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家から学校までは大体三十分、十キロメートルの道のりだ。まず家を出て住宅街を抜けると大きな国道に出る。国道の歩道をしばらく走ると脇道に入って田んぼの中を走り、土手に突き当たって少し走るといきなり視界が開けて大きな川が見える。その川沿いをしばらく走ってから橋を渡り、また住宅街を抜けると私の通う中学校に到着する。
今日もいつものように家を出る時に腕時計をストップウォッチモードにしてスタートする。家の付近でそんなにスピードを出すわけにはいかない。近所のおばさんたちに見られたらあっという間に
「武井さんちのお姉さん、暴走族にでもなりたいのかしら」
といううわさが町中に広がってしまう。
おとなしく、それでも周りの自転車よりは全然速いスピードで住宅街の歩道を走り抜けていく。春の朝のあったくてちょっと湿って重い空気が頬に気持ち良い。下り坂では下から風にあおられてスカートがめくられる。でも下にジャージの短パンをはいているから全然気にしない。交差点の歩道もどの順番で、どう通ったら一番速いのかを体が覚えている。この道は左右どちら側を通ったほうが次に曲がるときに効率が良いとか、ここで頑張ると次の信号が通過できるとか。レーサーがコースのライン取りをするようなものだ、なーんて言い過ぎかな。
しばらくすると大きな国道沿いに出る。ここの歩道は幅が広く、タイムを稼げるところだ。時には立ちこぎになってめいいっぱいスピードを出す。時々自転車が走っているがびゅんびゅん抜いていく。気持ち良い。まだこの辺では同じ学校の子とはすれ違わない。近くの高校生が多い。たいがいならんでくっちゃべっていたり、スマホをしながら走っている。だがここの歩道は十分広いせいで抜くときもベルを鳴らしてどいてもらうような必要は全く無い。だいたいというかたいがい同じメンツに同じ場所で追い抜くかすれちがう。それがどのポイントになるかで今日の早い遅いがわかるのだ。その点で言うと今日は少し遅い気がする。立ちこぎでアオリを入れてまたスピードをのせる。それーっ!
大きなホームセンターがある交差点を左折して脇道に入る。しばらく坂を下るとのどかな田園地帯に出る。ここから先は畔道が舗装されたていどの道だが、他に全く通行している人や自転車がいないのと、素晴らしく見通しが良いせいで思い切り飛ばせる。ここまで来ると体が火照って、四月の陽気ではうっすら汗ばんでしまう。この辺は最も季節を感じられる場所だ。今は田んぼが整地されて土がむき出しになっている時期だ。もう少しすると水が張られて、ゴールデンウイーク中にそれこそいつのまにか苗がきれいに植えられている。近所の農家のおじさんが
「百姓にとってゴールデンウイークは地獄です」
なんて言ってたことがあったっけ。今みたいに機械を使っていても田植えは大変なんだろうなぁ。でもお百姓さんには悪いけれど、私はそんな時期の田んぼが一番好きだ。苗がまだ小さくって気持ちよさそうに風に揺られて、水面がきらきらよく見えて、何もかもこれからっていう感じがいとおしい。
田園地帯を走りきって土手にぶつかると、最初の登り坂にぶち当たる。自転車通学の敵は坂と風だ。多少の雨なんか大した問題では無い。何て言っても上り坂がいまいましい。風は向かい風でげんなりさせられることもあるけれど、追い風で助けてくれる時もあるもんね。だけど上り坂はいつも上り坂。あ、でも帰りは下り坂で楽ちんだけどね。
坂を登って土手の上に出ると、だいぶ同じ中学のお仲間が走っている。従ってそんなにびゅんびゅんは走ることができないが、それでもみんなの流れに比べると断然速くひとりだけすいすい走っていく。はじめは背の高い草木に覆われているが、急にぱっと無くなって視界が開けて大きな川が目に飛び込んでくる。私はこういう大きな川って大好きだ。海って潮風の香りは良いんだけれども、なんかべとついて嫌。それに比べると川ってすーっとしていて、流れも一方向で筋を通してますって言う感じが良い。
しばらく行くと大きな橋がかかっていて、その橋の歩道を走って川を渡る。さすがに橋の歩道ではほかの自転車を抜けないけれど、すきがあれば抜いて時間をかせぐ。橋を渡って住宅街に入ると3回角を曲がって我が中学に着く。校門をくぐったところで腕時計のストップウォッチを止めてタイムを見る。三十三分。うーん、今日はいまひとつだったなぁ。調子がいい日は三十一分くらいで、たまに三十分を切ることもある。そんな日はお赤飯を食べたいくらいだ。今日は反省しなくては。どこかのライン取りが悪かったのか?あそこでもう一人抜いておかなかったのが響いたのか?なんて反省を自転車置き場でしていたら
「おっはー」
と茜に声をかけられて我に返った。
「まーたチャリンコ暴走族やってきたんでしょ。肩で息してるよ」
「そんなんじゃないよ」
マジになってることを悟られるのは一番嫌だ。何事もクールに、本気にならずにが私のモットーだ。
「別に急いでるわけじゃないけどさ、ほらダイエットにちょうど良いから」
なんていつもの言い訳をしているともう茜はそんなことはどうでもいいらしく
「そういえば昨日のミュージックステーション見た?Aは相変わらずカッコイイよねー」
私はあんまりそういうのに興味が無いけれど、面倒くさいので一応同感することにしている。
「うん、見た見た。かっこ良かったね」
なんていうそれこそとりとめのない会話をしながら私たちは教室に入って行った。
もう気持ちはゴールデンウイークになっているような時期のある日、私はいつものようにママのお小言プラスいってらっしゃいを聞きながら家を出た。ちょっと小雨が降っていたがカッパを着るほどではない。
大きな国道から田園地帯に入ったところでうちの中学の通学ステッカーを貼っている黒い自転車が前を走っていた。初めて見るやつだ。本当は通学自転車は白かシルバーのママチャリ型と決められているのだが、何人かは色のついた自転車に乗っている。サイクリング車みたいな型の違いにはうるさいけれど、色については派手じゃなければあまり言われないのだ。私も校則なんかどうでも良いと思っているから自転車の色をどうこう言うつもりはないけれど、なんとなくこの黒チャリは気に入らなかった。その時はそれ以上気にせず抜き去って行った。バイバーイ。
いつものように川を渡って住宅街を走っている時、前方を見てスーッと血の気が引くような気がした。なんとさっき抜き去ったはずの黒チャリが前を走っているではないか!
そんな馬鹿なことがあるはずがない。私はこの通学経路を二年かけて研究し、最短で最も効率の良いコース取りで誰よりも速く走っているはずなのに!なんで目の前を、ついさっき田園地帯に入る前に追い抜いた黒チャリに追い抜かれているのだ!
何をそんなことにむきになっているのかって笑われそうだが、私にとって唯一誇りとしている自転車通学ライフに大きな傷をつけられたようなものなのだ。狼狽しているうちに黒チャリは中学校の門をくぐり自転車置き場に向かっていった。後ろから見たところ、知らない奴のようだ。せめて顔を見てやろうと自転車置き場に向かってダッシュしようとした時に、後ろから
「おっはー」
と茜が声をかけてきた。
「どーしたの?そんなむきにこいじゃって。まだ全然時間だいじょうぶだよぉ」
そんなことはわかってるよ。黒チャリ野郎の顔を見たいんだって。あー、行っちゃった・・・
「いや、べつにむきになってないけど、ちょっと、その・・・」
「ところでさぁ、数学の宿題やった?全然終わんないっていうか、やる気にならないっていうかさぁ」
茜が全然違う話題をふってきたのでほっとした。黒チャリを追っかけようとしたことは茜には気付かれなかったようだ。
「やったよ。後で写させてあげる。その代り理科のプリントやってたら写させて!」
茜は理科が好きで得意なのだ。
「いいよ。お互いさまってやつだね」
茜は将来、薬剤師か、どっかの化学系の研究室の実験助手みたいなものになりたいって言っている。水がなんの原子から出来ていようが知ったこっちゃない、飲めりゃいいんだと思ってる私からすると遠い世界の話。
私は得意な教科も好きな教科も無いし、なりたいものも無い。なるようになれば良いってみんなには言っている。でも本当は違う。好きなものも見つけたいし、これになりたいって思えるようなものに出会いたいって思っている。そんなことを本気で考えてるっていうこと自体、他人に知られるのが嫌なだけだ。いつでも軽く、クールにふわふわ生きてくっていうのがかっこいい。
帰りに自転車置き場をぐるっと見回すと、黒っぽい自転車が十台近く置いてあった。どれが今朝のやつかはわからない。でもなんとなく勘であいつはまだ帰っていないような気がする。だとするとなんかの部活に入っているってことか・・・
「どーしーたーのー なーな?眉間にしわよせて考え込んじゃって。様子がキモイよ」
悠里にいわれてはっと我に返った。実は今日一日黒チャリのことが気になって勉強なんか全く頭に入らなかった。まぁ普段だって授業なんかほとんど聞いていないけど。
「ははは。悩める年頃だからね」
と言ってごまかしたつもり。
「変なの。今朝もそうだったけど、自転車置き場の菜奈って変」
茜は今朝のことを覚えていたらしい。
「自転車置き場のなーなはへーん」
「自転車置き場のなーなはへーん」
悠里と茜が合唱して走って行った。
「ちょっと待った―」
自転車の鍵をはずして鞄をかごに突っ込み、スタンドをはずして自転車にまたがり二人を追いかけた。
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