第1部 第16話 復讐
「親。」
確かに優美はそう言った。
たった二文字だが、そう言い放った優美の言葉は冷たく、沙希は思わずカフェラテの入ったマグカップを両手で包んだ。
「どういうこと?優美、親に虐待とかされてたの?」
優美はかぶりを振ったが、そのまま外を見ながら言った。
「うちの親ってさ、減点方式なんだよね。」
「減点方式?何が?」
「全て。」
少しの間の後、優美は沙希の方を向き直って続けた。
「うちの両親いわく、公立の小中学校でやってることなんて、戯れ事だっていうのよね。」
「誰でも入れる学校で教える事など、最底辺に合わせたことだけだって。だから、テストで満点取れるのが当たり前で、満点じゃなかったら失格なんだと。そして、そこにいる最底辺とは付き合うような価値なんてないんだって。」
「でも、私にとって、学校は戯れ事なんかじゃない。私は、通知表に書いてあることは立派だったかもしれないけど、つらいことがあった時に、『つらい』『助けて』って言える友達なんていなかった。そもそも、私のこと助けようと思う友達がいなかった。」
「でも、沙希は違う。授業でぼーっとしちゃってても、隣のクラスメートがこっそり、今何やってるのか教えてくれる。水泳で泳げなくても、水泳習ってる友達がコツを教えてくれる。沙希の世話を焼いて、そのお礼を笑顔で言ってくれる沙希を好きになっちゃうの。周囲の友達を、何もしなくても幸せに和ませる沙希が、価値がないわけないじゃん。」
「私も、沙希に何かしてあげられて、そのお礼を言ってもらうと、そのたびに沙希のことが好きになっちゃう。もっと何かしてあげたくなっちゃうのよ。学校のことだけじゃない。沙希は、テストで悪い点取っちゃっても、『あちゃー。こりゃまずいな〜。』って苦笑いできる。それって、きっと、家に居場所があるからだよね。」
そう一気に言い放つと、優美は伏し目がちになりながら言った。
「私は、テストで満点とれなかったら、どうやって親を取り
「確かに、だからこそ何でも努力できたよ。いや、せざるを得なかった。『失格』って、親に言われたくない。親にだけは言われたくないもん。」
「ウチって、マンガもゲームも禁止で、音楽もクラシックは良いけど、それ以外は程度の低い音楽だから禁止。テレビもドラマとかアニメは、ただの娯楽作品でしかなくて、それらは人生にとって無駄、ぜい肉でしかないから禁止。」
そこまで語り続けると、少し溶けてきているフラペチーノを一口飲み、ヒートアップした自分の心を少し冷ましてから大きなため息を一つつくと、沙希に聞いてきた。
「沙希はもう、部活で合奏に入った?」
「ううん。まだ楽譜の音が全部出せないから。」
トランペットやホルンのような金管楽器は、ピアノやリコーダーと違い、最初は音すら出せない。練習して、音が出せるようになったら、次は出せる音の範囲を徐々に広げていかなくてはならないのだ。
「じゃあ、先輩達が練習する時に、『表現』を話し合ってるの、聞いた事ある?」
「ある!ちーセンパイはテンポ早めで、音符も短めのサクサクが好き。カナ先輩は、和音をしっかり聞かせたい派。」
「ケンカみたいにならない?」
「毎日なる。でも、すごく楽しそうにケンカするの。『そこのテンポそんなに重くしたらだせーだろ』『あら。今までの流れを断ち切るここの和音の美しさが分からないのかしら?まだまだお子さまね。』みたいな。」
沙希は合奏の合間の二人を思い浮かべて思わず笑みをこぼした。
その話を聞いて、優美は口角を少しだけ上げて微笑むと、また険しい顔に戻って話を続けた。
「私が中2の時だったかな。テレビでクラシックのコンサートの中継を見ててね、側にいた父親に言ったの。『この曲、もうちょっとテンポ上げたらもっと楽しい雰囲気になると思わない?』って。」
「そしたら、返ってきた返事は、『そんなもん、楽譜にそう書いてあるから仕方ないだろ』って。」
「その時にね、私、急に消えちゃったの。親に対する畏怖心が。」
「え?なんで?」
「だって。この人は、学校で習うような、答えが決まってるテストでしか世の中が測れないんだもん。私は部活で、もう、答えが一つじゃない世界を知ってた。うちの親って、その点では私以下だった。」
「『何かでそう決まっているから』っていう、檻で守られた世界の中で吠えてるだけの人間だったの。うちの親。」
確かに、合奏の中でテンポを上げ下げしたり、音の大きさのバランスをとったり。ほんの少しの違いで、先輩たちの演奏はまるで違うものになっている。だが、そのどれもが心地よい。全て違うがどれもが正解。学校のテストでは有り得ない。
「だからね、高校進学は復讐の機会だったのよ。私にとって。」
「でも、優美は難関高校の入試を突破して、学校にもちゃんと通ってるんでしょ?親孝行してるじゃん。何が復讐なの?」
「うちの高校、成績上位で部活でも優秀な活動してると、学費も寮費も全部免除になるの。もちろん、学校のパンフレットのモデルにならないといけないとか、縛りもあるけど。そして、学校が家庭教師とかアルバイトも斡旋してくれるの。」
「もしかして優美…」
「そう。私は、もうあの両親から何もしてもらわず生きていく。一応、仕送りしてくれることになってるけど、一切それは使わない。多分母親が、毎月通帳を見るたびに仕送りが全く使われていないことに気付く。『あなた達はもう不要』って、無言のメッセージを送り続けるの。それが、私の両親に対する復讐。」
そう話す優美の目は、今まで沙希が一度も見たことがないものだった。怒気、失望、悲哀、諦観。そのどれもがないまぜになった目。
今までずっと一緒にいたつもりだったのに、沙希は優美のことが、何もわかっていなかったのだと気づかされた。
話を聞けば聞くほど、優美が遠く、沙希の知らない人になっていく。それが、沙希には耐え難かった。もう、平常心で優美の話を聞き続けることすらできない。
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