。


 遠くから見るため、

 顔は見えづらいが二人とも

 男子生徒だということは

 ズボンで確認できた。



 それにしても、

 こんな人気のないところで

 男子が二人きりでする話って何だろうか。

 端から見ても、

 二人の雰囲気が親しい友人同士の

 和気藹々としたものではないことは

 すぐに察知した。

 上手くは言えないけれど、

 何やら怪しい空気を醸していている。



 そのとき、壁際にもたれ掛かっている方の

 男子生徒の視線が

 こちらに向いているように感じた。

 少しずつ距離が近づいた

 お陰で彼の表情は曇り、

 涙目でSOSを

 物語っていることに気づけたよ。



 思わず足が竦んだ。


 なぜなら彼を助けるということは、

 その向かいの怖そうな男子生徒を

 上手くかわさなくてはいけないのである。


 人見知りでシャイな僕に

 そんなことができるというのだろうか。

 自分自身のことですら、

 未解決だというのに。



 そうこう悩んでいるうちに、

 事態は進行していく。

 向かいの彼が、

 壁際の彼の腕を掴んだのだ。



 あぁーっ、もう! 悩んでる場合じゃない。

 行くしかないや。



 勢い任せの勇気と下手くそなりの笑顔で、

 助けを求める彼の元へ足を進めた。



「せーんぱいっ!

 もう、探したんですよ。

 ほら、早く行きましょう?」



 壁際の彼がきょとんとした表情で

 こちらを眺めている。

 さらに、もう一人の彼も

 力の抜けたような顔をして見つめてきた。


 自分でもキツイと自覚しながらも、

 このキャラを貫く姿勢でいく。



「ほら、先輩と約束したじゃないですか。

 今日一緒にお昼ご飯食べるって。

 忘れちゃったんですか?」



 裏声を用いて、

 必死に可愛い後輩アピールをする。

 羞恥心で精神が融けてしまいそうだ。


 ようやく僕の

 アプローチに気づいてくれたのか、

 彼も僕に合わせ始めてくれた。



「あ、そう言えばそうだったね。

 ごめんね、ついうっかりしちゃってた。

 だから、悪いけどもう行くね」


「あ、あぁ……」



 呆れとも了承ともつかない

 曖昧な返事を受けて、

 僕らはその場を後にした。


 ついでに足早に歩みを進め、

 目的の自販機で

 オレンジココアを購入したのだった。


 


 それから階段を上り、

 さっきの場所と真逆に位置する、

 二階の西廊下まで

 来たところで彼は立ち止まった。



「助かったよ、ありがと。

 ちょっと話が通じないうえに、

 実力行使に出ようとするから、

 ホント焦っちゃった。

 君が助けに入ってくれなかったら

 どうしようって思ったよ」



 感謝の言葉を口にされる度、良心が痛んだ。


 初めは助けることを躊躇していたなんて、

 絶対言えない。



「いえいえ、あんな涙目で見つめられたら、

 誰だってそうしますよ」



 それでも、これも本心だったりする。


 それにしても

 実力行使とはえらく物騒な話だ。

 あれはかつあげか

 何かの現場だったのだろうか、

 いやでも、それにしては

 相手の引き際が良すぎた。


 まあ、済んだことだし、

 これ以上は考えないでおこう。

 もし、確かめられる機会があるなら、

 是非ともそうしたいけれども。



「そこでさ、

 助けてもらったお礼がしたいんだけど、

 なんかしてほしいこととかある?」



 よく見れば、

 すごい美人さんにこんなこと言われたら、

 普通の男子は己の欲望を

 吐き出してしまうのだろうな。

 でも僕は……

 

 俯きがちになってしまう

 僕の様子を見かねて、

 彼はこんな言葉をかけてくれた。



「悩みがあるなら、話してみて。

 何か、力になれることが

 あるかもしれないから」



 彼の纏う雰囲気と

 その柔和で物腰穏やかな言葉に、

 僕の心の壁が薄くなる。



「じゃあ、

 聴いてもらってもいいですか?」


「もちろんだよ」



 彼は微笑ましい笑顔を見せてくれた。

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