第1部 第10話 沙希を揺さぶるモノ

(これって…?)

 

 音が聞こえだした直後、沙希は思わず演奏している4人の方ではなく、後ろを振り返った。


(後ろから音がする…?)


(いや、後ろだけじゃない。音に…包まれてる?前からも、後ろからも、上からも…全方向からの音に包まれてる…)


 4本の楽器から生み出された音が、空間で溶け合って新しい音になり、その音が次に音楽室の壁を、床を、空気を震わせて沙希の身体に一気に飛び込んでくる。飛び込んで来た音が、沙希のちっちゃな頭を、肩を、背中を、そしてお尻を、これ以上なく絶妙にくすぐる。


(なにこれ…?音楽の授業で聞いたCDと全然違う…きれいとか、かっこいいとか、それもあるけど、それ以上に「気持ちいい」。何が起こって…)


 テューバが巨大モンスターの咆哮の如く響く。その重低音の上で、煌めく刃のような二本のトランペットの響きが、互いに溶け合いながら競い合うように宙を舞う。モンスターと対峙するハンターの息遣いのような瑞々しいトロンボーンの音がそこに加わる。


 フレーズが変わる度に、これが本当に3種類、4人の音なのかと疑ってしまうほど音の表情が変わっていく。その間も、沙希の身体は4人が発する音にずっと蠱惑チャームされ続ける。


 曲の終盤、初めに聞いた勇ましいフレーズが再び流れ、曲が最高潮に達した後に終焉した。

 いや、沙希が恍惚としている間に、「英雄の証」の演奏は


「はぁ…はぁ…」


 沙希は最後の和音の余韻が音楽室から全て消えても、虚ろな目をしたまま小さく震え、4人が座る半円の真ん中辺りをぼうっと見つめたままだ。


 そこに、ちょうど用事から帰った担任が、準備室との境の扉から顔をのぞかせつつ声を掛ける。


「ごめーん仲原さん、おまたせー。職員室で聞いたんだけど、チャリの許可だって?」


 声を掛けられてもすぐに動けずにいたが、一呼吸をおいて、ようやく沙希は我に返った。


「あ、はい。すぐ行きます…って、えっと、みなさん、ありがとうございました!」


 沙希は立ち上がりながらお辞儀をすると、準備室へ向かった。


 その様子を見ていた4人は、顔を見合わせて頷いた。



「あの子、音が「とおった」みたいね。」


 練習が終わった後、音楽室の隣にある楽器庫で、紅茶を飲みながら奏がいう。まだ少し肌寒い気温。立ち上る湯気で眼鏡が少し曇る。


「そうですわね。最初のトゥッティで既に全身が響きを受け止めていた。なかなかの逸材と見ますわ。これは一週間以内、ってところかしら?」


 自分の体とそれほど大きさが変わらない、巨大なテューバをクロスで拭きながら、嬉しそうに睦が答える。


「ようやく金管5重奏きんごに戻れるな。」

「私たちのアンサンブルに、新たな色が加わる。また新たな響きを得られるのね。」



 自転車通学の手続きを済ませ、学校から帰宅した沙希は、制服を着替えるのももどかしく、音楽プレイヤーに収録されている「英雄の証」を聞き返した。


 沙希の両親はいわゆるクラシック音楽が好きなのだが、モーツァルトだとかベートーヴェンだとかは、沙希にとって退屈でしかなく、勧められても聞こうとしたこともない。が、モンハンにドハマりした頃に発売されたこのサントラCDは、自分のお小遣いで購入したのだ。


「違う。全然違うよ」


 この「英雄の証」はフルオーケストラ版と書いてある。CDを引っ張り出してジャケットの写真を見ると、燕尾服に身を包んだオーケストラ団員が数十名、誇らしげに楽器を構えている写真があった。もちろん、そこに並んでいる楽器の種類は、今日聞いた3種類とは比べるまでもない。


 音楽プレイヤーから流れてくる音は、まごうことなきプロの演奏だ。プロの演奏なら、アマチュアの高校生より当然高い技術を持っているはず。


 それなのに…何度聴き返してもさっき味わった感覚が、全く得られない。俗な言い方しかできなくて悔しいが、気持ちよくない。沙希は知らず知らずのうちにつぶやいた。


「なんだったの?あれは…」


 知りたい。一体自分に何が起こっていたのか。

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