第21話 ハートバース

 昨晩、あの場にいた4人を一気にテイクダウン。それもそれぞれ離れた位置に、異なる目的で、各々動いていたところを、あの人間は一瞬の洞察と的確な動作で貫いた。


 そんな凄腕からなんとか隙をついて逃げられたのも、いきなり妙な格好の白熊が現れたことと、文字通り真っ青な顔をしたテールが必死に起こしてくれたからだ。偶然が重ならねければ、今頃お縄になっていたに違いない。


 そうして今、テールとシャドは2人であの飛行機を離れたところで見張っていた。


「もういい加減諦なさいってぇ」


 相変わらず気怠そうな物言いだが、今は正真正銘の疲労からくるようだった。まだ見ぬ強敵に敗れても尚立ち向かおうとする妹分を昨晩からずっと引き留めようとしている。


「あんなの勝てっこないってば……昨晩で2回も完敗してるんだから。こういう時は退くも勇気なのよ」


「……姉貴は悔しくねぇのか」


「ナイナイ。悔しがったってこの歴然とした差を埋め合わせられるわけじゃないからね。あたし達みたいなコソ泥風情は、ああいうトラブルは本来避けて通るべきでしょ」


 説得の間、シャドの耳はしきりにぴくりと反応していた。堪え切れないと言った様で、テールの方を振り返った。


「だからって俺は諦めねぇ。あのレアものも、あのニンゲンも、絶対出し抜いてやる」


「あっそ……じゃあ好きにしたら」


「は?」


「あたしゃ元々委員会1人を相手にするっていうからついてきてやったんだ。あんなのがいるなんて聞いてないし」


「おい、姉貴」


「それに」テールの声が急劇に大きくなった。後に続く言葉も、心張り棒でも備え付けたかのように、反論を許さぬ強い口調だった。「あんただってわかってんでしょ。いつまでもこんな物漁りしてたって、あの人の状況は変わんないよ」


 シャドは押し黙る。そう言われてしまえば、もうこの言い合いは続けられない。向こうが正しいとわかりきっているからだ。


 テールはそれから一呼吸置いて、また一転して穏やかな音色に戻る。


「あたしゃ先に戻って様子を見ておく。あんたも頭冷やしたらとっとと戻ること。わかったぁ?」


 シャドは飛行機の方を見たまま、動かない。テールはそんなシャドを置いたまま、走り去った。


 湿原に漂う静かな風がやけに耳に響くようになった。わずかに毛を散らす風が、今はやけに頼もしい気さえした。


 それから暫く経ってから、シャドも森の方へと歩き出した。あの人間達には暫く動きがない。少し気分を変えて、森の中を歩いてみるかと漠然と考えていた。


 しかし、気分転換にすかさず横槍が入った。


「進捗はどうかね?」


 切り株に人間が1人座っていた。長い髪を背中まで垂らした壮年の男だ。今はむしろ暖かい季節だというのに、分厚い灰色のコートをすっぽりと着込んでいる。髪の毛は色素の一切が失われたみたいな白。肌は浅黒いが、目の色はわからない。真っ黒なバイザーをかけているからだ。


「へっ、あんたか。芳しくねぇよ。厄介な邪魔が入ったんだ」


「ほう、邪魔とね」


「変な格好のニンゲンだよ。赤い着物着てシルクハット帽を被ったいけすかねえ野郎。あいつも委員会の奴だ」


 男は顎に指を添えて、難儀そうに口元を歪めて独り思索に耽り出した。


「それよりも、報酬の話は忘れてねえよな?」


 もどかしい気持ちを抑え切れず、シャドは大声を発した。


「それなら心配するな。例の物を持ってきてもらえれば約束通りに支払おう……いや、聞いたところ、今や難易度は格段に跳ね上がっている。もし手に入れられれば言い値でいくらでも出す」


「その言葉、二言はねえぞ」


 シャドはくるりと体を返した。


 ーーあのレアものが、あればいくらでも贅沢させてやれんだ。


 男はシャドが走り去ったのを見届けて、ポケットから端末を取り出した。そしていつも通り機械的にコードを入力した。程なくして通信は繋がった。


「マズイことが起きた。例の管理委員がターゲットをマークした」


『そうか』


「生半可な方法で手を出そうものなら逆にこちらが追い詰められることだろう。暫くは報酬の餌に釣られた何も知らない連中にでも狙わせておく。ま、期待はしないがな」


『わかった。やり方は任せる』


「その間、どうにかしてターゲットを引き剥がす方法を考えてみよう」


『今回のターゲットは、かつてないほど条件に適している。目的さえ果たせれば、手段は問わない。良い報せを期待しておくよ』


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「この先の話は、君達にとっては良い報せではないかもしれない。聞く覚悟があれば、僕についてきて」


 そう言ってメドウはミナギとヴァーユを連れて、飛行機のすぐ側にある森へと向かった。飛行機から降りる際、あのフクロオオカミはどこかに消えていた。


 公演は午後14時から始まり、3時間続いた。黄昏時に入った湿原は、空から降り注ぐ金色の光を浴びて、きらきらと光り輝いていた。水面には遠くの紫色の空や千切れて端が紅色に染まった雲までもが映り、妖しいとも綺麗ともつかぬ雰囲気を放っていた。板でできた道の上を、先ほどまで観劇していた幾人かが歩いていて、先ほどまでの熱気がまだこの湿原に残っている気がした。


 すぐ近くにあった森は針葉樹がびっしりと生えていて、一転して空からの光を拒んでいた。もう夜なんじゃないかと思うほどの薄暗さの中をメドウはぐんぐん進んでいく。


 歩幅が広いメドウについていくのは大変だと思ったが、どうやらミナギ達のスピードに合わせて速度を落としてくれているようだった。


 20分程度歩くと、広場とも言える場所にたどり着いた。周囲に木々が並んでいるが、そこだけは草が生えているだけのスペースがある。シダ植物の隙間から黒い土が覗いていて、そこにスポットライトのように夕日が差していた。


 端々にはボロボロの靴やステッカーがびっしり貼り付けられた旅行鞄、はたまた使い込まれたコーヒーメーカーや分厚い写真アルバムといった物物が何の脈略もなく落ちていた。この森ではもう見慣れた光景だ。


 バックパックを背負ったカワウソとレッサーパンダが近づいてきた。


「おう! メドウ、久しいなあ」と気さくに挨拶してきたのはしわがれた声をしたカワウソで、後を追うようにしてレッサーパンダはゆっくりと頭を下げてきた。2人はこの森林一帯で働いている委員なのだとメドウは軽く説明した。


「彼女達にジャンプの瞬間を見せてあげたいんだ」


「お嬢ちゃん達、職業体験かい? 見ても減るもんじゃない。好きなだけ見なさい」


 歯を見せて笑うカワウソにミナギは穏やかな気持ちになる。だがそれは数分もしないうちに崩れることになった。


「きたぜ」


 カワウソが夕日の当たっている地面を指さした。


 土に波紋が広がっていた。波紋の線からは砂塵がもくもくと舞い上がり、まるで燃えた紙から昇る煙にも見える。煙と違うのは、そのまま天へと昇らず、砂塵があたかも意思をもったようにして、一度舞い上がった後に地上の1点に収束していく不可解な流動だった。


 留まらない丸い波紋の上に何かが生じている。それは砂塵がより集っていくに連れて鮮明な形を帯びていった。


 まだはっきりと色もついていない半透明の状態ではあるが、形を得ると同時に重量が生じたらしく、そこにあった草は生成中のそれに踏まれて地にぺったりと伏した。


 それから砂塵によるそれの形成はエスカレーションを起こし、激しい音を立てて塵は暴れだす。爆煙にも等しいくらいに煙が広がり、そこだけ切り取れば危機的状況とも言える煙の拡散が起こっていた。


 すっかり視認できなくなった頃、音は止んだ。ちょうどその時、前髪が眉をくすぐるほどの早さで風が吹いた。煙のベールはあっという間に解かれていった。


 バスケットボールがあった。直前の現象が嘘だったと信じられるくらい、平然とあった。波紋はもうない。


 始まりから終わりまで5秒とかからぬうちに、無から有が生まれているのをミナギは確かに目撃した。


「失くなった物はこうしてここへとやってくる」


 メドウはバスケットボールを拾い上げ、指の上で巧みに回転させた。


「君達の世界で失くなった物さ」


 メドウは持っていたボールを両手で軽く押し出し、ミナギにパスした。ミナギは構えこそすれ掌に当たったボールはあえなく落下する。土に落ちたボールは鈍い音をたてた。


「つまり、どういうこと」


「無理もない反応だね。今までもこうして説明しても、ミナギさんみたく動揺する人が殆どだった」


 横から見ていたヴァーユが感心した様子で、ボールに手を触れた。


「つまり、俺達が住んでる世界で失くなった物は、別の世界であるここへジャンプしてきている。それをあんた達が管理してるってこと?」


「そういうこと。飲み込みが早いね」


「ごめん、2人とも。私、全然ついていけない。えーと、イチから説明できる?」


 2人を交互に見ては慌てふためくミナギに、ヴァーユはボールを持ち上げてから言った。


「ここが地球上のどこかって考えたら不自然なことだらけだっただろ。例えば、喋る動物。その辺に散らかってる落とし物。うようよいる未発表の新種の蝶。あと、星座の並びも変だ」


 あっ、とミナギは声を漏らした。自分だけ気付いて昨晩飛行機に向かったつもりだったが、この少年はとっくに気付いていたのかと思った。


「私、てっきりもう死んでたんだと……」


「はあ?」


 それからミナギは自分が飛行機へ向かうに至った経緯を話した。ヴァーユはため息をつき、メドウは思いがけない勘違いに笑っていた。


「それはなかなか面白い考察だね、ミナギさん」


「バカにしないでください」


 上がっていた口角を人差し指と親指で抑えながら、メドウはミナギに体を向けた。


「ごめんごめん。色々な人を案内してきたけど、そんなオカルトな思考に行き着く人は初めてで」


「でも、落とし物が届く別世界? それもじゅうぶんオカルトでしょ」


「ミナギさん達にとっては確かにそうかもしれないね。でも、この世界、ハートバースに住み慣れた住人にとって、これはもう何ら不思議でもない当たり前なのさ」


 ハートバースという名前を復唱してから、ミナギは今まで見聞きしたことを整理した。


「じゃあ、あの飛行機も落とし物?」


「うん。君達のいる世界でも、ああいう乗り物が丸ごと消えてしまうことは多分あったんじゃないかな。あれほど大きな物がこちらにジャンプしてくるのはとても珍しいけどね」


 ミナギは今までに見たニュースや都市伝説の類を頭の中で出来る限り思い出した。飛行機が行方不明になることはそうそうないが、確かに幾度かは起こっている。


「この世界の人々は向こうの世界からジャンプしてきたものを利用して生活している。劇団プリマヴィスタの人達もあやって住まいや仕事道具に使っているんだ」


 そこまで話したところで、レッサーパンダが感嘆の唸り声をあげた。


「へええ……あなた方は迷い人なんですか。自分、初めて会いました。あの、よろしければ握手していただけませんか?」


 そう言ってふさふさとした黒い毛に覆われた両の前脚を差し出してきたので、ミナギは握手に応じた。レッサーパンダは肉球までもが毛で覆われているため、柔らかい毛の感触が掌に伝わった。


「その、マヨイビトっていうのは?」


「殆どそのままの意味。時々この世界にジャンプしてくる人間のことを皆そう呼ぶんだ」


 メドウはヴァーユとミナギの2人を見てそう言った。


 ミナギはこの森での最初の目覚めを思い出した。いつの間にか、ここにいた最初の時を。


「じゃあ私たちも、誰かになくされちゃったってこと?」


「解明されていない謎のひとつだ。人間がジャンプしてくるのはどうしてか。人の特徴も直前の状況も人それぞれだから、はっきりしたことはわかっていない」


「じゃあ神隠しっていうのは嘘?」


 ヴァーユがやはり鋭利な響きを込めた声でメドウに問いかけた。だが、答えたのは彼の方に乗っていたシエルだった。


「申し訳ございません、ヴァーユ様。あれは迷い人の方々を円滑に案内するため、一芝居打たせた頂きました」


「ちょっとオーバーアクトだったね」


 ミナギは最初の夜を思い返して、吹き出しそうになった。


「けれど、嘘とも言えない。僕達にも詳しい仕組みはわかっていないんだ。だから便宜上、『神隠しです』って言うしかない。そう言うように僕がシエルに教えたんだ。謝るなら僕の方だ」


「なら、別にいいけどさ」ヴァーユはボールを拾い上げてから、メドウに勢いよく投げた。「カフェで俺の手帳盗っただろ。あと、ミナギの自転車。あれはどういう理由だったんだ」


 メドウとしても思いがけない方から口撃が飛んできたみたいで、目を大きく開けた。琥珀色の瞳がきらりと光った。


「それも今し方見た事象で逆説的に説明がつくよ。君達のいる世界で物が消えてこっちへ来る、その逆もまたあり得るということさ。君達の持ち物があったところには、土くれが落ちていなかった?それがこちらの世界での消失の証だ」


「そういえば……」


 ミナギは自転車の駐輪場所にあった痕跡と、ポケットの中にあった土の感触を思い出す。ヴァーユもまた何かに気づいたようで、それについて反論の言葉を返さなかった。


 説明を終えてから、メドウは腑に落ちたように呟いた。


「なるほど、あの時に手帳が消えたから、僕は拒絶されたわけか……」


「あと俺の利き手通りにナイフとフォークを並べてた」


「物があのタイミングで消えたのは運が悪いとしか言えないけど、そればかりは僕が迂闊だったね。君達のことをあれよりも前に見ていたが故の失敗、か」


「メドウさんの相手の先を行く観察眼が、今回は悪い方向に転んでいたのですね」


 シエルがメドウの耳元で頷いていた。


「でもさ」とヴァーユは切り出した。やはりこの少年は、知らない者の言う事を易々とは信用しないようだ。「そもそも俺達に同じ迷い人として近づいたのはどうして? 何か企んでるんじゃないかって思うわけだけど」


 そのことについてはミナギの中でも再開してからずっと引っかかっていた。


 メドウは手に持っていたバスケットボールを地面に置いて、立ち上がった。再び見せた顔は真剣な表情に変わっていた。


「知ってしまったら、後戻りできないからね。なるべくなら、この世界については何も知らず、早く元の世界に戻るのが最善なんだ」


 陽は傾き、いつの間にか光はここへと届かなくなっていた。彼の着ているえんじ色の着物は、さっきよりも暗い真紅に移り変わっている。


「全てを知ってしまったら最後、この森に囚われ続けることになる」

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