第2部 第2話 居心地の悪い椅子

 土曜日、奏はいつものように黒縁眼鏡に三つ編みお下げで現れた。真冬なので、おそらくは親のお下がりと思われる真っ黒なダウンジャケットに身を包んでいる。このダウンジャケットがまた、サイズが合っていない。奏はそれほど肩幅が狭いわけでもないのにジャケットの肩幅が余っていて、肩の少し下辺りにジャケットの肩が来ている。


 後からマックに来た奏がダウンジャケットを脱ぐと、下にこれまた地味な無地のトレーナーを着込んでいた。


「これは手強そうですわね…」

「え?トレーナー姿が強そうってこと?」

「お話ししたとおり、軍資金は用意いただけたかしら?」

「睦が、『金額に比例して部員獲得の可能性が高まる』とかいうから、大枚用意したわ。ちょうどこないだ、『株の配当が入った』とかって、母親が珍しく臨時のお小遣いくれたし。」

「結構。それでは参りましょうか。」


 二人は歩いて数分のところにある美容室の前にいた。2年ほど前にできた、オシャレな美容室だ。コンクリートの打ちっぱなしの壁の間に、細長いガラスがはめ込まれ、中で雑誌を読みながらストレートパーマを受けているいかにもキャリアウーマンっぽい女性が見える。


「美容室じゃないの…部員となんの関係が?」

「まあそう言わず、騙されたと思って中へお入りなさいな。」

「既に騙されてるの確定のような気がするんだけど。」


 黒縁眼鏡の奥の眼差しを露骨に不満気にするが、睦を本気で怒らせると大変なので、とりあえずは言われるがままにする。


「こんにちは〜。予約してました二条ですが〜。」

「あら睦ちゃんいらっしゃい。あ、お連れの方がこないだ話してたコかしら?」

「あ、渚さんこんにちは。そう。この子ですの。お願いできるかしら?」


 どうやら、二人の間では既に話がついているようだ。奏の髪形についてオーダーを何も言っていないのに、渚さんと呼ばれた美容師がいそいそと道具の準備を始めた。


 ちらりと一瞥しただけでも、明らかにこの美容室に来る客層と違う外見の奏。

「フーム。これは手ごわいわね。やりがいがあるわ。」

「そうでしょう?この子を手掛けるのは美容師冥利に尽きるのではないかしら?」


 睦に煽られてますます奮起したのか、渚はそれこそ、奏の顔の輪郭から眉毛の雰囲気、肌の具合から髪質などを丹念に調べ始めた。


「睦…これは一体…」


 三つ編みにしていた髪の毛をほどかれ、ブラシで丁寧に髪をとかされた奏は、若干居心地が悪そうだ。


「私、美容室ってちょっと苦手なのよね。なんか、リア充の巣窟って感じがして。」

「まあまあ、そうおっしゃらず。渚さん、お願いしますわ。」


 ますます不機嫌そうな顔になっていく奏を取りなすように、その表情と対をなすように満面の笑みを湛えたままの睦が奏の両肩に手を当ててシャンプー台へ誘導する。


 奏はまず、髪を丁寧にシャンプーしてもらい、続いて、毎日三つ編みにされて癖づいてしまった奏の髪の毛のケアをされていく。今まで見たことがないような、ドロドロした白色の液体を髪の毛に塗りたくられ、そのままラップのようなものでコーティング。

 髪のケアを待つため席を移動し、時間潰し用の女性向け雑誌を渡されたが、そこに書いてあるメイクのテクニックが全く…というより、そもそもそこに書いてある用語が全く分からないので、5分で読むのをやめ、昨日の練習で使った楽譜をバッグから取り出して眺める。


 30分ほど経っただろうか。


「では流しますねー」

 と言われて、再度シャンプー台に連れていかれ、またもや髪を洗われる。毎日、家族と共用のシャンプーで髪をおざなりに洗うだけの奏には、シャンプーだけでこんなに時間をかけるのは初めてだ。

 髪の水分を軽く拭かれた奏は、髪が邪魔に感じたら自身で切っていた髪を、丁寧に整えてもらう。


「どんな感じがいいかしらね〜。」


 渚が楽しくて仕方がない、という様子でヘアカタログをめくりだした。それとあわせて予約台帳をめくる。


「睦ちゃんのオーダーが…なるほど。」


 いかにも何かがありそうな含み笑いをする渚。

 ハサミを持った渚は、長く伸ばされていた奏の髪型を活かして、後ろ髪の中央部は背中あたりまでそのままにし、肩の方向に行くに従って短めにしていく。


「あまりケアしていなかったなんて信じられない。キレイな髪よ。」

「そうなの?分からないけど。」


 渚の丁寧なケアもあり、奏の髪の毛はサラサラになり、手でかき上げると艶やかに手の上を滑り落ちていくようになった。


 ついで、眉を整えてもらい、ナチュラルメイクも施してもらった奏は、まさに別人のような変貌を遂げた。その代わり映えに、連れてきた睦も相好を崩す。


「渚さん、相変わらず素晴らしい腕前ですわ。渚さんに頼んで良かった。」


 全ての施術を全く休むことなくこなした渚は、その出来栄えに彼女自身も満足したようで、額に浮かんだ汗をぬぐいながらも満足げに言う。


「睦ちゃんが『キレイにしがいのあるコを連れて行く』って言われたとおり、存分に腕を振るわせてもらったわ。でも、やはり元の素材がいい。伸びしろがすごいわ。私がしたのは、本当にほんの味付け程度のもの。このコのこれからが楽しみだわ。」

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