第1部 第5話 あべこべ

「うん…うん!」


 沙希は真新しいセーラー服の袖に手を通し、姿見を見ながらつぶやいた。新しい制服に特有の、ウールと化繊が入り混じった独特の匂い。しわのないきれいな襟。


 高校からは髪の長さも自由だからと、中学校卒業の3か月前くらいからずっと伸ばしていた髪を、お気に入りの美容院で整えてもらったのが昨日。肩にかかるくらいのセミロングを、派手になりすぎない感じのターコイズブルーのヘアゴムでまとめてポニーテールにする。


 普段は姿見なんてそれほど一生懸命に見ない沙希だが、入学式を前にして、高校生になる自分をかみしめるように、頭のてっぺんからつま先まで、一つ一つそれを確かめた。


 今日から…女子高生。しかもあの渡久山とくやま高校の女子高生なのだ。憧れだったセーラー服に身を包んでテンションが上がらないはずはない。

 

 母親と一緒にタクシーを降りた沙希は、渡久山高校の前で学校を見上げた。あの時と同じ校舎を見ているのに、合格発表の時とまるで違って見える。


 一旦母親と別れ、沙希はホームルームへ向かった。まずは、昇降口に貼ってあるクラス分けを確認し、自分の教室へ行くらしい。


 1組から順番に「な」行の名字を探していくが、なかなか見つからない。


「えーっと、立野、富田、中村…違う。下田、津田、仲原!あった!仲原沙希。7組かぁ。」


 入学したのだから自分の名前がそこにあるのは当たり前のことなのだが、なぜか、それだけですごく誇らしげな気持ちになる。思わず沙希は、手にしていたスマホで写真を撮った。


「あ。そだ。優美は?」


 不合格からの補欠合格ということで焦燥しきっていた沙希は、友達がいのないことに、今の今まで優美のことを全く思い出さなかった。


(優美の名字は「吉川」だから、私より後のはず。え〜っと。)


 祈るような気持ちでそのまま下を見ていくが、7組の名簿に「吉川」の名前はなかった。


(おんなじクラスにはなれなかったか…まあ、10クラスあるんだもんね。10%は無理か。)


 なんだか、自分がこの渡久山高校に入ることにその10%を引く運を使ってしまった気がして、優美に対して勝手に申し訳なく思いながら、改めて1組から名簿を見直す。


「や」行の名字はそれほど多くないので、確認は楽だ。


(1組、2組…ない…8組…9組…あれ?10組は理数科だから…いや、まさか優美、私に内緒で理数科受けた?いや、合格発表普通科に載ってたし。 )


 一応、学科が異なる10組も確認したが、そこにも優美の名前はない。


 改めて、1組から見直す。が、何度見直してもそこに優美の名前はなかった。


 次々と同級生が昇降口から校舎に吸い込まれていき、クラス分けの前に立っているのは沙希一人になった。


「そこの新入生!自分のクラスが見つからないのか?名前は?」


 なんだかあまりスーツがしっくり来ていない、若い男の先生が声をかけてきた。


「早くしないとホームルーム始まるぞ?名前は?」

「あ、私のクラス、わかります。」


 仕方なく教室に入った沙希は、知っている同級生がほとんどいないクラスで、居心地の悪い時間をしばらく過ごした。


 中学生の時からスクールカースト上位だったであろう、ちょっと軽薄そうな男子が、早速自分の仲間を増やそうと、放課後のカラオケメンバーを募り始めたが、もちろん、沙希にはそんなものまるで関心はない。


 クラス分けの掲示が気になって仕方がないが、勝手に教室を抜け出して見に行くわけにもいかない。高校生活のオリエンテーションを受ける間ずっとやきもきしていたが、やがて入学式会場の体育館へ移動する時間になった。その道中、昇降口へ向かうと、改めてクラス分けを確認に行く。


 しかし。どれだけ確認しても優美の名前はない。


「!」

「ない…優美がいない…」


 他の生徒が入学式へ臨むべく体育館へ向かう中、沙希はなおもクラス分けの中の優美の名を探し続ける。 だんだん辺りに生徒もいなくなってきて、沙希は焦りだした。


 その瞬間、あの時の智ちゃんの声が脳内に甦る。

「だからね、渡久山高とっこう、1人だけ入学辞退者が出たんだって!あなた、補欠順位1位だから、すぐに返事をすれば渡久山高校に入れるのよ?」


 …辞退者ってもしかして…気持ちの整理がつかないまま、沙希は体育館へ向かった。

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