マッチョ税の導入につきまして。

来栖もよもよ

◇  ◇  ◇

「あれ、デイヴィッド、広背筋がいい感じじゃん。

 何なに? 内緒でこそこそやってた感じ?」

 

 サラリーマンマッチョの山本は、ロッカーから現れたピザ屋マッチョのデイヴィッドに声をかけた。

 

「やだなー違いマスヨー山本さーん。なかなか仕事忙しくて来られなかったデス。なので、ネットでディップをポチりましたネ。あれナカナカいいデス」

 

 ディップ……ディップスタンドというのは腕立て伏せをする時に使う逆Uの字型の持ち手である。もちろん筋肉に負荷をかける為に使うアイテムである。

 

 

 


 マッチョばかりが集まるこの新大久保のジムでは、日曜と言う事もあって、若いサラリーマンや学生、結構なオジサンも含めてかなりの人で賑わっていた。

 

 基本、筋肉が会話の主体である彼らの話題は、ほぼ9割以上は筋肉の話である。

 

 どこのプロテインがいいとか、ベンチプレスでようやく100(キロ)を上げられるようになったとか、どこの大会で優勝した誰それのボディメイクが半端ないといった、同胞にしか分からないようなネタで熱く盛り上がれるのは楽しい。

 ジムは彼らの心のオアシスである。

 

 

『これより、町尾官房長官による新税についての会見を生中継でお送りします』

 

 

 ジムに設置されている大きなモニターに、ニュースキャスターの真面目そうな顔が映った。

 画面が切り替わり、カメラマンのフラッシュと沢山の記者たちが集まる中、町尾官房長官が会見席に現れた。

 

 

 190を誇る恵まれた体格に、50歳を過ぎているにも関わらず、スーツからも分かる鍛え上げた筋肉。

 

 町尾は政界入りをする前には、海外でも有名なボディービルダーとして活躍しており、アマチュアでプロを押さえて何度も大会で優勝していた。

 

 その上MBAを取得している知性派で、リムレスのメガネから覗く鋭い眼光、彫りの深い整った顔立ちは女性にもかなり人気がある。

 

 「メガネマッチョ」と言えば彼の事であり、マッチョは脳筋ばかりではないというのを世間に知らしめた功績は大きい。

 ジムに通うマッチョたちにとって、文武両道の町尾は【神】と呼ばれる存在であった。

 

 

「──お? 町尾さんの会見か」

 

「相変わらずいい筋肉のサイズだよなあ。見ろよめくったワイシャツから覗く前腕筋群。

 とても50代とは思えないよなあ」

 

 我らの神の会見とあっては見ないという選択肢はない。ステアクライマーやベンチプレスをしていた男たちもぞろぞろとモニターの前にやって来た。

 

 だが会見の内容が新税とは頂けない。

 

「何でもかんでも税金税金ってさあ、俺らだって税金増える度に収入上がってりゃ幾らでも払うけどよう。

 横ばいで増税されてもなあ」

 

 看板屋マッチョの板尾が情けない顔をしてぼやくと、魚屋マッチョの横山がまあまあ、と宥めた。

 

「ウチなんか自営業だからよ、いくら働こうが客が買ってってくんなきゃ収入ないんだよ? 板尾くんは毎月給料出るからいいじゃん」

 

「そうっすけどー」

 

 増税はんたーい、と口々に声が上がる中、町尾官房長官の会見が始まった。

 

 

「今回はお忙しい中お集まり頂きありがとうございます。新税についての話になると、国民の皆様も他人事ではないと思われるでしょう。

 さて、この度来年の4月から、新規に『マッチョ税』の導入が閣議決定致しましたのでご報告致します」

 

「……は? 何だよマッチョ税って」

 

 見ていたマッチョたちは一同眉間にシワを寄せた。

 事と次第によっては反対運動を実際に起こさねばなるまい、という強い意思を見せている厳しい顔のマッチョもいた。

 

 町尾は続けた。

 

 

「皆様、町中で良く見るやたらと体格のいいマッチョ。……まあ私などもオジサンではありますが、マッチョと未だに言われる事があります。

 まあこんな体型の人たちとご理解下さい。

 マッチョというのは、己を鍛え上げ、逞しく美しい体を欲する訳です。趣味嗜好、まあ生き様といっても過言ではありません」

 

 町尾のバリトンボイスが会場の人間を静かに聞き入らせている。

 

「生き様は人それぞれ、勿論です。

 ですが、鍛え過ぎた余りに、周囲の非マッチョな方々に無意味に威圧感・恐怖感を与え、バスや電車内で4人掛けの椅子を2人、3人で座ると既にもう1人が座れるゆとりなどない。

 2人掛けの椅子なら尚更1人のマッチョでいっぱいいっぱいです。子供でも隣に座れるかどうか。

 公共機関は一般的な体格の方を前提として計算され作られておりますので、他の非マッチョな方々のご迷惑にもなっているのです」

 

 記者の1人が手を上げた。促され立ち上がった女性記者は疑問を投げ掛けた。

 

「ですが、そうすると、言葉は悪いですが太っている方も迷惑という事になりませんか?」

 

「太っている方は、病気でホルモンバランスが崩れて太ってしまう方、むくんでいる方などもおられますし、判断基準が難しいのです。

 病気の方は好きでなった訳ではありませんから。

 そうでない方というのは、まあ成人病や心不全などの様々なリスクをものともせず……いわば己の寿命で税金払っているようなものですし、それによって短命で亡くなったとしても、年金払わなくて済みますしWINWINな関係なので構いません」

 

(町尾さん、言い方……)

 

 心の中でジムの人間の多くが思う中、町尾は続けた。

 

「大体ですね、何にもしないでデブになるのは簡単ですが、何にもしないでマッチョにはなれないのです。

 マッチョというのはそんな生易しいトレーニングで仕上がる物ではありません」

 

 ドンッ、とテーブルを叩く。

 

「マッチョとは、プロテインという糸とトレーニングマシンという機織り機で作り上げたシルクのように繊細なものなのです。

 日々の通勤でマッチョになりますか? 

 書類仕事でマッチョになりますか? 

 毎日の暮らしにマッチョである必要はありますか?

 全てNO! 必要ありません。

 自分が好きで鍛えて、好きで見せたいだけです。

 その努力を称えて欲しいだけなのです。 

 ですが、趣味嗜好の範疇に入れるとしても、威圧感も含めて人様の迷惑になるような状況は憂うべき事態となっております。

 タバコも趣味嗜好品であり、煙で周りに迷惑がかかるので喫煙エリアを設けたり、ポイ捨てを防止するために灰皿を設置したりと、沢山の税金を頂いて賄っております。

 お酒も酔って暴れ警察に厄介をかけたり、絡まれて怪我をする人もいますが、趣味嗜好品として、こちらも沢山の税金を頂いております。

 これが言える事は何か。

【迷惑をかけてでも好きな事をしたいなら税金を払えばいい。国はそんな貴方たちの味方です】と言う事なのです!」

 

 

 要は税金を国に納めてくれるなら大抵の事は見逃しちゃうだっておゼゼ大事だもん、という本来ならば、

 

「お主も悪よのう」

「いえいえお代官様こそ」

 

 というオブラートに包まないといけない本音をどストレートに投げつける町尾にだったが、そこに正論も含まれている事をマッチョたちは理解した。

 

 確かに町中で避けられたりする事もあったし、電車で7人掛けだか8人掛けだかの椅子に自分たちが座ると、5人とかになっていた事もあった。

 

「……まあ、言ってる事は分からなくも無いけどさ……」

 

 看板屋マッチョの板尾が先程とはうって変わって小さな声になり呟いた。

 

「でも……町尾さんの言うマッチョの基準ってどうなってんのかなあ?」

 

 大学生マッチョの河原崎が首を傾げ、他のマッチョたちもおおそうだそうだと言い出した。

 

 記者からちょうどそんな質問が出たので、マッチョたちは静かに耳を済ませる。

 

「ご安心下さい。マッチョの基準は明確です。

 胸囲120センチ以上。これだけです。

 それと、当然ながら、筋肉必須のお仕事……相撲取りですとかプロレスラー、体操選手などのアスリートなどは基準を超えていてもワーキングマッチョとして非課税対象となりますのでご安心下さい。

 

 今年から年に1度、夏に行われる全国一斉胸囲診断で120センチを超えたマッチョの方は、翌年からマッチョ税の課税が始まります。

 毎年更新されますので120センチを切った方は翌年の課税はありません。

 ──要は、マッチョではない、という事になりますかね」

 

 

 最後のぽそり、と呟いた一言は、ジムの、いや全国のマッチョたちに対して恐ろしい衝撃を与えた。

 

 この鍛え上げた肉体美がマッチョではないと言われてはたまったものではない。

 金、労力、プライベートな時間を注いだ芸術品なのである。

 

 

「……オーナー、メジャー、ありマスか?」

 

 ピザ屋マッチョのデイヴィッドが、モニターの前で魂が抜けたような顔になっていたオーナーマッチョの清水に問いかけた。

 

「あ、あー、あるよ。そこの棚のとこ」

 

 デイヴィッドはゆっくりと棚に向かい、メジャーを取ると、自分の胸囲を測った。

 

「……オー、困りましたネー、123センチでしたか。

 これは税金を払わないといけませんネー」

 

 溜め息をついて、ベンチプレスに戻るデイヴィッドの顔には抑えきれない笑みが浮かんでいた。

 そこには、

 

『自分は国に認められたマッチョであり、課税対象になるほどのマッチョである』

 

 という、マッチョの自尊心を煽るワードを知り尽くした町尾の計算に、見事にはまった男の顔だった。

 

 

 サラリーマンマッチョの山本もメジャーを取ると自分の胸囲を測る。

 

「118……」

 

 これはいかん、とラットプルダウンに走った。

 モニターを見ていたマッチョたちは、全て同じ結論に至ったようで、奪い合うようにメジャーを取り合いサイズを測り、余裕を見せる者、慌てたようにベンチプレスへ急ぐ者、動きは様々であったが、

 

【夏の胸囲診断で課税を確定させること】

 

 この思いで心は1つだった。

 

 

 

 

 マスコミは、

 

「急な新税により、国民の反対が予想されます」

 

 と締めて、後日街中でマッチョたちにインタビューをしたが、

 

「いやあ、本当に困りますよねえ。確実に払う側としては大変だなあと。

 マッチョマッチョって言われてもほら、私は健康の為にトレーニングしてるだけですしね」

 

「ほんと、参っちゃいますよねえ。僕なんか130センチですかありますんで、課税対象になっちゃいますもんね。夏までに10センチも落とせませんし、ねえ?

 もう仕方ないですから払いますよ」

 

 などと目元に笑みを浮かべながら答えられるので、肩透かしを食ったような状態であった。

 

 

 

 

 

 そして、どのマッチョからも反対意見が出ることはないかと思われたのだったが、

 

「課税対象に細マッチョも入れろ!」

「マッチョに境界なし!」

 

 と細マッチョからの猛反発が起きた事は、町尾官房長官の嬉しい誤算であった。

 

 

 

 

 

 

  

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マッチョ税の導入につきまして。 来栖もよもよ @moyozou777

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