第1部 第20話 希望

 そんな様子を見て、さすがに他の4人も演奏をやめる。もちろん、沙希が泣いている理由は4人には分かっていた。


 だが、4人が沙希を見る目は、沙希が想像する「憐み」や「励まし」とはまるで違っていた。泣いている沙希をよそに、4人は顔を見合わせ、しばらく呆然とした。


「奏さん…沙希さん、さすがね。私が見込んだ通りの逸材ですわ。」

「私も正直ここまでとは。まだ楽器に触れて2週間やそこらなのに」


 沙希は睦や奏の話の意味が分からず、泣き崩れた。


「私、先輩たちの邪魔しかできない。こんなんじゃあいない方がマシです。」


 吐き捨てるように言う沙希に、千晶が驚きを湛えた表情のまま言う。


「は?何言ってんだオマエ?」

「え?だって、みなさん、私の演奏聞いてましたよね?ひどすぎる…私が入った瞬間、演奏めちゃくちゃになって。先輩達だけで吹いてたらあんなに心地良い音楽なのに。私が入ったら」

「あのな。オレら4人が何で黙りこくってたかわかるか?」

「ひどすぎるからですよね?」

「逆だ。真逆。」

「え?」

「普通な、楽器を始めて、音がそこそこ出せるようになって、初めて合奏に入ると今の沙希みたいに絶望して泣いたりしねーんだよ。」


 激しく泣きすぎて、軽くひきつけをおこしながらも沙希は続けた。

「みんな、もっとうまく吹けるってことですよね?私、やっぱりここにいちゃあダメなんだ!」


 千晶は、自分の言葉が意味するところが伝わらず、もどかしそうに頭をかく。


「だから逆なんだって。初めて合奏に入ると、周りの音なんて聞かずに自分の楽譜をフルパワーで吹いて、『うおっしゃオレうまい!』ってなっちゃうもんなんだよ。まあ、初合奏で周り聞く余裕なんて普通ねえからな。」


 沙希の様子を見て、そのまま席に座っていられなかったのか、奏は楽器を自分の椅子に置くと、沙希の前に歩み出て言った。


「沙希ちゃんあなた、初めて合奏に入ったのに、すでに、私たち4人の演奏を完璧に聞きながら吹いていたわよ?だからこそ、自分の音が周りと溶け合っていなかったことに気づけたの。」


 奏が嬉しそうに顔をほころばせて言う。


「普通、『聞く』力はそんなにすぐには身に付かない。楽器を始めてしばらくで、楽器をある程度上手く『吹ける』人は高校生にもそこそこいるけど、そのレベルまで『聞ける』人はいないわ。」

「え…?」


 沙希はようやく、千晶や睦の言っている意味を理解し、泣き止んだ。


「そうなんですか…?」

「ええ。残念ながら今のあなたはまだ、『聞けた』音楽に対して、自分の音を溶け込ませて『吹ける』ほどの力量はない。でも、そうやって『吹ける』ようになるために、『聞ける』のは必須のスキル。自信もっていいわ。」


 沙希は、自分の楽器を椅子に置くと、前に立つ奏に身体を預けた。


「カナ先輩…」

「沙希ちゃん。」


 沙希が上半身を、奏の豊かな胸の中に預けた。奏はゆっくりと両腕を沙希の背中に回して沙希の身体を抱きしめる。


「うおう!これはいい百合…じゅるり…ごちそうさまです。動画に撮って今晩のおかずに…」


 即座にみうがスマホを取り出し、撮影しようとする。


「いやいや!そういうのじゃ!そういうのじゃありませんから!」


 沙希は顔を真っ赤にして奏から離れようとするが、


「あら。私の胸の中、嫌かしら?」


 奏が沙希の顔を自分の顔の方へ向け、小さな子どもをあやすように言うと

「嫌じゃないです…」


 沙希は再び奏の胸の中に顔をうずめた。

(柔らかい…)

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