第2部 第1話 奏と睦

 沙希が渡久山とくやま高校に入学する3ヶ月ほど前の1月。2年生の奏は、いつもの楽器庫で吹奏楽部唯一の男子部員の亮真に告げられた。


「悪いけど、俺、吹奏楽部やめるわ。これ以上、お前には付き合いきれん。」


 黒縁の眼鏡からはみ出さんばかりの厚みのレンズ越しにのぞく瞳とボサボサの眉毛。髪は三つ編みでおさげにした奏は、驚いた顔で聞き返す。


「どうして?どうしてよ?私、亮真と吹奏楽を一緒にやれるならなんだってするって言ってるじゃない!」

「では聞くが、お前のいう『なんでも』っていうのは具体的に何のことだ?」

「それは…もちろん、24時間耐久音源聞きまくりとか、九州縦断楽器店巡りとか…」

「そういうとこだぞ。俺のこの決断を後押ししたのは。」


 亮真はため息交じりにつぶやいた。


「だいたいだな、健全な男子高校生が、『今日、家に両親がいないからウチに来ない?』って言われたら、期待することなんて一つしかないんだよ!なんだよ家に遊びに行ったら一晩中かけて曲の耳コピ&楽譜起こしって。俺が触りたかったのは楽譜作成ソフトじゃなくて、もっと別のソフトなものやわらかいものだったんだよ!」

「別のソフトなもの…つまり、楽器を磨くクロスが触りたかったのね…言ってくれれば楽器庫にあったのを大量に持って帰っておいたのに。準備が悪いわね。亮真。」

「だから、そういうとこだぞ。」

「」


「っていうことで、亮真は退部、私からも離れていったわ。おかしいわよね。あの人。私、絶対に間違っていないと思うのだけど。やはり見込み違いだったのかしら。」


 部員が減り、少し広くなった楽器庫でみうと千晶に真顔で相談する奏。相談された2人は冷や汗をかいた。


「う、うーん。ちー、どう思う?う、うちはほら、彼氏できたことないし。そういうのに疎いから、何が標準的なのかとかそういうのがわかんないっち。」

「きたねーぞみう。オレに振るなよ。いや、確かにオレは彼氏がいたこともあるが、だから奏がどうすべきだったかとかそういうのは…ほら。なんていうかな。」


 二人は内心、

「お前はアホか」


 と思っているのだが、生粋の吹奏楽オタクである奏に、男女の間には吹奏楽よりも楽しいことがあるのだ、ということをわかってもらうのはなかなか至難の業と思われた。


「そうですわね…とりあえず、私におまかせくだされば、何がしかのヒントなら与えられるかと思うのですが、いかがでしょうか。」

「?」


 予想外すぎる睦の参戦に、みうと千晶が顔を見合わせる。


「ちょっと!ちょっとこっちに来い!睦!」


 音楽室を挟んだ音楽準備室に睦を引っ張っていった千晶が聞く。


「わかってるのか?睦?」

「なんのことでしょうか?」

「カナのことに決まってんだろ。あいつは、重度、いや、最重度、救いようのないレベルの吹奏楽オタクだぞ。眼鏡を選ぶときに、黒縁眼鏡はフレームが二分音符に見えるからという理由であのクソダサい眼鏡を買う女だぞ。髪を切る金がもったいないから自宅で自分で切って、その金でCD買う女だぞ。どうにかなると思ってるのか?」

「そうだっち。前、ウチが気を利かせて亮真と楽器庫に二人にして、2時間ほど放置しておいたら、楽器庫のほとんどの楽器がピカピカにメンテされてて、亮真の目が死んでたっち。」


 千晶とみうが奏の黒歴史エピソードを次々披露するが、睦は全く気にもとめない。


「お二人はまだまだ、奏さんのポテンシャルが分かっておられないようですわね。私に考えがありますの。」

「ポテンシャル?」


 みうと千晶は、またもや顔を見合わせたのだった。



 その日の練習後、睦は奏に声をかけた。


「奏さん、今週末の土日、空いているかしら?」

「空いてるけど?どうかしたの?」

「私に、吹奏楽部の部員を増やす秘策があるのですけれど、協力を仰げないかと。」


 睦の瞳の奥に潜む野望にも気づかず、奏は目を輝かせて二つ返事で受ける。


「やるわ。部員が増えるならなんでも。」

「では、土曜日の10時に駅前のマックで待ち合わせということで。」


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