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六時ちょっと前に図書室を出て自転車置き場で自分の自転車にまたがって様子をうかがっていた。時々部活が終わって着替えた連中がぞろぞろと教室から出てきて、そのうちの何人かが自転車置き場にやってくる。今日は調子がいまひとつだっただの、顧問の先生が厳しくて嫌になるだの、私からは百万光年も遠くの出来事のような話題をしゃべりながら自転車にスポーツブランドのエナメルバッグをくくりつけて帰っていく。何人かはこちらをちらりと見て何してんの?っていう目で見て行くやつもいる。幸い同じクラスとか、親しい知り合いとかは来なかったので面倒くさいことを聞かれたりしないので良かった。
陸上部の練習が終わったらしく、大勢の団体が教室から出てきた。強いのか弱いのかは知らないが、陸上部はとにかく人数が多く、しかも頭のいいやつが多い。先生たちも陸上部はエリート、みたいな扱いをしているふうがある。何人かが自転車置き場にやってきた。そのうちの一人が例の黒チャリに乗っていたやつに様子が似ている。ちょっとドキドキしてきた。しかし冷静になると、こんなことでドキドキしてるのって変だよね。悠里と茜が言っていた、自転車置き場の菜奈はへーんっていう合唱がふと思い出された。
「今日も瑞希、絶好調だったね」
自転車置き場にきた集団の一人が黒チャリ似のやつに話しかけた。
「別に。いつも通りだよ」
黒チャリ似のやつは低い声でぼそっと答えた。近くで見るとすらっと背が高く、髪も肩くらいまでさらっと伸ばしていて、顔も細身で浅黒く、いかにもスポーツが得意そうな感じの美人だった。間違いない、こいつだ。案の定そいつは黒い自転車の鍵をはずしてまたがり、紺色のアディダスのスポーツバッグをかごに突っ込み、自転車をこぎだした。自転車にまたがって足をぷらぷらさせている私のほうをちらりと見て特に表情も変えず、通り過ぎて行った。私はいかにも友達を待ってんだけど来ないなー風の様子をかもしだして、首をのばして教室のほうを見やるふりをしていた。
陸上部の一団が校門を出て行ったのを確認して黒チャリの後をつけて行った。校門を出て集団は半分くらいになり、いくつかの角を曲がるたびに数は減っていった。でもやっぱり間違いなかった。黒チャリは私の家と同じ方向に向かう橋を渡っていった。そして田園地帯に入ったころには黒チャリ一人になった。時間は六時半を少し過ぎたころで、結構暗くなってきていた。田園地帯は見通しが良く、これじゃいかにも後つけてますみたいな風だったが、私は自転車のライトを消して気付かれないように微妙な距離を置いて後をつけて行った。黒チャリは気づいているのかいないのか、全く後ろを振り向かず、普通の、いや私にとっては遅すぎるスピードで自転車をこいでいた。おかしい・・・、こんなペースじゃ私を抜けるはずがない・・・
そうこう考えながら後をつけていたらもう国道沿いに出てしまった。そして私がいつも国道沿いにまっすぐ通り過ぎる四つ角のうちのひとつを曲がって住宅街に入って行った。そうか、ここから入る住宅街に住んでいるのか。わたしの家からは七~八百メートル離れてるってところだろうか。いずれにしても黒チャリの住んでいる場所はわかった。うん、今日は大きな収穫があった。私はなんとなく嬉しくなり、軽いこぎっぷりで家に向かった。少し前までは陽が落ちるとまだ冬の名残のようなひんやりがあったが、今日は春のにおいがして、あったかい感じがまだまだ残っていた。家に帰るのがもったいないような、早く家族に会いたいような不思議な感じがした。
家に帰ると、部活も入ってないのにどうしてこんなに遅いのよとママに聞かれたが、面倒くさいので悠里と茜と百均に寄ってたら遅くなっちゃったと適当に言い訳しておいた。柚奈は相変わらず眉間にしわをよせてゲームをやっていた。
「ほら、目ぇ悪くなるぞ」
柚奈の頭を軽くこづいた。なんとなく家族の誰かにからみたい気分だった。
「やめてよ、お姉ちゃん。お店に入りたかったのに押すから手元が狂って木に当たって蜂が出てきて刺されちゃったじゃないかー」
相変わらずわけのわかんないことを言ってるけど、なんだか今日は可愛い感じがする。後ろからほっぺたをつねったりしたが無視してゲームを続けている。つまらないので目隠しするとさすがに
「やめてよおねぇちゃん!」
と言ってママのほうにおかあさーん、おねぇちゃんがーと言って行ってしまった。
「おねぇちゃんのせいで蜂に刺された―」
はたで聞くとすごいセリフだがママもいつものことだとわかっているので
「はいはい、さぁご飯にするからお茶碗を並べるのを手伝って」
柚奈がぶーというのを聞きながら着替えるために二階に上がった。
二階の踊り場にスフィンクスみたいな姿勢で寝ているシャープがいたので、黒チャリの居場所を突き止めたぞーと言いながら顔をシャープの顔にこすり付けた。シャープはすごく迷惑そうな表情をしてのっそりと起き上がり逃げようとしたので、待ってよ、話を聞いてよと言って捕まえようとしたらぴょんとはねて逃げて一階の方に降りて行った。もっと誰かに今日の出来事を聞いてほしかったのに・・・
翌朝、陸上部の朝連が無いことを知っていた私はいつもよりゆっくりした時間に家を出た。言うまでもない。黒チャリのやつがどの道を通って、私より早く学校に着くことができたのかを確かめるためだ。しかも今度は簡単だ。国道沿いのどの交差点からあいつが出てくるかわかっているので、どの辺で待ち伏せていれば良いのかもわかっているからだ。
だいたい学校に着く時間から逆算して、国道に出てきそうだと思っていた時間に黒チャリは現れた。今日は陸上部のジャージでなく制服姿で、長めでさらさらの髪を風になびかせてふつうのスピードで走っている。適当な距離を置いて私は後をつけた。
国道沿いをしばらく走り、私がいつも曲がっている大きなホームセンターのある交差点を曲がって田園地帯に入った。いつもはびゅんびゅん飛ばして走っている道が、誰かの後をつけているというだけで違った道のようで、なんか狭く長く感じる。またこれから何が起きるんだろうという期待と不安で胸がいっぱいだった。こんなにどきどきするというかわくわくするのは、最近では久し振りだ。いや、中学に入ってから初めてかな。この前、わくわくしたのなんか、いつだったっけ。
そんなことを考えながら後をつけていくと、いつのまにか川の土手のところに出た。今のところ私がいつも走っている通学路と同じだし、スピードもそんなに変わらない、っていうか遅いくらいだ。ちぇ、つまんないなぁ。
そう思った次の瞬間、私ははっとした。黒チャリが私がいつも走る川沿いの土手の道に入らず、土手を通り越して下り、川原のジョギングコースに入ったからだ。私はすべてがわかった気がした。そうか、土手の上を通らずそれに沿った川原のジョギングコースの道を通ったから私に会わずに先に出られたのか。
このジョギングコースは私がいつも走る土手の道とほぼ平行に走っている狭く舗装された道で、その名の通りジョギングやサイクリングのための道だ。土手の斜面は草が生い茂っていて、土手の道からはこの道は見えない。だからこの道を黒チャリが走っていることがわからなかったのだ。しかし疑問はもう一つある。この道を通ったからって決して近道ではないから、私より前に出るっていうことは相当なスピードで走っていたってことになる。私だって自転車のスピードでは負けていない自信がある。しかしその自信は次の瞬間、もろくも崩れ去った。
黒チャリはジョギングコースに入ると急に姿勢を変えて気合を入れ、立ちこぎになってスピードを上げた。そのスピードのあがり方と速さは私にはまるで競輪選手のように見えた。こんなママチャリ自転車であんなに速くスピードを上げて、しかもその速さを持続して走り続けることができるのかと目を疑った。当然私は後をついて行く事が出来ず、ぐんぐん離されてしまった。私の自転車通学に対する、通学経路の最適化とスピードに対する自信と誇りはずたずたにされてしまった。黒チャリはあったいう間に見えなくなり、私はその後を抜け殻のようになってふらふらと走っているだけだった。
その後、学校に着くまでの事はあまり覚えていなかった。あまりペースも上がらず結構ぎりぎりに学校に着き、教室に入った。いつものように悠里と茜がやってきた。
「おっはー。今日はいつもより遅かったじゃん。あれ、なんか今日は菜奈、ブルー?」
「悠里、駄目だよ朝からそんな直球のコメントは」と茜。
自転車通学の自信と誇りをずたずたにされましたなんて言ってもわけわからないし、そんなことに真剣になっているなんて死んでも知られたくないので
「なんか今日は朝から疲れちゃっててさー」
と差し障りの無いことを言った。
「わかるわかる、なんかゴールデンウィーク前の今頃って力入らないっていうの、あるよねー」
茜がコメントに同調してくれた。
「あっ、中ブーが来た」
二人は席に戻って行った。
その日はその後の授業中もずっと朝の黒チャリのあの信じられないスピードのあがり方(理科で習った加速度ってやつか?)と速さについて考えていた。どう考えてもいくら陸上部って言ったって、脚力だけであの加速とスピードは無理だ。ひょっとしたら自転車が違う?変速機っていうのが付いているのか?小学校の時に乗っていたマウンテンバイクタイプの自転車には変速機がついていて、確かに今乗っているやつより加速が良かった気がする。でも確か変速機付きの自転車って通学には禁止されていたはずだ。いくら自転車の色の違反は大目に見られているとしても、そういうところは許されないだろう。ということは脚力だけであんな加速とスピードが出せるのか。正直言ってめちゃくちゃくやしい。私もあんなスピードで自転車をこいで、黒チャリを追い抜いてやりたい。くやしい、くやしい・・・。
私は考えれば考えるほどくやしくなり、泣きたい気持ちだった。授業は上の空で(いつものことだけど)悠里と茜と給食を食べる時も二人の話に適当に相槌を打っているだけだった。今日の菜奈は上の空で変だねなんていう二人の会話すら上の空でしか聞こえなかった。でも私はあることを思いつき、それを実行することを決意していた。
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