第17話 墜落飛行機③

「……なんてことだ」


 月が丁度真上に出ている時間帯にシエルがふと目覚めると、いるはずの人がいなくなっていた。ミナギとヴァーユという外からやってきた2人の人間、言わばシエルにとってのお客が、業務中に自分の管理を外れてどこかへ行ってしまった。まことに由々しき事態である。


 シエルは動揺のあまりぐるぐるその場を回った。墨をつけた筆のように先っぽだけ黒く染まった自分の尻尾が目に映る。


 思えば、カフェを出てから、少しヴァーユ様は何かを思案されていた気がする。また一方でミナギ様もいつもの調子を外れて口数が少なくなっていた気がする。何かを気にされていたのだろうか。シエルは、頭の中でもぐるぐると今までの行いを振り返り、反省点を見つけ出そうとしていた。


 彼にとって迷い人を案内する仕事はこれが初めてだった。この仕事についてから色々とレクチャーを受けたことはあるし、実際にそうした業務を行った同僚や上司からも経験談を聞いたこともある。


 経験者はだいたい2パターンに分別される。すんなりと揉め事も大事もなく終わったと涼しい顔で語る人と、気苦労をぶつくさ語る人である。そして9割以上は後者に属する。前者は職場でも一目置かれるエリート中のエリートだけだ。


 いざ自分でその仕事をやるとなると想定外の連続だった。自分もいずれは同僚や部下にぶつくさ気苦労を語る側になるに違いなかった。


 何しろ相手は普段の仕事で触れている落とし物などではなく、こちらの事情も通じない、意思を持った、生身の人間。完全に制御できるなどと思う方がおこがましい。まして案内人はこの自分なのだ。初めての仕事に最初は張り切っていたが、やはり力も経験も不相応だったのだと思い知らされ、打ちひしがれる。


 ーーあの人の言う通りだったな……。


 そこまで考え込んで我に返った。


 ーーいやいや、今はそんなこと考えてる場合じゃない! とにかく、お二人の安全が最優先!


 自らを奮い立たせるべくぐるぐる回るのをやめ、すくっと二足立ちになった。両手で顔をごねごねとこねた。


「どうやらお困りのようだね」


「ひぃっ!」


 誰かが近づいてくる気配もなかったのに、急に近くから声がした。シエルの白と黒の整った毛並みが鳥肌で乱れる。


「あ! あなたは……」


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 住人達の話し合いによりミナギ達は、ひとまず物置スペースに安置しておこうということでまとまった。


「あったあった! ニンゲンを捕獲する道具! こういう刑事ドラマみたいなこと、一度やってみたかったんだよ」


 ハクビシンの彼は荷物を漁って見つけ出した手錠をミナギ達にかけた。こうも戯けた調子で誰かに手錠をかけられるのも、きっと珍しい人生経験のひとつに違いなかった。


 ゴリラが物置まで引き連れる一方、残りの住人達は今も機内を逃げ回る泥棒組を確保しようと躍起になっていた。ゴリラに身柄を任せると、ハシビロコウとハクビシンの彼らは二手に分かれながら、飛行機の前方へ走っていった。


 ゴリラに丁重かつゆっくり引き連れられる道中、ミナギが最初に入ってきたトンネル付近に戻ってきた。


「えー……あのー……キャブさーん」


 ゴリラの彼女が、トンネルから飛行機の外側に控えめな呼び声を投げた。あまりにか細すぎやしないかと思う声だったが何度か繰り返した後、1匹のフクロウがトンネルを抜けて入ってきた。体は通常の個体を凌ぐ大きさで、筋肉らしき隆起が羽毛を通じて見え隠れしている。ミナギはボディービルダーやプロレスラーを連想した。


 しかしその表情は緩んでいて、特に瞼が頼りなげに下がっている。今にも閉店寸前のシャッターのようだ。首も座っていないのか、ゆっくり上下している。


 一瞬嘴を大きく開けて何かを話そうとするも、くあっ、と声を出して引っ込める。後に続く眠そうな口調から、それはすぐにただの欠伸だと分かった。


「おは……よ、夜も更けてきたなぁ、デック。見回りならしっかりやってるって、何も問題はない。今ここも丁度戸締りしようとしていたところで……」


「は、はぁ……しかしピットさんがお怒りで……泥棒が4人も紛れ込んでまして」


「えぇ!?」


 閉じるか閉じぬかの間を揺れ動いていたフクロウは、話を聞いた途端に眦を決した。見開いたその瞳は、ゴリラとその後ろにいるミナギ、ヴァーユをも丸ごと映す。


「2人は確保したのですが、まだ2人は中で走り回っているのです。今ピットさんとボウさんが追いかけ回してます」


「い、いやぁ、しっかり見張ってたはずなんだけど、気づかなかった気づかなかった」


 いかにもしどろもどろな口調で、キャブという名のそのフクロウは取り繕う。


「戸締りをしっかりしたらキャブさんも加わるように、とのことでした。話は後でゆっくり聞く、とも言ってました……ご愁傷様です」


「こうしちゃおれん!」


 そう言ってキャブは、内側の壁に立てかけてあった鉄板をいともたやすく持ち上げて、トンネル状の穴を塞いだ。それからハート型のお面みたいな顔を両の翼で叩いて、前方へ向かおうとした。


「はっはー! オメエらもう息切れかー? 根性ねぇな!」


 前方から狼とミーアキャットの2人組が右手通路を逆走して戻ってきた。ミナギ達とすれ違う形で再び後方に向かって行った。その後に、ハシビロコウとハクビシンの2人が息を切らしながらも、一所懸命に続いていく。それを見たキャブも、左手通路から奥へと挟み込みに向かった。


「くう! この猛禽の眼を逃れ、忍び込むとは大した奴らだ。俺がひっ捕らえてやる!」


 デックという雌のゴリラは再びミナギ達を飛行機の前方へ連行した。しかし、彼女は泥棒たるミナギ達にびくびくしつつも丁寧な応対は崩さず、こちらの質問にもある程度答えてくれる。連行というよりもエスコートに近いかもしれなかった。


「……なんだか散らかってて申し訳ないです」


 そう言われた場所は、一般旅客機ならば、ファーストクラスに相当するエリアのはずだ。だがここは、そこかしこにテントやハンモックが設置され、生活用品も置いてあるスペースになっている。本来あるべき高級な装いはいくつかの椅子と共に取り外されている。


 デックがこちらを振り向きペコリと頭を下げる。眉の両端と目尻を下げると体格のいいゴリラであってもとことん覇気という覇気も抜け去ってしまうんだな、とミナギはしみじみ感じていた。


「いえいえ、こちらこそ人様のお家に忍び込んで申し訳ないです。みなさん、あのテントに暮らしているの?」


 忍び込んで申し訳ないです、とは妙な言い回しだな、とミナギは言いながら思った。


「え、ええ……集団生活と言えどもプライバシーは必需品ですから、こうして各人の空間を割り当てているんです。あっ、足元にお気をつけて」


 足元には、無数のケーブルやら紐やらワイヤーやらといった線が這っている。それらを目で辿ってみると、そこにはテレビモニターやゲーム機といった娯楽品、あるいは洗濯機や掃除機といった電化製品にたどり着く。いくつかのコード類は延長ケーブルに繋がっていて、それが更に別の延長ケーブルに、という具合に連鎖している。それらは、さながら森で見てきた草木の蔓のように絡まっていた。


 壁際には滑車装置のようなものが置かれていた。繋ぎに繋いで長大になった延長ケーブルがそこに巻き付けられている。スイッチを押すと滑車が回ってコードを巻き取れるようになっているらしい。こんな装置が必要になる程長いケーブルは一般家庭では使わないだろうが、作業場では便利なのかもしれない。


 ミナギはその滑車装置をどこかで見たような気がしたけれど、思い出す前に目的の場所へと辿り着いた。


「では、その……誠に申し訳ないですが……しばらくここで待機をお願いします」


 そこは飛行機の最先端部の操縦席だった。普通ならば、コックピットへ立ち入れるのは航空犯罪防止の目的により関係者だけだと聞いたことがある。それを抜きにしても操縦系統を司どるこの部屋は重要な扱いを受けるべきだが、どうやら住人達にとってここは物置同然に扱われているらしい。


 だがよくよく考えればそれも納得がいく。飛行能力を失った飛行機は今や鉄塊に過ぎないのだから。今や操縦席は完膚なきまでにお役御免で、機内ではとりわけ狭いだけの一室に成り下がっているのだ。


 コックピットは薄暗かった。中にはか弱い光を放つランプがひとつ吊り下げられているだけで、外からの光は窓に付着した埃や汚れのせいでほとんど流入してこない。


 ミナギ達が部屋に入ったところで、デックは鍵をかけた。


 操縦席への扉は、外側から鍵をかけられるよう住人の手によって改築されているようだった。逆に中から開ける本来の鍵は飾り同然と化していて、スライド式のロックを外しても掛けても感触がなかった。


 さっきのファーストクラスで見かけた家電のコードの一部は操縦席まで伸びている。扉の下部が何か強い力でこじ開けられており、人の握り拳程度なら通せそうな隙間が空いていた。そこを通過したコードは操縦室に置かれている家電に到達している。いちいちプラグを引っこ抜くのも面倒と言う生活者の性格が垣間見えるような気がした。


 ミナギは、とっくに肌寒い季節がやってきたというのに、扇風機を仕舞わず端っこに置いたまま、とうとう来年の夏を迎えた出来事を思い返した。それを指摘してきた夫には、確か「これは次の夏を見据えた未来志向の行動なのだ」と言い訳していたが、我ながら単にズボラなだけかもしれない。


 何はともあれ、手錠をばっちりかけられ、扉の鍵もかけられた状況。囚われたズボラ人間と、深夜徘徊不良少年の2人。


 ーーさて、どうしたものかな。


 ミナギは毛先をいじった。

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