第四章 森の正体

第20話 遺失物管理委員会

 その場に居合わせた全員の視線が、その青年に集中する。


「また忍び込まれてんじゃねーか。キャブ、お前きちんと閉めたのか?」


「ううむ……ちゃんとやったはずだが……」


「でも忍び込まれてんじゃねーか。マザーが帰ってきたら、今晩の見張りだったお前がいの一番に絞られんぞ」


 揉めている連中を宥めるようにして、メドウは会話に横入りした。


「ふむ、どうやら僕のせいで状況が混線してしまったようだけど、見逃して貰えるのなら、この場は穏便に済んで誰も損をしない。それでどうかな?」


「逆に聞きたいんだが、人の所有物に忍び込んできた輩を連れにきた奴の言うことを易々信用できると思うか?」


 ハシビロコウの彼が場を制するような低い声で言った。青年の穏やかな物腰や住人達の揉め事によって弛緩しかけていた空気が、再び締め上げられる。


 対するメドウは、しかしその柔和な表情も口調も崩さず、自らの言葉を並べ立てていく。


「それもそうだね。でも、申し訳ないことに、今この場で僕はことの仔細をお話するわけにはいかないんだ。その事情含めて後でーー」


 メドウが言葉を結ぼうというその時、椅子の下から影が飛び上がった。メドウが気を取られている隙に、ハクビシンが手錠を手に接近していたのだ。


「うだうだ御託を並べてんじゃーー」見るとそれは長いチェーンが付いたタイプの手錠だ。ハクビシンによってぶんぶんと振り回され、勢いよく回転した手錠が円を逸れてメドウの手元に向かう。「ねえ!」


 繰り出された手錠攻撃を合図に、事態は一気に動き出した。


 筋肉質な形のキャブが羽をばたつかせながら、フクロウにしては太い足を駆使して標的に猛速で迫っていく。


 一方、対岸にいたテールはカラーボールを手に持ち、隙ありと言わんばかりにミナギ達に向けて狙いをつける。その相棒シャドは、地面に転がったペンを睨みつけて跳躍の構えを見せる。


 ミナギには、その一瞬がやけに長く感じられた。メドウも、自分達も、絶体絶命の文字を体現した状況に追い込まれているとしか言いようがない。敗北へ迫っていく景色は苦痛で、苦痛な感覚は時間の流れを遅くする。相対性理論の発表者の顔を脳裏に思い浮かべながら、ミナギはゆっくりとした時の中で、視野の端に捉えた、自分達を助けに来てくれたらしいメドウに神経のいくらかを向けた。


 手錠がかかる寸前、メドウの腕の像がぶれた。直後、標的に向かっていた手錠は奇妙な軌道を描き出す。まるで狙っていた獲物が自分の天敵だったと言わんばかりにUターンを始めたのだ。


 Uターンした手錠は、まずハクビシンの腹に直撃する。「ぐえ」という喘ぎをすぐさま背にして、手錠は次なる獲物に向かい出す。羽と足の両方を駆使して急接近していたフクロウの足に手錠がかかる。


 敵に向けていた慣性に手錠という外力を加えられたことで、またハクビシンから奪取した手錠を司どるメドウの手の動きによって、フクロウは大きく目的地を変えて空を舞う。


 大人しく並んだ座席の遥か上を、フクロウは弧を描きながら遊泳するが、その表情は驚きと混乱に染まっている。


 フクロウにとっての恐怖のフライトは、ミナギとヴァーユの前を通り過ぎ、ペンに飛びかかろうと宙を舞っていたオオカミの顔へと着陸ないし激突して事を終える。勇猛果敢な構えは見る影もなく、オオカミは真後ろへ吹っ飛んだ。


 フクロウが着陸するよりも前、勢いの中で、とうに彼の足からするりと抜けていた手錠は、これまた宙を舞い始めていたカラーボールにヒットし、ビビッドな青の爆発を巻き起こす。青の爆風は投手の顔に降りかかり、突如訪れた真っ青な景色に投手は悲鳴をあげた。


 発端から収束までを見届けた途端、時間感覚は元通りになった。高山から降りて耳鳴りが止むかのように、プールから上がって息が楽になったかのように、周囲の景色はふつうの時の流れを取り戻す。


 およそ3箇所から力ない落下音が鳴り、1箇所では悲鳴が響いている。


「さあ、行こう」


 メドウが何事もなかったかのようにミナギ達に語りかける。それから傍観していたハシビロコウとゴリラに向き直った。


「すまないが、僕の可愛い部下を放してもらえないかな。これ以上の混乱は君達の望む所ではないだろう」


 ミナギは思わず呟いた。


「……部下?」


 ハシビロコウの合図を受けてデックは手を緩めた。逃れたシエルはあっという間にミナギ達の下へ辿り着いた。そしてさもそこが定位置であるかのように、迷わずメドウの肩へ跳び乗った。


「ミナギ様、ヴァーユ様、申し訳ございません。説明は後ほど……」


「そう、詳しい説明は後。とにかく今はここを離れよう」


 メドウは何かに急き立てられているかのように、そそくさ入り口へ歩いていった。ミナギとヴァーユも後に続いた。


 しかし、入り口が何か白い物で塞がっていた。それまでの鉄板とは異なる、真っ白で柔らかそうな毛が生えた何かだ。それは息遣いに呼応してわずかに膨らんだり萎んだりしている。


 見上げると、こちらを見下ろす顔があった。


 白熊だった。虎の毛皮を頭から被っていて、マントのように背中まで伸びている。一度見たら忘れられない存在感に、ファッションセンスだった。


 長身のメドウを遥かに上回る体格で眉をひそめている。周囲を一瞥してから、より深く眉をひそめた。


 絶体絶命の文字がまたしてもミナギの脳裏に浮かび始めたタイミングで、白熊が口を開いた。


「久々に会ったと思えば、メドウ、あんた何やってんだい」


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 舞台上で堂々と立ち回るボウという名のハクビシンを見ながら、ミナギはしきりに感心した。最初見た時は小柄なお調子者といった印象の彼が、今や道徳心とカリスマ性を備えたヒーローの役を我が物にしている。高い声を繊細に操り、肉体を躍動させ、観客の心を鷲掴みにしている。額から鼻にかけての特徴的な筋模様も、感情を伝える武器のように見えた。


 一方、普段はみんなのまとめ役といったハシビロコウのピットは、舞台上では見事にその普段の雰囲気を抑え込み、余計な匂いを漂わせない名バイプレイヤーと化している。感情表現の際にあの大きな嘴で音を鳴らすのは今までに見たことがなかったが、他の劇団員も各々自らの身体的な特徴を活用して演じているので、見ているうちに気にならなくなった。


「あ、ほらデックさんだ」


 ミナギは横に座っているヴァーユに囁いた。


 体格で言えば、ボウよりも遥かに大きく、黒々とした色も存在感を引き立てるはずだ。しかし舞台上ではボウの堂々とした立ち回りに対して、デックの身振り手振りは役柄の大きさを抜きにしてもあどけなさを感じさせるものだった。


 まだまだ発展途上にあるのかもしれないと思いながらも、ミナギはその声色に惹かれていた。普段は聞いてて落ち着くしとやかな声だが、感情を露わにした途端に一気に鋭くぎらつく変容性は、自分の知っている名優と比べても負けじ劣らない。


 ライトアップされ、背景画を備え付けられた舞台の上で、場面に応じて役者が入れ替わり立ち替わりする。


 彼らが立っている飛行機の翼は、確かに演劇の舞台にうってつけだ。高い場所にあって、みんなの注目を集められる。


 観客席のソファに座りながら、巨大な飛行機の翼の上で繰り広げられる演目を見上げるのは、これまでにない体験だった。演劇は劇場で催す物という常識は、第一幕が始まってすぐにミナギの中で忘れられていた。


 劇のあらすじは、端的に言えばロードムービーだった。ある日の森で、主人公の妖精は、怪我のせいで群れからはぐれてしまった1羽の鳥と出会う。鳥を哀れんだ妖精は、仲間の鳥が渡りをした目的地まで彼を案内するのだが、道中では様々な危険が待ち受けていた、という筋書きだ。2人は帰るべき場所を目指すうちに友情を育み、別れを惜しむようになっていく。


 最後に、冒険を共にした妖精と鳥が種族を超えて真の仲間になったところで物語の幕は閉じた。


 それからカーテンコールが始まり、観客席から惜しみない拍手が鳴り響いた。


「もっとこう、あり合わせのもので作った学生演劇みたいなの想像してたら、本格的でびっくりしちゃった。面白かったね」


 ミナギは拍手しながら、横で大人しく座ったままのヴァーユに声をかけた。


「まぁ、舞台って初めて観たけど、悪くない」


 冷静を装っているのか、初めてだから評価に困っているのかミナギほど興奮を露わにしていなかったが、この年頃の子供が長時間ずっと顔を上げて見ていたというのだから、楽しめたのは間違いないようだった。


「俳優なんていいんじゃないかな」


 手のひらに痺れを感じながら、ミナギは言った。


「え?」


「将来の夢。ああやって大きな舞台の上で、自分じゃない誰かになってみるなんて、気持ちよさそうじゃない」


 彼は予想だにしなかった提案を受けて呆れ顔で空を仰いだ。


「俳優なんて一握りのうちの、更に一つまみのうちの、そのまた一粒ぐらいの生き残りじゃないとなれないだろ」


「いけると思うけどな。かわいいお顔立ちだから、きっとあっという間に人気者になれるよ」


「適当言うな」


「卒直な感想です」


「なったって日々うんざりする批判や根も葉もないゴシップに耐えて、重々しいプレッシャー感じながらあそこに立つんだよ。俺には無理」


「やけに現実主義的だね、君は」


 ミナギは苦笑いしながら、拍手を尚も続けた。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「どうだった。あたし達、劇団プリマヴィスタの劇は」


 劇団長もといマザー・グランは、腰に手を当て自信満々の様子で尋ねた。「どうだった」の語尾のイントネーションがまるで上がっていないあたり、自信は確たるものなのだろう。


「とっても面白かったです。飛行機の翼の上で、お芝居するなんて、見たことなかった」


 グランは吹き出した。


「あたし達はすっかりこういう方式で何十年もやってきたから、この辺じゃ知らない者はいないのさ。あんた達みたいなまっさらな新規顧客の意見はそれだけに新鮮だね」


「そう言えば、今日も急遽開催だったのに満席でしたね」


「そうさ、あたし達の公演チケットは普段は入手困難になるほどなんだ。あんた達、幸運だったよ」


 マザー・グラン率いる劇団プリマヴィスタは、この地方では知らない者はいない劇団なのだという。彼女達は飛行機を演劇の舞台として活用し、稽古・公演期間中はここに住み込み、芝居道具もここで管理している。ミナギ達が見つけた衣装やマネキンも、全て過去の公演で使ったものだ。


 しかし、墜落飛行機だと思い込んで忍び込んだ末に、演劇場という答えを出されてもミナギとしてはすぐに腑に落ちるわけもない。


 そんな様子を見て、マザー・グランは「じゃあ、実際に見せてやる」と言い、さっきの公演を見せてくれることになった。元々リハーサルをやる予定ではあったが、公演にしたのは自分たちの集客力や劇場の空気込みで見せるためなのだと彼女は意気揚々に言った。


「あちゃあ、ここも汚れてるよ」


 後片付けをしていたキャブが、壁に付いたカラーボールのインクを見て項垂れた。


「ごめんなさい」


「いや、これは姉ちゃん達のせいじゃないよ、あの泥棒の仕業さ」


 キャブは窓の外を指差した。あのオオカミとミーアキャットの泥棒コンビは、あれからもこちらの様子を伺って、飛行機の周りを屯していた。


「元はと言えば、お前の居眠りが原因な!」


 キャブの背中をボウが小突いた。


「ミナギさん達を迷い人まよいびとだと認識できなかった俺達にも落ち度はあるがな」


 独り台本を片手に諳んじていたピットが釘を刺す。釘を刺す相手には自らも含まれているようで、少し声のトーンが落ちていた。


「……いや、元を辿れば僕の管理不行届が原因だ。改めて、こちらこそ今回の件は申し訳ない」


 気づくと、メドウが見回りから帰ってきていた。昨晩のような泥棒が他にもいないか、念のため周辺一帯を調べに出ていたのだ。


 メドウは帽子を外して、その場の全員に頭を下げた。


「シエルにも少し怖い思いをさせてしまったね」


「とんでもございません! ワタクシこそ、メドウさんに大変なフォローをさせてしまいました」


「あのさ」


 話を聞いていたヴァーユが、苛立ちを隠せない様子で口を開いた。


「あんた達、一体なんなの。出口まで連れてってくれるって言うけど、肝心なことははぐらかすし、カフェじゃ嘘ついて俺達に近づこうとするし。おまけにあんな実力行使しておいてけろっとしてる奴、信用できないね」


 腹の底に沈んでいた澱を一気に解放するかのように、ヴァーユはメドウに言葉をぶつけた。


 当のメドウは帽子をゆっくりと被り直し、鷹揚な構えを崩さぬまま、少年に言葉を返す。


「君がそのように思うのも無理はない。僕達も手の内を明かさず、君達の身柄を連れて行こうとしていたのだから。けれども、僕達は、委員会は、君達の安全を第一に動いている」


「委員会?」


 興味の矛先を復唱して、ヴァーユは首を傾げた。疑念に染まっていた緑色の瞳に、微かな興味の色が浮かぶのを、ミナギは見逃さなかった。


「僕達は、遺失物いしつぶつ管理委員会かんりいいんかいと言うんだ。この森へとやってくる落とし物を管理し、秩序を守っている。君達のような人を元の世界へと返すのも僕達の使命だ」

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