第1部 第19話 絶望
沙希が初めてこの音楽室に来た時のように、椅子を半円形に並べ、譜面台を用意する。あの時と違うのは、メンバーが5人であることと、その真ん中に沙希が座っていることだ。
「え。私センターですか?」
「センターはみんなの音が聞きやすいから、吹きやすいのよ。」
全員が椅子に座り終わったところで、睦が楽譜を配る。
(どんな曲だろう…って。コレ…)
もらったばかりの楽譜のタイトル部分には
「『ザナルカンドにて』From FinalFantasyX」
と書いてある。
(ザナルカンドだ…この曲大好き。きれいで、切なくて…)
「沙希さんはFFX(ファイナルファンタジー10)をご存じかしら?」
「はい。シリーズで一番好きです。」
「そうでしたか。それなら良かった。」
睦の屈託のない笑顔は、いつみても沙希を癒やしてくれる。
「ザナルカンドとは。相変わらず睦はセンスがいいっち。」
FFXは、世界を滅ぼす厄災「シン」から世界を救う「召喚士」と、それを守る「ガード」の物語だ。
世界を救うというストーリーそのものはRPGの王道かもしれないが、沙希がこの作品で一番好きなのは、主人公のティーダとその父親ジェクトの関係性だった。
人と接することが極端に苦手で、息子のティーダにさえうまく愛情を表現できないジェクト。そんなジェクトを嫌いながらも、どこかで父親を理解し、受け入れて超えていきたいと考えているティーダ。
そんなFFXを彩る数々のBGMの中で一番の名曲と言われているのがこの「ザナルカンドにて」だ。
いつものように、メンバーの準備が整ったのを認めてから、奏が声をかける。
「それでは、『ファイナルファンタジー10』より、『ザナルカンドにて』テンポ100…ワン、ツー、スリー!」
最初の数小節、沙希の楽譜には休符が書かれていた。その間、奏たちの演奏を真横で聞く。
前回聞いた時は体の奥底が
(危ない…今、楽譜のどこかわかんなくなるところだった。あと1小節…せーの!)
吹奏楽部に入ってからこれまで、基礎トレーニングを重ねに重ねた沙希が、人生で初めてアンサンブルに加わった。これまで蓄えてきたものを、ようやくここで出すことができる。
しかし。そこで自分の耳に聞こえてきたのは強い違和感だった。
(ん?音が違うかな?)
慌てて楽譜を再確認するが、音は間違っていない。書いてある通りの音を出したのに、それまであんなに透き通っていた音が瞬時に濁っていくのを感じる。
再び、沙希の楽譜は休符に入った。
その瞬間、再び音は輝きを取り戻し、透き通った和音が沙希の身体を揺さぶった。
(そんな、そんなことあるわけない。)
だが、再び沙希が音を出すと、やはり和音は濁っていく。メロディーを飛翔させる和音が失われたことで、哀しげなメロディーを美しく奏でていた二本のトランペットの音が輝きを失い、堕ちていく。聞くものにストーリーを語りかけるように鳴っていたトロンボーンが急に薄っぺらい音に成り果てる。
何より、さっきまでお互いがまるで手を取り合っていたようにスムーズに進んでいた音楽のテンポまでが崩れていく。遅れを取り戻そうとすると他の4人を抜いてしまう。といってそれを調整しようとすると今度は、他の4人とタイミングが合うのではなく、沙希だけテンポそのものが遅くなっていった。
(うそ…うそ…)
一度崩れたアンサンブルは元には戻せない。何しろ、演奏中は全員しゃべることができないのだ。アンサンブルに慣れた4人も沙希に指示を出すことができず、演奏はどんどん崩壊していく。
あまりの惨めさに、沙希は曲の途中だというのに演奏をやめて泣き出してしまった。
(こんなんじゃあ、私、いない方がマシじゃん…あんなに基礎トレーニングしたのに。そりゃ、まだ先輩達並みには吹けないだろうけど、せめて足手まといにはならないようにしたかったのに…先輩みんなが、アンサンブルに私が入ることを心待ちにしていてくれたのに…)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます