第1部 第14話 先客
慣れない高校生活の、最初の金曜日。沙希は吹奏楽部の練習を終え、楽器を片付けていた。
同じように楽器を片付けているみうが、自分のトランペットを嬉しそうにクロスで拭いている。
「ふふふ~。キレイキレイ。来週も頼むっち、モリゾウ。」
「みう先輩って楽器大切にしてますよね。」
「楽器大事にしてるのはうちだけじゃないけどね。こいつがいないと、うちらただの人だからなー。」
(カナ先輩も、みう先輩も、みんな楽器が友達、相棒って言ってる。いいなあ。)
「みう先輩の楽器って、自分の楽器なんですか?」
「そうだっち。高校の入学祝で買ってもらったのだ。」
うらやましそうにみうの様子を見ていた沙希の様子を察して睦が声をかける。
「私のテューバは学校の備品だけれど、かけがえのない相棒よ。テューバやホルンは高校生が買うにはお値段が…ね?」
少し寂しそうに楽器を見る。
「確かに、ホルンは自分で楽器買うのはちとキツイな。」
トロンボーンのスライドをクリーナーで掃除しながら千晶が言う。
「でも、マウスピースだけなら高校生でもいけるぜ。見に行ってみたらどうだ?」
「マウスピースですか。」
マウスピースは、ホルンやトランペットなどの金管楽器に取り付けて息を吹き込む、楽器の中で一番演奏に影響するパーツだ。
「そうね。何しろ、練習中ずっとキスしてるんだものね。キスの相手は慎重に選んだ方がいいわ。」
昨日の一件以来、わざとそういう煽り方をしてくる奏。
「もう。カナ先輩、またそうやってそっち方面へ誘導するー。私が誰彼関係なくキスしてるみたいじゃないですか!」
と口では言った沙希だが、
(マウスピースか…マウスピースだけなら確かに私のお小遣いでもなんとかなるかな。)
「カナ先輩、マウスピースってどこで買ったらいいんですかね?」
翌日の土曜日、沙希は楽器ケースを抱え、Y県の隣県、H県に向かう高速バスに揺られていた。
「この辺の楽器屋さんの規模では、マウスピースは在庫を置いていないから、H県の楽器屋さんへ行くのがいいわよ。あ、楽器持って行ってね。」
昨日、そう奏に助言され、沙希はH県の楽器屋へ向かったのだ。
入学してからの5日間、落ち着いて自分を振り返る余裕が全くなかった。学校のこと、新しいクラスメートのこと、そしてもちろん部活のこと。
H県行きの高速バスは、目的地が終点なので、何も考えていなくても大丈夫。なんなら、寝てしまっていても到着したら運転手さんに起こしてもらえるだろう。
(ちょっと寝ようかな…)
しかし、学校の授業中は眠くて仕方がないのに、こうしてゆっくり1人で過ごす時間ができると、かえって眠気は来ず、代わりに沙希の頭の中には優美のことが思い出された。
(優美、そうは言わなかったけれどやっぱり、私のために
(両親とも離れて、知ってる人が一人もいないO県でどうしているんだろう…)
(私じゃなく、優美がウチの吹奏楽部に入っていたら、今頃どんな演奏をしていたんだろ…)
考えれば考えるほど、沙希の気持ちは塞ぎこむ。
入学式後のあの電話の後から、何度無料通信アプリの画面を開いたかわからない。
でも、電話でも自分の気持ちがうまく伝えられなかったのに、文字ではますます伝えられそうにもない。細かなニュアンスが伝わらず、話が行き違って喧嘩になってしまいそうだ。
「私のために渡久山高辞退したの?」
このことをどんなに婉曲して、オブラートに包んで聞いたところで、優美が
「そうだよ。」
と言うとは思えない。それじゃあ、否定してもらったところで私の自己満足にしかならない。
頭の中が堂々巡りをしているうちに、バスはH県のバスターミナルに到着した。
(うわー。楽器屋さんおっきい)
H県にあるマツバ楽器は、世界最大手の総合楽器メーカーの販売店だ。市内の一等地に立つマツバ楽器のビルは、その全フロアがマツバ楽器の販売フロアで、CDやDVDの販売フロアやピアノの販売フロア、沙希の目的である管楽器の販売フロアもある。管楽器販売フロアには防音室も完備され、楽器やマウスピースを試奏して選ぶことができる仕組みだ。
管楽器販売フロアのカウンターでマウスピースを探しに来た旨を告げたが、
「ただいま防音室が埋まっておりまして。少々お待ちいただけますか?」
女性の店員が申し訳なさそうにいう。
「あ、それじゃあその辺見ておきますから。」
沙希はフロアの中を見渡した。
ピカピカのトランペットやホルンがところ狭しと展示されている。マツバ楽器製のホルンを見つけ、プライスタグを見るが、
「うっ…」
どれも30万円を軽く超えるプライス。ため息をつきつつ美しい楽器を眺めていると、ものの2,3分で防音室のドアの一つが開き、中から先客が出てきた。
「あ、ちょうど空きましたのでどうぞ防音室3番へ。」
店員が何本か見繕ってくれたマウスピースを持ち、防音室へ向かう。
分厚い扉が2重になった防音室。中から出てきたのは、自分と同じようなホルンのケースを持った高校生くらいの女の子だ。その先客が、急に口を開いた。
「沙希?」
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