第1部 第22話 暗雲、そして…

「アンコンか〜。カナ、どうかな〜?」

「そうねえ…」


 奏とみうの言葉の歯切れが急に悪くなる。


「あれ。もしかして、アンコン出ないんですか?」

「出るわよ。この人数で出られる唯一の大会だし。ただ…」


 言葉を濁す奏を遮るように睦が切り出した。


「吹奏楽コンクールやアンサンブルコンテストにあまり夢を見ますと、後で裏切られますわよ?」


 いつもと同じ柔らかな口調なのに、あまりにそれに似つかわしくない睦のセリフ。


「え?どういう意味ですか?」

 裏切られる?意味がまるでわからず、沙希は聞いた。しかし、睦は無言のままだ。何か言いたそうだが、言葉を選んでいる睦に代わって奏が切り出した。


「O県の学芸院に通う優美さんと同じステージに立つには、まずここ、Y県大会を突破する必要がある。そして…それは難しい。」


 アンサンブルコンテストも、吹奏楽コンクールと同じように、日本各地の地方大会や全国大会があるが、上位の大会に出るには、都道府県大会から順に勝ち上がっていかなければならない。


「もちろん、大変なのは分かってます。私初心者だし、まだ満足に楽譜も…」

「そういう事じゃないのよ。」


 奏は悲しそうに言う。睦に言わせたくないことがあるのだろう。睦に言わせなくて済むように奏が代弁しているのだと感じた。


吹奏楽コンクール吹コンアンサンブルコンテストアンコンも、カラクリがあるのよ。県大会突破が難しいのも、そのカラクリのせい。」


 沙希の、優美に対する真っ直ぐな想いと、吹コンとアンコンにカラクリが存在するという奏。対照的な空気がぶつかり合い、5人がいる楽器庫は、重苦しい雰囲気に包まれる。


「そうね…まずはこれを見て頂戴。」


 奏が棚から取り出したのは、過去10年分ほどのアンコンのパンフレットだ。出場高校の横に、鉛筆で結果が書き込んである。金、銀、銅の区別とは別に、◎が書いてあるのがおそらく県大会を突破した高校だろう。


 何年分かを見るが、特に不審な点は見当たらない。毎年同じ高校ということもないようだ。沙希にはカラクリなどまるで想像もつかない。


「え?何かおかしいですかこれ?」

「じゃあ、これも合わせて見てみて。過去のうちの県の吹奏楽連盟の役員一覧。」

「!これって…」


 吹奏楽連盟は吹コンやアンコンを主催する団体だが、その役員は県内の学校の教員が務めている。


 そして、その役員のうち、重役を務めている教員のいる学校が、高い割合で県大会を突破しているのだ。


「うちの県は公立高校が多いから、教員は転勤がある。だから、高校名だけ見てると目立たない。だけど、役員がいる高校は県大会突破率が高い。もちろん、高い指導力で実績のある教員が役員になりやすいのは事実だけど…」

「不正って事ですか…許せない…」


 沙希の目が暗くなる。


「不正じゃないわ。いくらなんでも、不正を働いたら教員はクビが飛ぶ。そんなリスクは冒さない。私が『カラクリ』といったのはその点よ。」

「じゃあ、これは偶然?」

「もちろん偶然じゃないわ。吹奏楽連盟の役員はね、コンクールの審査員を決められるのよ。大会を運営してるから。」

「まさか、ワイロ…許せない…」


 今度は沙希の目が赤くなる。


「沙希。話を最後まで聞きなさい。ワイロ渡したら、バレた時に結局クビが飛ぶじゃないの。」

「じゃあどうして?」

「例えばね、沙希ちゃんがコンクールの審査員を頼まれたら、ここにある4つの楽器のうち、どれの事が1番良く分かるかしら?」

「それはもちろん、ホルンですね。てか、他の楽器のことはまるでわかりませんし。」

「実はね、審査員頼まれるような人って、楽器のプロ演奏家とか、作曲家なんだけど、自分の専門分野以外はほとんどシロウトなのよ。もちろん、一般人よりは良くわかるだろうけど。」

「え?そんなもんなんですか?」

「そう。で、沙希ちゃんが審査員やるとして、その学校のホルン吹きさんがすごく上手だったら、良い点つけるでしょ?」

「良い点つけるというより、他の楽器がどの程度上手いか良く分かりませんし…って、それって…」

「そう。吹奏楽連盟の役員やってるのは、学校の教員だから、当然吹コンやアンコン出場高校の顧問でもある。そして、今年の出場メンバーの中で、誰か上手いか、誰か下手か当然知ってるわけよ。」

「例えばその高校にトランペットめちゃめちゃ上手い人がいたら、トランペット奏者を審査員にする…」

「まあ、そういうことね。」

「それだけじゃない。公平を期するため、ということで審査員は複数いるんだけど、審査員を決める権限を使えばライバル高校を潰せる。」

「!」

「例えば、吹奏楽連盟役員の高校が、今年の県大会がギリギリ突破できるかどうかかな、って状況で、うちの高校と競っていたとする。沙希ちゃんはものすごい早さで上手くなっているけど、やはりまだ上級生には及ばない…となったら。」

「ホルン奏者を審査員に…」

「そういうこと。各審査員の専門分野の採点はどうしても振り幅が大きくなる。上手ければより有利に、そうでなければより不利になるの。審査員は誰かに頼まなくてはいけないから、頼む事は不正ではない。決める権限も吹奏楽連盟にある。だけど、自分の学校を合法的に有利にできる。これが吹コンやアンコンのカラクリよ。出場人数の多い吹コンはそこまでではないけど、アンコンは1人が占めるウェイトが大きいから、より影響は大きくなるわ。」


 哀しそうな表情で語る奏。

 そして、せっかく自分の持てる力の全てでぶつかりたい目標ができたのに、自分ではどうにもならない壁がそこにあることを知った沙希。


「沙希ちゃんにできることを全てやっても、その努力が無駄になってしまうかもしれない。それでも、」

「出ます。」

 全く躊躇なく沙希は答えた。いや、身体が勝手に反応した。


「良く言った沙希。そうこなくっちゃな。」


 千晶が沙希の頭をうりうりと撫で回す。

 と、沙希の頭に涙がこぼれてきた。

 沙希は頭を撫で回されながら千晶を見つめた。


「ちーセンパイ、私の演奏でダメなトコがあったら、ビシバシダメ出ししてください。もう、合奏中には2度と泣きません。」

「沙希…」


「もう2度と泣かない」と言われた千晶が涙ぐんでいる。


「あらあら、千晶さん、こういうタイプの女の子に弱いのかしら?」

「この!睦!また要らないことを…」

 顔を真っ赤にした千晶が、照れ隠しで睦に食って掛かる。


 アンサンブルコンテスト出場団体は人口の少ないY県の高校部門でも数十団体を数える。その中で中国地区大会へ進出するのは容易ではない。


 沙希の挑戦は、ようやくスタートラインに立ったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る