第1部 第7話 睡蓮と蓮根の関係

 次の日。入学式翌日だというのにいきなりの実力テストという進学校の洗礼を受けた沙希は、そのあまりの難易度に頭をくらくらさせた。

(まあ、私、補欠合格だもんね…現時点で成績は最下位のはずだもんなあ。こりゃ大変だな…)

 入学して二日目にして高校生活の先行きに不安を感じながら帰ろうとしたとき、自転車通学の申請をまだしていなかったことを思い出した。


 本当は昨日の放課後に提出すべきだったのだが、昨日の沙希には、そんなことを考える余裕はまるでなかったのだ。


 来週までに申請をしておかないと、自転車置き場に自転車を置くことができない。自転車置き場から踵を返して、沙希は担任の園田先生を探しに職員室に向かった。職員室入り口の席次表で机の場所を確認するが、空きっぱなしの入り口から確認すると、席は空席だった。


「あー、まいったなー。他に知ってる先生もいないし…」


 職員室前でオロオロする沙希を見て、隣のクラスの担任が席に座ったまま沙希に声をかける。


「ん?園田先生探してる?」

「あ、はい。自転車通学の申請をしたいんですが。」

「園田先生なら音楽準備室にいるんじゃないかな。」

「あ、ありがとうございます。」


 そっか。ウチの担任、音楽教師だったか。昨日のホームルームでそんな話してたかも。


 渡久山高とっこうの音楽室は校舎の4階の端、音楽準備室はその隣にあった。とっくに放課している校舎の廊下にはまるで人気ひとけがない。入り口をノックするとノックの音が寒々しく廊下に響きわたった。しかし中からは返事がない。


 あれ…もう一度ノックするがやはり音沙汰がないので、試しにドアに手をかけると、鍵は開いていた。


「しつれいしまーす…」


 別に悪いことをしているわけではないのだが、背中を丸めて引き違いの戸をこわごわ開ける。その瞬間、埃と壁に染みたタバコのヤニ、そして古い本から放たれるカビの臭いが入り混じったニオイが沙希を包んだ。


「うっ」


 思わず沙希は顔をしかめる。

 棚の陰から机のほうを覗くが、そこに人影はない。あちゃー。空振りか。


 主がおらず、全く無音の音楽準備室は違和感が強い。無数のCDや書籍が乱雑に詰め込まれた棚が、沙希を圧迫してくるようだ。職員室にいた隣のクラス担任が居場所を把握していないのなら、職員室に戻っても無駄だろう。これから、どうしたものか。


 と、さっきドアが開閉する音を聞きつけたのか、音楽室との間の扉のノブがガチャガチャと音を立てて回り、ドアが勢いよく開く。


「園田センセー…ってアレ。誰だ?あんた?」

「ひっ」


 思わず沙希は、悪いことをしたわけでもないのにまたもや背中を丸める。


 そこに立っていたのは、わかりやすくちょっとやんちゃそうにセーラー服を着崩した女子だった。学年章の色が違うから、きっと先輩だろう。が。先輩だろうが後輩だろうが、ちょっとやばそうなオーラが出ている。ショートヘアーというレベルではない短髪をギザギザにして、さらに黄色とも金色ともつかないような色に染められた髪。スカート丈は膝よりも上、セーラー服の胸のところからは下に着ている派手な黄色のシャツが少し見えているし、結ばれているはずのリボンもない。


 ギザギザ頭は沙希の制服の襟に付いている学年章を一瞥して声をかけてきた。


「ん?あー、新入生か。園田センセーになんか用?」

「あ、あの、自転車通学の許可を申請したくて。」

「あー、1-7のコか。園田センセー、今、吹連すいれんの用事で出かけてるんだよ。そろそろ帰ってくる頃なんだけど。」

「はあ…睡蓮。」


 睡蓮といった時のイントネーションで何かを感じ取ったのか、すぐにツッコミが入った。


「あ、スイレンっつってもレンコンのほうじゃねーぞ。吹連すいれん。吹奏楽連盟な。まあ、吹奏楽の団体の集まり」。

「はあ。」


 いきなりレンコンだなんだと言われて戸惑う沙希。


「…」

「まあ、そのうち帰ってくるだろ。まっとく?」

「はい」


 とはいったものの、足の踏み場もないような音楽準備室で座れるところと言ったら先生のイスくらいだ。いくらなんでも入学翌日に教師のイスにふんぞり返っているところを担任に見られるのは印象としてまずい。


「まあ、ここじゃなんだろ?隣こいよ。音楽室。イスあるから。」


 そんな沙希の思考を察したのか、ギザギザ頭がいう。そう言って音楽室の方を指したギザギザ頭の指の間から、何やら、小指くらいの太さの棒状の物がちらりと光って見える。沙希は思わずたじろいだ。


(うぇ。何か持ってるぞこの人…タバコとか注射器じゃないよね…まさか扉を開けたら、上級生の男子がたむろしてて「ウェーイ」とか言って取り囲まれちゃったり…そういえば音楽室、職員室から遠いし、防音だから悲鳴外に漏れないし。…まさかここで私…入学二日目で?そんな…)


「おい。こっちだってば。」

「あ、ありがとうございます…」


 泣きたくなるような圧倒的なアウェイ感の中、ギザギザ頭に促されて音楽室との境のドアを開けると、イスが4脚、半円状に並べられていて、そこには楽器をもった女子が3人座ってこちらを見つめていた。

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