第2部 第4話 凌辱

 奏が自宅に帰ると、奏の母親がウキウキしながら出迎えた。


「おかえりなさい。奏。いらっしゃい。睦ちゃん。」

「休日の貴重なお時間にお邪魔いたしまして申し訳ありません。」

「いいのいいの!睦ちゃんが奏の友達でホント良かったわ〜。まぁ!奏、完全に別人じゃないの!可愛くなっちゃって。ささ、上がって上がって。」


 睦と奏は高校に入ってからの付き合いだが、睦は奏の両親に非常に覚えがいい。丁寧な言葉遣いと、礼儀正しい振る舞いが好印象なのだろう。


 当然、今日の計画は睦から奏の母親に事前に話が通してある。先日もらえたという臨時の小遣いも、睦の手回しの賜物だ。


 奏の母親も、もうすぐ高校3年になろうかという奏が、まるで外見に気を使わず、また、亮真という彼氏ができたものの、まるで何も進展しないまま最近破局したこともあり、さすがに内心気をもんでいた。その破局の仕方も、おおよそ華の女子高校生が経験するような、男女の心の機微だとか、すれ違いだとか、そんなものとはまるでかけ離れたものので、経緯を聞いてあきれてしまった。そもそも、その経緯を全く臆面もなく話すようでは、この先どうなることかと思ったのだ。

 ちょうどそこに、睦から今回の計画について連絡があり、まさに渡りに舟というやつだったのだ。


「それでは、制服に着替えてくださいな。」

「今日、土曜日なんだけど?」

「知ってますわよ。明日が日曜日でしょう?」

 これはつまり、「つべこべ言わずにさっさと着替えろ」という意味だ。


「それでは奏さんの部屋へ参りましょう。姿見を見ながら、制服に着替えますわよ。」

「え?睦も来るの?」

「奏さんちの晩御飯、あと1時間ほどでお時間のようですわよ?」

 これはつまり、「つべこべ言わずにさっさと部屋に行け」という意味だ。


 二人で二階にある奏の部屋へ入ると、奏はしぶしぶ飾り気のないトレーナーを脱ぎ、制服を用意しだした。すると、その横で、睦が買い物袋から買ったばかりの下着を取り出し、鼻歌交じりにプライスタグをハサミで切り出した。

 その様子を見た奏はあまりの恐怖で震えあがる。


「まさか…まさか睦…あなたの前で下着から着替えろなんて言わないわよね?」


 新しくなった眼鏡の奥の瞳が、肉食動物ににらまれた小動物のようにおびえる。


「それは…セクハラよ。いや、パワハラと言ってもいいわ。」

「あら。日本には、同性が一緒にお風呂に入る、温泉という素晴らしい文化がありますわよ。」

 これはつまり、「女の子同士なら全裸をさらけ出しても問題ない。早く脱げ」という意味だ。


「ホントにあなた何者なのよ…」


 今日何度目かのこのセリフを吐くと、奏はまたもやがっくりと肩を落とし、睦に抗う気力すら失った。このぶんでは、おそらく何を言ったところで状況は変わりそうにない。「おとなしく睦の言いなりになる」のが最も早くこの辱めから逃れられるすべとなりそうだ。


「ううう…なんでこんな目に…」


 睦の視線から逃れるために、壁の方を向いた奏は、借金のカタに無理やり手籠めにされる娘のごとく、涙を流しながら下着を脱ぐ。羞恥か憤怒か悲哀か、もはや、今流れている涙が何の感情の涙なのかすらわからない。


 着けていた下着を脱いだ後、辛うじて右手で胸を、左手で下を隠したものの、買った下着を睦から受け取るのに手を伸ばさなければならないため、奏は睦の前で文字通り一糸まとわぬ姿をさらすことになった。


 キッと睦の方を見て下着を睦から奪い取ると、すぐに彼女の視線から逃れるべくまた背を向けて下着を着ける。


「ううう。ううう。この屈辱晴らさずおくべきか…何なのよこの辱めは…」

「泣いている場合ではありませんよ奏さん。新しい下着をつけたら姿見を見るのです。」

 そう言われて姿見の方を向く。


「!」


姿見に写った奏は、奏の知っている自分の姿では無くなっていた。


 力強い理知的な目はそのままだが、ボサボサで野暮ったかった眉毛は目頭側から目尻側へ自然で美しいカーブに整えられ、縁無しになった眼鏡と相まって爽やかな色っぽさを感じさせる。


 これまで全くのノーメイクだった肌は、ナチュラルメイクが施されたことで、高校生らしいはつらつさを感じさせる肌の質感はそのままに、それでいて落ち着きを感じさせる肌色にされている。


「睦の自分へのあまりの仕打ち」で流した涙が、「辛い恋を多数くぐり抜けてきた女性」の涙に見える。


 今までブラジャーのサイズが合っていなかったので、胸がつぶされて体の横側に流れていたものが、あるべき位置に戻ってきたことで体のシルエットが美しく整えられている。


 姿見の自分を見た瞬間、何も言われなくても奏は猫背だった背中を伸ばし、脚を自然に閉じて立った。


(わたし…かわいい…かも。自分がかわいいなんて生まれて初めて思ったかも…)


「さあ、最後の仕上げです。制服を着用してくださいな。」


 その言葉を待つまでもなく、奏は制服を着始めていた。

 セーラー服に限らず、学校の制服というものは色っぽさを前面に出すような形にはなっていない。


 だが、制服に限らず服装というものは、それを着ている者の意思が表に出てくるものだ。


 外見を整えたことだけが原因ではない。奏は「自分」というものを初めて意識した結果、表情も引き締まり、同じ制服を着ていても別人のような「オトナかわいさ」を身にまとった。


「これが…これが私?」

制服を着終わっても、奏は何度も何度も、姿見の前で自分を確認し続けた。


 睦が大きく満足気に頷き、拍手する。


「奏さん、大変素敵になりましたよ。もう、先週までの奏さんではありません。今の奏さんは、その泣き顔すら大きな魅力。なお、来週から、いつものくるぶしソックスは禁止します。足もとは紺のソックスか、寒い日は黒タイツで。それから、いつもの白一色のスニーカーも禁止です。入学式の時に履いてきたローファーをお召しになって登校を。」


 今日一日、何か睦に指示されるたびに不満を言っていた奏だが、この「変貌」を目の前でまざまざと見せられては返す言葉もない。


 睦と一緒にこの部屋で姿見を見ていなかったら、こんなことを言われても、また週明けから今までのように髪は三つ編みで、くるぶしソックスで白一色のスニーカーを履いて登校していたかもしれない。確かに、その恰好は動きやすくて楽だ。


 だが、その日の夜、睦にそこまで言われたわけでもないのに、しばらくしまいっぱなしだったローファーの埃を払い、靴用のクリームでローファーを磨いた。

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